「宣戦布告……。一ヶ月後、魔導国は我がリ・エスティーゼ王国に侵攻を開始する」
その絶望的な知らせが王都を駆け巡った、私はアインドラ家の実家へと呼び出された。
重厚な扉を開け、応接間に入ると、父と母が沈痛な面持ちで私を待っていた。
「……ラキュース。よく来てくれた」
父は深く息を吐き、静かに、しかし断固たる声で告げた。
「単刀直入に言う。私たちアインドラ家は、王国の貴族としてこの地に残り、運命を共にする。だが……冒険者であるお前は違う。王国を見捨ててでも、生き延びてほしい」
「そんな……!」
私は弾かれたように立ち上がった。
「私も残って、貴族として、王国のために戦います!」
「チームの皆様はどうするつもりだ?」
父の鋭い問いに、私は一瞬言葉に詰まった。
「……私だけ残ります。チームのみんなには、他国へ逃げてもらうつもりでいます……」
「馬鹿者!」
父の怒号が部屋に響いた。
「お前は、あのアダマンタイト級冒険者チーム『蒼の薔薇』のリーダーだ! リーダーが仲間を見捨ててどうする! チームを導かなければならないお前が、その責務から逃げるというのか!」
「お父様! それでも私は……王国の貴族として……!」
「くどい! とにかく、お前は王国から逃げるんだ!」
父の悲痛な叫びに、私は唇を噛みしめた。貴族としての矜持と、冒険者としての絆。その狭間で引き裂かれそうだった。
その時、母が優しく私の肩に触れた。
「ラキュース。お父様の気持ちも考えてあげて。……あなたに死んで欲しくないのよ」
「お母様……」
母は、寂しそうに微笑みながら説いた。
「此度の戦争、王国は魔導国に勝てないわ。魔導国の戦力を知っている貴族たちは、皆そう思っている。カッツェ平野での戦いで、魔導王はたった一つの魔法で七万もの兵を殺したと聞くわ。そんな化け物相手に、どうやったって王国が……いえ、人類が勝つ未来は、『今は』ないの」
母の言葉は、残酷な現実を私に突きつけた。
「でもね」
母は私の手を握り、温かい眼差しを向けた。
「あなたたちのような優秀な人たちが、生き延びて、人の新しい可能性と希望を、未来に紡いでいくのよ」
「人の未来を……紡ぐ……」
私は力なく呟いた。
「私に、できるのでしょうか。私はたまたま少し才能があっただけで、私以上に優秀な人はたくさんいます。私よりもずっと強くて……教えるのが上手くて……不器用だけど、本当はすごく優しい人が……」
私の脳裏に、あの気怠げで、死んだ魚のような目をした黒髪の青年――『ハチ』の顔がフラッシュバックした。
彼なら、この絶望的な状況で、どんな答えを出すのだろう。
「あら?」
母が、少しだけ揶揄うように微笑んだ。
「そうなの? その強くて優しい人は……男性じゃないのかしら?」
「えっ!?」
私は驚いて顔を上げた。
「ど、どうして分かって……。ハチをご存じなのですか?」
「いいえ、そのハチって人は知らないわ。でも……その人は、ラキュースにとって、とても大事な人なんじゃないかしら?」
母はクスクスと笑った。
「どうして……! いや、あの、そういうわけじゃ……!」
私は顔がカァァッと熱くなるのを感じ、慌てて否定しようとした。
「私はあなたの母親よ。それぐらい分かるわ」
母は愛おしそうに私の頭を撫でた。
「あなた、ここ最近、とてもイキイキしていたし……きっと恋してるんだろうなぁって思っていたの。それに……」
母の視線が、私の髪を留めている飾りに向けられた。
「頭のソレ、『月下銀晶(げっかぎんしょう)』でしょ? 花言葉はたしか、『永遠の愛』。……ハチって人から貰ったんでしょう? とても似合っているわよ」
「っ……!!」
私は両手で顔を覆った。
「そうなのか!? そいつはどんな奴なんだ! どこの馬の骨だ!」
父が急に慌てふためき始めたが、母がピシャリと制した。
「アナタ、野暮なことを言うもんじゃありませんよ。ラキュースももう大人なんだし、信じてあげましょうよ」
