失われていく自我の中、最後に願ったのは───好きな人を護りたいという想いだった。
この作品は、作者のもう一つの投稿作品「正義の味方にやさしい世界」のスピンオフ短編作品となっております。
興味があればご覧になってください。
~彼が最後に願う事~
怪しく光る洞窟の中、一つの人影がある
「────ごほっ」
少年は吐血する。
息は既に止まっている。心臓も動いているのか怪しい。
大丈夫だ、やってやれない距離じゃない。後、一回だ。後、たった一回の投影で全てが終わる。
少年がイメージするモノは、彼の知りうる最高の幻想。
彼女の剣ならば、確実に
「士郎、聞こえていますか?」
隣にいる目隠しをして黒い服を着た、紫色の髪の女性が声を掛けてきた。
いつの間にいたのか……いや、覚えていないだけで、最初からいたのかもしれない。
邪魔をしないでくれ。もうそろそろ俺も限界なんだ。この一撃を成功させる為にも、黙っていて欲しい
「……」
そういえば、この人は何故こんな所にいるのだろう?
俺はこの人を知らない……いや、知っている? どうだっただろう?
名前はもう思い出せない。けれど、彼女が信頼できる人物だという事はわかる。
「……よかった。桜と遠坂をつれて外へ脱出してくれ」
「士郎?」
彼女は不思議そうにこちらを見ている。
士郎? 誰だそれは? 俺の事なのか?
そうだ、俺は衛宮士郎だ。
「……貴方はどうするのですか?」
「俺は
まるで自分が喋っているのではないかの様に、すらすらと言葉が出てくる。
桜……そうだ、俺は桜を護る為にここにいる。じゃあ、遠坂って誰だ? 遠坂は……駄目だ思い出せない。
けど、彼女も桜を助ける為に力を貸してくれた人だったはず。
「承知しました。サクラとリンは私が運びます。安心してください。それだけの体力は回復してきたつもりです」
「頼む。洞窟が崩れだしてるけど、ええっと……ラ、ラ……くそ。アンタの足なら、落盤なんて問題じゃないだろ」
本当ならちゃんと名前を呼んで頼みたかった。そうすれば、彼女を悲しませずに済んだのに。
目隠しをしていても感じる悲しみ。信頼できる彼女にそんな気持ちを抱かせてしまった事、それだけが悔やまれる。
「……では、2人を安全な場所に運び次第迎えに来ます」
ほら、やっぱりいい人だ。できれば名前を思い出したかった。
きっとこの人は悲しんだ顔より、笑った顔の方が綺麗で可愛いって、そう思うから。
「ありがたいけど、2人の治療を優先してくれ。遠坂が無事じゃないと、桜は幸せになれない」
遠坂は桜にとって大切な人だったはずだ。
だから、治療技術がなかったであろう彼女に、無理を承知で頼む。
「必ず。ですが士郎、それは貴方も同じです。サクラには貴方が必要だという事を肝に銘じておいてください。……私も、サクラを支えるのは貴方でなければ納得できませんから」
「……?」
「急ぎます。────ご武運を」
言うや否や、黒い服の女性は2人を抱え、落ちる岩を避けながら洞窟の外へ向かって駆けて行った。
ああ、あれなら安心だ。彼女に任せておけば2人は助かる。これで憂いは無くなった。
「後は────」
───最後の後始末をするだけだ。
薄れ行く意識の中、俺は一歩、また一歩と
手足を曲げる度に、体中に痛みが走る。体の中から数百の刃が生えてくる。それは正に逃げようのない串刺し刑。
《体は剣でできている》
それは、判っていた事だ。
投影をすれば最後、時限爆弾のスイッチが入る。この終わりは既に決められていた事。
「
たとえ、彼女の聖剣を投影できたとしても、自分が、誰が何をするか、きっと無くしてしまっている。
だから、今は立ち止まって助けを……
「……ぁ」
壊れかけた頭に桜の姿が映る。
「ああ、覚えてる」
桜と交わした約束。
「桜……花を見に行こう」
そうだよ。桜を護る為には、こんな所で止まるわけにはいかない。
その想いだけで、俺の思い浮かべた最高の幻想は、この手の中に形を成す。
だが、この瞬間、衛宮士郎は死んだ。
立ち尽くすカタチは一つの機械と変わらない。作り上げた剣を振り上げる機能はあっても、動かす意思がなければ残骸と変わらない。
だが、人工の知能がなくとも、この世には沢山の夢を織る機械がある。
衛宮士郎だったモノは聖剣を振り下ろし、世界は光に包まれる。
約束があった。
「いつか冬が過ぎて、春になったら……」
もう意味さえわからない文字の羅列。
最後まで覚えていた、果たされるべき小さな希望。
光の世界の中、無意識のうちに彼は願った。
一日だけでも長く生きたい。
そんな、たいして意味の無いようなことが、今は恐ろしいほどに恋しい。
一日じゃなくてもいい。一分でも、一秒でもいい。
生きていられるのなら、どんなにみっともなくても、限界まで
「桜を……護る…為……に」
聖剣の力により泥ごと消し飛ばされた、聖杯の中に僅かに残留していた無色の魔力がその願いを聞き入れようとするかのごとく輝いた。
ここは柳洞寺からだいぶ離れた一軒の家。衛宮邸。
そこで立ちすくむ女性 ライダーは、柳洞寺の方からの轟音と振動とともに聖杯との繋がりが完全に消えた事を実感した。
「士郎………」
騎兵の英霊であるライダーは今、士郎から託された桜と凛の手当てをする為に衛宮邸にいる。
何故かというと、彼女には魔術的な治療の技術が無いのでそれができる人物、イリヤスフィールに頼む為だ。
「サクラのほうは問題ないわ。無尽蔵の魔力に体がびっくりして疲れているだけよ。安静にしてれば目を覚ますでしょうね」
自身の主が無事な事にまずは一安心する。次いで気になったのは、主の姉である凛の容態。
「では、リンの方は?」
「傷は深いけど、魔術刻印がリンを生かそうとしてる。遠坂の家に連れて行けば、あの土地がリンを癒すでしょうね」
「では、リンを連れて行くのでサクラの事をお願いします」
