V・チューバー宮が配信するアマス 作:・V・
船が港に接岸する。目の前に広がるのは、想像していた未来都市ではなく、緑豊かな島だった。
視界の奥に、巨大な建造物が見えた。金属の壁、高い塔、幾重にも張り巡らされたフェンス。
世界政府の紋章を掲げた旗が、風に翻っている。
「あれが?」
「はい」
ゲルニカが頷く。
「世界政府直轄の海軍科学班の研究施設です」
厳重な警備だ。門には海軍の兵士が立ち並び、私たちの到着を待っている。
船を降りると、案内役の海軍将校が現れた。
「チューバー宮様、ようこそパンクハザードへ。ベガパンク博士がお待ちです」
「楽しみアマス!」
私は無邪気に笑顔を浮かべる。
門をくぐり、長い廊下を歩く。
白い壁。金属の床。無機質な照明。
所々に「立入禁止」の札がかかった扉がある。何を研究しているのか、想像するだに恐ろしい。
その時、廊下の向こうから、紫色の髪をした男が歩いてくる。いかにも傲慢そうな足取りで、研究員たちを顎で使っている。
「これをベガパンクに届けろ。早くしろ、シュロロロロ」
部下に乱暴に書類を投げつけている。
その瞬間、男——シーザー・クラウン——の視線がこちらを向いた。
目が合う。
シーザーの表情が一瞬で変わった。
「っ——!」
慌てて姿勢を正し、深々と頭を下げる。
「し、失礼いたしました!天竜人様!この度はようこそ!」
「……」
ゲルニカが無言でシーザーを睨む。
シーザーは冷や汗を流しながら、ペコペコと何度も頭を下げる。
「お、お見苦しいところを……!失礼いたします!」
そそくさと廊下の奥へと消えていった。
案内役の将校が申し訳なさそうに頭を下げる。
「申し訳ございません。あれはシーザー・クラウン。副所長ですが……少々難のある人物で」
「気にしないアマス」
私は笑顔で答える。
(シーザー……この時期は、まだベガパンクの元で研究をしていたのか)
やがて、巨大な扉の前に辿り着いた。
「こちらがベガパンク博士の研究室です」
扉がゆっくりと開く。
「やあやあ」
研究室の奥から、声が響いた。
そして、姿を現したのは巨大な頭。
思わず息を呑んだ。
想像していた以上だった。ノミノミの実の能力で肥大化した脳が、人体の常識を超えたサイズにまで膨れ上がっている。
「ベガパンク博士!お会いできて光栄アマス!」
「ようこそ、お前さんがチューバー宮か!」
ベガパンクは興味深そうに私を見つめる。
「大規模配信用の電伝虫を開発したいと?」
「はいアマス!」
私は無邪気に、しかし的確に配信技術の要件を説明する。
「もっとたくさんの人に、世界中の人に配信を届けたいアマス!」
「それと、コメントを送れるようにしてほしいアマス!視聴者さんからの反応が知りたいアマス!」
ベガパンクは少し考え込む。
「コメントか……双方向通信となると、技術的な課題が多いな」
「もちろん変なコメントは管理できるようにするアマス!モデレーター機能とでも名付けるアマス!」
背中越しにゲルニカが僅かに頷くのを感じる。
(ゲルニカを安心させておく。私が検閲に協力的だと思わせれば、警戒が緩むだろう)
ベガパンクは私をじっと見つめた。
「なぜ、そんなものを?」
「世界中の人に、世界政府の素晴らしさを届けるためアマス!」
私は満面の笑顔で答える。
ベガパンクは無言で私を見つめている。
その視線が、何かを探るように私の目を捉えた。
(やはり、ベガパンクに中途半端な嘘は通用しないか)
私は一呼吸置いて、決断する。
「ゲルニカ」
「はい」
「少し、席を外して欲しいアマス」
ゲルニカの白塗りの顔が僅かに動く。
「チューバー宮様?」
「二人きりで話したいアマス」
私はゲルニカを見上げる。
「おじ様の命令は『護衛』アマス。ここは海軍研究所の中。一番安全アマス」
ゲルニカが答える前に、ベガパンクが口を開いた。
「そうじゃな、私からもお願いしよう」
ゲルニカは長い沈黙の後、渋々頷いた。
「……かしこまりました。外でお待ちしております」
