『────』
暗く、途方もなく見えない場所。
前までは、翼をはためかせて自由に空を飛ぶ鳥のように、自由で溢れていたはずなのに、今ではなぜかずっとここにいる。
ここはどこで、自分は何者か。
そんな簡単なことも、もう慣れに慣れきった闇の中では答えは出てこない。先の見えない、意地の悪い迷路のように。
でも、それでも機会を探すために歩き続ける。
『──ざメロ』
歩き続ければ、答えに辿り着くはずなのだ。──自分を証明するチャンスが。
『め──メロ……』
「──くん」
この暗い世界に、ふと音が舞い降りてくる。
二つの声。誰の声かなんて知ったことではない。だが、この声がかかるときに限って、
「────」
扉が現れるのだ。しかし、それは一つだけではない。
「「「────」」」
二つ、三つ。いや、数えるだけで頭が痛くなるくらいまっしろな扉が、広いはずだった黒い世界を狭めるのだ。
開けていいのか、開けてはダメなのか。前からも後ろからも引っ張られる感覚に、意識はいつも迷う。
これを開けていいのか。このまま何も不自由のない、黒い世界で居続けるのか。果たして、どっちがまともなのか。
『──ザ……ろ。──メザメロ……目覚めろ』
「けん──くん……起きて……っ」
邪魔しないでほしい。
もう少しだけ、この、まっくろなばしょと、まっしろなとびらを──
「夢路!」
*
真っ先に視界に入り込んで来たのは、白いマルだった。
「ぇ、いって……!?」
突き刺さったとさえ錯覚する痛打が、無防備にさらされた歪んだ視界をリフレッシュ。ついでに眠気も。
ぽさっと音を立てて、机に広げられた教科書に、おそらく妨げたものから投げられた凶器が落ちた。
「お前、授業受ける気あるのか? そんなに俺の授業がつまらんのか」
「え!? いやっ……違いますって。俺はちゃんと先生の話聞いてましたよ?」
「じゃあ続き読めよ? 読めるよな? 聞いてたんだから」
「げっ……えぇーと」
うん、おかしい。
教科書を机から拾い上げ、真っ白で多分新品のチョークが空を舞う中、俺こと見透は思った。わからん。
もちのろん、文字が読めないとか内容がわからないとか、そういう話ではない。どこを読めばいいのかがわからないのだ。
重力に引き寄せられるまま、落下に身を任せたしろチョークは悉く床で叩きつぶれ、ただただ虚しい音が教室中に響き渡った。
*
けど、こんなのだけど成績は優秀だったりする。
「この間だって!」
「おわ!?」
時間は昼にして体育。靴底が床を当たり散らし、けたたましい悲鳴を喚き散らす。
そして、一人。叫んだ見透が大きく床から離れ、誰しもが驚愕。全員がバスケットボールの行く末を見守った。
彼の狙う先はただ一つ。──相手のリング。
ダァンク──ッ!