「わかったわ」
ライダーが家を出たことにより、衛宮邸はイリヤとサクラの2人だけになる。
「……そう、シロウはこの道を選んだのね」
サクラを助けるには、自分かシロウのどちらかが犠牲になるしかない。
結局シロウは、自分が
「馬鹿な子ね。サクラにはシロウが必要なのに」
あの夜、公園でシロウと会った時。シロウは「好きな子を守るのは当たり前だ。そんなの、俺だって知ってる」と言った。
それが嬉しかった。大好きなシロウが、切嗣と同じ選択をしなかった事が。
だからイリヤは、自分を犠牲にしてでも弟の夢を守りたかった。
「なのにシロウ……貴方が犠牲になってどうするのよ」
イリヤの目からは涙が零れる。
「これから……誰が、サクラを守るのよ……」
その後、イリヤは静かに衛宮邸を出ていった。
ライダーは凛を遠坂低の凛の部屋のベッドに寝かせる。
しばらく様子を見ていると、大量の汗と苦しそうな表情は変わらないものの、血色はだいぶ良くなったように思える。このまま寝ていれば、いずれはこの地が凛を生かすだろう。
「……」
ライダーは自分の体から存在感が薄れていくのを感じた。
「リン、サクラの事を頼みます」
遠坂邸を出る頃には、もうライダーの体は足からだんだんと透け始めていた。
「最後にサクラの顔を見ておきたかったのですが……残念です。士郎、貴方との約束は守りました。今度は貴方の番ですよ」
薄れゆくライダーの体は、淡く光りだす。
最後にライダーはその目隠しを外し、その眼でしっかりと柳洞寺の方角を見据える。
「……サクラの下へ帰らなかったら、私は貴方を許しませんからね」
その言葉を最後に、ライダーは光となって消滅した。
~代償~
誰もいない衛宮邸。独り桜は目を覚ます。
気だるさはなく、意識も体も別人のように清々しい。
「あれ、先輩?」
一緒に眠っていた筈なのに、布団の中にあの人の姿はない。
部屋の時計を見れば、針はもう朝の10時を指している。
「あ、朝ごはん作りにいったんだ」
桜は自身を納得させ、布団から出る。その時の体の軽さにびっくりしてしまった。
まるで、纏わりついていた鎖が外れたように体が軽かったのだ。
「あ、そっか」
昨晩の事を思い出し、体が熱くなる。
昨日の夜、わたしは先輩と一緒に眠って体を重ねた。
先輩は片腕になってしまったけれど、私の調子もいいし、これからはライダーに頑張ってもらう事もできる。
ここには先輩も姉さんもいる。悪いことはきっと起きない。わたし達はきっと上手くやっていける。
「……うぅ!?」
脳裏に浮かんだのは、何故か髪の色が白く黒い服を纏う自分の姿。
これは悪い夢だ。どうしてこんなに清々しいのに、あんな夢を見てしまったんだろう?
そんな嫌な映像を忘れる為に、急いであの人のを探す。
「先輩?」
一回に降りて台所を覗くが先輩の姿はない。
「先輩?」
洗面所にも。
「先輩?」
トイレにも。
「先輩?」
他の部屋にもいない。
体はこんなにも軽いのに、まるで体にしみこんだ毒が抜けたようにお爺様が仕込んだ蟲も、心臓に粘りついていた毒も、全てが消え去ったように清々しいのに……何故か不安が残る。
「ねぇ、先輩?」
誰もいない。廊下はとても静かだ。
桜の足は自然と速くなる。
「先輩……先輩?」
道場の方にも行ってみたが、あの人の姿はない。
「先、輩? ……あ、もしかしてかくれんぼですか?」
努めて明るく言うが、その声は無人の室内に消えていく。
やはり誰もいない。あの人の姿はない。
「あれ、おかしい、な? 先輩は、隠れてる、だけなのに……」
そんなはずない。
誰もいないなんてない。
だってアレは悪い夢で……
けれど、夢で見たあの人の姿は体中壊れていて。もう、二度と会えないような。
「違う! ……うそ、嘘ですよね、先輩!?」
そう、嘘に決まってる。
あんな体では動けるわけが無い。
だから、あの人はちゃんとここに残っている。
わたしの事を、どこかで待ってくれているはず。
わたしは最後の希望を込めて、土蔵の扉を開ける。
「────先、輩」
《おはよう、桜》
「あ、先───」
いつもなら笑顔で「おはよう」と言ってくれるはずのあの人は───幻のように消えていった……。
「───輩?」
居間で見た日付は、アレからもう10日以上過ぎていた。
と、いうことはやはり、アレは夢などではなく……
「あ────、ゃ……」
わたしは、その場に崩れた。全部判ってしまった。
いや、本当は目が覚めた時から判ってた。ただ、判らないフリをしていただけ。認めたくなかっただけ。
「やだ! 出てきて下さい先輩! わ、わたしだけなんてできない! 先輩と一緒じゃないとダメなんですっ! せんぱい! せんぱぁい!」
桜は頭の中が真っ白になった。ただただ悲しくて、何も考えたくなくて。
その夜は、一晩中泣き続けたのだった
それが、この長かった冬の終焉。
わたしは、11年間わたしを縛り付けていたモノから開放され。
その代償に、唯一の道標をなくしたのだ。
桜が泣き崩れたのと同時刻。柳洞寺地下、大聖杯のあった洞窟跡の瓦礫の中。一つの影が動いていた。
「……」
男は無言で立ち尽くす。
その男から生気は感じられない。まるで人形のようだ。
「桜……」
男は一言呟いた後、フラフラと歩き始める。
「……護らないと」
冬木の街に怪しげな黒い車が一台やってきた。
車から降りてきたのは黒いスーツにコート、目にはサングラスという、これまた怪しい服装の男が2人。
「この街か、『根源の渦』らしきものが発生した場所は」
男達は協会からの使者。
ある日突然観測され消失した『根源の渦』らしきものの調査の為、この街にやってきた。
「まずは、セカンドオーナーに事情を……っ」
「どうし……雨か?」
相方が急に黙ったことを不審に思い、声をかけようとした瞬間。妙に生暖かい水滴が顔に当たった。
