朝、いつも通り多田に適当な挨拶をして席に着く。
あれから、平野の読書記録を手伝いつつ、自分の読書記録を交換して読み合ったりしている。違った視点の話は聞いていて楽しい。
真面目でやる気もあるし、平野が文芸部に入って良かったと思っていると教室の後から楽しそうな、複数の笑い声が聞こえてくる。
近藤が数人の男女と集まって、何やら話をしていた。
近藤の姿に、そう言えば勇気の補充中だった平野を思い出した。
ここは、前に応援していると言ったこともあり、先輩として後輩の恋路を何か手助けしようと多田に聞いてみる。
「なあ、多田さん。近藤さんに彼女はいるのか?」
不器用な父親みたいな言い方になってしまった。
楽な体勢でぼんやりとスマホを触っていた多田がこちらへ向く。
「う~ん、いるとは聞いたことないけど……てか、珍しいね。
井上くんが人に彼女がいるか聞いてくるなんて。」
物珍しそうに目を細めて言われる。
確かに、他人の色恋のいざこざは面倒なので、あまり興味は無い。
「まあ……知り合いが、気になっているらしくてな。ちょっと手助け出来ればなと思っただけだ。」
ふ〜んと無表情に多田が相槌を打つ。
「かっこいいもんね。近藤くん。」
平坦な声で言う多田に同意した。
一度、本人に直接聞いてみるべきだなとタイミングを伺うのだった。
以外とそのタイミングは早めにきた。
たまたま、授業の一環でペアになったのだ。
それとなく女性の好みを聞いてみることにする。
「あー、近藤さんは……どういった女性が好みだ?」
無理だった。あれこれと言葉を考えるのが面倒になり、ストレートに聞く。
近藤が口を開いた状態で固まっている。
「驚いた。井上はそんな事に興味ないものだと思ってたよ。」
興味深そうに言った。
「さっきも驚かれた。そんなに珍しいか?」
よくわからず眉間に皺が寄る。
「そうだね。何というか落ち着いていて大人っぽいから、学生っぽい話には興味ないかと思ってた。」
苦笑いしながらそう言う近藤に、そんな風に見えていたのかと思う。
正確に言えば興味はないのだが、話がややこしくなりそうだったので、まあなと誤魔化す。
近藤が女性の好みか……と顎に手を置いて考え始める。
「明るくて元気な子かな。自分が運動が好きってのもあるけど。」
愛嬌のある笑顔でそう言う。
なるほど、体育の授業でも率先して動いているイメージはあった。
平野は……運動は苦手と言ってたな。まあ、明るいしセーフか?
突然の質問に真面目に答えてくれた近藤に謝りつつ礼を言う。
「いや、気にしてないよ。それより、井上はどうなんだ?」
少しニヤリとして聞かれる。
聞き返されるとは思っておらず、思わずギョとしてしまった。
縁のないものと思っていたので、考えたこともなかったな。
目を閉じて少し考える。
「そうだな……落ち着きがあって、話が合うと嬉しいと思う?」
なんとなく思ったことを伝えてみる。
「おお〜、良いね。何だか丁寧なカップルが想像出来るよ。」
その言葉にむず痒く感じた。
そんな世間話をしていると授業が終わる。
初夏の風みたいな人だなと思った。雰囲気がそうさせるのだろうか、話しているだけで何だか爽やかな気分になった。
放課後の部室で、平野に近藤から聞いたことを話した。
「そうですか……ありがとうございます。」
声は落ちていて、明らかな作り笑いをする。微妙な反応に不思議に思った。
もしかして、余計なお世話だったのではないかと思い至る。
それぐらいは、とっくに知っていたのかもしれない。
だとしたら、自分の行いは完全に空回りだ。人間関係の経験の浅さが出てしまった。
謝ろうかとも考えたが、あまり触れて欲しくないかもしれない。
せっかく気を遣ってくれたのだ。今後は余計なことはしないと心に決めて、別の話をするのだった。
◇ ◇ ◇
今日も部室へと向かう。
最近は井上先輩と同じ本を読んで、どう感じたのかを言い合うのが楽しい。
先輩は作者の背景や文章が何を示唆しているのかを読み取るのが好きみたいで、自分には無い視点の話は面白い。
私は映画が昔から好きなので、俳優の演技を観るように文章の表現を読む。そこは先輩には無かったみたいだ。
だから、新鮮な視点だと言われたときは、役に立てたみたいで嬉しかった。
今日はどこから話そうかと考えながら、部室に入った。
部室で夕焼けを背に、あれこれと話していると先輩が思い出したような声を上げる。
「どうかしましたか?」
少し得意気な表情の先輩が、実は近藤先輩のことで好みやらを聞いてみたと説明してくれる。
その言葉に、目の前が暗くなった。
体が思うように動かなくなり、先輩の声が遠くに聞こえる。
ズキリと痛む心臓。井上先輩にそんな事を言って欲しくなかったと頭によぎる。
辛うじてありがとうございますと言えたが、気落ちする私を心配そうな顔で覗き込む先輩。
身勝手な奴だと、自分自身に呆れた声が響く。
気分が沈んでいく私に気づいたのか、慌てて話を変える先輩に合わせた。
その日はぎくしゃくしたまま、解散となった。
