無敵のデビルハンター   作:リクライ

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第二話 蜂と幽霊と声

 

 

 夕暮れ。地平線に沈みかける太陽が真っ白から黄色く輝いて空を焼き焦がす。

 片手に剣の男、両腰にダガーを携える女。見透と叶だ。

 

「空は真っ赤なのに、ここはこんなに暗いね」

 

「全部が全部ってわけじゃないけどさ。法に触れる建築物が積み木みたいに重なって、しかもそれが上に行くたびに大きくなってる。逆ツボみたいな感じ」

 

 上を向いても、真っ赤。大袈裟に言ってみても、ここの空模様は最悪だ。大海原に見紛うほどに広大な空が、建物が押し寄せて川のように狭めてる。

 

「上を向いても歩いても、たたでさえ広い空が狭い。なんだか狭くて苦しくて、ひとりぼっちで……いやだな」

 

「でも、私はそんな場所でも……悪くないって思ってる」

 

「なんでさ」

 

 思ってもなかった叶の言葉に、肩が震えた。

 怪訝に片方の眉が上がるのを感じるまま、見透は腰におさまった剣の柄を叩いて隣を見やって──

 

「なんか、見透くんとわたしが独り占めしてるみたいから──かな」

 

 叶の笑顔は、瓦礫の中で咲いた花のようだった。寒空の下、隙間から降り注ぐ陽光を一身に受ける、強さと弱さが同居してたたずむ花だった。

 何か、顔が暖かくなってきて、背中がほかほかしてくる。

 

「どうしたの? 顔、赤いね?」

 

「あ、赤くないし。これは……そう! 夕日で赤く見えるだけだ!」

 

「ふふっ……そうだね」

 

「あー、なんか暑い! 暑すぎて溶けちゃうからアイスクリーム食べたいわあー!」

 

 顔を逸らしてバサバサと忙しなく手を団扇代わりにし、火照りを冷まさせようとする見透。後ろからまだ見られている予感に、冷めない熱を中から湧いて出てきて、汗が頬の輪郭を撫ぜる。こそばゆくて、暗い気持ちもどこかに飛んでしまいそうだった。

 体が弱くても、それでも自分でできることを探し尽くす。こんな日常も夢の一つなら、それはそれでやるせないし、でも嬉しい。

 混沌としたこの世界。それでも日常巡るよどこまでも。命尽きるそのときまで。

 

 そう。命尽きるそのときまで。

 

 

 

 

 何が起こったのか、見透には、自分にはわからなかった。

 爆音が日常を切り裂いて、遠くの風景が空と同化した。鼓膜が振動で砕けたような爆裂音に、世界は赤とてつと断末魔の断片ばかりになった。

 

「けんちゃん! けんちゃんやばい、どうしよ!? へ、ふはは!?」

 

 吉本が泣き笑いで、血に塗れた一年を担いでいる。息は、ある。腕が根本からちぎれ、青と赤の管がギリギリ繋がっていた。命の糸は、首一枚繋がっていた。

 

「爆発があってやばかったんだ! そしたら公安の人が殺されてて……、絶対やばい! ダメすぎでもう訳わかんないっしょ!!」

 

 日常が赤色で染み込んで、街の一角、世界を鉄の匂いが覆う。

 

「公安、案件……」

 

「……。え、は? 叶、公安案件って」

 

 右から鼓膜を突かれ、意識が叶へと向く。

 デビルハンターは公安と民間に分かれている。分かれているだけで、それ以外は自分には違いがわからない。同じではないのか。

 

「公安なんだよ!? 民間のやつじゃ倒せなくて回される案件が公安! その公安が殺されたんだよ!?」

 

「もうやばいっしょ、俺たち死んじゃうんだ……」

 

 死。

 死?

 ああ、どこか納得感があった。そうだ思い出した。死というのはこんなにも近かった。

 さっきまで叶と帰っていたはずだ。なのに、爆発と一緒に、腕が振ってきて舞台はあっという間に悲鳴と血の狂乱会。

 

「ねぇ、逃げたほうがいいよ絶対……! 私たちハンターもどきじゃ」

 

「行く」

 

「き、決まりっしょ。かなちゃんの言うとおり逃げ──はぁ!?」

 

 鳩が豆鉄砲喰らったような顔する吉本をよそに、彼から半ば奪い取るように見透は死に体の同部員を地面に置く。

 鞘から刀身を曝け出し、見透が自身の制服の裾を切り裂いた。

 

「痛むぞ。 ──さん、にィっ!」

 

「イィッチィ!?」

 

