王都の喧騒を抜け、俺たち一行は指定された集合場所である安宿へと向かっていた。
道中、俺の前を歩くラキュースの様子がどうにもおかしい。何度もこちらをチラチラと振り返っては、何かを決心したように小さく深呼吸を繰り返している。
「……ハチ、みんな。一応、中に入る前に言っておくわ」
宿の薄暗い廊下で立ち止まり、彼女は頭痛を堪えるように眉間を押さえた。
「これから会う私の叔父は、正直に言って……かなり顔を顰めるような、破天荒で不謹慎な人物だから。失礼があっても、気にしないでちょうだい」
「……そんなにクソなのか?」
俺が死んだ魚の目で尋ねると、彼女はひどく疲れた顔で小さく頷いた。
そして、案内された一室。
その木製の扉の前に立った瞬間、防音魔法の隙間から「あぁん、いいわぁ~」「もっと、アズス様ぁ~」という、明らかに昼下がりのビジネスミーティングとは思えない、いやらしい女の嬌声が漏れ聞こえてきた。
「…………マジかよ」
俺は思わず低い声で呟いた。真っ昼間から安宿で女を侍らせている叔父。親戚の集まりにいたら、間違いなく母親から「あの人には近づいちゃダメよ」と耳打ちされるタイプの、本物のクズ(ろくでなし)だ。
ラキュースが屈辱に耐えるように意を決して扉をノックすると、中から「入っていいぞぉ~」という、これまた緊張感の欠片もない間延びした男の声が返ってきた。
「……じゃ、俺はお前たちの後ろで適当に見張ってるから」
俺は小声でティアとティナに告げると、その場で《隠密》と《不可視化(インビジビリティ)》を同時に発動させた。
一瞬にして気配ごと完全に消失した俺を見て、双子は驚愕に目を見開いたが、すぐに「さすが先生」と言わんばかりの信頼の眼差しを向け、無言で頷き返してくれた。
扉が開くと、案の定、美女を左右の膝に侍らせた初老の男――『朱の雫』リーダー、アズス・アインドラが、だらしない笑みを浮かべて座っていた。
「叔父様、いい加減にしてください。これから大事な話し合いの場だと言うのに……」
ラキュースが、軽蔑の眼差しを向けて抗議する。
「別にいいだろう? ヤッてる訳じゃあるまいし」
アズスは悪びれもせず、ニヤニヤと笑いながら侍らせている女の豊かな胸を無造作に揉みしだいた。
「ひゃんっ」と女が艶めかしい声を上げる。
「……やれやれ。呆れてものも言えんな」
その光景に、イビルアイが心底うんざりしたような深いため息を吐いた。
「――《魅了(チャーム・パーソン)》」
イビルアイが投げやりな動作で魔法を放つと、女たちはふっと虚ろな目になり、フラフラと立ち上がって、素直に部屋から奥の寝室へと引っ込んでいった。それを見たティアとティナのコンビが、背後で「グッジョブ」とばかりに小さく親指を立てている。
「あーあ、つまんねえの」
アズスがボヤいた、その直後だった。
「誰か来る!」
入り口付近にいたティアとティナが、鋭い声で警戒を促した。
扉から、新たな『四人』の闖入者が部屋へと入ってきた。
装備の質、そして何より纏っている特異な空気。
(……誰だこいつら? 俺の不可視化を見破ってないところを見ると、そこまで強いってわけではなさそうだけど……)
俺は壁際に同化したまま、油断なく彼らを観察した。
先頭に立つ金髪の優男――どうやら交渉役らしい――が、洗練された愛想のよい笑みを浮かべて口を開いた。
「皆さま、お集まりのようですね」
その挨拶に被せるように、優男の後ろに控えていた大柄な男が、持っていた巨大な戦斧をわざとらしく床へ「ドンッ!」と叩きつけた。部屋全体が微かに揺れるほどの威圧感だ。
アズスは少しも怯むことなく、ニヤリと笑って軽口を叩いた。
「おいおい、遅れてやって来たくせに、そんな危ない気配を撒き散らすんじゃねえよ」
すると、大きな球体に乗って浮遊している魔法使いっぽい女(以下、魔女)が、アズスを忌々しげに睨みつけた。
「娼婦を連れてきたくせに偉そうね、おっさん」
「っは! こんなところに呼ぶもんだからよぉ、少し嫌がらせをしたいと思ってな」
アズスが悪びれもせずに答えると、魔女は「ッチ!」と露骨に舌打ちをした。
部屋のムードが一気に悪化し、空気の重さが増す。
「まぁまぁ、それぐらいにしていただけると助かります」
金髪の優男が、空気を読むように柔らかく間に入った。
魔女は深いため息を吐きながら、「今回はクゥちゃんがリーダーだから従うけどね」と、辛うじて剥き出しの殺意を引っ込めた。
(……いつでも動けるようにしておくか)
俺は短剣の柄を握り直し、静かに彼らの死角に位置取った。
空気が少し落ち着いたところで、金髪の優男が本題に入る。
「それでは早速ですが、アズス・アインドラ様。それにこの場にいらっしゃらない『朱の雫』の方々、そして『青の薔薇』の皆様。私どもは皆様をスカウトしに参りました」
その提案に、蒼の薔薇の面々が驚愕に目を見開く。
アズスが探るような目で問うた。
「お前ら、どこの国の者なんだ?」
その質問に対し、再び魔女が苛立ちを露わにした。
「そんなことどうでも良いじゃない、調子乗るんじゃねぇよおっさん」
ビリッ、と。今度こそ本気の殺意が魔女から放たれた。
(……動くか)
俺は音もなく行動を開始した。
