「……流石の腕前だったわね」
アレスマイトさんの技を見ていたらしいマシロちゃんが、少し翳りのある顔で呟いた。
「気持ちはわかるよ、世界の舞台に上がった以上、あの人とも戦わなきゃいけないんだからね」
「……ええ。イオリくんの言う通りだわ。それでも、なお。この舞台に立っても、世界の頂点というのが遠い場所だと実感させられたわ」
マシロちゃんは、小さく溜息をつく。
実際その通りだ。
オウドを倒して少しは自信がついたつもりでいたけど、相手は同じように国を背負って戦いに赴いたファイターたちなのだ。
一筋縄で行くはずもない。
「じゃあ、諦める? 違うよね、レイくん」
「ミカさんの言う通りだよ。ここに立ってるからには、諦められないし、諦めない」
「きゃー! それでこそわたしのレイくん! 大好き!」
「急に抱きつかないでよ!?」
ミカさんの距離感がどこかおかしいのは今日も健在らしい。
真正面から、往来だというのにもかかわらず臆することなくミカさんは俺に抱きついてきた。
大きくて柔らかいものが生々しく潰れる感触が胸板に伝わってきて、俺はただ頭の中で平常心と唱え続けるのが精一杯だった。
「えへへ、レイくんはそれでこそ! とっても勇気があって、どんな困難にも立ち向かうわたしの王子様なんだから」
「流石にそれは盛りすぎじゃない……?」
呆れた顔をして、俺が突っ込むよりも早くカズサがミカさんのロマンス脳に苦言を呈する。
どんな困難にも……果たして、立ち向かえるんだろうか。
俺がここまで来れたのは、全部ミカさんのおかげみたいなものだというのに。
俺は王子様なんかじゃないけど、ミカさんは俺にとって女神様だ。
その女神様とも、世界の舞台に上がった以上はどこかで戦わなければいけない。
学生の部とはいえ、チームで世界大会二連覇を果たした剣豪であるツバメ先輩を倒した粒子剣術を誇る、ミカさんと。
でも、そうだ。
負けられない。負けてなるものか。
ぐっ、と、決意と共に小さく拳を握り締めたそのときだった。
「HAHAHA! おいおいスティーブ! 今度のジャパン代表はとんだハーレム野郎らしいぜ!」
「全くだぜボブ! 王様を倒した臣下らしいぜ! これがゲコクジョーハーレムってやつか! HAHAHA!」
品のない笑い声が、露店区画に響き渡る。
既に酒が入っているのか、顔を真っ赤にした大柄な男二人が、露骨に俺たちを指して嘲笑を飛ばしてきた。
二人とも片手にテキーラの瓶を握っている辺り、露店で買ったものではないだろう。
だとしたら、わざわざスーパーがある区画から買って持ってきたのか。
酒を片手に物見遊山をしている、暇人らしい態度だった。
カズサのお父さんは「礼儀には礼儀で返す。ただし無礼なやつには無礼で返せ」とよく言っていた。
だったらそれらしく無視を決め込んでやろうじゃないかと、この場を足早に立ち去ろうとした、刹那。
「……メキシコには常識というものがないの? 人を指して笑うなんて、お里が知れるわ」
マシロちゃんが露骨に眉を顰めて、ボブとスティーブの二人に食ってかかってしまった。
酒の入った手合いとの話し合いほど無駄なものはないのに。
でも、やっぱり自分の背負っている国の片割れを代表している俺が侮辱されるのは、同じ日本代表として許せなかったんだろうな。
「ん? なんだよ、チビの小娘じゃねえか! あと五年経ってグラマーになってから話しかけてきな!」
「まあ待てボブ、こいつ知ってるぜ? 確かガンプラシンギョーリューとかいって、ガンプラでエッチなことをするジャパンのHENTAI流派の跡取り娘だったなあ!」
「おいおいマジかよスティーブ、ガンプラでエッチなことをするなんて、流石HENTAIの国は一味違うな!」
『HAHAHA!!!!』
ひどい侮辱だった。
功罪はあれど、サカイ・ミナトだってガンプラを愛して、その果てに新しい境地を切り拓いただけだというのに。
おまけに人の故郷を変態の原産地みたいに謗ってくれて──穏便に済ませるつもりだったけど、いくら俺だってこれは看過できない。
「……殺すわ」
「待って、マシロちゃん。選手が暴力を振るったら出場停止になる。ここは素直に運営に報告して──」
「おいおい、ここまで言われて仕掛けてこないとか、腰抜けもいいところだなぁ、イオリ・レイ!」
「王様を倒したってのも所詮はまぐれだな、ボブ。このガキには覇気が感じられねえ」
「そういうこった。ま、ガキは素直に帰ってガンプラでエッチなままごとでもしてるこったな──って痛たたたた!?」
我慢の限界を超えて、こいつらをぶん殴ろうと思ったその瞬間だった。
「君たち、飲酒の上に対戦相手への暴言はマナー違反だよ」
黒髪に赤いメッシュが入った細身の男性が、ボブの手首を捻って現れた。
にこやかな笑みを浮かべてはいたけど、ボブとスティーブに対して向けられる視線は氷のように冷たい。
確か、この人は。
「て、テメェ! アルベルタ・ロートシルトか!」
「この野郎……よくも俺の相棒を! やるってのか!? ああ!?」
「んー、僕は君たちの酔いを覚ましてあげただけなんだけどな。それに、喧嘩は苦手なんだ」
アルベルタ・ロートシルト。