母は私に向き直り、優しく問いかけた。
「そのハチって人……素敵な人なんでしょう?」
「……はい」
私は、赤くなった顔を隠しながら、でも誇りを持って答えた。
「素直ではないけど……面倒見が良くて、優しくて……決して折れない、芯のある強い人です」
「そう。……良い人を見つけたみたいね」
母の満面の笑みに、父も毒気を抜かれたように息を吐いた。
「ふぅ。……そうだな、ラキュースももう大人なのだな。……だったら、もう何も言わない。お前の自由に、後悔のないように生きるが良い」
父と母が、私に温かい笑顔を向けてくれた。
「お父様、お母様……っ」
涙ぐむ私を、母は「そろそろ、チームの依頼なのでしょう。行ってきなさい」と優しく見送ってくれた。
実家を出て、チームの集合場所へと歩く。
その道中、私の心はハチへの想いで満たされていた。
あの王国の特訓以来、彼には会えていない。
(私は今後、どうすれば良いの……。チームのみんなを逃して、私一人でも魔導国に立ち向かうべきなのか……それとも……)
ハチ。アナタだったら、どういう答えを出すのかしら。
私がもし間違った道を選びそうになったら、アナタはまた、あの死んだ魚のような目で、呆れながらも正しい道を示してくれるのかしら。
(ハチ、アナタに会いたい……。会って相談したい……アナタは今、どこにいるの……?)
空を覆う暗雲のように、私の心は少しずつ重く沈んでいった。
そして、重い足取りのまま、集合場所である広場に到着した時だった。
「みんな、待たせたわね……って、えええっ!?」
そこにいたのは、信じられない人物だった。
死んだ魚のような目、特徴的な前髪。そして、見違えるほど禍々しく強力な装備を身に纏った、私が今一番会いたかった人。
「ハチ!? 嘘、どうして貴方がここに……!」
驚愕で目を丸くした私だったが、次の瞬間には、抑えきれない感情が体を動かしていた。
私はズンズンと彼に歩み寄り、ガシッとその両手を取った。
「あ、ああ……! 神よ、感謝します! 貴方がまた、私の前に現れてくれたのね……!」
顔が真っ赤になっているのが自分でも分かった。乙女全開の瞳で彼を見つめてしまう。……彼は少し引いているようだったけれど、そんなことはどうでもよかった。
「お、おい、落ち着け。実はな……」
ガガーランが、彼が仕事帰りで偶然会ったことを説明してくれた。
「この後の集会に、ハチを護衛として雇うってのはどうだ?」
ガガーランの提案に、私の胸は高鳴った。彼と少しでも長く一緒にいられる。
でも……。
私はハッと我に返った。これから会うのは、あの破天荒で厄介な叔父・アズスだ。正直、あんなだらしない叔父の姿を、彼やチームのみんなには見せたくない。話を聞くだけなら、私一人で十分だ。
「……ハチが護衛についてくれるのは、これ以上ないほど心強いわ。でも……部外者の貴方を、危険な集会に巻き込むのは……それに、あの叔父に会わせるのはちょっと……」
私が迷う素振りを見せると、ハチはジッと私の瞳を真っ直ぐに見つめ返してきた。
そして、周囲には聞こえないほど小さな、だけど力強い声で囁いた。
「……ラキュース。俺に、お前達を守らせてくれないか」
ドクンッ、と。
心臓が跳ね上がった。
(かっこいい……っ!)
いつもは気怠げな彼が、今日は禍々しい装備に身を包み、真剣な眼差しで私を見つめている。そのギャップと、彼からの「守りたい」というストレートな言葉に、私の顔はボンッ! と音を立てる勢いで限界まで赤く染まった。
「そ、そそそ、そういうことだったら……! 喜んで、お願いするわ……っ!」
こうして、私は愛しい彼を「臨時護衛」として迎え入れ、叔父の待つ宿へと胸を高鳴らせながら向かうことになったのである。
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