 代わりにカウントを叫ぶ男子を横目に、見透は破った制服の切布を患部に締め付けた。

 多分ちぎれかけの腕は病院に行っても切断される。ここには氷もなければ、店もない。電話に限っては最近携帯電話ができたくらいだ。

 包帯代わりの制服を固結びし終え、苦悶に脂汗でテラつく同学年の少年から緊迫でしらける視界をぶらせた。

 未だ煙の立っているところから、数人が血を流しながらもこっちに向かうのを見るや否や。

 

「あ、誰か!! そこの人でもいい! こいつを安全なところ! 避難所か病院に避難させてください!!」

 

「ちょっ、けんちゃんお前頭イってんの!? イったな絶対イったっしょ!?」

 

「頭のネジ引き締めた結果だ、よっしー! 男なら、しかもデビルハンターなら、みんなを守らないとなんないんだよ! ぅ──!」

 

 頭に向かって指を立てて食ってかかる吉本を捉えている。はずだったのに、瞬間、頬を突き抜ける衝撃と共に視界が横へ伸び、白く弾けた。

 広がる、鉄の味。

 目を白黒とさせる見透は訳もわからず、頬に感じる熱を抑えて見上げた。──叶が息を荒げて、振り抜いた手を振るわせていた。

 

「ばかッ!! そうやって誰かの不幸貰って、結局傷つくのは見透くんじゃん!! 見透くんの──お父さんとお母さんが殺されたのも、心臓が悪いのも、傷だらけなのも……見透くんが神様に見放されて、悪魔に魅入られたからなんだ!!」

 

「──っ、うぇ……めちゃくちゃに言うじゃん……」

 

 胸ぐらを掴まれ、叶の上気する息がかかる。

 聞くも言うも散々な数多の言葉が無防備に開け放たれている見透の心を穿って、叩いて、叩き潰した。

 込み上げてくる熱が瞳の奥から込み上げてきて、見透は肩を落として顔を逸らした。

 すると、叶は思い出したように瞬いて、口走ったことに瞠目。胸ぐらを掴む手がスルリと緩んで、震える両手が見透の頬を包んだ。

 

「──ぇ、あ……ち、違うのっ。でも、悪いのは見透くんじゃん! いつまでも夢見てばっかで、現実から逃げて……」

 

「でもさ……」

 

 それでもだ。幼馴染が泣いてもなお自分を引き留めてくれている。全部想ってのことなのだ。しかし、やっぱりこれだけはどうしても外せない。誰にノーと突きつけられて、後ろ指を立てられて路線を戻せと言われても、やっぱり新たな線路を作って戻りたくなる。戻るのだ。 

 

「夢は──やっぱ叶えたいじゃん」

 

 自然と流れ出た言葉。

 吐息し、わずかに上がった見透の口角。壊れた日常に溢れ出す切実な暖かさに、吉本と叶が固まった。

 TPOもわきまえない見透の言葉に、肩に手を伸ばした吉本が口端を引き攣らせる。

 

「は……はは、けんちゃんお前、どうしようもなくアホっしょ。めちゃんこ狂ってる……けど、もういいや、もういいっしょッ!」

 

 頭をぐしゃぐしゃに掻きむしって、その上頬を叩いて紅葉模様を浮かび上がらせる吉本。

 突然の行動に見透は顎を落としかけた。

 

「いいよ、いいさ、いいとも、やってやるっしょ!! どうせ逃げても殺されちまうんだったら一人でも何人でも助けて死んでやらっしょオ!!」

 

「何言ってんのよ!?」

 

 暴挙に走ろうとする狂笑にも似た笑みを釣り上げる吉本に叶が食ってかかる。「そんなことより、助けて」と見透の膝を借りる男子高校生はもはや蚊帳の外で、意味不明に叶にビンタされた挙句通行人へと押し付けられてしまった。

 

「寝言は寝て言って……。普通に生きて、普通に食べれていて、そうやって生活するだけでも幸せでしょ?」

 

「…………」

 

 見透は何も言えない。いや、何も言わなかった。別に、普通の生き方に不満があったわけではない。ついさっきまでの、叶との帰り道はとても楽しかったし、安らぐものだった。

 けど、そんな日常はあっけなく悪魔たちが消し去ってしまう。まるで、夢から覚めるように。

 

 服を切ってから放置されていた己の獲物を掴んだ見透は鞘に納め、ゆっくりと立ち上がった。

 

「叶、いこう。あの中に、まだ助けを必要としている人がいる」

 

「……っ、……なんで、なんでこうなっちゃうのかな」

 

 皮膚を破ってしまうくらい、感情に拳を握る叶。その手がゆっくりと開かれると、差し伸べられていた見透の右手を取りすがった。

 

「言っとくけど、やばいってなったら吉本くん見捨てて見透くん引っ張ってくから」

 

「ェ、なんでェ!?」

 

「わかった」

 

「は!? なんでぇ!!??」

 

