今際の国の瑞希~生きろ~   作:そ。

5 / 11
欲望の理想郷

風が変わった。

焼けたアスファルトの匂いが、潮の香りに変わる。

 

アリスと宇佐木は、遠くに広がる白い建物を見上げていた。

崩れかけたホテル。

だがその中からは、音楽と人の笑い声が流れてくる。

 

この世界で、笑い声――。

 

アリスは思わず呟いた。

「……本当に、人がいるのか。」

 

宇佐木は目を細め、頬を撫でる風を感じる。

「“ビーチ”――噂通りだね。ここだけ、まだ世界が生きてる。」

 

彼らが歩いてきたのは、血と瓦礫と孤独の道だった。

“生きる”という言葉が空虚に感じるほど、何も残っていなかった。

だがここでは、音楽が流れ、人々が踊り、酒が回っている。

 

アリスは静かに息を吸った。

胸の奥がざらつく。

“生”が溢れているのに、どこか異様だ。

「……まるで、楽園の仮面舞踏会だな。」

 

---理想郷の裏側---

 

中に入ると、陽光の下で水着姿の男女が笑いながら飲み交わしていた。

プールにはシャンパンボトルが浮かび、壁には無数のカードが並ぶ。

それがこの国での“生存の証”だと、すぐに分かった。

 

通りすがりの男が笑って言う。

「ようこそ、ビーチへ。ここは“理想の国”だ。生き残るためじゃない、生きるために遊ぶ場所。」

 

アリスは笑わない。

宇佐木の表情も固い。

 

周囲を見渡すと、雰囲気の違う数人が目に留まった。

武装した者たち。

その中心に、背の高い男――アグニが立っていた。

鋭い眼光が一瞬こちらをかすめ、興味を失ったように視線を逸らす。

 

「武闘派だね。」宇佐木が小声で言う。

アリスは頷き、さらに奥を見た。

白衣を思わせる衣装の女がプールサイドの椅子に座り、

その隣に、白髪混じりの男が笑っていた。

ミラと九頭竜――そして、その中心には“理想”を語る男、ボーシヤがいた。

 

「ここが“頂点”か……。」アリスが呟く。

 

【2.5】 由来――ボーシヤの“理想”

 

夜会の準備が進む裏側で、古い掲示板に褪せた写真が貼られている。

笑う若い男と、数人の仲間。まだ“今際の国”が始まる前、海辺で焚き火を囲んでいた頃のボーシヤだ。

 

「カードを全部集めたら、帰れるさ」

「だったら俺たちは全部集めよう。“帰れる”という希望を、ここに置こう」

 

仲間は減り、裏切りも出た。

海で拾った死体に手を合わせ、翌日には笑って見送る。

その反復の中で、ボーシヤは“理想”に正当化だけでなく形を与えた。

裏切りが出るたびに崩れる心を、儀式で固め直す術を学んだ。

 

――“理想を守るには、目に見える刃がいる”。

それが、瑞希だった。

 

---噂---

 

休憩スペースで、水を飲みながらアリスと宇佐木は耳を澄ませた。

周りの会話が自然に流れ込んでくる。

 

「なぁ、聞いたか? また“瑞希さん”が動いたらしい。」

「嘘だろ、今回は処刑なしって言ってたじゃねぇか。」

「裏切りが出たんだよ。カードを隠してたやつがいた。」

「マジか……“あの目”を見ちまったのか。」

 

“瑞希”という名前に、アリスの指が止まった。

 

宇佐木も小さく反応する。

「……今、なんて?」

「瑞希。瑞希って女。ボーシヤの隣にいる処刑人だってさ。」

 

別の声が続ける。

「普段はすげぇ優しいんだよ。メシ作ってくれたり、怪我の手当てもしてくれたり。

 でも裏切りが出た瞬間、目の光が……消えるんだ。

 あれ、もう人間じゃねぇ。」

 

「ボーシヤが『瑞希』って呼んだら、それが合図だ。

 誰も息をしない。」

 

アリスの胸がざわつく。

心臓が一瞬止まったように感じた。

 

