・段落分けなどの空白行の度合いを調整しました(ぶっちゃけそのときの感性に左右される)。
部屋は昼でも薄暗かった。
戸は閉め切られ、外の光はほとんど入らない。
卓上ランプの淡い明かりが壁の影を揺らし、ベッド脇には血で汚れた包帯がいくつも積まれていた。
床には薬瓶と空になった水筒が転がり、消毒液の刺激臭がわずかに漂う。
Victorはベッドに腰を下ろし、無言で傷の具合を確かめていた。
皮膚は引きつり、まだ弾の軌跡の熱を残している。
左腕を動かすたびに筋肉が軋み、呼吸のたびに胸骨が小さく鳴った。
全身の痛みは途切れず、肉が治りかける前の鈍さに留まっている。
この部屋を借りたのは、つい先日のことだった。
集落の外れにある、古びた家。
Victorは玄関の戸を叩き、家主に部屋を一室貸してほしいとだけ伝えた。
静かな場所ならどこでもよかった。
血の染みた服と裂けた布地、その隙間から覗く銃創を見て、家主は最初こそ言葉を失った。
だが、机に置かれた金板の束を見た瞬間に、逡巡を捨てた。
条件はただ一つ──面倒を起こさないこと。
裏手の物置が空いており、そこを使うように言われた。
装甲車は納屋脇の車庫に置かせてもらい、それ以降、互いに顔を合わせることはなかった。
家主はVictorの存在を忘れようとし、Victorもまたそれを望んだ。
物置の中は、長く使われていない空間だった。
棚には割れた瓶や古い工具が残り、壁の隙間からは時折風が入り込む。
埃の匂いがこもり、踏むたびに床板が微かに鳴った。
Victorはそこへ最低限のものを持ち込んだ。
護身用の拳銃、薬品、包帯、保存食と水。
それらを並べ、残りの装備は装甲車に置いたままにした。
この場所は休息のためではなく、生き延びるための一時的な停留地にすぎない。
Victorはその狭い空間に籠もり、外の気配にも声にも応じなかった。
時折、息を確かめるように浅く吐き、端末を手に取っては記録を残す。
[2064-11-07-07:42]
区分:経過観察
状況:静養中/外出制限
状態:治癒遅延
前頭部:挫創
胸部:打撲~肋骨不全骨折
上肢:左肩・左前腕裂傷、右肩・左上腕銃創(貫通)
下肢:左脚刺創(破片)
所見:治癒優先。外出制限継続。
画面を閉じ、しばらく天井を見上げる。
外では風が鳴っている。
木の枝が擦れる音と、遠くで誰かが荷を運ぶ声が届く。
外には生活の気配があるのに、この部屋だけが時間の止まった箱のようだった。
イエローエリアに入ってからの二十日足らず、まともな仕事はほとんどなかった。
踏み倒され、騙され、巻き込まれ、裏切られた。
そのたびに血を流し、装備を失い、そして少しずつ何かを学んだ。
誠実さは、この土地では欠陥だ。
努力も正義も、ここでは意味を持たない。
価値を決めるのは常に暴力と損得。
誤った信頼がどれほどの代償を生むかは、身をもって理解している。
もっと早く気づくべきだった。
いや、端末に記録をつけ始めた時点ですでにわかっていたはずだ。
それでもどこかでまだ、自分だけは例外でいられると思っていた。
その甘さが、すべての失敗の根にあった。
深く息を吐き、包帯を締め直す。
怒りも悔いも燃え尽きたはずなのに、その灰の底で何かがまだ燻っていた。
それは絶望でも喪失でもなく、停滞への拒絶だった。
動きを止めれば思考は鈍り、やがては意思すら濁っていく。
その感覚を、すでに知っている。
それだけは、どうしても許せなかった。
ランプの光が揺れ、影が壁を這う。
昼と夜の境は曖昧で、時間の流れすら遠い。
静寂は安らぎではなく、腐敗の前触れを告げる警告のように思えた。
軍を追われ、イエローエリアでも数多の不条理を経験した今、なお彼に残された選択肢はひとつだけだった。
[2064-11-12-07:21]
区分:行動指針
状況:依頼選定/行動再開(自判)