 驚愕して目をあんぐりと見開く吉本をよそに、見透の手を握った手を逆手にして叶がダッシュ。さっきまでの尻込みが嘘みたいな快活なスタートの切り方に見透は思わず笑みが溢れているのを感じた。引っ張られるだけだった体を、自分の足で並んで走って、肩を並べる。

 

「さっきまでのかなちゃんのあれはなんだったのさ!? 置いてかないでェ〜!」

 

 上ずる掠れ声で後ろを追走する吉本。

 入部試験以来の三人行動が実現した瞬間でもあった。

 

 

 

 

 そこはまさに地獄絵図と言って差し支えのない場所だった。

 建物は弾丸が通ったかのように穴が空いて、瓦礫の雨によって荒れ放題の惨状とかしていた。その足元、見透たちのいる大通りもまた阿鼻叫喚の血の池地獄である。

 

「これは……」

 

「ひどい、わね」

 

 建物には公安のデビルハンターと悪魔が戦っていた時にできたであろう真新しい戦場痕が深く切り込まれたり、何かに打ち込まれたのか蜂の巣のように丸い斑点の穴がそこかしこに散りばめられたりしていた。

 

 瓦礫によって潰れ、トマトが潰れたように歩道に塗りたくられた人の血液。

 それを見た三人は顔を顰め、意識を周りに伸ばす。

 

「これ、逆に生きてるのが奇跡ってレベルっしょ。グロい……吐きそ」

 

「さっきまで逃げてきてた人がいたから、逃げ遅れた人だっているんじゃ」

 

「見透くん!」

 

 口に手を抑えてえずく吉本を横目にし、希望を見出そうと眉間に皺を掘る見透の耳へ叶の声が突き刺さった。

 勢いよく振り向いた先、叶がダガーで指差す先には道柵と瓦礫の間に挟まれて身動きの取れないまま気絶する住民がいた。

 

 走って側まで駆け寄って、見透はその女性の顔へ手をかぶせた。

 

「息は……あるっ。生きてる……! 叶ちゃん、よっしー、この人生きてるよ!」

 

「おしっ! じゃあさっさとその人連れ出してとんずらこけば、臨時任務これでお仕舞いっ! かなちゃん、一緒に瓦礫どかすぞ」

 

「命令しないでっ」

 

 ほのかに感じる湿り気と、規則正しくはあるものの弱々しい抵抗感に安堵の息が溢れる。

 指示に反抗的な叶だったが皆一様に瓦礫をどかし始める。重たく、分厚い外壁をどかし始め軽くなったためか、うめき声をあげる女性。

 埋もれていた全身が夕日にさらされる。

 

「待って、この人……公安の人だ」

 

 陽の元へと曝け出されたうつ伏せの女性を注視する叶が息を呑んだ。

 白いワイシャツを下に仕立てのいい黒いスーツを羽織る、黒を貴重とした喪服のような姿。瓦礫の影で見えなかったが、右目にはあるはずだった目はなく、黒い眼帯が隠していた。

 頬にかかるウルフカットの黒髪の女性はまだ目を覚まさない。

 

「さっきまで戦ってて、今はもう奥の方……ってことか」

 

「とりあえず、この人運んで逃げよう見透くん、吉本くん」

 

「あ、起きた」

 

「「え?」」

 

 辺りを見渡していた見透と叶。その二人の視線が吉本によって落とされた。

 

「う……あれぇ、君たちは……」

 

「大丈夫ですか? 指何本ですか?」

 

 女性の眼前に指を二本立てて見せる見透。

 女性は苦悶の表情に歪めながらも塞がっていない左目を細めて、

 

「…………。二本……?」

 

「意識の混濁なし。よかった……今、ここから連れ出しますから。叶ちゃんは辺りの確認おねがい。よっしーは俺と一緒に、この女の人かつごう」

 

「オーケー牧場。お姉さん立てる?」

 

 無言の頷きで叶がダガーを抜刀。片方を逆手、もう片方を順手にする。

 その間、吉本と見透は女性を仰向けにし、広がる両手を腕枕の要領で寝転がる。手早く丁寧に、首にかかった腕を掴んで二人の力が女性の上体を起こした。

 

 首がだらんと垂れ、頭が痛いのか目を固く瞑る女性。

 すると、気絶して低速だった思考が追いついたのか、

 

「だめ! 三人とも早く逃げて、ここから離れて!」

 

「あなたを置いて逃げられませんよっ」

 

「右に同じく……いや左っしょ。そんなこたァよくってさ! 意固地になってないで、まずは命優先っしょ!」

 

 倒れていてわからなかったが、起こして肩を貸してみれば身長の高い女性だ。百七十は超えているのではないだろうか。

 異様に焦りだすのも無理はない。しかし、一年生で、それでいて今の今まで守ってくれる叶はチンピラども相手なら五秒で沈める。雑魚悪魔でも、苦戦しない程だ。

 その強さを信頼しているからこそ、今こうして後ろを預けられているわけ。

 