今は夜で辺りが暗くよくは見えないが、これが雨でないことだけはわかる。
「おい、聞いてるの、か……う、うわ!?」
いまだ無言の相方の肩を掴み、強引にこちらを振り向かせようとするとそこには首がなく、まるで噴水のように血が噴出していた。さっきまで雨だと思っていたものは、彼の血だったのだ。
「敵!?」
男はすぐに、自らの魔術回路に魔力を通す。
だが、男がこの街に来た理由はあくまで調査。魔術は使えるが、執行者のように戦闘に特化しているわけではない。
闇の中から聞こえるのは ガシャリ ガシャリと、鉄と鉄がこすれるような耳障りな音。その音は、いっそう男に恐怖を植えつける。
「ひっ!?」
近づく音に、男は腕を構え魔術を発動させようとするが……
「ぎ、ぎゃぁぁあああああああ!!!???」
発動する前に両腕を切断され、激痛に男は叫びその場をのた打ち回る。
そんな男の下へ闇の中から現れた影は、ゆっくりと腕を振り上げた。
男はその姿を見た瞬間、自分の死を覚悟した。
暗闇から現れたものの姿は半身が鱗の様な物で覆われ、先ほど振り上げた手には、いつの間にか剣が握られている。
「な、何故私たちを襲った」
「……」
剣を握った男は答えない。
無言のまま剣を振り上げ、倒れる男の頭へと振り下ろした。
辺り一面血の海と化したその場所で、剣の男は最初に首を跳ねた男からコートを剥ぎ取り身に纏うと、再び闇の中に姿を消したのであった。
~春になった~
先輩がいなくなってから約一ヶ月。
────春になった。
先輩のいない事実に泣いたあの日から、わたしはここ「衛宮邸」で暮らしている。
イリヤさんは、わたしが寝ている間に姿を消してしまったが、藤村先生はもちろんの事、病み上がりのはずの姉さんまで毎日家に来てはわたしの事を何かと気にかけてくれる。
そのおかげで、今ではずいぶんと落ち着いている。体に流れる過剰な魔力の方も、姉さんのおかげで何とかコントロールできるようになってきた。
「……ふぅ。これでようやく一段落ね。協会の方も何とかなったし、綺礼の後釜はいい人だし、私達はお咎めなしだし。これ、一応ハッピーエンドじゃない?」
やっぱり姉さんは強い。
病み上がりの状態でわたしの事を気にかけ、魔術協会の方にも当たり障りないよう報告を済ませている。
そう簡単に済む問題ではないと思うけど、姉さんの事だから上手くやってくれたのだろう。
「ところでさ。桜、私の家に来ない? 間桐の家を引き払うんなら、うちに来たほうが何かと楽でしょう?」
姉さんの心遣いは嬉しい。
遠坂の家で姉さんと暮らすのは、長年夢見てきた事の一つだ。嫌なはずがない。
……だけど。だからこそ、わたしはちゃんと、一人前にならないと。
ちゃんと自分の罪と向き合って、一人前になって先輩を迎える事。それが、今のわたしにできる事だと思うから。
「姉さん。そう言ってくれるのは、嬉しいんですけど……」
「そっか。桜は1人でやっていくのね。じゃ、無理には誘わない。卒業までは家にいるから、休日ぐらいは遊びに来なさい」
「はい」
わたしは、姉さんの言葉に小さく返事をする。
「それと。ニュースで見たけど、何か最近物騒みたいだから十分気をつけること」
最近、殺人事件のニュースがよく流れている。
なんでも冬木市でスーツの男性2人が血まみれになって殺されていたらしい。
それを見た姉さんの表情があまりにも真剣なものだったので、はっきりと覚えている。
「じゃ、そろそろ帰るわ」
姉さんは、玄関へと向かう。帰り際に「待ってるから」と一言残し、姉さんは帰っていった。
ここに来る時、髪に絡まっていたのであろうか。姉さんが出ていった玄関から、桃色の花びらが ふわり と空に舞っていた。
倫敦。魔術協会の総本山である時計搭の一室。
数人の魔術師が話し合いをしている。
「
「どう思うも何も、調査に向かわせた魔術師が死亡しているのだ。何か隠しているに違いない!」
凛の報告内容は聖杯は既に汚染されていて使い物にならない。最後の戦いの際に洞窟が崩壊し、大聖杯ごと根源の渦が閉じたというものだ。
だが、協会は表向きにはその報告を認め、秘密裏に調査を進めていた。あっさりと協会の言い分を信じてしまったのは「遠坂のうっかり」のせいに他ならない。
「では、どうする?」
「決まっている! 次はもっと多くの魔術師を送り込むだけだ!」
熱くなりすぎる男に他の者達は少々呆れ顔だが、他に案もないので再び冬木に魔術師を送り込むということで話し合いは幕を閉じた。
こうして、またも協会は冬木市に十数名の魔術師を送ったのだが……
「ぎゃぁあああ!!??」
月も雲で隠れた暗い夜道。剣を持った男が冬木市に入り込んだ魔術師を切り裂いた。
そこにあるのは死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体の山。
その光景は、数ヶ月前魔術師2人が死んだ時と同様。否、それ以上の惨劇となった。
もう魔術師がいなくなったのを確認すると。いや、剣の男は確認できているのかすらわからない。その動きは機械じみている。彼にとっての“敵”がいなくなると、剣の男は姿を消した。
協会が隠蔽工作を施した為、最初の2人以降この事件がニュースに流れる事はなかったが、深夜に聞こえる男の悲鳴と道路に残された傷なども相まって、周辺の住民の間では噂となっていた。
────春になった
「本当にいいの桜ちゃん? 桜ちゃんが管理人になってくれるのは助かるけど、その……」
言いにくそうに口ごもる藤村先生。
間桐の家を処分したらビックリするくらいのお金が入ってきたので、藤村先生のおじいさんにお願いして、土地の権利やらなにやらを譲渡してもらったのだ。
この先何があろうと、ずっとこの家をこのままにしておけるように。
「そこまで思ってくれるのは嬉しいけど。ねぇ、桜ちゃん。士郎はもう帰って……」