状態:治癒遅延、疼痛継続
備考:休息継続は非効率と判断。限定的行動により運用を再開。試運転を兼ねる。
一週間も待たずして、Victorは動き出した。
身体は完治には程遠い。
包帯の下ではまだ傷が塞がりきらず、歩くたびに筋肉の奥で鈍い痛みが走る。
それは単なる苦痛ではなく、動作の限界を知らせる信号のように感じられた。
それでも、このまま寝台に沈むよりはましだ。
外に出ると、朝の光がまぶしく感じられた。
温もりではなく、長く閉ざされていた視界への違和感に近い。
装甲車のドアを開け、重い音を立てて運転席に身を沈める。
キーを回すと、計器盤の灯が一つずつ点り、燃料計の針がわずかに沈んだ。
警告灯がいくつか赤く瞬いている。
それらを無視し、アクセルを踏み込む。
崩れた倉庫、錆びた車両、沈黙した送電塔。
見慣れた風景が、車窓の外を流れていく。
ただ前へ――。
それだけが、今の彼にとって確かな意味を持つ行為だった。
[2064-11-12-16:45]
区分:任務
状況:依頼任務「通信装置点検」完了
依頼人:交易組合下請
経過:2064-11-12
14:00 現地到着、点検開始
16:20 点検完了
16:37 報告完了
結果:報酬受領済
損耗:なし
備考:鎮痛剤残量あり。発熱なし。感染兆候なし。試運転として適。行動継続に支障なし。
[2064-11-13-18:59]
区分:任務
状況:依頼任務「搬送支援」完了
依頼人:独立輸送業者
経過:2064-11-13
12:50 現地到着
13:00 搬送開始
15:38 野盗集団(6名)と接触のち交戦
15:57 戦闘終了、排除確認。搬送再開
18:40 搬送地点到着
結果:報酬受領済
損耗:軽微
弾薬消費:中
備考:疼痛は制御可能(行動制限閾値未満)。出血管理優先。行動範囲を北西方面へ拡大。
それから連日動いた。
休息の名目こそあれど、安静に過ごすことはない。
包帯は何度も巻き直され、薬瓶は減り続け、端末には淡々と事実が刻まれていた。
最初は、痛みはただのノイズだった。
集中を乱し、判断を鈍らせる異物。
排除すべきものとして扱っていた。
だが、それを無視し続けることはできなかった。
動作と結果を照合するうちに、痛みは徐々に輪郭を持ち始める。
踏み込みの深さ、照準の安定、反動の収束――それぞれに対応する負荷と限界が、繰り返しの中で一致していく。
痛みは感覚ではなく、条件になった。
どこまで許容できるか。
どの時点で破綻するか。
その境界を示す指標として、処理されるようになる。
[2064-11-14-18:58]
区分:任務
状況:依頼任務「資材・機器回収」完了
依頼人:民間修理工房
経過:2064-11-14
13:30 現地到着、回収作業開始
17:21 フィルタ残量低減につき退避
18:42 収集済み資材搬送完了
結果:収集対象の約8割を回収。報酬受領済(8割)
損耗:軽微
装備:防護フィルタ消耗(中)
備考:鎮痛剤使用量増加。残骸地帯の放射線量上昇を確認。再訪非推奨。
[2064-11-15-19:12]
区分:任務
状況:依頼任務「簡易設備復旧・動線確保」完了
依頼人:周辺集落管理者
経過:2064-11-15
12:08 対象区域到着
12:26 現地確認、作業開始
15:03 主要通路上の障害物除去完了
16:17 簡易設備(手動ポンプ・電源線)復旧
16:48 簡易点検。撤収開始
17:05 依頼人復旧完了を確認。現地離脱
結果:報酬受領済
損耗:なし
備考:復旧した設備は暫定的なものであり、恒久使用には再整備が必要。
仕事の「目的」と「理由」は区別できなくなっていた。
稼ぐためでも、充足するためでもない。
依頼を引き受け、遂行し、報告し、次を選定する。
その循環は意味ではなく、処理手順として固定されていった。