――“瑞希先輩”。

 

大学の頃、彼女の後ろ姿を何度も追いかけた。

笑い方、声、歩き方。

全部、記憶の奥に焼きついている。

 

アリスは呟いた。

「まさか……そんなはず、ない。」

 

---影の中の優しさ---

 

夕方、プールの喧騒が和らいだ頃。

宇佐木が食堂へ行ったあと、アリスは一人でホテル内を歩いていた。

長い廊下の先で、柔らかな笑い声が聞こえた。

 

「こぼすなよ。焦らず食え。」

 

その声を聞いた瞬間、全身の血が逆流した。

振り返る。

 

そこにいたのは――瑞希。

 

タンクトップに短パン、無造作にまとめた髪。

腰にはククリナイフ。

目の前の少年にスープを渡していた。

 

「瑞希……先輩……?」

 

声にならない声。

けれど、彼女はこちらを見て――ふ、と笑った。

 

優しい笑顔だった。

昔のままの、あの瑞希の笑み。

 

「……あぁ、アリスか。」

軽く頷くと、また子供の世話に戻る。

 

その仕草の一つ一つが懐かしくて、胸が締めつけられる。

彼女が生きているという現実が、信じられないほど美しかった。

 

しかし、どこか違う。

笑顔の奥に、氷のような空虚さがあった。

 

---理想と血(見せしめの夜)---

 

夜。

プールサイドの灯りが赤く染まる。

ボーシヤがシャンパンを片手に立ち上がり、声を響かせた。

 

「理想を求める者たちよ!

 この国は“自由”と“信頼”で成り立っている!

 だが――その理想を壊す者がいる。」

 

空気が一変する。

笑い声が消え、沈黙が広がる。

 

ボーシヤがゆっくりと右手を上げた。

「瑞希。」

 

その一言で、すべてが凍った。

 

ホール中央の床が開き、白い大理石の下から鉄板のリングが現れる。

熱を含んだ照明が落ち、影が四方へ短く散る。

観客の息が浅くなるのが分かった。

 

押し出されたのは四人の裏切り者。

カード横領の青年、脱走計画の女、外部交渉の情報屋、武闘派の下士――

それぞれが自分の“正義”を握りしめ、光の中心に立たされる。

 

ボーシヤ「勝てば許す。負ければ終わりだ。」

 

瑞希が前へ出る。

いつもの柔らかい雰囲気は消え失せ、

瞳からいっさいの温度が失われた。――死んだ目。

 

--武闘派下士--

 

鉄パイプを握る音が湿った。

男は低く構え、床を噛まずに突っ込む癖のまま、空気を裂く。

円弧が迫る瞬間、瑞希は半歩だけ、線を外した。

柄頭で鎖骨の下を叩く。頚動脈洞が跳ね、膝が勝手に抜ける。

刃は音を立てずに喉を横切り、血は細い線のまま空気に溶けた。

パイプが“カン”と鳴って床に転がる。終わり。

アグニの眉がわずかに沈む。

 

 

--情報屋--

 

眼鏡の男は笑っていた。

「俺を殺せば、情報は死ぬ。」

胸声で観客を宥める癖。右足母趾球が1ミリ沈む。——投擲の前兆。

瑞希の首がわずかに傾き、光る刃が外をかすめる。

同時に床を一蹴、間合いが消える。

横隔膜の隙間へ、捻らず、押すだけ。声は出ない。

男は「納得」の色を目に残し、無音で沈んだ。

 

 

--カード横領の青年--

 

「……あなたも、助けただろ?」

青年の声に、瑞希の喉が一度だけ動いた。

それでも刃は止まらない。

手首を外へ丸く取り、顎先をそっと押し上げて視線を天井へ剥がす。

鎖骨下に浅く速く、紙一枚通すみたいに刃を置く。

倒れる寸前、彼は「ありがとう」と言った。

瑞希はその手を外へ寄せ、顔が床にぶつからない角度で寝かせた。

 

チシヤ「“善意の裏切り”ほど、彼女は静かに処理する。正しさじゃない、正解だね。」

 