藤村先生の言葉をさえぎるように私は首を振る。
藤村先生はやっぱり凄い。魔術の事は何にも知らないのに、先輩の事がなんとなくわかってしまっている。
藤村先生は、じっとわたしを見つめた後、仕方なさげに肩をすくめて「わかった。この家は、貴女に任せるわ」と、言った。
「それと、川の方に桜並木があるの知ってる? 去年辺りから、春になると不審者が出るって噂だから近づいちゃダメよ? 表には出てないけど、この街で大量殺人もあったらしいから」
「はい」
力なく笑う桜に、大河は一瞬。ほんの一瞬だけ悲しそうな顔をするが、直ぐに笑顔に戻る。
「じゃ、たまに遊びに来るから!」
藤村先生は、最後までわたしの心配をして。お母さんのような笑顔で、衛宮低を後にした。
「桜並木……桜か」
少し、辛い記憶を思い出す。
《……桜。このゴタゴタが終わったら、どこか遠くに行こう。今までどこか遊びに行くとかなかっただろ。たまには遠出して騒ぐのもいい》
本気になれば行けないところなんてない、と本気で言っていた。
それがあまりにも純粋だったから、嬉しくて笑っていた。
《それじゃあ、わたし先輩と2人でお花見がしたいです》
《よし。じゃあ約束だ。桜の体が治って、このゴタゴタが終わったら……》
ああ、その約束は。
「……先輩」
────春になった
随分と、人に会ってない気がする。
1人でいるのは辛い。思い出だけが繰り返されて パチン と電源を切りたくなる。
だけど。
《当然だろう。奪ったからには責任を果たせ、桜》
あの人がそう言った。
なら、何かをしなくちゃ。
何か、私ができるコトを。
けど、償いが分からない。
わたしは、気分転換の為に震える足に力をいれ、ちょっと散歩に出かけることにした。
久しぶりの外の風は新鮮で、なんだが心地いい。
「また桜並木の方で変な男が出たらしいよ?」
「うそ、ここ最近毎年じゃない? 怖いよねー」
道端で女の子達とすれ違う。やっぱりまだ少し怖い。体が震える。
家に帰ると、さっきの女の子達の話を思い出した。
変な男の話しは別として。
「桜の花、か」
今更、誰かの為に出来ることなんて思いつかない。
だから、これは自分の為に。あの人が好きだといってくれた、
約束の日の為に、年に一つずつ、花を育てる事にしよう。
冬木市にまた数人の魔術師が送り込まれた。
だが、今回は今までとは違い執行者数名である。夜、彼らが冬木の街へ入ると、やはり剣の男が現れる。
「貴様がこの街に入る魔術師を狩っているという剣の男か?」
「……」
執行者の言葉に、剣の男は答えない。もしかすると言葉を話すことが出来ないのかもしれない。
「沈黙もまた答え。肯定したと判断する。これから我々は君の排除を開始する」
他の執行者が剣の男を囲む。
「やれ」
その言葉を合図に、各執行者達は魔力で強化された拳や武器。魔術を放ち攻撃を加えるが、
拳で殴ったも者は逆に拳が砕け。
武器を持った者は、武器そのものが砕け。
魔術を放った者は、剣の男の右手に現れた紅い槍に掻き消さる。
攻撃も、防御の手段も失った執行者達は、剣の男が左手に持つ美しい剣になす術なく切り伏せられた。
コートで見えなくなっていたが、剣の男の体は剣まみれで、素手や武器では傷つけることが出来ない。
そして、右手で持っていたのは対象に刃が触れた瞬間その魔術的効果をキャンセルする能力を持つ紅い槍『
左手に持つのは、岩に叩きつけると逆に岩が真っ二つになってしまったと言われる名剣『
残る執行者はあと1人。
「宝具の投影だと!? あ、ありえない! き、貴様いったい……」
恐怖で怯える執行者に、剣の男は近づき。
「俺は……■を、護る……」
今まで一度も開かなかった口を開いて一言呟き、『
────春になった
ある日、姉さんが倫敦から血相かいて帰ってきた。
「桜、無事!?」
「姉さん? どうしたんですか、そんなに慌てて」
姉さんの話によると、あの事件の報告を疑っていた魔術協会の人達が、度々冬木に調査員を送り込んでいたとの事でした。
でも、そんな人に襲われたことはおろか、この家に訪ねてくる人さえ今までいませんでした。
「おかしいわね? うまく私の耳に入らないよう隠蔽されてたみたいだけど。ルヴィアの話じゃ、毎年数十人の魔術師が送り込まれているはず……」
姉さんの話を聞いて、何かが引っかかった。
あの事件の年にやっていた、殺人事件のニュース。
藤村先生から聞いた、大量殺人の話。
街の人達も話していた、毎年春になると桜並木に現れる男の話。
わたしは、この話を姉さんに話してみた。
「……確かにおかしいわね。偶然にしては、出来すぎてる」
まさかとは思う。死んでしまったと思っているわけではない。
けれど、あんな状態でこんなことが出来るわけがない。
殺人の話だけなら、信じなかったかもしれない。でも、桜並木の話───
────いつか冬が過ぎて、春になったら
それは、言葉にこそしなかったが、わたしと先輩が夢見た2人の共通の願い。
「桜っ!?」
いつの間にか、わたしは走り出していた。
小さな希望を胸に抱いて。あの人であって欲しいと願いを込めて。
「はぁ……はぁ……」
川沿いの桜並木に着いた。
急激な運動をした為、酸素不足で眩暈がするが今はそんなことどうでもいい。
重い足を引きずって、わたしはあの人の姿を探す。
「先輩、先輩……!」
しばらく進むと、一際大きな桜の木の下に、一つの人影があった。
人影は黒いコートを着て座り込んでいる為顔が見えない。
わたしは逸る気持ちを抑え、いつものようにあの人の名前を呼んだ。
「衛宮先輩?」
~剣と桜~
「衛宮先輩?」
「……」
名前を呼ぶと、男はゆっくりと顔を上げた。
「先輩!」
それは、わたしのよく知る衛宮先輩の顔。だけど、少し様子がおかしい。
どうしたんだろう?
