「クレダさんが突然休学したの、驚いたよねー」
翌日の放課後。
イオリ模型店のエプロンを身につけたカズサがレジに突っ伏しながらぼんやりとそんな言葉を口に出した。
全くもってその通りだ。
俺にとっても悪い話じゃないとか言ってたけど、さっぱり意味がわからない。
「海外旅行でも行ってるんじゃないか? ほら、ミカさんってお金持ちみたいだし」
「黒塗りの高級車で乗り付けてきて、レッドカーペット敷いて入店したんだっけ? だとしたらさもありなんって感じだよねー」
カズサは、苦笑しながら言った。
それにしたってこの時期にバカンスっていうのも変な話だとは思うけど。
どんな理由であれ、ミカさんが隣にいないのは落ち着かない。
なんとなくだけど、これは間違いなかった。
「そういえばレイ、オープンコースの予選には出るんでしょ? もうガンプラ作ったの?」
「ああ、うん。今回は作ろうと思ってたものが明確だったから、早く終わったよ」
カズサの問いに答えてから、腰に下げたガンプラホルダーの中からその新作を取り出そうとしたときだった。
からんからん、と、ドアベルが音を立てる。
お客さんの来訪だ。
それにしたってタイミングが悪い。
なんて、わざわざうちに来てくれるお客さんにそんなことを思ったらバチが当たる。
だから、思考を切り替えて俺は姿勢を正した。
「いらっしゃいませ! イオリ模型にようこそ! なにかお探しですか? ガンプラ制作ブースのご利用でしょうか? それともガンプラバトルでしょうか? バトルは混み合っておりまして、少々お時間をいただきますが……」
机と同化していたカズサも、しゃきっと姿勢を正して、営業スマイルを浮かべる。
改めて見てみると、そのお客さんは小柄な女の子だった。
楚々とした白いワンピースに、鍔の広い同じ色の帽子。ミカさんとはまた違うベクトルで「深窓の令嬢」を思わせる出で立ちだ。
「……?」
「どしたの、レイ?」
「いや、その……失礼ですがお客様、前にどこかでお会いしたことはありましたか?」
なんでこんなことを口走っていたのかは、自分でもわからない。
それでも、問いかけられずにはいられなかった。
もしかしたら、俺は濃いめのサングラスに隠されたその子の瞳に、遥か昔の思い出の残り香を嗅ぎ取っていたからかもしれなかった。
「……ええ。よく覚えていたわね」
「……お客様?」
飴玉の鈴を鳴らしたような声でそう答えると、女の子はかけていたサングラスを外し、帽子を脱いで控えめな胸の前に抱く。
腰まで届きそうな白い長髪の右側には「X」を模ったヘアピンがあしらわれているぐらいしか飾り気のない、あどけない顔立ちだった。
でも、間違いない。俺はこの子を──この翡翠色の瞳を、知っている。
「久しぶり、イオリ・レイくん。私のことを覚えていてくれたみたいで、なにより」
「えっ、なになに? レイ、この子と知り合いなの?」
ほっとしたように微かな笑みを浮かべた女の子の言葉を受けて、カズサは動揺したように俺とその子の間で視線を往復させていた。
ああ、うん。
知り合いというかなんというか、物心ついたときに何度か会ったことがあるぐらいだけど。
「うん。知り合いっていうか……俺の幼馴染? いや、カズサも幼馴染だからこの言い方だと混乱するか……」
「……ヤサカ・マシロ。ガンプラ心形流次期後継者候補の一人で、全世界ガンプラバトル選手権、西日本代表」
事実を淡々と読み上げるように、その子──マシロちゃんは感情の薄い声でカズサに名乗りを上げた。
そうか。西日本ブロックはもう予選が終わってたんだな。
関西のことまで気にする余裕がなかったから、すっかり忘れてたけど……マシロちゃんが優勝したのなら、それも納得だ。
「えっと……久しぶりに会えて嬉しいよ、マシロちゃん。なんでわざわざ東京に?」
「……ん、イオリくんがガンプラバトルに復帰したって、サヤコさんから聞いたから。だから、今度の予選でどこまで戦えるかを確かめにきた」
ガラガラと大きめのスーツケースを引きながら、マシロちゃんは相変わらず表情の薄い顔で歩み寄ってきた。
表情こそ彩りに乏しくとも、その瞳には、ガンプラビルダーとして、ファイターとしての覚悟がめらめらと燃え立っている。
生半可な戦いをしたのなら許さない、とばかりに。
「試しに来たってことかな、俺のことを」
「……そう。あなたはなにを背負って戦うの、イオリくん? 久しぶりにあなたに会えたことは嬉しかった、だけど……昔みたいなキラキラが、今のあなたからは感じられない」
再会の喜びに冷水を全力でぶち撒けて、マシロちゃんは淡々と口にする。
昔……昔の俺は、それは確かにギラついてたのかもしれない。
だけど、それは黒歴史だ。
きみとあの日得意げに語り合ったことは、所詮は、なにも知らなかったガキの思い上がりでしかなかったんだ。