任務の数が存在を裏付け、端末に刻まれる日付が時間を代替する。
止まることは死に等しい。
動き続けることが、自身を辛うじて生に繋ぎとめていた。
[2064-11-16-05:30]
区分:任務
状況:依頼任務「拠点周辺・防衛支援」完了
依頼人:地元自警団
経過:2064-11-15~2064-11-16
18:50 現地到着
19:00 地元住民と打ち合わせののち哨戒開始
23:41 野盗集団(2名、推定斥候)と接触のち交戦
23:45 戦闘終了、撃退確認。以後、厳戒態勢に切り替え
01:09 当該勢力(推定15~18名)と再接触のち交戦
02:33 戦闘終了、撃退確認。警戒継続
05:00 契約期間満了
結果:報酬受領済
損耗:中度
人員:右脚・右上腕に擦傷/自警団側4名死傷
備考:睡眠不足による反応遅延。連携不備を確認。以降、共同任務は例外扱いとする。単独行動を常時優先。
[2064-11-17-00:33]
区分:任務
状況:依頼任務「物資護送」完了
依頼人:交易組合下請(物流部門)
経過:2064-11-16~2064-11-17
14:50 現地到着
15:12 移動開始
21:32 野盗集団(8名)と接触のち交戦
21:56 戦闘離脱、車列脱出確認
00:12 護送完了
結果:報酬受領済
損耗:なし
備考:傷口再出血、縫合補修。同行傭兵4名のうち、負傷者3名、死傷者1名。行動維持に支障なし。
日を追うごとに、思考は整然としていく。
無駄な感情が削ぎ落とされ、行動は最短経路を辿る。
眠りは浅く、夢は見ない。
起きれば依頼を確認し、装備を手入れして出発する。
腹が減れば食べ、傷が開けば縫い直す。
計画の前提も変質した。
かつて味方を想定して余白を残していた戦術図は、次第に一人の輪郭だけをはっきり描くようになった。
頭の中にある構成は、「自分一人が確実に生き残ること」を基準に再構築された。
退路、補給、弾薬、負傷時の処理──すべてが単独で完結するよう最適化される。
支援も救助も、もはや戦術の一部ではない。
誰かを助けるという選択肢は、優先順位の最下層に押しやられた。
[2064-11-17-23:41]
区分:任務
状況:依頼任務「補給線掃討」完了
依頼人:民間警備会社元請
経過:2064-11-17
16:00 現地到着
17:00 事前情報取得ののち出発
19:41 掃討決行
20:50 掃討終了(野盗・機械混成勢力10名、排除確認)
22:08 報告完了
結果:報酬確保済
損耗:中度
人員:右脚銃創(貫通)
弾薬消費:大
備考:同行予定者が現地不在。事前情報と現場における実態の大幅な乖離を確認。裏付けのない情報は無価値。悪化時は即刻対処。報酬減額要求に対し強制回収措置を実施。以後、当該依頼元は受注対象外。
[2064-11-18-17:48]
区分:任務
状況:依頼任務「旧工業区・断層部掃討」完了
依頼人:匿名仲介経由
経過:2064-11-18
14:00 現地到着
14:12 仲介人と面談ののち出発
14:40 現場到着、掃討開始
15:21 掃討確認(E.L.I.Ds群のべ14体)
15:59 報告完了
16:02 仲介人の報酬中抜き発覚
16:32 契約不履行につき、物証確保ののち仲介人排除
結果:報酬確保済(7割)
損耗:軽微
弾薬消費:大
備考:仲介中抜き分の報酬は強制回収措置前に浪費済み。継続的な回収も困難と判断したため、排除執行。以後、事前の身元照会による対策の上、類例発生時には同様の対処実施
依頼主や仲介が報酬を誤魔化そうとすればその場で差し押さえ、証拠が揃えば相手を消すことも躊躇わなくなった。
現場で行われる「排除」は温情とは無縁の即決処置であり、過去の裏切りが教えた最短の解法だった。
以降、信頼は取引の透明性と銃口の即時性に還元される。
蓄えた情報は盾として機能し、銃が最終決定権を握った。