扉が閉まる。
静寂。
私はベガパンクを見つめる。ベガパンクは私を見つめる。
そして——
「ここでの会話は外には聞こえん。私の頭脳にかけて保証しよう」
ベガパンクが静かにそう言った。
ここでは虚像を演じなくていい、そういうことか。
「ベガパンク博士」
私は真っ直ぐに彼の目を見つめ、本来の口調で続ける。
「もし、世界中に一斉に情報を配信できる技術があったらどうなると思いますか?」
ベガパンクは眉をひそめる。
「どういう意味じゃ?」
「たとえば」
私は一歩前に出る。
「誰かが、歴史の真実を一ヶ所で研究していたら……世界政府はそこを消せばいい。オハラのように」
瞬間、ベガパンクの表情が凍りついた。
「なぜそれを」
「でも」
私は続ける。
「もし、世界中に同時に配信できる手段があれば?真実を知る人が、世界中に散らばれば?」
ベガパンクが身を乗り出す。
「消すことはできない。そうでしょう?」
ベガパンクは長い沈黙の後、低く答えた。
「お前さんは一体何者じゃ」
「私には少し、未来が見えるんです」
ベガパンクの目が僅かに見開かれる。
「見聞色か?だが、それは……」
「普通じゃない、ということはわかっています」
私は静かに続ける。
「あなたはいつか、世界政府に消されます」
ベガパンクの表情が変わる。
「そして、それよりも前に……あなたは、取り返しのつかないことをする」
「……」
心当たりがあるのだろう。
「その時あなたは思うはずです。『せめて真実だけは世界に伝えたい』と。でも、その時ではもう遅い」
私はベガパンクの目を見つめる。
「だから後悔する前に。今、やるんです」
ベガパンクは長い沈黙の後、口を開いた。
「……お前さんは本当に、未来が見えるのか」
「確証はありません」
私は正直に答える。
「でも、見えたものを無視することもできない」
「それに」
私は小さく微笑む。
「お互い様です。私も、あなたも、世界政府という檻の中の囚人。その意味が、あなたにはわかるはずです」
ベガパンクは深く息を吐いた。
「お前さんは、恐ろしい子供だ」
「ありがとうございます」
「褒めてないぞ」
ベガパンクは苦笑した。
「しかし」
ベガパンクは腕を組んだ。
「大規模配信となると、技術的課題が多い……」
「それなら」
私は前に出る。
「私が知っていることを、お話しします」
前世で学んだ配信の知識を、この世界の言葉に翻訳しながら説明する。
「サーバーとクライアントという概念があります」
「一つの親電伝虫が情報を受け取って、それを複数の子電伝虫に同時配信する」
「中継ノード……つまり中継用の電伝虫を各地に配置すれば、遠距離でも届く」
「遅延を減らすには、情報を一時的に溜め込む『バッファ』が必要です」
「コメントシステムは逆方向の通信。視聴者から親電伝虫へ、短い情報を送る仕組み」
ベガパンクの目が、どんどん輝いていく。
「なるほど……!なるほど!!親子の階層構造……中継ノード……これなら理論的には可能だ!可能だぞ!!」
「そして」
私は切り札を出す。
「私がスポンサーになります。資金面は、ナス寿郎聖を説得します」
ベガパンクは私を見つめる。
「資金と技術情報……!これなら、10年はかかる開発が……数ヶ月で完成するかもしれない!」
私は真剣な表情で言った。
「その代わり、条件があります」
「何だ?」
「もし、私が道半ばに倒れた場合」
私はベガパンクの目を見つめる。
「私に代わって、世界に真実を広めると約束してください」
ベガパンクは長い沈黙の後、静かに頷いた。
「約束しよう」
静寂が降りる。
二人の覚悟が、音もなく交差した。
真実を世界に伝えるという、取り返しのつかない約束。
それは同時に、世界政府という巨大な権力に、共に抗うという誓いでもあった。
ベガパンクがもう一度口を開く。
「一つ、聞いていいか」
「何でしょう」
「世界に真実を公表した後に……お前さんは、どうするつもりじゃ?」
ベガパンクは私を見つめる。