いつもなら、わたしの名前を呼んで微笑んでくれるのに。
あ、そっか。わたしが待たせちゃったから怒ってるんですね先輩?
きっとそうだ。だから、先輩はわたしに意地悪をしてるんだ。
「遅くなってすいませんでした、先輩。……衛宮先輩?」
士郎の眼には光が灯っておらず、生気が感じられない。
桜は、返事のない士郎の肩に手を触れ。
「痛っ!?」
針が刺さったような、チクリとした痛みに驚き手を引っ込める。
手のひらを確認すると、鋭い刃物に触れたように薄皮一枚が切れ、うっすらと血が滲んでいた。
士郎の体をよく見れば、着ているボロボロのコートの隙間から何か銀色のモノが見える。
なんだろう? まるで、刃の様な……
その時、士郎の最後の姿を思い出す。
《おしおきだ。きついのいくから、歯を食いしばれ》
そう言って、短剣を握り締める士郎の姿は────
アーチャーの腕による侵食で、体から無数の剣が飛び出ていた。
「先輩、ちょっと失礼します!」
物言わぬ士郎のコートを開く。
「っ!!」
あの時に見た時と同様。いや、あの日からもアーチャーの腕の侵食は続いていたのだろう。
今の士郎の体は、飛び出してきた剣で全身が鱗の様に覆われ肌の部分が見えない。唯一無事なのは、首から上の部分のみである。
「桜っ!」
そこへ、ようやく飛び出した桜を追いかけてきた凛がやってきた。
「急にどうしたのよ……って、まさかそいつ!?」
士郎なの? と、信じられないといった表情をする凛。
当然の反応だろう。何せ、死んだと思っていた人が目の前にいるのだから。
そうだ、わたしには何もできないけど、一流の魔術師である姉さんなら先輩の事を何とかできるかもしれない。
「姉さん、先輩が! 先輩の体がっ!」
「っ、どいてなさい桜!」
わたしの声で正気に戻った姉さんは、すぐに先輩の体の状態を確認し始めた。
もう大丈夫。
姉さんが何とかしてくれる。
きっと先輩は元気になる。
また「桜」ってわたしの名前を呼んでくれる。
不安な気持ちを覆い隠すように、自分に言い聞かせる。
けれど、姉さんの口から残酷な事実が告げられる。
「桜……残念だけど、
姉さんはいつもより冷たい感情の篭らない声で、淡々と事実を述べる。
だけど、その拳は血が滲むほど強く握り締められていた。
え? 何言ってるんですか姉さん? 先輩は先輩ですよ? 姉さんもわたしに意地悪するんですか?
あ、それとも2人でわたしをからかってるんですか? 全然ダメですよ。そんなんじゃ、わたしは騙されません。
だって……。
「だって! それじゃあ、今までわたしを護ってくれてたのは誰だったっていうんですか!? 本当に抜け殻だって言うんなら、そんなことできるはずないじゃないですか!!」
叫ぶように怒鳴る。
怒っている筈なのに、凛には桜が泣いているように見えた。
「それは、たぶん
「
姉さんの声があまりにも冷たくて、つい声を荒げてしまう。
だっておかしい。姉さんの言うように先輩が抜け殻なのだとしたら、何故先輩は桜の花の下へ来たのだろうか?
何故わたしを護るかのように、この街に来た協会の魔術師を襲ったのだろうか?
「何でそんな事をしていたのかは私にも分からない。でも、そいつにはもう自我が残ってないのよ……。おそらく、アーチャーの腕に侵食された影響で
姉さんが何か喋っているが、わたしにはもう聞こえていなかった。
やっと、やっと会うことができたのに。
先輩は、わたしの名前を呼んではくれない。
一緒に料理を作ってはくれない。
もう二度と、わたしに笑いかけてくれない。
桜がその場に崩れるように座り込んだ時、突如空間に裂け目ができ、黒い外套を纏った白髪で髭の生えた老人が現れた。
「やれやれ、こんな所におったのか遠坂」
「だ、大師父!? どうしてこんな所に!」
姉さんの驚きの声に、わたしの意識は少しだけそちらに向けられた。
姉さんが倫敦に渡る前に話してくれた気がする。
冬木市の聖杯を作るのに関わった人で、遠坂の系譜の祖 キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグ。
現代の五人の魔法使いの一人にして、死徒二十七祖の第四位でもある凄いお爺さん。
確か、姉さんはこの人に弟子入りしていると言っていた。
「どうしてだと? 今日はお前達に出した課題を見る日だろう? それなのにお主はおらず、エーデルフェルトの話によれば 日本の冬木に向かったというではないか。それでワシがわざわざ倫敦から来てやったのだ」
「あ……す、すいませんでした!!」
冬木に魔術師が送り込まれている事を知った凛は桜が心配で慌てていた為か、うっかり
「……護らないと」
「えっ? 先輩?」
先程までどんなに声をかけても返事がなかった先輩は、小さく呟いて立ち上がり姉さん達の方へ歩いていく。
「む?」
「え?」
凛達のほうへ向かう士郎の両の手には、いつの間にか『
「ふむ。この小僧は何者だ遠坂」
「ぁ……」
ゼルレッチの質問に答えられず、口を噤んでしまう凛。
士郎は歩みを止める。距離にして約3メートル。一瞬にして間合いを詰められる距離である。
「まあよい。まずはアレを止めてから、じっくりと聞かせてもらおう」
「……はい」
凛は宝石を、ゼルレッチは洞窟で凛が使っていたモノのオリジナルである宝石剣を構えた。
そんな! 姉さんもゼルレッチさんも、先輩を攻撃するつもりだ。
やっと会えたのに。
やっと先輩が帰ってきたのに。
「止めてください!」
わたしは咄嗟に先輩と、姉さん達の間に割って入った。
「どきなさい桜。ソレは、もう士郎じゃないのよ。放っておいたら、何をするか分からない」