端末のログは無情に増えていく。
その記録を眺めながら、かつての自分を覆っていたものが剥がれ落ちていくのを感じた。
[2064-11-21-18:16]
区分:任務
状況:依頼任務「交易拠点・護衛行動」完了
依頼人:交易組合員
経過:2064-11-21
11:52 現地到着
12:00 護衛開始
14:12 不審人物(2名)による接触未遂を発見
14:15 路地裏に誘引のち排除
18:00 契約期間満了
結果:依頼人側損失なし。報酬受領済
損耗:なし
備考:報酬支払いの即時性・正確性を確認。以後、組合経由依頼を優先候補に追加。
人々の間に、曖昧な噂が流れ始める。
「契約不履行を許さない傭兵がいる。」
「気難しいが、仕事は確実。」
「関わると面倒だが、味方でいるうちは頼もしい。」
その程度の言葉だけが人々の口に残る。
名前は出ない。
だが評判の輪郭がはっきりするほど、回ってくる仕事はより危険で、報酬は厚くなった。
噂が仕事を運ぶなら、それもまた一種の燃料になった。
[2064-11-24-20:13]
区分:任務
状況:依頼任務「交易路巡回警備」完了
依頼人:交易組合下請(警備部門)
経過:2064-11-24
07:30 現地到着
08:30 現場監督と打ち合わせののち巡回開始
12:00 休憩
13:00 巡回再開
17:32 不審勢力(傭兵残党5名)と接触のち交戦
18:01 戦闘終了、排除確認
19:30 契約期間満了
結果:報酬受領済(戦果による報酬上乗せ分含む)
損耗:軽微
弾薬消費:中
備考:組合系依頼の信頼度上昇を確認。以後、依頼受注先の一本化を検討。
実績が積み重なるほど、報酬を誤魔化す者は減っていった。
暴力は抑止になり、噂は契約の担保になった。
契約違反の代償を知る者は、誰も二度は同じ過ちを犯さない。
交渉は簡潔で、支払いは正確に。
裏切りも取引の不振も、徐々に消えていった。
ある夜、気づけば食事をした覚えがなく、弾倉を数えた記憶だけがはっきり残っていた。
端末の画面を見つめながら、ふと気づくことがある。
軍にいた頃の仲間の顔や声が、いつの間にか輪郭を失っていた。
名前を思い出そうとすると、代わりに作戦番号や位置データが浮かぶ。
いつからそうなったのかはわからない。
ただ、それを疑問に思う時間すら、今は不要だった。
失われるものに執着すれば、それだけ判断が鈍る。
仲間の名も過去の情も、任務のログに押し出されていく。
記録が増えるほど、古い記憶は数値に変わり、感傷は不要な変数として切り捨てられた。
端末には新しい日付が並び、過去は静かに上書きされていく。
忘却は衰退ではなく、最適化の過程だ。
感情は生産性を損ない、無感こそが合理だった。
Victor Rowen──その名は、記録上の識別子としてのみ残存している。
契約書の署名欄を埋めるためだけに残された記号。
名が人を区別するのではなく、機能が人を定義する。
この日を境に、Victor Rowenは“傭兵”という機構へと置き換わった。
[2064-11-25-22:18]
区分:点検・整備
状況:車両診断
状態:前輪サスペンションリンク摩耗進行、軸受異音(要交換)、外板歪み(応力集中)
備考:応急補修により運用継続。交換部品の確保を優先度繰り上げ。
それからさらに数日。
気づけば、Victorの行動はこの土地の環境にも馴染みつつあった。
日中の刺すような陽射しと砂塵、湿り気のない空気。
取引の言葉の端々に潜む打算の気配も、今では違和感を覚えない。
食糧を買う手、燃料を補給する手順、弾薬の選別と確保。
体はまだ不完全だが、動き方はこの地の理に沿っている。
すべてが習慣となり、思考を介さずにこなせるようになっていた。
その日は、荒廃した旧市街の外縁にある無許可市場を歩いていた。
正規流通では出回らない物資の吹き溜まり。
