今際の国の瑞希~生きろ~   作:そ。

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♡10魔女狩り

火の匂いが、空気を侵していた。

風は熱を運び、ホテルの壁を赤く染める。

夜のビーチが地獄に変わるまでに――そう、時間はほとんどかからなかった。

 

ホールの中央には、ひとりの女性の亡骸が横たわっている。

胸には包丁。心臓を正確に貫き、抜かれた跡もない。

その姿を見下ろしながら、アグニは唇を噛み切っていた。

 

「……魔女がいる。こいつじゃねぇ。まだ、どこかに隠れてる。」

 

武闘派の部下たちは顔を見合わせる。

リーダーの命令を疑うことはできない。だから一人が吠えた。

 

「魔女を探せ! 見つけ次第、燃やせ!!」

 

その瞬間、秩序は崩れた。

悲鳴。泣き声。炎。銃声。

理想の国《ビーチ》は、たった一言で地獄の舞台になった。

 

---アンの検視---

 

混乱の中、アンはホールへ駆け込む。

焼ける匂いが鼻の奥を刺す。

床に膝をつき、手袋をはめ、亡骸の胸に刺さった包丁の柄に指をかけた。

 

ゆっくりと抜く。血の塊が滴り落ちる。

刃の向き、刺入角度、深度、心臓の貫通点――。

 

「……逆手、だ。」

 

声が震える。完璧な“自殺”。

柄の指紋は彼女自身のものだけ。誰にも殺されていない。

 

クイナが肩を支えた。

「……自分で?」

アンは頷く。

「彼女は“魔女”だった。誰も殺していない。ただ、終わらせたのよ。」

 

クイナの目に涙が滲む。

「皆を……守るために、死んだんだね。」

 

---アリスの叫び---

 

アリスは燃える廊下を駆けた。

煙が目に刺さり、喉が焼ける。

扉を押し開け、炎の向こうへ叫ぶ。

 

「アグニ! やめろ!」

 

ホールの奥で、アグニが振り返る。

煤で汚れた顔、涙で濡れた目。だが拳銃は下りない。

 

「魔女を探すんだ! 俺は理想を守る!」

「違う! その理想は、ボーシヤと一緒に死んだ!」

「黙れ!」

 

アリスは歯を食いしばる。

「親友を失った痛みは、俺が一番わかる! でも、これ以上は違う!あんたは……魔女なんかじゃない!」

 

アグニの肩が揺れる。わずかに銃口が下がる。

そのとき、別の怒号が火の海を切り裂いた。

 

「魔女を見たぞ!」

「燃やせぇ!!」

 

銃声が重なる。炎が跳ね、天井が軋む。

 

---瑞希の決断---

 

廊下の奥から、瑞希が歩いてきた。

炎の反射が頬を舐め、汗が首筋を伝う。表情は静かだ。

 

腰のククリナイフを抜く。刃が赤く光る。

彼女はアグニの前に立ち、低く言った。

 

「もうやめろ、アグニ。これは処刑じゃない。」

「邪魔するな!」

「お前は、守るためにここにいるだろ。」

 

一瞬、アグニの手が震えた。

瑞希はその隙に踏み込み、手首を取り、肘を軽く返す。

鈍い音。拳銃が床に落ちる。

 

アグニの身体が前に崩れかける。瑞希の腕が受け止め、頬を軽く叩いた。

「……もう休め。」

アグニは糸が切れたように気を失う。

 

駆け寄ったアリスを見ることなく、瑞希は短く告げた。

「こいつを頼む。」

背を向けて、炎の方へ消える。

 

---混沌の炎と住民の守護---

 

ビーチの建物全体が火に包まれていた。

プールが蒸気を吐き、ガラスが爆ぜ、空気そのものが焦げていく。

武闘派は狂乱の渦に飲まれ、住民を壁際へ追い詰める。

 

「子どもがまだ中に――!」

「やめろ、撃つな!」

「うるせぇ、魔女かもしれねぇだろ!!」

 

瑞希は走った。迷いがない。

目に映るのは“守るべき命”だけ。

 

角を曲がる。三人の武闘派が母子を囲む。

男のひとりが笑い、引き金に指をかけた――その瞬間、瑞希の姿が掻き消える。

 

次の瞬間、刃の軌跡が一筋、宙を裂く。

最初の男が崩れ落ちるより速く、瑞希は二人目の腕を取り、肘を折り、膝裏を蹴る。

三人目の銃口が火を噴くが、弾は壁に吸われ、瑞希は一歩で間を詰め、喉を断つ。

音は短く、確か。叫びは途切れ、通路が開く。

 

「通れ。」

 

ただそれだけ。

母親が子を抱えて走り抜ける。

背中が消えるまで、瑞希は動かない。

 

別の通路。五人編成の武闘派が“壁”を作る。

彼女は近づき、止まらず、告げる。

 

「――来るなら、全員で来い。」

 

誰も動けない。

彼女の刃がひとたび閃くと、二人が沈む。

残りが撃とうとした瞬間には、もう手遅れだ。

喉、脇腹、足首。最短の軌道で止める。

結果として、誰も立っていない。

 

瑞希の顔には怒りも涙もない。

使命だけ。

“殺すためではなく、生を通すために奪う”という、冷たい決断。

 

遠巻きに見ていたアリスは、息を呑む。

(処刑人じゃない。……本当の先輩だ。)

 

---ニラギ、地獄からの帰還---

 

轟音。

天井が裂け、火の粉とともに一つの影が落ちてくる。

 

ニラギ。

全身を焼き、目は狂気で濁り、笑う口だけが白く残っている。

 

「ハハハッ、最高だろ!? これが楽園の終わりだ!」

弾はないのに、引き金を引き続ける。金属音だけが乾いて響く。

 

瑞希はナイフを握り直した。

「もう終わりにしよう、ニラギ。」

「終わり? 俺はまだ燃え足りねぇ!」

 

突進。

刃と刃が火花を散らす。

力で押すニラギを、瑞希は腕を絡めて軸を奪い、膝を逆に折る。

悲鳴。返す一拍で首を極め、後ろから抱き込む。

 

「……もう、誰も殺させない。」

 

炎の壁が迫る。

アグニが目を覚まし、叫ぶ。「やめろ、瑞希!」

彼女は首を横に振り、アリスと宇佐木を一瞥で制した。

「行け。これは、私の仕事だ。」

 

アリスの喉が震える。

「先輩!」

 

振り向かない。

瑞希はニラギを抑えたまま、炎の中へ踏み出した。

狂笑が一瞬で掻き消え、炎が二人を飲み込む。

爆ぜる音、白い光。

音が、消える。

 

「……ごめんなさい。」

 

その声だけが、確かに届いた。

 

---灰の夜明け---

 

朝。

ビーチは燃え尽き、灰の匂いが沈む。

瓦礫の間に、一本のククリナイフが転がっていた。

 

アリスはそれを拾い上げ、刃を見つめる。

焼けた金属に自分の顔が揺れる。

 

「……生きろ。」

夜の声が胸の底で反響する。

 

アグニは膝をつき、手を合わせた。

「借りを作っちまったな、瑞希。」

アンは記録帳を閉じ、静かに涙を拭う。

クイナは空を見上げ、低く言う。

「最後まで、人を救うために戦ってた。」

 

宇佐木がアリスの隣に立ち、頷いた。

「行こう、アリス。まだ終わってない。」

アリスはナイフを腰に差し、煙の向こうの光を見た。

 

理想は燃えた。

それでも、生は残った。

瑞希が繋いだ火が、確かにそこにあった。

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