「そんな事ありません! この人は先輩です!」
凛には桜の気持ちが痛いほど分かった。できれば助けてあげたかった。
でも、
「ソレが士郎だって言うのなら、何で私達に剣を向けるのかしら?」
「そ、それは……」
桜は俯いてしまう。
わかっている。
アレは、先輩の形をしているだけで、先輩じゃないかもしれないという事くらい。
だけど、わたしを協会からの魔術師から護ってくれていた。
毎年、わたしとの約束を守って桜の木の下へ来てくれていた。
頭では分かっていても、そう簡単には割り切れない。
「すまんな、お嬢ちゃん」
「あっ……」
いつの間に移動したのか。桜の横に現れたゼルレッチが桜の額に触れ何か呟くと、桜はその場に崩れ落ちた。おそらく催眠系の魔術だろう。
それと同時に、先程まで静止いていた士郎が一瞬にしてゼルレッチに斬りかかった。
「大師父!!」
「心配するな、大事無い」
士郎が斬りかかるより一瞬早くその場を離脱したゼルレッチが桜を抱え凛の横に着地する。
完璧に避けたと思ったが、ゼルレッチの外套が斬られていた。
「宝具の投影とはこれまたやっかいな。ワシも直撃を食らえば拙いな。遠坂、お主は危険だから下がって援護せよ」
「はい!」
凛は周囲に人避けと、魔力を遮断する結界を張り、宝石魔術で士郎の足を止めを試みるが士郎は止まらない。
その間に、ゼルレッチは宝石剣に魔力を収束し始める。
ゼルレッチには手加減する気がないようだ。そもそも、手加減という言葉を知っているかどうかも怪しい。
「ワシに喧嘩を売るヤツなんぞ何百年ぶりか。血が滾るわ!」
宝石剣から高密度の魔力が放たれる。
それは、あの日凛が影達を切り裂いたのと同じ戦法である。
後の事など何も考えず放たれた一撃は、容赦なく士郎を飲み込んだ……かに見えた。
「ほう?」
「うそ……!?」
いつの間に投影したのか、士郎は『
「はっはっは、魔力は効かんか! ならば肉弾戦しかあるまい」
ゲイ・ジャルクを使われては魔力による攻撃は効果がない。
そう考えたゼルレッチはあろう事か宝石剣をしまい、士郎に直接殴りかかっていった。
「ふん!」
ゼルレッチが士郎を殴ると、人とは思えぬような金属音と共に数メートル吹き飛んだ。
「重いな、もっと吹き飛ぶかと思ったのだが……」
ゼルレッチは士郎を殴った拳を見つめる。
全身が剣で覆われた士郎を殴った為、皮と肉が裂け血が噴出し骨が顔を出している。
「全身が刃とは、まさに剣の化身だな。やれやれ、殺すにしろ止めるにしろ。長期戦になりそうだ」
こうして、魔法使いとその弟子VS剣の化身の戦いが始まった。
「う、ん……?」
あれ? わたしは何をしていたんだっけ?
そうだ、確か先輩を見つけて、それで……
「はっ、先輩!?」
そうだ、ボロボロの先輩の前に、ゼルレッチさんが現れて戦いを!
さっきまでの事を思い出した桜は、体を起こす。
そこで見た光景は……
「え、何……これ」
剣の残骸があたり一面に落ちていて、その中心には体中の剣がボロボロに砕かれている士郎と、同じく服や拳がボロボロになったゼルレッチがいた。
そして、2人と少しはなれた所で肩で息をする凛。
「はぁっ!」
凛が士郎の足元に投げた宝石が小さく爆発し体制を崩す。
「うぉぉおおお!!」
体制の崩れた士郎を殴ったゼルレッチは、拳に仕込んだ宝石を零距離で開放し剣の鎧を破壊しながらダメージを与える。
しかし、士郎は呻き声ひとつ漏らさず立ち上がり、投影した剣を次々に投げつける。
あれではまるで
「くっ!」
その時、凛が弾いた剣が桜の方へと飛んでしまう。
「桜っ!」
「え?」
回転しながら飛んでくる剣。
だめだ、避けられない。
後数秒もしないうちに、あの剣は私の命を奪うだろう。
桜だけの正義の味方になると誓った士郎の剣で、桜が命を落とす。
ああ、それはなんという皮肉。
なんという悲劇。
なんという不幸だろう。
わたしは死ぬんですね。
やっと、自分の為にできる事を見つけたのに。
やっと、先輩に会えたのに。
でも、しょうがないですよね。
だって、わたしは先輩との約束を守れていなかった。
先輩は毎年桜の花を見に来ていたのに、わたしは家にこもってばかりで、それに気づけなかった。
ごめんなさい、先輩。
死を覚悟した桜はゆっくりと目を閉じる。
しかし、いつまでたっても死の瞬間は訪れない。
死の瞬間は時間の流れがゆっくりと感じると聞いたことはあるが、それにしても長すぎないだろうか?
意を決して、桜は目を開けてみる。その桜の目に映った光景は───。
「先輩……何で」
そこには、胸に剣を突き刺した衛宮士郎が立っていた。
士郎は振り返り、虚ろな瞳で桜を見つめている。
涙が溢れた。
その理由は悔しさ。
また護られてしまった。
本当ならば、今まで護っていてくれた恩を返さなければいけないのに。
ボロボロになりながら、生きているはずのない体の先輩に。
またわたしは護られてしまったのだ。
涙が溢れた。
その理由はうれしさ。
また護ってくれた。
姉さんは、先輩を抜け殻だと言った。魔力で動かされているだけだと。
けれど、目の前に立つ先輩の目は確かに語っていた。
────桜は、俺が護る
先輩は抜け殻なんかじゃなかった。
この衛宮士郎は、確かに
胸に刺さった剣が致命傷だったのか。それとも、もともと限界だったのか。
衛宮士郎は、その場に力なく崩れ落ちる。
「先輩!」
倒れる先輩に駆け寄ったが、その時姉さん達のことを思い出す。
振返ると姉さんとゼルレッチさんは、こちらに向かってゆっくり歩いてくる。
もしかして、先輩に止めを刺そうとしている?