部屋に入ってきた時から、この連中と一緒に入室し、ずっと俺と同じく『不可視化』で隠れていた奴が一人いる。
俺はそいつの真後ろに立ち、背後から腕を回して喉元を締め上げ、人質に取る形で自らの《不可視化》を解除した。
「「「「ッ!!?」」」」
突如として虚空から現れた俺の姿に、場が凍りついた。
蒼の薔薇の面々は、「今まで隠れていたのが八幡だけではなかった」という事実に驚き、侵入者たちは「味方がいつの間にか正体不明の男に背後を取られていた」ことに驚愕し、慌てて武器を構えようとする。
「やめとけ、殺すぞ」
言葉は短いが、俺は明確な殺意とレベル差による絶対的な威圧を彼らに叩きつけた。
ピタリと、四人の動きが止まる。
「ハチ、お願い放してあげて」
ラキュースの静かな声が響き、俺は「はいはい」と心の中で呟きながら、大人しく人質を突き飛ばして解放した。
状況の異常性に、金髪の優男は冷や汗を拭いながらも冷静さを取り戻そうと努め、尋ねてきた。
「……そちらの方は?」
ラキュースは一瞬、顔を赤らめて口ごもった。
そして、部屋の全員に向けて爆弾を落とした。
「……私の、婚約者よ」
「「「「え?」」」」
ラキュースと漆黒聖典の連中以外――つまり、アズスや双子、イビルアイが、一斉に素っ頓狂な声を上げた。
俺も内心で(えぇぇぇ!!)とひっくり返りそうになったが、ここでポーカーフェイスを崩せば全てが台無しになる。俺は徹底的に無表情を貫き、沈黙を守った。
「おいおい! なんだそりゃ! 聞いてねぇぞ! だいたいどこの馬の骨なん……」
「叔父さん、あとで説明します」
アズスの混乱したツッコミを、ラキュースが有無を言わさぬ声でピシャリと遮った。
俺は壁際に寄りかかりながら、(……本当に説明してくれるんだろうな?)と、遠い目をしながら心の中で毒づいた。
金髪の優男は軽く咳払いをして、仕切り直す。
「まぁ、いいでしょう。そちらの問題はそちらで後で片付けてください。……あなたもどうですか? ぜひスカウトしたいと思いますが?」
俺にも水を向けてきたが、俺はそいつを一瞥しただけで、フル無視を決め込んだ。何も答えない。
優男は「やれやれ」と肩をすくめ、脈なしかと判断してアズス達に向き直った。
アズスもいったん冷静さを取り戻し、顎に手を当てて推測を口にする。
「……お前ら、法国の人間だな?」
「法国だと?!」
その言葉に、イビルアイが驚愕の声を上げた。
アズスは意に介さず、さらに続ける。
「法国ご自慢の英雄部隊、漆黒聖典だな」
彼は視線を巡らせ、先ほど戦斧を鳴らした大柄な男を見た。
「一人、英雄を逸脱したやつもいるみたいだがなぁ」
そして、壁際に寄りかかる俺をチラリと見て付け加えた。
「……ま、そっちにも逸脱してるやつがいるけど」
俺はここでもフル無視を貫く。
アズスは「フン、気に食わねぇ男だ」と忌々しげに鼻を鳴らした。
大柄な男が、好戦的な笑みを浮かべてアズスを見下ろす。
「色々と知っているようだな。だが、今日は良い日だ。強者に出会えたんだからな。蒼の薔薇のイビルアイ、少し手に余るな。……そして、そこの男」
大柄な男の獰猛な視線が俺を捉えた。
「お前かなり強いだろう。ここにいるやつら全員で戦って、やっとってところか?」
明らかな闘争本能を向けられたが、俺はやはりフル無視した。面倒くさいことこの上ない。
すると、アズスが交渉のテーブルをひっくり返すような提案をした。
「なぁ、法国の秘密部隊の皆さんよ。俺たちと協力して、魔導王と戦わないか?」
優男は表情一つ変えずに答えた。
「なるほど、アズス様のお考えは分かりました。……それでは『青の薔薇』の皆様はいかがでしょう?」
彼はラキュースたちに向き直り、静かに続ける。
「私どもは決して無理強いはしません。わたくしたちは本心から味方になって、将来の人のために協力していただきたいのです」
ラキュースが少し迷った様子を見せた後、弱々しく答えた。
「私『は』断るわ。みんなは……」
「私『は』とか言うんじゃないよ!」
言いかけたラキュースの肩を叩き、ガガーランが豪快な笑顔を向けた。
「俺たちもリーダーの意見に賛同するぜ!」
その迷いのないやり取りを見て、俺は思わずフッと微かに笑みをこぼした。
(……あいつが、この部屋の中で一番カッコ良いな)
優男は彼女たちの固い結束を見て、これ以上の交渉は無意味だと悟った。
「そうですか。説得しても無駄のようですね。皆様が魔導王に一矢報いてくださることを祈っております」
あっさりとそう言い残し、彼は漆黒聖典のメンバーを引き連れて、音もなく部屋から退出していった。
扉が閉まり、不気味なほどの静寂が残された。
部屋の中に、アズスと蒼の薔薇、そして俺だけが残されると、アズスがゆっくりと腕を組み、鋭い視線を俺に向けた。
「……さて。とりあえず、その男について……じっくりと説明してもらおうかな、ラキュース?」
「え、ええ……。その……」
ラキュースが顔を真っ赤にして口籠もる中、俺は遠い故郷・千葉の空を思い浮かべながら、窓から見えるどんよりとした王都の青空を見上げ、ただひたすらに現実逃避を続けるのだった。
挿絵のリクエストです。
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