出所不明の軍用品、廃棄されたはずの兵器、名も持たぬ死者の荷。
誰がどこから持ち込んだのか、誰も詮索しない。
焦げた油の臭いが干し肉と香辛料の刺激臭に混じり、熱気を帯びた風が肌を焼く。
金属を打つ音、発電機の唸り、商人の怒声、値切り客の舌戦。
雑踏は絶え間なく揺れ、埃の層が視界を霞ませていた。
装甲車を通りの外れに停め、Victorは慎重に品を見て回った。
銃油、乾燥食、冷却剤、そして中古のセンサー部品。
どれも精度は怪しいが、使い方次第でまだ役に立つ。
売り手たちは値段を釣り上げようとしたが、彼の無言の視線に早々に口をつぐんだ。
「本土の反乱軍、とうとう鎮圧されたらしいぞ。将軍も死んだって話だ。」
「またその話か? 昨日は“逃げた”って言ってたじゃねぇか。」
「いや、今度は確かだ。上が潰れたってことは、残りは野良扱いだ。あいつら、次はこっちに流れてくるぞ。」
断片的な噂が風に乗って流れる。
だがVictorの耳には砂利が転がる音と同じで、なんら意味を持たなかった。
最低限の物資は揃った。
だが、問題は装甲車の部品だった。
外板の一部は度重なる交戦で歪み、走行中もかすかに振動を伝える。
前輪側のサスペンションリンクと軸受も限界に近い。
このままでは遠距離の移動にも、高負荷の任務にも耐えられない。
必要なのは、ありふれた消耗品の類ではない。
すでに生産も流通も途絶えて久しい、旧式の軍用規格で作られた特殊部材だ。
正規の補給ルートでは手に入らず、純正品を買うには法外な金が要る。
だからこそ、この“裏”の市場に来た。
ここなら、どこかから流れた部品の一つくらいは見つかると思ったのだ。
しかし、市場を一巡しても目的の品は影も形もなかった。
何十軒も回り、目当ての部品は見当たらない。
陽射しと埃が体力を奪い、背中にこもった熱気が皮膚を刺す。
足を止めかけたとき、屋台の隅に似た形状のスクラップが目に入った。
Victorはそれを手に取り、溶接痕を確かめる。
サイズも規格も微妙に違うが、加工すれば使えないこともない――そう判断しかけた、その時。
背後から軽い声が飛んできた。
「探しもんか? それに、ちょっとばかし難儀してるみたいだな。」
振り向くと、若い男が片手で小型の荷車を押さえ、にやにや笑っていた。
二十代半ばほど。
痩せぎすの体躯に、淡い栗色の髪。
肌は焼けているが、日差しというより風と埃に削られたようなくすんだ色をしている。
袖をまくった薄布の上着に、多数の内ポケットを備えたベスト。
腰には計算端末と折り畳み式の秤、そして古びた拳銃のホルスター。
実用というよりは、身代わりの護符のようだ。
吊り気味の目尻に、形だけの笑み。
声は軽く、掴みどころがない。
だが瞳の奥には、薄膜の下で光を潜ませるような鋭さがある。
この風土に喰われるどころか、逆に喰ってやろうという気配をまとっていた。
「手伝ってやろうか? 見たところ、ここらは初めてだろ。」
Victorは答えず、視線だけで相手を測った。
まず足元。
靴底はすり減っているが、砂埃の下に乾いた油の汚れが残っている。
長距離を歩き回り、荷車の手入れも欠かしていない証拠だ。
次に車輪。
溝は浅いが、軸に差された油は新しく、回転は静かだ。
今日まで走り続けてきた“現役”の道具。
そして、それを回す人間のしぶとさを示していた。
男は笑みを崩さず、顎を傾けて言った。
「まあまあ、そう警戒すんなって。別にタダでやるとは言ってねえさ。」
荷車の上には、油にまみれた工具と布に包まれた部品の山。
男はその上を軽く叩きながら言った。
「こっちは日銭稼ぎの口が多い。俺は困ってる奴を見つけて間を取り持つのが生業でね。要るもんがあるなら、案内ぐらいはできる。」
Victorはしばし考え、言った。
「……妙な真似はするな。」
男はにやりと笑い、荷車を押しながら歩き出した。