「ね、少年たちいい子だから。後ろの子置いていくと嫌われちゃうよ?」

 

「言ってる、場合かっ」

 

「お姉さん、ただでさえでかいんだからっ、あぁ暴れないでくださいっよ」

 

「でかいなんて、私褒めてもたばこしかあげらんないよ! いいから──ぁ」

 

 力なく、女性が手のひらで遺憾なお気持ちを表明──瞬間、混沌とした空気が一変。

 瓦礫の崩れる音。消火栓や悪魔出現に対する警笛が無くなったと錯覚する空気が、そこにあった。

 

 ──影?

 

 道路に落ち、伸びる黒い影。人型のそれは、ビルから見下ろすようなものではなく、完全に宙に浮かんでいるものだ。

 恐る恐る、女性の首筋からその正体を暴こうと──、

 

「──幽霊!」

 

「うあ!?」「ギャア!?」

 

 直後、女性が声を上げると遅れて見透と吉本が動転。二人の驚天は女性の言葉の意味に向けられたものではない。透明な強制力によって、体が肩を貸す女性から突き放されたからだ。

 

「ほう、しぶとくも健気に生きていたか。女のデビルハンター」

 

 声。一瞬、それが上空にいたであろう謎の影の持ち主かという考えがよぎった。だが、視線は空振り、あるのはオレンジの空のみ。

 一体、あの女の声は──。

 

「その怯え、その戸惑い……頭上に降りかかる死を知らず、声を張り上げるとは」

 

「──っ!?」

 

 前だ。

 上空へと向いていた視点がぐるりと前へ跳ね落ち、呼吸が止まった。

 これまで街を回って倒してきた雑魚悪魔とは違う。別格の──本物の威圧の塊だった。

 

 シルエットは細身で女性的ですらある。だが、その顔を見た瞬間、汗が毛とともに逆流する吐き気を覚えた。

 小さな頭部の正面には、大きな真っ黒な目。いや──眼たち。複眼がびっしりと並び、陽を反射して不気味に瞬く。

 迫り出した大顎はペンチのように強靭で、骨や鉄をも噛み砕くと確信できる。

 四肢は細く長い。指先には二本の鉤爪。空気を裂くたびに、甲高い音が耳を逆撫でした。

 背から覗く四対の透明な羽は、ステンドグラスのように光を散らし、地面を焼く。

 身体は黒と黄色の縞を帯びた外骨格で覆われ、鎧を纏った女王のようだった。だが、荘厳さは刺々しい印象も相まって、不気味。

 くびれた胴から繋がる腰の後ろには膨れ上がった腹部。その先端には獲物を貫いた置き土産として毒を流し込む針が煌めく。

 

 女王と同時に、それは捕食者。

 羽音と銃声を混ぜたような音を響かせながら、空気を震わせた。

 

「──余が、スズメバチの悪魔だ」

 

 それがスズメバチの名を冠する、悪魔だ。

 

「荘厳な自己紹介どうも、蜂尼。こっちは仲間が殺されて、頭沸いてるんだよね。悪いけど、さっさと締め殺されてくれないかなぁ……!」

 

 「アキくん大丈夫かな……」と細く呟くも、詰め込まれた沈黙を外へぶちまけたのは公安の女。声を震わせ、血に濡れながらも綺麗な面持ちにどす黒い影を落とす復讐鬼だ。

 おもむろに手を伸ばす女。行き先はスズメバチの悪魔、女王だが、到底届くはずもない。

 と、

 

「鈍い。あくびが出てしまうではないか。珍妙な虫けらと契約しているようではあるが、その見え見えの殺意。愚かよな人の子ら」

 

 するすると宙を泳ぎ、見えない何かから逃れるようにする女王。

 ギリギリと歯を食いしばる公安の女性が何かをしているようだが、状況は何も変わらない。

 

「我が城に侵入し、破壊。その上、余の寝首を掻こうとする強欲で傲慢なお前たちの方が、よっぽどの悪魔ではないか。余の憎悪に比べれば、たった数匹の同族が消えたくらいで怒るお前など、千の針をもってなお足りぬ」

 

「あっそッ!!」

 

 大気に迸る王妃の怒り。だが言葉の端々からは嘲笑めいたものが混じっており、公安の女は激昂。言葉を払い落とし、足掻く。

 避けるのにも飽きたのか、宙に黄色の線を描く女王は腹を股から覗かせ女に向け、

 

「味わえ。貴様の血が、我が子我が城の手向だ」

 

 両腕、腹から、王妃の夥しい針が襲いかかった。

 

「やっば!?」

 