そう思った瞬間、桜は両手を広げ士郎を護るように2人の前に立ちはだかった。
「……」
「……」
しばらくの間見つめ合う桜とゼルレッチ。
だが、その緊張をぶち壊すようにゼルレッチは盛大に笑い出した。
「ふ、ふははははははは! 娘を護る為にワシに挑む小僧に、小僧を護ろうとする為にワシの前に立つ娘か。おもしろい!」
いきなりの事で状況がつかめず、頭には疑問符が浮かんでしまう。
見れば、姉さんは頭を押さえてため息をついている。
「そう心配するな。ワシはあくまで小僧が牙を向けてきたから払っただけだ。動かぬのなら止めを刺す気はない」
とりあえずゼルレッチさんは、これ以上先輩に何かする気はないらしい。
「さて、ではとりあえず」
ゼルレッチさんは姉さんの方を見る。
「小僧の事や、この娘の事など。いろいろと聞かせてもらうぞ遠坂」
「は、はい」
話が長くなる為、全員で衛宮邸へ移動する。
家に着くと先輩を寝かせ、姉さん達ができる限りの治療をしてくれた。
その後、姉さんはゼルレッチさんに事の全てを説明した。
第五次聖杯戦争の真実。
衛宮士郎について。
桜が聖杯と繋がった事で永久機関となり、無尽蔵の魔力が溢れている事。
度々冬木の町に協会からの使者が送られていた事。
大聖杯破壊後から今日まで、士郎がしていたであろう事。
「そうか、その小僧はエミヤというのか……」
「大師父?」
ゼルレッチの意味深な発言に、凛は首をかしげる。
「なるほどな」
しかし、ゼルレッチはお茶を飲みながら うんうん と頷いて、ひとりで納得してしまったようだ。
「大師父。士郎は何故あんな体で、動いて……しかも、的確に協会からの使者を襲ったのでしょうか?」
それは、わたしも気になっていた。先輩が先輩であることは変わりがない。
けれど、今の先輩が普通の状態ではないこともわかっている。
「そうだな。これは推測だが、小僧が汚染された聖杯を破壊した時に、浄化された無色の魔力に願ったのだろう」
いったい先輩は何を願ったのだろう?
先輩は聖杯に願うような願いはなかった筈なのだけれど。
「小僧が……いや、衛宮士郎が最後に望んだことは。間桐桜、お主を護るという事だ」
「えっ?」
「その願いを聖杯が叶え、動けないはずの体を間桐桜に害成す者に対して反応する様にしたのだろう」
「そういうことか」
凛は納得いったという顔をする。
それならば全て辻褄が合う。
一般人の被害者は出ず、聖杯戦争のことを調べにきた協会の使者のみが襲われたことも。
ゼルレッチが桜に催眠の魔術を使った瞬間、攻撃を仕掛けてきたことも。
「じゃあ、桜並木の下にいたのは何で……?」
「そこまではわからん。ただあるとすれば、衛宮にとって自我を失って尚守りたかった大切な約束だったのだろう」
それは魂にまで刻み込まれるほどの大切な約束。
────いつか冬が過ぎて、春になったら……二人で櫻を見に行こう
また涙が溢れ出してくる。
先輩が生きていただけでも嬉しかったのに。もう何も考えられないような体になってまで、わたしとの約束を覚えていてくれた。
ポロポロと涙を流す桜を、凛とゼルレッチの2人は彼女が泣き止むまで温かく見守っていた。
「さて、ではそろそろ帰るか。いくぞ遠坂」
「はい」
玄関へと向かう2人をわたしは見送る。
「協会の連中にはワシがキツく言っておくから、安心するといい」
「じゃあね桜。一段落したら、またくるから」
「はい。何から何までありがとうございました」
それじゃ。と言って姉さん達は倫敦へと帰っていった。
2人には感謝してもしきれない。
先輩の体を見てもらったことだけじゃない。おそらく先輩はもう長くない。それはわたしにだってわかった。
でもその話題を一度も口にしなかった。
「……先輩の様子を見に行かないと」
先輩の寝ている部屋へ行く。
先輩、早く起きてくださいね。
わたし、先輩に聞いてほしいことたくさんあるんですよ?
「……ぁ、わたし?」
いけない。寝てしまった。いつ先輩が起きるかわからないのに寝ちゃだめだ。
頭を振って、目を覚ます。先輩の布団を見ると、もぬけの殻になっていた。
「あれ?」
先輩どこいったんだろう? まだ寝ぼけているのだろうか?
先輩の姿が見えないというのに、とても冷静だ。
ふらふらと何かに引き寄せられるように、桜は縁側へと向かう。
縁側には誰かが座っていた。
「先輩?」
「久しぶりだな、桜」
あの楽しかった懐かしい日々と同じ、穏やかな笑みを見せてくれる先輩。
見れば先輩は起きて話せるようになっただけでなく、体中の剣も消えている。
それなのに、わたしはその事がまったく疑問に思えない。そう───まるで夢でも見ているかのように。
「どうした、桜?」
「あ、いえ。なんでもないです。……そうだ! わたし先輩に話したいことがたくさんあったんです!」
わたしは子供が親に話すように、先輩にあの日からの出来事を話した。
先輩がいなくて寂しかったこと。
衛宮の家の管理人になったこと。
最初は怖かったけど、だんだんと人前を歩けるようになったこと。
年に一つずつ、花を育てることにしたこと。
興奮気味で話すわたしの話を、先輩は静かな笑顔で、しっかりと聴いてくれた。
「そうか、ちゃんと桜は頑張ってたんだな」
そういって先輩はわたしの頭をなでてくれる。
嬉しいはずなのに、先輩がどこかへ行ってしまいそうな不安な気持ちになる。
「先輩は、もうどこにも行かないですよね?」
わたしがそう聞くと、頭を撫でていた先輩の手が止まる。
「うん……大丈夫だ。これからは桜と一緒にいるよ」
────それがたとえ、どんな形であったとしても
そんな、先輩の声が聞こえた気がした。
わたしの目からは、いつの間にか涙が零れている。
あれ? どうしたんだろう?
先輩はずっと一緒にいてくれるって言ったのに。何で涙なんかでるんだろう?