そう答えることもできたのに、俺はただマシロちゃんの言葉に黙り込むことしかできなかった。
なんのために、世界を目指すのか。なんのために、全国予選に出場するのか。
俺の中でそれは──明確に欠けている要素だったからだ。
「……俺は」
「ちょっと! レイはまだ病み上がりみたいなものなんだから、いきなり出てきてそんなこと聞くものじゃないでしょ!」
カズサは身を乗り出して人差し指を突きつけたけど、それをマシロちゃんは気にした様子もなく、言葉を続ける。
「……私には夢が、目標がある。ガンプラ心形流のあるべき姿を取り戻すこと。そして全国予選に出るなら、イオリくんを下したあの男も夢や目標……ううん。野望と呼ぶべきものを持っている」
「……っ!」
あの男、という言葉を聞いた瞬間に、背筋が粟立つような寒気に襲われた気がした。
そうだ、全国予選に出るということは、あいつとの戦いは──かつて、俺の心とプライドを完膚なきまでにへし折ったあいつと戦うことは、絶対に避けられない。
世界大会三連覇という、未だに三代目メイジン・カワグチ以外は成し遂げたことがないガンプラバトル殿堂入りの条件を達成するため。
そして、四代目メイジンを襲名するために、あいつは今も牙を研ぎ澄まし続けているんだ。
「……生半可な覚悟しか持ってないのなら、全国予選に出るべきじゃない」
「それは……そうだね。今の俺には……ガンプラバトルで一番大事な、戦う理由が欠けている。それでも」
「……それでも?」
「負けっぱなしのまま終わるのは、性に合わない……って言い方は格好つけすぎかな。でもさ、俺にはいるんだ、大切な人が。ガンプラの、ガンプラバトルの楽しさをもう一度教えてくれた人が、だから」
だから、世界ガンプラバトル選手権に出場したい。
俺というファイターがどこまで……どこまで、ミカさんに「推される」資格を持っているか確かめるためにも。
もう一度、あのとき味わった屈辱に対して熨斗をつけて返しに行くためにも、負けられない理由だったら、ある。
「……その先はガンプラバトルで語って。あなたも、ファイターなら」
「わかった。でもお客さんのバトルが終わるまでは待ってもらうよ、ルールだからね」
「……ん。ルールなら仕方ない」
ちょっとだけしょんぼりしたような様子で、マシロちゃんは俯いた。
なんだか、小動物を見ているみたいだ。
でも、この子が決して見た目で侮れない女の子なのは、昔からの付き合いで知っている。
「えっと……待ってる間に一つ聞いていい?」
「……なに?」
カズサが恐る恐るといった様子で手を挙げて、マシロちゃんに問いかけた。
「ガンプラ心形流ってあの……あたしのお母さんのガンプラを無断で作って30MSシリーズの祖になった流派って認識で合ってる?」
カズサのそれは、マシロちゃんにとって虎の尾を踏んだり竜の逆鱗を逆撫でするどころか、地雷原でタップダンスをするような質問だった。
止めようにも、もう遅い。
見る見るうちに、マシロちゃんは不機嫌な表情になって、頬を膨らませていく。
「違う。それはあのサカイ・ミナトとかいう愚か者がやったこと、本来のガンプラ心形流は、一つの形に捉われず、多様なイマジネーションからガンプラを作る由緒正しい流派。なんでサカイ・ミナトが破門されなかったのか私にはわからない、理解に苦しむ。今の弟子たちもそう、ガンプラは確かに自由だけれど、心形流は美プラを作るだけの流派じゃない」
めちゃくちゃ早口で、マシロちゃんは捲し立てた。
……いやまあ、気持ちはわかるよ。
あのサカイ・ミナトという男の功罪は今でも賛否両論だ。
でも、厄介なことにガンプラの版元に新たな選択肢を作ったことには間違いないんだよな。
「な、なんかごめん……あたしのお母さんがそのサカイ・ミナトって人とガンプラ心形流にめちゃくちゃ悪口言ってたから……」
「……そう、あなた……ホシノ・フミナさんの娘なのね。だとしたら私も謝らなければいけない、あのアホの兄弟子が大変申し訳ないことをしたわ」
ボロクソに言われすぎだろ。
でも、残念ながら当然……っていうのも正直なところだからなあ。
かつて三代目メイジン・カワグチが口にしていた「ガンプラは自由だ」という言葉を最大限に悪用し、活用したのがサカイ・ミナトという男なのだから。
「どうやら話は済んだみたいだねぇ。お客さんも捌けたし、久しぶりに一戦やっていくかい? マシロちゃん」
「……ええ、サヤコさん。ジャッジをお願いします」
「そういうわけでカズサ、店番頼んだよ」
「もー、なんでも頼めば言うこと聞いてくれると思ったら大間違いなんだからね、レイ! いってらっしゃい!」
カズサの困ったような笑顔に見送られて、俺はガンプラバトルルームに足を運んだ。
セカンド幼馴染