「ついてきな。」
Victorは警戒を崩さず、数歩後ろをついていった。
市場の喧騒を抜け、錆びた鉄板を継ぎ足したような通りへ入る。
軒を連ねる露店の中に、男の店があった。
天幕の下には雑多な品が積まれている。
油に濡れた機械部品、摩耗したツール、薬品の瓶、そして用途の知れない金属片。
どれも値打ちがあるようには見えない。
「ほら、好きに見てってくれ。掘り出しもんがあるかもよ。」
男は手際よく布をめくり、いくつかの金属片を机の上に並べてみせた。
Victorは一瞥しただけで、すぐに背を向けた。
「時間の無駄だったな。」
「ああ待て、そんな急ぐなって。」
男は荷車の脇に回り込み、笑いながら手を広げる。
「ここにないのはわかった。けど、“ある場所”なら知ってるかもしれない――そういう話をしに来たんだ。」
Victorの足が止まる。
男はその反応を逃さず、口の端を吊り上げた。
「俺の名はRezo。人やモノ、場合によっちゃ“案件”まで――なんでも仲介するのが商売でね。裏でも表でも、流れを止めないのが俺の役目だ。」
Victorは沈黙を崩さず、ただ視線だけを向けた。
彼は笑みを保ったまま、軽く手を上げてみせた。
「言葉は要らねぇさ。その顔を見りゃ、だいたい察しがつく。探してるのは部品だろ? 」
言葉を区切り、口の端にわずかな笑みを残す。
「しかも軍用。身なりで、元軍人ってのは分かるさ。」
視線を市場の奥へ流し、それからVictorへ戻して続けた。
「それと――新型ならここらにいくらでも転がってる。わざわざ探し回るってことは、古い規格のやつだな。」
Rezoの言葉が途切れ、短い静寂が落ちる。
Victorはその沈黙の中で、ほんの一拍だけ呼吸を整えた。
そして、淡々と告げる。
「……見せた方が早い。」
言うが早いか、Victorは市場の通りを引き返した。
Rezoは一瞬ためらったが、すぐに片眉を上げて微笑し、その後を追う。
通りを抜け、埃の舞う路地を過ぎると、外れに停められた灰色の車両が見えてきた。
分厚い装甲板は歪み、側面には弾痕と焦げ跡がいくつも残る。
表面には溶接の跡が走り、塗装はほとんど剥がれていた。
「こりゃ……。」
Rezoが息を漏らした。
「“整備”ってより、“延命処置”だな。」
Victorは前輪の根元を指し示す。
「ここだ。サスペンションリンクと軸受が限界だ。外板の歪みで、フレームにも応力が載っている。」
Rezoはしゃがみ込み、ライトをかざして覗き込む。
指先で金属を叩くと、くぐもった音が返った。
「いや、それどころじゃねえな……参った。市販の規格じゃ合わねぇわけだ。型式は廃盤、それにこいつ“カスタム”だろ。」
Victorは表情を動かさず、わずかに頷く。
Rezoはしばらく黙り込み、最後に息を吐き出した。
「どうする。」
「……数日はくれ。この辺じゃ無理だが、ツテがある。壊れた機体から引っぺがした部品なら、見つかるかもしれねぇ。」
「費用は。」
「安くはない。」
Rezoは立ち上がり、笑い混じりに肩をすくめる。
「だが、あんたの車ならその価値はある。正直、ここまで酷使されてる機体は久々に見た。こういうのを動かし続ける奴、嫌いじゃねぇよ。」
Victorは言葉を返さず、わずかに視線を落とした。
「三日だ。」
「……おいおい、本気かよ。」
Rezoは頭を掻き、半ば呆れたように笑う。
「わかった、三日もらう。俺の名に賭けて、なんとかしてやるよ。」
口調は軽いが、その目だけは冗談ではなかった。
Victorは一度だけ目礼し、再び車に向き直る。
その背を見送りながら、Rezoは口の端を上げて呟いた。
「まったく、ろくでもねぇ奴と縁ができたもんだ。」
三日後。
Victorは自らが指定した時刻に、廃ビルの一角へ姿を現した。
外壁は風雨に削られ、窓枠は崩れ、鉄骨がむき出しになっている。