夜、ひとりベッドに沈み込む。
LED照明の白さがやけに目に刺さって、腕で光を遮るように覆った。
視界が闇に落ちると、今日のことが浮かんでくる。
井上先輩に近藤先輩のことを言われた瞬間、胸の奥で何かがズキリと凍るように軋んだ。
近藤先輩を素敵だと思う気持ちは消えていない。
それでも、以前のような勢いはもうなかった。
冷めたというより、落ち着いた。そう表現するほうが正確かもしれない。
いつの間にか心が変わっていた自分を、軽薄な人間のように感じてしまう。
好きという感情が何なのか、だんだんわからなくなる。
ふと、井上先輩の顔がよぎった。
もしこんなふうに、ふらふらと心が移り変わる私を知ったら呆れられてしまうだろうか。そんな未来を想像しただけで、手足の末端から冷えていくような感覚に襲われる。
くだらないことで、こんなに落ち込んでいる自分が情けなくて、目の奥がじんわり熱くなった。
それを誤魔化すように、近くのクッションに顔を埋める。
その夜は、そのまま眠ってしまった。
朝、体が粘性の泥と化したように重たい。気怠さから休んでしまおうかとも考えたが、今日までの習慣が登校の準備を進めている。
そうだ、1人で悩んでいてもいい方向には行かないだろう。
こういう時は薫に相談しようと決め、さっきよりは軽い足取りで学校へ向かうのだった。
早速、学校で薫に昨日から考えていたことを相談する。
「う~ん、そんなことないと思うけど……。」
情けないという私の言葉を薫が否定する。そのまま、腕を組み目を閉じて考え始めた。
自分のことで手を煩わせるのは心苦しいが、つい縋るように見てしまう。
そんな私の醜い期待を知ってか知らずか、目を開き私の感覚の話なんだけどと前置きしてから言葉を紡ぐ。
「なんというか、恋愛の好きと近藤先輩への好きは方向性が違うんじゃないかな。」
方向性が違う……その言葉がスッと水槽に絵具を落としたように広がる。
「つまり、近藤先輩の好きは尊敬としての好きだったと私は思うね。」
眉を八の字にして、困ったように笑う。なんというか、パズルのピースが嵌ったようにしっくりときた。
言われてみれば、近藤先輩のようなキラキラした人との恋愛は素敵なんだろうなという、理想から好きになったのだと思う。
でも、近藤先輩自身のことは見ていない。それはすごく不誠実なことだと気付き、心の中で近藤先輩へ謝った。
少し心の靄が晴れた気がした。助けてくれた薫に感謝する。
「ありがとう、薫ちゃん。さっきよりも心が軽くなったよ。」
良いってことよと快活に笑う彼女に心が穏やかになる。
じゃあ、好きってなんだろうと呟く。
それを聞いていた薫が答える。
「それは私にもわかんないや。ちなみに、井上先輩のことはどうなの?」
何気なく聞かれる。
その言葉に、先輩の声や言葉、部室が頭をよぎる。
先輩は尊敬できる人だし、一緒にいて心地いいと思えるけど、この気持ちが好きってことなのかが分からなかった。
キュッと心が締め付けられる。誰もいない知らない道を彷徨っている気分だ。
「わかんない……。」
静かに口からこぼれた。
「そっか……いつか見つかるといいね。」
子供をあやすかのような優しく微笑む薫に、うんと頷くのだった。
部室で、井上先輩に近藤先輩への恋慕が尊敬によるものだったと伝える。
井上先輩にいまだ近藤先輩を追いかけていると思われたく無かった。
呆れられるかもしれないが、これも自分の選択だと受け入れよう。
つい、スカートを握りしめてしまい、先輩の顔が怖くて見られない。
「おお、そっか。そういうこともあるもんだよな。」
あっけらかんという先輩に一瞬、耳を疑った。
世間話をするようなテンションに困惑してしまい目が回る。
「ええっと、情けない奴だなとか思わないんですか?」
そう思われたいわけではないが、つい聞いてしまう。
「そんなことは思わない。
心っていうのは自分でも分からないものだろう。
ましてや、10代という最も心の移ろいやすい時期だからな。
それに、平野さんが誠実な人だってことを俺は知っているからな。」
口角を上げて得意気にそう言う先輩に心が熱くなった。
どうして、この人は私の欲しい言葉を簡単に言ってくれるのだろう。
きっと泣きそうな顔をしているのを見られないように、下を向いていると先輩が口を開く。
「だとしたら、悪いことをした。すまない。」
少し考える素振りをして謝った先輩に、慌ててなんで謝るんですかと聞く。
「昨日、近藤さんの好みの話だとか、余計なことをしたなと思って……。」
バツの悪そうに頬を掻く。
先輩の言葉にどうにかしなきゃと一気に頭が回転する。
「そんな!気にしてません。
むしろ私のためにしてくれたのは嬉しかったですから。」
これ以上、先輩に謝られては申し訳なさで蒸発してしまう。
必死に気にしていないことを伝える。
「そうか、じゃあ、昨日は何だか中途半端になってしまったし、昨日の続きをするか。」
先輩の言葉にはいと明るく答えて、夕日が包む暖かな部室で昨日の続きを話し合うのだった。