そんなことを考えていると、先輩の体が淡く光りだす。
「先輩体が……!」
「桜、俺はこれからずっと桜と一緒にいるけど、話すことができるのはこれが最後なんだ。だから、酷い事を言っているのはわかるけど、泣き顔じゃなくて笑顔を見せてくれないか?」
それは、静かにわたしの話を聴いてくれていた先輩が、唯一わたしに望んだこと。
わたしは今までいろんなものをもらってきた。
たくさん先輩に護ってもらってきた。
そんなもらってばかりのわたしが、先輩になにかあげられるというなら。
わたしは先輩の為に、とびっきりの笑顔を贈ろう。
「先輩───大好きです」
「ああ───俺も桜が大好きだ」
桜は涙で濡れてはいるが、今迄で一番のとても可愛らしい笑顔。
士郎は穏やかな、けれど愛しいモノを見つけた暖かな笑顔。
互いに最高の笑顔を残し、衛宮士郎の体は光となって消えた。
「先輩っ!!」
消えてしまった先輩に手を伸ばす。
しかし、目の前に映ったのは天井。
「あ、れ?」
今自分は布団の中にいる。
あれは夢だったのだろうか?
まだ眠さの残る重い体を動かし、昨夜士郎と話した縁側へと向かう。縁側には誰もいない。
やはり夢だったのかと思い、ふと庭を見ると何かが地面に突き刺さっている。
「何だろう?」
わたしは靴を履くのも忘れ、裸足のまま庭へと出てソレの下へ行く。
「これは……刀?」
庭に刺さっていたのは一振りの刀。
鏡のように輝く刀身。
鍔はなく、柄にも何も装飾は施されていない。
恐る恐る刀に触れると、暖かな気持ちになる。
まるで、先輩が近くにいるような……
「はっ!」
何かに気づいた桜は、刀を持ったまま士郎の寝ているはずの部屋に向かう。
しかし、部屋には誰も寝ていない布団が敷いてあるだけだった。
桜は気づいてしまった。
昨日のことは夢ではなかった。
士郎の言った「一緒にいる」けど「話せない」とはこういうことだったのだ。
この刀は、衛宮士郎なのだ。
「先輩……」
その日、桜はこのことを忘れない為に、刀の刺さっていた場所に小さな桜の木の苗を植えた。
それから数十年……
春になった。
最近は体が思うように動かない。
わたしはいつも通り、庭に出て水を撒く。
年に一つずつ花を植えていただけあって、今ではちょっとした花畑になっている。
「せんせー! 手伝いに来ましたよー!」
教え子がやってきた。
わたしは独学で大した腕もないのに、教えを請いに来る生徒ができた。なんと姉さんの娘だ。
相手の人には一度しか会ったことはないが、とてもやさしい人だったことは覚えている。
新しい遠坂の跡継ぎは、両親に似てとてもいい子だ。
光を撒く。
定位置になった揺り椅子に座って、庭の風景を眺める。
あの人にも見えるよう、傍らには刀が置いてある。
色鮮やかな花畑の中心に咲く、きれいな桜の花。
「あ、先生寝ないでくださいね。終わったら、昔の話し聞かせてもらうんですから」
それは、わたしにとっても楽しいことだ。
思い出せることなんて言葉だけになったけど、
言葉は口にするだけで物語になって、懐かしい日々を繰り返す。
「あ、笑った。わたし、先生の笑顔好きだな。うちの強欲ばーさんと違って、すごい美人なんだもの」
ふふっ。
そんなこと言ったら、姉さんが怒っちゃいます。
陽射しは暖かく、時間は緩やかに、時に責め苦のように過ぎていく。
約束の日をより楽しむ為に、永く種を撒き続ける。
贖いの花。
わたしの罪が赦されるまで、あなたとともに、ここで春を彩り続けましょう。
そうして、また春になった。
年月は瞬きほど。
目蓋を閉じて開く。
庭には、一面の花畑と一本の桜の木。
ゆっくりと、一歩一歩時間をかけて歩き、ようやく桜の木の下へと着く。その手には一振りの刀。
何も装飾がないのは寂しいと感じたのか、その柄の部分には彼女が大切な姉から譲り受け、いつも身に着けていたリボンと聖骸布を魔力を込めながら縫い合わせた、赤紫の布が巻かれている。
「先輩……わたしも、そろそろですかね?」
死期が近いのか、体は動かしづらいはずなのに妙に軽い。
「先輩知ってましたか? わたし本当は先輩じゃなくて「士郎さん」って、名前で呼びたかったんですよ?」
呼びたくても、恥ずかしくて呼べなかった。
「だから、最後くらい呼んでもいいですよね士郎さん?」
けど、今はもう呼んでも返事をしてくれない。
「久しぶりだな。間桐桜よ」
現れたのはゼルレッチ。
彼と会うのは、士郎さんと再会し別れた日以来である。
「こんなところまで、わざわざすいません。
「うむ。承知した」
ゼルレッチさんを呼んだのは、他でもないわたしだ。
独学で魔術の勉強をしているうちに、わたしは
姉さんにも見てもらったところ、どうやら
本当はすぐに渡したほうがよかったのだけれど、それは乙女のわがままです。
「……士郎さん」
なんだか眠くなったきた。
わたし、もう寝ますね。
おやすみなさい。士郎さん。
「……」
櫻の木の下で、静かに眠る桜と士郎。
「……逝ったか」
宝石翁は刀を拾い、櫻の花を見上げる。
「
とある世界のエミヤは全ての人を
この世界の衛宮は一人を
一陣の風が吹き、桜の花びらが舞う。
花びらが舞うのと同時に、宝石翁は姿を消した。
こことは違う一つの世界で、
だが、それまた別の物語。
剣と桜の話はここで終わる……。
~完~
読んでいただきありがとうございました。
短編は初なので上手く纏められたかわかりませんが、楽しんでいただけたら幸いです。
あらすじに書きました通り、「正義の味方にやさしい世界」のスピンオフ作品となっておりますので、今後ゼルレッチの持っていった刀がどうなるか気になる方は読んでみてください。
それでは、ありがとうございました!