 始めに声が飛び出たのは公安のほうだ。

 降り注ぐ針、否──銃弾だ。銃弾は照準が合わないのか、初速で手元がブレ、コンクリートの地面を耕す。だが、乱れ打ちだった銃撃も刻々と差し迫ってきて、ゲリラ豪雨が目の前にまで迫っていた。

 が、

 

 ──駆け落ちてくる銃弾の隙間を縫う、二本の何か。

 

「ほう」

 

 関心するように吐息する王妃。直後、銃撃が止み、報復する二本の影が王妃に猛進。

 束の間、残響が残る空間に快音が塗り替えた。

 

「さっきからあーだのこーだの。要するにあなたは人間の敵で、見透くんの敵。でしょ」

 

「余を見上げるとは、いささか頭が高いのではないか? 小娘」

 

 腕を組み、王妃の眼下に映るのは、大胆不敵に前へ歩いてくる叶だ。

 空から二本の物体──王妃の腕によって弾かれたダガーが、頭上より飛来。くるくると空をから回る短剣を慣れた動作で受け取ると、

 

「そう? 安全なところで飛び道具使うなんて、王女様も臆病風に吹かれちゃったりするんだ」

 

「──。何?」

 

 ──ええぇぇえー!?

 

 言った。言いやがった。言いやがりやった。

 この状況で。この土壇場で。

 

 叶の物言いとダガーで指し示す態度。恐れ、いや命知らずな出方に、王妃の喉が低く鳴る。

 周りの惨状は廃墟同然の中、無音は喉を詰まらせるものとなった。

 見合う二人。心なしか、見えないはずの稲妻が迸っているのを幻視して、誰かの固唾を飲む音が耳を打つ。

 

「ど、どうするんだよこれ……」

 

「囀るな」

 

 油を刺していない首で問いかける吉本が上からの重圧に「きゃひぃい」と情けない声をあげて、口をチャック。困惑を飲み込んだのも、おそらくは吉本なのだろう。

 意を刺した王妃は鼻を鳴らし、次第に叶の立つ地面へと舞い降りた。

 

「遡れば叫声と怒鳴りで、子生意気ながらも余に口喧しいのは久しい。余は寛大だ。故に興が乗った。人の子と対等に立ち、殺すことにこそ、恐怖とは明確に現れるもの」

 

 どうする。どう出る。

 見透は迷っていた。ここで出たとして、叶の足手纏いになるのは確実だ。

 けど、

 

 ──戦いが始まる。

 

 早なる心臓の鼓動。胸に手を置いて、強く、強く押し付けてもどうして手のひらにかかる鼓動が静かで、

 

 ──最初は接戦だった。いや、本当は遊ばれていたのかもしれない。

 

 どうして耳は、目の前で夕焼けよりも華々しく咲く花火よりも、弱々しい鼓動が聞こえるのだろうか。

 

 ──誰も話さない。誰も一人と一匹の悪魔との舞踏会に呑まれていた。

 

 違う、舞踏会じゃない。

 長く付き合っていたからこそわかる。あれは、余裕なんかじゃない。叶は誰よりも強がりだ。

 強がりで、それでいて、泣き虫で、誰よりも──怖がりだった。

 行け。

 

 ──ガードレールへと弾き飛ばされる叶。へこみ、金属がひしゃげ、肺がひしゃげて血反吐を吐く。

 

 行けよ。打てよ心臓。

 

「存外やるではないか人間。最後に名前でも聞いてやろう。楽に殺してやることには、変わりないがな」

 

「──っちぃ、ことわるッ!」

 

 立って、走れ!

 

「────」

 

 ────。

 なんだ、なんだよ……その顔。

 

 世界が軋むように遅くなる。

 視界の一枚一枚が切り取られ、まるで紙芝居のように流れていく。

 その間に映る叶の顔。苦痛に歪められた顔が、安らぎへと変わった。緩やかに、まるでそうであったことが当たり前だったかのように。

 唇が動く。

 

 

 

 に

 げ

 て

 

 

 

「ぐ、やめろおおぉオオ──ッッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 暑い。 

 熱い?

 

「見透、くん?」

 

 背中が、中が、中身が熱い。

 視界がシャッターを切られ、白熱する世界。

 体に流れる温もりが外へ抜け出ていって、熱いはずなのに途方もない損失感に襲われた。──何か、致命的な何かが分たれた気がする。

 

 飛び出した。何に。

 理解が結果へ追いついてこない。どこで、自分はいまさっき何をしていた。『痛い』

 背中から焼き印でも押し付けられたかのように、体の痺れは脳を『痛い』焼き続ける。原因『痛い』はなんだ。『痛い』背中に何をされて『痛い』何が『痛い』──。

 

 痛い。痛い。いたい痛い。

 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。

 