「全教科オールワンハンドレットだったしッ」
「何言ってんだ!? てか、やるぅ」
タンクトップで半ズボン。見ても体格のいいクラスメイトの男子の一人が素直にも賞賛してくれた。
背中を強く叩かれて、ヒリヒリと手形が残ったのも想像しやすい。
あ、まただ。……気持ち悪い。
「まったく。お前がバスケ部に入ってたら、この間の県大会も優勝したってのに」
「スポーツ優秀、頭も優秀で文武両道。おまけに人が良いとくる。我が部員として誇らしい、なぁ亜国君」
「それなのに、なんであいつ……」
立て続けに賞賛しまくるクラスメイトたち。
嫌味な顔をしても、見透のあり方に否定はできないやつや、腕を組んでしたり顔で頷く頭にバンダナのつけた男。
そんな中、苦虫を噛んだように眉を顰める女子がつぶやいた。
「体あんな雑魚いのに、デビルハンター部に入れたんだろ」
血を吐いてうずくまる見透を目にしながら。
「見透くん──っ!」
*
*
「ん、んぅ……」
「目、覚めた?」
気持ち悪くて、咳き込んで、そしたら目の前がいつものように真っ暗になって気がついたら聞き馴染みのある鈴を転がすような声と天井。
視線を横にずらせば、何か言いたげに小さな口元をきゅっとつんのめる、幼なじみの叶が──現見叶《ウツミ・カナエ》がいた。
「保健室……。今日は……何分?」
「十分とか」
「…………。そっか」
「そっかじゃない! なんで……あんな無茶するのさ。馬鹿みたいにはしゃいで倒れて……心配する、わたしの身にもなってよ……」
ゆっくりと柔らかい片方の手のひらを顔に押し付けて、顔を隠した叶の表情は見えない。けれど、申し訳が立たなくて、見透は真っ白な天井を仰ぎ見て深いため息をついた。
「口に残った血が、釘を刺されたように鉄臭いよ……」
「……何言ってんの?」
「別に。でもごめんな。俺みたいなバディ……いやだろ。ただバスケするだけでぶっ倒れちゃうなんてさ。それでさえ、足引っ張ってんのに」
「引っ張ってない……! いや、引っ張ってたけど……」
どっちなのだろう。口を尻込みして小さい体を小さくする叶に、見透は目を離して真っ白な天井を見つめた。
思えば、入部試験のときも無茶してばっかりだった。
『デビルハンター部の入部試験へようこそ!』『我が部は悪魔と戦える力を持ったもののみが──』
『三人一組になって街をパトロールし、悪魔を討伐してもらう!』
#
#
「か、叶?」
「見透くん……なんでっ」
入学初日から数日の部活勧誘会。ここ『第四東高等学校』の入学に選んだ最もの理由は、デビルハンター部という部活があったからだ。
張り切って頑張ろう。それで、幼馴染に自慢して、もう自分一人で大丈夫なんだって、知らしめたかった。
なのに──
「なんでって……俺のセリフだよそれ……」
なんで目の前に1番いて欲しくない人が、今にも泣きそうな顔して自分の前に立っているのだ。
「なぁ、ひょっとしてアンタらってその……訳ありってェ感じ?」
横には自分と叶とのやりとりを見て居心地の悪そうに頭を掻く、おそらくは同級生の男がいた。
「あぁ、ごめんな。名前言ってなかったっしょ。オレは吉本。中学のときはよっしーって呼ばれてたし、よければ呼んでくれな」
「……。あ、ああこっちこそ」
吉本、と名乗る少年。眩しいくらい溌剌とした印象で、根のいい人って感じがする人だ。耳のかかるほどのびた明るい茶髪をしていて、少しもっさりとした髪型。にかっと口から八重歯がきらりと反射。少しイタズラめいた雰囲気があった。
制服の上にはパーカーを羽織っていて、デカ目の虎柄フードをかぶっている。今はフードを軽く摘んで顔が見えるものの、それがなかったらかなり暗い印象だ。
友人、という友人も小中学といなかった自分にはあまりなく、今の今まで握手を求められていたことに気づかなかった。申し訳なく、うまく笑えず苦笑いを浮かべながら伸ばす見透の手はぎこちないものの、吉本の方から手を取ってもらうことになってしまった。
男だから当たり前か。力強い手で、冷たい体温に吉本の熱が入り込む。