今回のドイツ代表として選ばれたファイターだ。
にこやかな笑みを崩すことなく、しかし、ボブの右手を捻ったままアルベルタさんは答える。
「だったらその手を離しやがれ! クソが、テメェもそういや女みてーな名前してやがったな! HENTAI同士は惹かれ合うってか!?」
「……なんだと?」
アルベルタさんの表情が、一転して険しいものに変わった。
確かに、ドイツ語圏において「アルベルタ」というのは主に女性へつけられる名前だ。
でも、それをわざわざ男として生まれてきたアルベルタさんにつけているっていうことは、そこにはなにかしらの理由や誇りがあるということに他ならない。
それを侮辱するなんて、こいつらは。
俺も我慢の限界を超えて拳を固め、スティーブの方に殴りかかろうとした。
一触即発の空気が弾ける、刹那。
──どすん。
なにかが地面にめり込む音が、頭から冷や水をぶっかけるように重々しく響き渡る。
「あら、ごめんあそばせ。指先のトレーニングをするために使っていた鉄球を落としてしまいましたの」
「げっ……」
「……こ、『鋼鉄令嬢』……!」
明るい茶髪に、銀のティアラが添えられ、燃えるように映える真紅のドレスに身を包んだ女性が、騒動の渦中に颯爽と現れた。
「……」
「お、おい! ここは退くぞスティーブ!」
「あ、ああ! クソッ、予選じゃ覚えてろよテメェら!」
鋼鉄令嬢、と呼ばれた女性──フランス代表、ベルナデット・ヴルツさんは、無言でもう一つ鉄球を地面へと転がした。
どすん、と、重力に従って落下した鉄球は転がることなく、再び地面にめり込んでいく。
それを見たボブとスティーブの二人も一瞬で酔いが覚めたのか、安い捨て台詞を吐いて逃げ出していった。
「全く、覚悟も自覚も品性も足りていませんわね。お可愛いこと」
「助かったよ、ベルナデット。お礼を言うよ」
「あら、アルベルタ。なんのことかしら? 私はただトレーニング用の鉄球を、指が滑って取り落としてしまっただけですわ」
優雅に、地面にめり込んだ鉄球を拾い上げると、ベルナデットさんはアルベルタさんに小さく微笑み返した。
なんでそんな、地面にめり込むぐらい重い鉄球をトレーニングに使っているのかは全くもって意味不明だったけど、助けられたのは確かだ。
俺も、お礼を言わなければいけない。
「あの、ありがとうございます。ベルナデットさん、アルベルタさん」
「気にすることはないよ、イオリ・レイくん。僕たちは同じガンダムとガンプラを愛する者同士じゃないか」
「アルベルタの言う通りですわ。愛の形は人それぞれ、それを侮辱する行いはファイターとして看過できるものではなかった、ということですわ」
やっぱり、助けてくれたんじゃないか。
アルベルタさんが飛ばした冗談に、ベルナデットさんは鉄球をちらつかせて無言で答えた。
あくまでも通りかかったのは偶然、という体にしたいらしい。
「……ありがとうございます。私からもお礼を言わせてください、お二人とも」
「ヤサカ・マシロちゃんだね。イオリくんにも言ったけど、愛の形は人それぞれさ。君の愛が形を結ぶこと、一人のファイターとして祈っているよ」
「ええ。それに、何度も言いましたけれど、私はただ通りかかっただけのこと。気にする必要はなにもありません。あなたたちは背筋を伸ばし、堂々とこの国を背負い続けなさい」
それでは、とドレスの裾をつまみ上げて小さく一礼すると、ベルナデットさんはくるりと優雅に踵を返して去っていった。
ああいう人のことを、本当に貴族と呼ぶんだろうなあ。
心の底からそう思う。鉄球でジャグリングしていること以外は。
「相変わらず素直じゃないね、彼女は。ところで君たちは、夜のセレモニーに参加するのかい?」
「はい、そのつもりですけど……」
「そうか! 実は僕もなんだ。参加は自由とはいえ、多くのガンダムファンと語り合えるチャンスだからね! よければ、一緒にギガフロートを回らないかい? さっきまではアレスマイトと一緒だったんだけど、いつの間にかどこかに行っちゃってね」
アルベルタさんは苦笑を浮かべつつ、提案してきた。
アレスマイトさんはきっと今もどこかで困った誰かを助けているのだろう。
それはともかく、ガンダム好きの知り合いが増えるのは俺も嬉しいから、アルベルタさんの提案は魅力的だった。
「はい! 行きましょう、是非! ミカさんたちもそれでいいよね?」
「わたしはレイくんと一緒なら大丈夫!」
「あたしも特に異存はないかなー、レイとマシロちゃんが危うく出場停止になるところを助けてくれた恩人の頼みだし」
「……カズサと同じよ」
「そういうわけでアルベルタさん、よろしくお願いします!」
「ああ、よろしく、イオリくん!」
ミカさんたちから意思確認をとった俺は、アルベルタさんへと右手を差し伸べて握手を交わした。
アルベルタさんは、どんなガンダムが好きなんだろうか。楽しみだ。
災い転じて福となす、というように、災難ではあったけれど、いい出会いに恵まれたという意味では、ある意味あの二人に感謝してもよかったのかもしれないな。
※鉄球は一つ90kgです。良い子は真似しないでください