 偽物の夢に現実が追いついて、感覚が追いついてくる。背中を叩かれて振り返れば、そこには痛覚しかなかった。

 

「見透、どうし……て」

 

「ほう。身を挺して命を命で払うか」

 

 聞こえない。えないのではない、聞くことができない。

 視界に灰色があって、その奥に横になる叶。いや、横になっているのは叶ではなく──自分だ。

 撃たれたのだ。叶を庇い、見透は悪魔からの凶弾に倒れていたのだ。

 

「や、やだ……いやだ。やだ……ぁ」

 

「ふ、ぐ……ぅうう……ッ」

 

 涙に溺れ、声をあぐねる叶を鼓膜に濡らす見透は歯を食いしばって、悶えた。

 悶えて悶えて、諾々と流れ逃げていく血液と熱から逃避しようにもすでに捕まっている。無意味にも、見透は痛みを痛みで塗り替えようと奥歯を砕き、意味不明に右手を路面に擦りおろしていた。

 精神が発狂へと変化する寸前、使命感にも似たものが温度失う背中へ這い上る感覚を抱き寄せ、蠢く右腕を地面に叩き伏せ、血の池から起き上がる。

 力を込めるたびに、見透の背中に空いた穴から噴出する血液。

 顔に伝ってくる叶の手を取り、これから来る、途方もない孤独感を苦悶の顔色に隠す見透。

 

「ご、めん……」

 

 一言、現実から逃げようとする叶を抱き寄せた見透。

 離れたくない。その一心で両腕に僅かでも力を込めようとする叶だったが、失敗に終わってしまう。見透が公安と吉本のいるところへ突き飛ばしたからだ。

 

「公安さんッ! 二人を連れて……うっ、逃げてください……」

 

「そう易々と逃すと思──」

 

 口を開けたときに次にどうするか。決まっていた。

 

「はやくッ!」

 

 意識が分散し、注意力が散漫となる。間を縫って縫って、縫いまくって、鞘から抜き出た剣が王妃の右腕めがけて唸った。

 当然、こんな大雑把な刃が通るなんて思ってはいない。けれど意識を混濁させ、明確な隙を生ませることは、

 

「──幽霊!」

 

 できた。

 叫び、降りかかった剣の重みで体勢の崩れる王妃の足へ、届くはずもない右手を伸ばし、公安は手のひらを握りつぶした。

 直後、細くとも重厚な鎧が空間に握りつぶされ、ひしゃげる。

 

「ぬぅ!?」

 

 首狙いではドがつくほどの殺意でセンサーが反応する。ならば、腕を狙う意思で触覚を騙せばいいのだ。

 片足は封じられ、背中の羽は叶によって一対損失している。これでは、

 

「いくら速くても、動けないなッ!」

 

「舐めるなァ!!」

 

 激昂する女王が頭に目掛けて、二本の鉤爪を血肉に飢えさせる。寸前、絶対の意思を黒い双眸に宿らせた見透は体を逸らしたことでかまいたちが通り過ぎた。

 空気が裂け、頬に電撃が走っても構わずに見透は右手に握る素朴な剣を振りかざし、落とす。

 が、

 

「は、……ァ?」

 

 当たった。当たりはした。

 忽然と置いてけぼりになった感覚が見透を襲った。甲高い音が脳を引っ掻きまわし、平衡を司る三半規管が意味を失う。

 

 なんだ。何が起こった。

 知っている。知っているはずだ。暗い井戸に引き摺り込まれるこの感覚を、左胸を締め付け、体を締め付けるこの原因を。

 背中と胸に挟まれ、ようやく理解した。

 

「ごほ……」

 

 発作だ。

 

 渾身を込めて放った斬撃は堅牢な鎧を叩き壊すことなく、内側を反響させる程度で終い。叩いた作用は、打った見透自身へと跳ね返って、弾かれるままに地面に伏せてしまったのだ。

 

「どうした。もう終いか」

 

 零度よりも凍てついた言葉が頭へと落とされる。

 立たないと。頭で、動かない、動こうともしない体へ電撃が走るよりもはやく、視界が爆裂した。

 

「ごァ……ッッ」

 

 体がこんなにも軽々と宙へ羽ばたく。

 何か、骨の軋む音が耳を振動した束の間、悟る間も無く吹っ飛ばされた。脳が、目の前が真っ白に染まり、焼き尽くす業火が腸を焼いた。

 そう。蹴り飛ばされたのだ。まるで道端にあった石ころを蹴り付けるが如く、自分という体が吹っ飛んだのだ。

 

 たった一撃が混濁する意識化の中で巻き起こり、倦怠感と欠如感を覚えた。

 間違いなく、終わりに近づいている。

 

 打ち上がり、地面へとゴロゴロと転がる見透。彼の体を止めたのは、待ち受ける建物の山だった。

 だが、

 