「冷えてんなー。ま、入部したら3年の付き合いになると思うし、よろしく!」
「あ、あぁ。俺の名前は──」
「触らないで」
衝撃。手に伝わるピリつく痛みに思わず半歩よろめくと、不意に左腕に巻き付いて押しつけられる感触。
「あなた、見透くんに何しようとしたの」
「叶……!? いや、俺は全然大丈夫だから」
「全然大丈夫じゃない。見透くん誰かを助けるたびに酷い目にあってるし、中学のときだって、人助けようとして殴られてたでしょ。私が見つけたから良かったけど……見透くん死んでたかもしれないんだから」
「いや、あれは──っ、はぁ……俺ちょーださい」
上目で、ただでさえ弱い心臓に釘を刺してくるほとほと困り果てる見透は、片手を顔に押しつけて視界の黒さに隠れようとした。周りからしたら滑稽にしか見えないだろう。
「あぁはは……二人とも仲良いんだね」
これが、三人一組になっての最初の会話だった。
説明会が終わり体育館を抜ける見透一向。
放課後の時間帯。外で快音轟かせる鉄の音と歓声。野球をしているのだろう。
「ここ……広いよね、見透くん」
「なぁなぁ! 二人の自己紹介まだっしょ! 俺聞きたいなぁ。ほら、なんでデビルハンター部に入ろうって思ってんのとかっ」
「うるさい。私は見透くんに聞いてるの」
「まぁまぁ、話すくらい良いっしょ。減るものでもないし。ね?」
グイグイと近寄ってくる吉本に押し黙る叶。
なんというべきか。人とは全員こうだ、と前に受けた印象が強く、ディスコミュニケーション全開で心の扉完全封鎖な叶。
おそらく彼女の心の声を代弁するなら、『最悪』の二文字だろう。
隣から漂ってくるオーラが黒いから、わかってしまう。
「まぁ、よっしーの言う通り。自己紹介くらいならいいだろ?」
「おぉ! まさかほんとに読んでくれるとは思ってもいないオレは感激っ。じゃああらためて、オレは吉本で、部活に入りたいのは悪魔退治したいから」
「俺は見透。夢路見透《ユメジ・ケント》。デビルハンターやりたいのは……守りたいから」
「見透。見透かぁ……じゃあけんちゃんって呼ぶっしょ。でも…………なんか夢壮大すぎて、オレの動機ちっさく見えね? ねぇ叶ちゃんもそう思っちゃうっしょ?」
ちなみにだが、窓側廊下から叶、自分、吉本という並びだ。自分を挟んで顔を乗り出す吉本から逃げる叶が腕を引っ掴んで窓に擦れるくらい引っ張るため、見透は二の腕に砂嵐を覚えた。
「そうねちっぽけ」
「うええ!? 言っちゃう!? それふつー言っちゃわないやつっしょ!?」
「うっさい! 思うって言ったのあんたでしょ! どうせ名前言わないとうるさくするから、言うわ」
厄介極まりなさにため息も隠さない叶。「わかってるぅー」と目を細めてヒューヒュー喋り倒す吉本に、叶は凍てつく視線で睨みつけ、氷柱で釘刺した。
「現見叶。現見るって書いてあとは言葉通り。覚えなくていいわ。覚えてもらうのは見透くんだけでいいから」
「──!?」
ギョッとして吉本がこちらに顔を向けてくるのはやめてほしい。お前この子に何したって言いたげだが何もしていない。これは誓って本当だ。
強いて言えば、助けた、としか。
「じゃあなんでデビルハンター目指すん?」
「うっさい死ねっ!」
*
その後のこと。ただでさえ広い高校を歩き回るのは味気ない。どうせなら街でどうよと提案した吉本に、賛成二人反対一人で街に出ることとなった。
が、開幕早々ポテトの悪魔に遭遇。あえなく撃退して、そして。
「ゲホっ……エッホっゲホっ……!」
「見透くん!?」「けんちゃん!」
血を吐いた。
「どうしたんだよ、けんちゃんに何が起こった!?」
「キャンキャン耳元で叫ばないで! 見透くん、持病で心臓が悪いの。小さいときから、無理して……私のせいで傷付いちゃったから酷くなってるの」
「かなちゃんの……せい?」
喉を張り上げる叶だが、背中に感じる温もりは安らかに上下して見透を癒す。
湧いて出る疑惑に見透を介抱する叶を凝視する吉本だったが、今は緊急時。忙しなく辺りを見渡して、紫の返り血に濡れる顔を自販機へ向かわせた。