 

--脱走計画の女--

 

痩せた女は泣き崩れ、後退する足はいつも左からだった。

瑞希は退路そのものに立ち、弧を描いて肩を極め、外側靭帯を踏み抜く。

「……希望は、毒になる。」

囁きとともに、喉に紙一枚の線。

声は出ず、光だけが抜けた。

観客のどこかで嗚咽が混ざる。

 

住民の囁き「罪が軽いほど、彼女の刃は静かだ……」

 

瑞希は刃を拭い、鞘口を布で撫で、砂を噛ませない。

彼女が完全に刃を納めるまで、誰も深く息をしない。

 

ボーシヤ「――理想は守られた!」

 

歓声が戻る。だが底は震えていた。

 

内偵――アンの視界

 

アンは柱の影で、秒刻みの記録を続けていた。

瑞希のステップは常に出口を塞ぎ、倒れた角度は円外へ。血は最短の導線で裏へ消える。

ボーシヤの拍手はいつも半拍遅く、その遅れが“重さ”を観客の脳へ刻む。

 

アン

(これは処刑じゃない。共同体再教育。瑞希は“刃”であり、“教師”だ。……壊せば、一夜で国が崩れる。)

 

手帳を閉じる。止め方ではない。壊さない方法を探すべきだ。

 

---目撃者---

 

アリスは立ち尽くしていた。

目の前で、あの“瑞希先輩”が人を殺した。

心臓が痛いほど暴れているのに、手足は氷みたいに冷たい。

 

宇佐木が横に立つ。

表情には驚きと理解と、少しの憐憫。

「……あの人、あんたの言ってた先輩だよね。」

 

アリスは唇を噛んだ。

「優しいのに、冷たい。生かすために殺す。……なんか、あの人、あんたに似てる。」

宇佐木の言葉が刺さる。

 

「違う。俺は……あんな風に、生きられない。」

 

---残響(そして、小さな声)---

 

深夜。

音楽は止み、波音だけがホテルの影を撫でていた。

瑞希はプールサイドに座り、膝の上で刃を月にかざす。

 

「……理想、ね。」

 

先ほどの顔が刃に逆さまに浮かぶ。

“生きたかっただけだ”――胸のどこかで、誰かが言う。

 

立ち上がり、刃を納める。

その背に気配。アリスだ。

呼吸の音だけが近づいてくる。

 

「……先輩」

 

振り向かない。

ほんの一拍、間を置いて、

アリスにだけ届く小さな震え声。

 

「……ごめんなさい」

 

靴音が遠ざかる。

月の輪郭だけが残り、波が砂を撫でた。

宇佐木がそっと近づき、アリスの袖を掴む。

二人の鼓動だけが、まだ生きている音だった。

 

---検証 ― 速度/角度/沈黙---

 

朝。

アンは記録室にこもり、昨夜の映像をフレーム単位で巻き戻していた。

壁一面のモニターに、瑞希の影が四つの角度から重なる。

 

「0.73秒で接敵、0.16秒で頚動脈洞を打ち、0.06秒で刃を置く……」

 

声に感情はない。指先だけが速い。

関節角度、足圧、視線のベクトル、呼吸の波形——すべてが人間の限界の外へ滑っていく。

 

「人間の反応速度の平均から二段下……いいえ、別の曲線にいる。」

 

再生を止める。

瑞希が“善意”に刃を置いた瞬間、顎先を押し上げて視線を剥がしたフレームで、指が止まる。

そこだけ、ほんの微細に、彼女の喉が揺れていた。

 

「……迷いは、ある。」

アンは小さく息を吐く。

「だから危うい。——壊れる可能性が、ある。」

 

扉が叩かれる。

チシヤが顔を覗かせ、退屈そうに笑う。

 

「結論は?」

「人間の限界を超えている。でも、人間のままだ。」

「最高じゃないか。」チシヤは肩をすくめる。「一番、面白い。」

 

アンはモニターを伏せ、手帳の新しい頁に線を引く。

“瑞希を壊さないこと”。

その一文を、いちばん太く書いた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。