「ほう……まだ息があるのか」

 

「ふ、ぅう……くッ」

 

「やめて……」

 

 体からはとめどなく赤い命の雫が器から漏れ出していて、新しい赤い水たまりが生まれる。その上、見透は腕を胸に滑り込ませて、まだ起きあがろうとしていた。

 

 叶の声がした。やめてと言われた。

 でも、ここでやめて、あとはどうなる。

 ここにいる、この場所に落ちているもの。さっきまで、この日常が壊れる寸前まで命だったものが辺り一面に転がっている肉塊の仲間入りだ。

 そんなのお断りだ。

 たった一度の命。それを誰かのために使えないで終わりゆくのが──一番お断りだ。

 だったら──、

 

「に、げて……」

 

 三人の命を、一人の命で助ける。一人の命で天秤にかけられる三人の命を払い戻す。

 

「に……げッ、てください! は、やくッ……ごほ、ァ……ここは……俺が……俺がなんと、……すっからァッ!!」

 

 おぼつかない足を、膝を、胴体に抱き寄せ、だき立たせる。四つん這い見透の声には掠れ、喋る文言一つ一つが刻々とすり減る命をさらにすり減らしているようだった。

 いったいどれほどの血を流したのか。血溜まりに落ちる自分の様相は、ひどく真っ暗で、ひどく汚れた面模様だ。

 笑いが込み上げてくる。体を這い上って押し潰してくる、身を焦がすものは変わらないはずだ。

 

 そうか。

 

 血溜まりに浮上してくる言葉があった。

 

 ──叶う。

 

 父と母。幸せそうにいったあの顔は、これから歩いていくものたちの、その歩みに自由が宿らんことを願う、祈りだった。

 そうだ。きっとそう。じゃなければ。

 

「へ、ハハ……っ」

 

 三日月に裂けたこの口は、この顔は──なんだというのだ。

 

 

 

 

 

「わかった」

 

 公安の女が、血溜まりに顔を落とす見透から目を背け、王妃の足を空虚で掴んだまま呟いた。

 

「え、ちょっと……見透くんは? 見透くん、あんな……死んじゃ……」

 

「少年のこと……今日のこと……君がいたってこと、忘れないから」

 

「おいおいおいおい。おいィ! ちょっと待てよ! けんちゃん置いてくのか!? あんた公安っしょ! デビルハンターっしょがァ!!」

 

 眼帯の女の出した結論に、叶が、吉本が、抗議する。

 

 こんなときだっていうのに、ここで死ぬかもしれないのに、二人は声を荒げて尚も助けようとしてくれている。

 だめだ。止めてはくれるな。

 連れていかれろ。

 

 もはやブリキの人形とも言えない血みどろの壊れた姿。それでも、夢見る少年は霞んだ視界、軋む体を夢想に浸り込ませ忘れさせ、立ち上がった。血混じりになって苦しく呻く肺の呼吸すら忘れて。

 歩くたび、ポタポタと赤い雫が肌袋から裂け落ちて、軌跡が埃混じりの地面を潤わせる。

 

「でも……その足、──もらうよ」

 

「──ッ!?」

 

 瞬間、ひしゃげた程度だったスズメバチの悪魔の足首が断裂。赤紫の汁が凄惨に地面を撒き散らし、一つの赤い血溜まりと混ざり合う。

 声にならない悲鳴を喉で噛み殺し、グリンと狼藉を働いた者共へと大きな瞳を向け、王妃は失笑した。

 

「か弱い民衆の一人を置いて逃亡、か。お前も可哀想なやつよな」

 

 背後で騒々しく鳴り響く靴底の音。王妃の瞳には絶え絶えな見透の後ろに、死に物狂いで吉本を担いで走る公安の女と、何者かの力で宙に浮いて追従する届かない手を伸ばす叶が映り込んだ。

 

 叶。耳を打つ、心を砕き単語として成り立たない、ただ寂しい悲しみと剣呑とした怒りの咆哮が世界を切り裂いた。

 

 声。離れていく現実に、見透は後ろ手に手を振り翳し、前を見た。

 目の前、足を失いながらも肩具を担ぐように片側の翅で姿勢をとる王妃は自分を見下ろしている。夕日を背に受け、体をすっぽりと埋められる見透は人よりも大きい悪魔がより大きなものに思えて、血に混じる汗が冷える。

 

「このまま戦ったとしても、貴様の牙は余の首には届かない。まぁ、それ以前の問題だがな」

 

「…………」

 

「貴様も感じているだろう。毒が回る感覚はどうだ? 小娘を庇い打ち込まれた毒針は、体内を循環し血を固める。さぞ甘美で酔いしれるだろうな?」

 