「薬とか持ってるっしょ! そういう突発性のやつなら、その時に飲む薬持ってるはず。オレはコンビニで水買ってくるっ」
「そこで待っててェ!」と言葉を残して路地から抜けていく吉本。
ポテトの悪魔の死骸と一緒に取り残される叶と見透。
すると、
「ま、だ……ぁ」
「──っ、じっとしてて見透くん。やっぱり無理だよ、デビルハンター部……! それに、今は安静にしてて?」
「いいや!」
制服の懐からオレンジのブリスターパックを取り出し、二錠口に放り込む見透が一息つく。叶の手から離れ、路地裏の壁に体をもたれかけた。
「俺は……俺はやっとっ、目指せるものが目の前にあんだ。それに手を伸ばせないと、俺は──俺は一生後悔する」
「だったら任せてよッ。私なんでもやってあげる。見透くんが言って、私がやってあげるの。だって私の命は……見透くんの」
「──それでもだよ」
心臓が弱い。それがどうした。体が弱くて激しい運動をしたら五分も持たずに血を吐く。それがどうした。
この命は、本当はもうないはずだったのだ。それを二人に、両親によって、その命を代償にして今生きている。
離れないイメージ。二人の死に顔。トラウマか夢か。命を救って、それで微笑んで死んでいった父と母に、自分は憧れを抱いているのだろうか。
「袋」
「……え?」
路地の薄暗さと大通りの明るさでコントラストが線引きされる。その線に、見透は立つ。
端麗な表情が曇る、いつも自分を守ってくれていた叶の雰囲気が今は小さく感じて、微笑んで見せた。
「ポテトの悪魔。入れるための袋、持ってくるよ」
#
#
今思えば、あんなふうになっていた叶を置いていくことは間違っていたのだ。すぐに戻ってきた事実があったとしても、守りたい笑顔を泣かせたのは変わりない。
けど、逃げたかったのだ。現を見たくなかった。それ以上に、自分の弱さを見せたくなかった。
呼吸を整えリラックス。知ってる天井から目を離す見透はゆっくりと体を起こすと、寝ぼけて鈍っていた頭をそのままに口を開いた。
「水、ちょうだい?」
「あ。そうだよね。……お薬飲まないと」
気づいて顔を上げる叶。態度も言動も、はねる呼吸で辿々しいが、紙コップに水を汲んで外の水道から戻って来るぐらいには、この状況にはもう慣れていた。
プリンターがプリントを吐き出すようなガラガラと音をたてて、叶の姿が扉から現れる。
やっぱり飲まないと落ち着かないらしい。胸元の奥の方の太鼓もどんどんと打ち鳴らしていて、ある種の体の悲鳴に見透は眉を真ん中に寄せた。
横になっていた体を縦にして、尻を落ち着かせて、ジャージのポケットを弄る。見当が指先の感触に目を揺らす無表情の見透はオレンジ色のブリスターパックを取り出して、アルミを破って手のひらに乗せた。
「これ、水……」
「ん、あんがと。……。────。……ぷはっ」
口の中に二錠を放り込んで、水を飲んで喉越し。派手に動いて水の足りない乾いた喉に、血の残った気持ち悪い喉が水で洗って生き返った。
「…………」
「…………」
途端、無言が見透と叶、二人の間に落ちて波紋を生み出す。
深く吸って深く吐く。今まで浅かった呼吸をより大きなものへと胸膨らませて、見透は叶から目を閉じて心臓の音に意識を傾けた。
すると、
「どうかした……?」
衣擦れと、高校生の男子とはいえあまり健康的ではない薄い胸板に当たる温もりに、ポツリつぶやいた。
下へ落とした瞼の隙間から、蛍光灯の冷たい光が入り込んでくる。見透は少しの眩しさに顔をこわばらせると、胸を触れる張本人が髪を揺らした。
「ううん……ただ」
「ただ?」
「…………心臓、動いてるね」
「うん。生きてるからな」
仕方ない。いや、仕方なくない。こうなってしまうのも、全部が全部、自分のせいだということをもう随分と前から理解している。
叶がこうして自分の胸に触れて、押して、沈み込むかと思うくらい温もりを染み込ませるのを。
肩を落とし、安堵に喉の封を切って張り詰めた息を吐くのを。
ということで、一話終了!
その扉は、本当に開けていいものかな?