「天竜人でありながら世界政府の秘密を暴露したらどんなことになるのか、その未来も見えているのじゃろう」
私は静かに微笑んだ。
「真実を暴露することで、世界政府は私を『公の場では』簡単には消せなくなります」
「世界中が注目する中、真実を語った天竜人を消せば……それこそ真実の証明になる」
嘘だった。
世界政府は、いや、イム様はそんなに甘くないだろう。
ベガパンクもそのことはわかっているはずだ。
「なるほど……だが、秘密裏に消される可能性は?」
「その時は、そうですね。世界中を逃げ回りながら真実を発信し続ける。そんな生活も悪くないかもしれません」
ベガパンクは少し考え込んだ。
「命を賭けてまで……何が、お前さんをそこまで駆り立てる?」
私は少し沈黙した。
そして、ゆっくりと答える。
「海の匂いを嗅ぐと、思い出すんです」
私は遠くを見つめる。
「夢なのか、記憶なのか」
「誰かの腕の中。温かかった。でも、怖かった」
「走って、走って……それで、終わり」
ベガパンクは黙って聞いている。
「その人が、私に命をくれた」
私は静かに続ける。
「私は、この命を無駄にしたくない……矛盾していることはわかっています」
「嘘をついてでも、演技をしてでも、生き延びて。そして、何かを変えたい」
ベガパンクは長い沈黙の後、口を開いた。
「それだけの覚悟があるなら、私も全力で協力しよう。一人の科学者として、人間として……私も真実を求めている!」
私は深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
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「もう一つ」
私はふと思い出したように言った。
「ん?」
「シーザー・クラウン」
ベガパンクの表情が変わる。
「あの人には、気をつけた方がいい」
「シーザーが?」
「いつか、あなたとあの人は袂を分かつ」
私は静かに告げる。
「そして、この研究所に、取り返しのつかないことが起きる」
ベガパンクは長い沈黙の後、頷いた。
「心に留めておこう」
「ベガパンク博士」
私は顔を上げて、彼を見つめる。
「今日の話は……」
「わかっている」
ベガパンクは頷いた。
「他言無用だ」
「お願いします」
私は真剣な表情で言う。
「あなたの命がかかっているんですから」
ベガパンクは苦笑した。
「……お前さんもな。くれぐれも気をつけてクエーサー」
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扉が開き、ゲルニカが戻ってきた。
私は瞬時に「アマス」口調に戻る。
「完成まで数ヶ月かかるじゃろう」
ベガパンクが言う。
「それまで滞在していくかい?」
「それは許可できません」
ゲルニカが即座に言葉を挟む。
(ゲルニカの警戒心が高まってる。これ以上無理はできないな)
「では、よろしくアマス。完成したら一番に届けて欲しいアマス!」
私は無邪気に笑顔を浮かべた。
ベガパンクは頷く。
「わかった!お前さんのおかげで開発が大幅に加速する。感謝するよ!」
「楽しみにしているアマス!」
研究室の門を潜りながら、私は小さく息を吐いた。
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船の甲板で、私は海を見つめていた。
夕日が、海を赤く染めている。
(ベガパンクと手を組んだ)
(この賭けが、吉と出るか凶と出るか……)
(でも、これでいい)
(一人じゃない)
(この世界で、初めて本音で話せる相手ができた)
数ヶ月後には世界中に配信できる技術が、手に入る。
そうしたら、本当の戦いが始まる。
海の匂い。
ベガパンクに話したあの記憶。
夢なのか、本当にあったことなのか、わからない。
でも、確かに誰かが私に命をくれた。
その人のためにも、私は——
私は無意識に、自分の腕を抱きしめた。