 咳が出てこない。血に溺れ、呼吸という生きる一歩目すらわからなくなっても、口からはポタポタと血が溢れる。充血した目からは白膜を乗り越えて管が破け、見透の白と黒の目が赤と黒の目へと変貌を遂げていた。

 

 視界はオレンジよりも赤。口は陸よりも海。温度は夏よりも冬。

 

「そこで、寛大な余はその身を犠牲にするという愚かにも勇敢な貴様に手を差し伸べてやろう。──契約だ。余と契約し、その命を救い出してやろうではないか」

 

「うっ、ごほッ……ぺッ…………救う? 掬って、手のひらの上で転がすだけ……だろ」

 

「余の寛大な提案を断るというのか? 眷属となれば、ペットとして存分にかわいがってやるというのに」

 

「なら……は、ぁ……答えはこれだ」

 

 咳で喉に詰まりを解消、口腔から盛大に溢れ散らかした血液を右手で払いのける。そして弱々しくもありながら、見透は黒い眼で怪訝そうに首を傾げる王妃を睨みつけ、

 

「ファッキュー! くたばれ蜂女」

 

 ──左手の中指を天高々に突き出した

 

「ほぅ──愚か者めが」

 

「愚かじゃない、賢しいのさ」

 

 瞬間、白い軌道が軌跡を残す。

 左の二の腕から右手首に通り抜けた熱。斜めに線引きされたような体験に続いて、線の下から全ての感覚が鈍くなった。

 視線だけが、動く気を起こして、軌道の最後に残された鉤爪を──紅雫を滴らせる鉤爪を見た。

 理解した。

 

「──ぁ」

 

 途端、ぼとりと水気を含んだものが地面に落ち、体が後ろへと落ちた。──棒立ちする下半身を残して。

 鮮やかすぎる斬撃に、切られた自身の肉体は切断に気づくことができなかったのだ。数秒遅れ、鮮血が赤々とした断面から噴出。頭の理解が追いついたように、体の理解が追いついたように、内臓をぶちまけて分断され、崩れ落ちる。

 

 腸がコンクリートを這い、ぬらぬらと温い音を立てる。刃の通り魔でぶつ切りになった胃袋から溢れる血の混じった胃酸の酸っぱい匂いがたちどころに広がる。

 

「ハハハッ! 愚者に相応しい哀れな幕引きよな? 誰が為に尽くし、命潰えてしまう生物としての欠陥品がお前の終わり」

 

「…………」

 

「しかし、案ずるでない。貴様の背に隠れ生き延びている者共を、余が食い潰し、余が糧とし手送ってやろうぞ。愛すべき余の子供達の生きる世界に、人間という愚かな種は不要な──支配され餌となるしか役が立たない」

 

 喋ることもできず、呼吸もできず、地面に倒れて空を仰ぐことしかできない見透に構わない。王妃の瞳には、つまんだ見透の左腕と、どこかへと姿を消した三人しか見ていないのだから。

 

 ──あぁ……。

 

 これでおしまい。脳内に落ちた雫が生み出す波紋の奥に雲となって混ざる諦観にも似た感情が沁みる。

 地面に崩れた建物に埋もれる人だったもの。その仲間に今からなる自分。地表はこんなにも地獄絵図なのに、この目に映り込む空は息の自由を取り戻したように本当の空を──真っ黒な空へと目覚めていく。

 けれど、

 

 ──けど……。

 

 夢は結局現実には追いつくことができず、覚めるように呆気なく消えた。夢が、この世界でありふれたものとなった──悪魔の手に。世界の不条理に。

 誰かを守っても、そのあとはどうなるのか。目の前で血肉を貪り、歪な音を奏でて再生と甘美に酔う悪魔によって壊されてしまう。

 

 ──……いやだ。

 

 『目覚めろ』

 

 ──いやだ。

 

 結局だ。結局これだ。今まで散々言い聞かされていただろ。──弱い。弱い弱い弱い弱い弱い弱い弱い弱い。弱すぎる。

 力がないと、強くないと大切な人を守ることなんてできない。手を取る手を得ることすらできない。

 あのとき──、

 

『やだ!!』

 

 あのとき、小さいときの叶を庇って引かれた寸前。咄嗟に伸ばされた小さい手を握っていれば、何か変わっていたのだろうか。

 

 あれ?

 

 あれだけ、救われた命だからと、存在しなかったはずの命だからと言っていたのに、結局は生きたいんだ。

 あれだけ、父さんと母さんの死を目にして、絶望して、もう一人でも怖くない。

 そう思っていたのに、結局寂しいんだな。

 

 けれど、

 

 ──変わらないものがあるとするならば。

 

 やっぱり、誰かを守りたかったな……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『やはり面白いものだ。人間の、それも君個人に関してはとてもがつくほどに』

 

 

 ──え?

 

 

 

 

 

 

 

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