吹き込む風が古い埃を巻き上げ、湿ったコンクリートの匂いが鼻を刺した。
どこかで滴る水音が反響し、遠くの階段が軋む。
二階の吹き抜け跡では、Rezoが荷車のそばに腰を下ろしていた。
覆い布をかけたままの荷を背に、煙草をくゆらせている。
Victorの姿を認めると、軽く手を上げて言った。
「時間ぴったりとは、律儀なもんだな。」
Victorは答えず、まず周囲を見渡した。
崩れた階段、割れた窓、影に沈んだ通路。
射線を確認し、死角を一つずつ潰していく。
「おい……そこまでやるかよ?」
Rezoが煙を吐きながら呆れたように笑う。
Victorは全てを確かめ終えると、ようやく視線を戻した。
「廃ビルの中にゃ、俺の影とネズミくらいしかいねぇぞ。」
その言葉を受け流し、荷車に目を向ける。
「物は?」
「ほら。」
Rezoは軽く指を鳴らし、足先で布をめくった。
荷台の上には、金属部品が整然と並んでいる。
接合部は磨かれ、刻印の摩耗も少ない。
軸受、サスペンションリンク、補修用の外板――すべてがVictorの要求通りだった。
「言ったろ、“繋ぐ”のが仕事だ。欲しいもんがあれば、どこからでも流れてくる。その分、値は張るけどな。」
Rezoが灰を払いつつ、得意げに言ってのける。
その声音には誇張も虚勢もない。
ただ、事実を淡々と述べる調子だった。
Victorは無言で部品を検め、数と型番を確かめる。
再整備の痕跡はあるが、材質も精度も申し分ない。
想定していた“妥協品”ではなかった。
目の奥を一瞬だけ驚きがかすめたが、表には出さない。
「取引成立だ。」
Victorが言い、金板を差し出す。
Rezoは軽く数を確かめ、手際よく懐へ滑り込ませた。
「はいよ、毎度。」
軽く敬礼の真似をしながら笑う。
「また入り用があったら声をかけてくれ。次はもう少し風情のある場所でな。」
Victorは返事をせず、荷をまとめて立ち上がる。
歩き出す直前、ふとだけRezoをみやった。
男は灰を落とし、煙を細く吐き出していた。
外へ出ると、陽は傾きかけていた。
橙の光が廃墟の外壁を掠め、長い影を地面に引いている。
風が吹くたび、砕けたガラスがかすかに鳴った。
Victorは立ち止まり、廃ビルを振り返ることなく息を整えた。
淡く差し込む光が装甲の縁を照らし、鈍く反射する。
取引は滞りなく終わった。
部品の精度は申し分ない。
あの手際と仕上がり、確実に裏の筋を押さえている。
思考の奥で、ひとつの判断が静かに下される。
――この男とは、もうしばらくは取引を続けてもいい。
いまだ信用には値しないが、約束を守る人間は少ない。
それだけで、次の取引に足る理由になる。
歩き出した彼の背に、風が追いすがる。
廃墟の中に残った煙草の匂いは、もうここまでは届かない。
陽光は斜めに傾き、街の端でゆっくりと色を失っていった。
[2064-12-01-17:52]
区分:取引
状況:部品取引
経過:2064-12-01
17:00 現地到着
17:05 周囲警戒ののち取引開始
17:37 取引完了
結果:取引成立
備考:収支は相場内。仲介人(Rezo)は評価保留。現時点では継続取引対象とする。
第6話です。新キャラです。人形じゃないです、商人です(Mercsとは?)。
人形はもう少し先ですね。あと数話ぐらいは新キャラとの奇縁を引っ張っていきます。
最近モチベはあるのにエンジンのかかりが悪くて困ってるんですよね。深夜帯の無音になってる時間が一番捗るんですけど、リアルがなかなかそれを許さず。
言い訳はさておき、可能な限りは質を上げつつもペースを取り戻していきたい所存です。
余談:シナリオに出てたエウティスの設定、いずれはどこかで使わせてもらおうかな。
そして烙印のワードが出てきたときは、しばらく開いた口がふさがらなかったなと。
やったな指揮官。