(……どうして、こんなことになってしまったの)
王都の屋根を飛び移りながら、私は前を走るハチの背中を見つめ、ひたすらに自己嫌悪に陥っていた。
あの場を収めるために、「婚約者」だなんて突拍子もない嘘をついてしまった。
漆黒聖典に対して「ただの護衛」だと言えば、依頼主である彼らを信用せず、最初から戦闘を想定して伏兵を潜ませていたという証明になってしまう。だから、あれは必要な嘘だったのよ。……でも、心のどこかで、私の理想を、一番言いたかった言葉を口にできたことに、密かな満足感を感じていた自分も確かにいた。
けれど、ハチは怒った。「何をめんどくさい事にしてくれてんじゃ!」と。
その瞬間、私の胸はギュッと締め付けられた。あぁ、彼は、私の婚約者だなんて設定にされるのが、心底嫌だったんだ。私とそんな関係に思われることが、迷惑だったんだ。
そう気づいた途端、視界が滲んで、ボロボロと涙が溢れて止まらなくなってしまった。
私のせいで、彼を望まぬ戦いに巻き込んでしまった。
私は屋根を蹴り、並走するようにハチの隣へと並んだ。
「ハチ……無理に戦わなくて良いのよ。私が叔父さんを説得すれば、ちゃんと誤解を解けると思うから……」
申し訳なさで胸を痛めながらそう告げると、ハチは視線を前に向けたまま、気怠げな声で答えた。
「別にいい。どうせ、必要な事だしな」
「それって……」
私はハッと息を呑んだ。
必要なこと。どうして? 叔父様と戦うことが?
……まさか、叔父様に力を見せつけて、私との関係を本当に認めさせるために、わざわざ戦ってくれると言うの……!?
熱が一気に顔に集まり、頬がカァッと赤く染まる。何かを言いかけた所で、私たちは目的地の広場に到着してしまった。
広場の中央には、見たこともない真紅の未知のからくり鎧――異常なまでの重装甲を身に纏ったアズス叔父様が、腕を組んで待ち構えていた。
「人払いは済ませておいた。……いいか。もし俺に勝ったら、ラキュースの婚約者として認めてやる。だが、負けたら潔く身を引け。金輪際、ラキュースの目の前に現れるな」
いかにも身内を心配する叔父といった、真面目なトーンだった。
その言葉に、私の心臓が嫌な音を立てる。ハチが私の前からいなくなる? そんなの、絶対に嫌。
「別に認めてもらおうなんて思ってねぇよ」
ハチは肩をすくめ、さらりと叔父様の要求を突き返した。
「ただ、俺が勝ったら……なんでも一つ、言う事を聞いてもらうぞ」
ドクン、と胸が小さく跳ねた。
彼が叔父様に要求したいことって、何? 認めてもらう必要はないと言いながらも、私に関する何かを……?
ほんの少しの期待に胸をときめかせていると、叔父様の纏う空気がピリッと引き締まった。
「良いだろう。勝ったらそんくらいの権利はあるだろうからな。だが……」
真紅の重装甲から、息が詰まるほどの殺気が放たれる。
「これは言い訳でもなんでもないが、俺はこの後、魔導王との戦いが控えている。全力では戦わないが……英雄を逸脱した程度では勝てないと思え」
「ご忠告どうも」
私は息を呑んだ。普段のいい加減な叔父様が嘘みたいだ。歴戦の英雄としての本気の顔。
あの恐ろしいからくり鎧を前にして、ハチなら勝ってくれると信じたい。けれど、叔父様の冒険譚は子供の頃から嫌というほど聞かされている。未知の兵器を前に、いくらハチでも厳しいのではないか。最悪、命を落としてしまうのではないか……恐怖が足元から這い上がってくる。
ハチはイビルアイの方を向き、顎で双子たちをしゃくった。
「おい、巻き込まれないように、そいつら守ってやれ」
「フン、言われるまでもない」
イビルアイは被っていた仮面を外し、真紅の瞳でハチを見た。
「……勝てるのか?」
「さぁ?」
ハチは気負いなく肩をすくめた。
ティアとティナも、不安そうに顔を寄せる。
「先生! 本当に大丈夫なんですか?」
「はぁ……大丈夫かどうかはわかんないけど、お前ら、絶対に俺の戦い方を参考にすんなよ」
ハチは首をコキコキと鳴らしながら、軽い準備運動をした。
「やっぱりアンタは良い男だな!」と、背後からガガーランがバシッと彼の背中を叩く。
私は、たまらず一歩前に出た。
私の手には、以前、王国の特訓時にハチが適当に見繕って買ってくれた髪飾り――『永遠の愛』という花言葉を持つ月下銀晶を祈るようにギュッと握りしめられていた。
どうか、彼が無事でありますように。そして、勝って私のそばにいてくれますように。
「ハチ……頑張って」
「おう」
ハチは叔父様の方へと歩き出しながら、私に背を向けたまま、ヒラヒラと片手を上げて返事をした。
その背中が、いつもより何倍も大きく、逞しく見えた。
「ヒューッ」
ガガーランが私の横に立ち、ニヤニヤと笑いながら耳打ちしてきた。
「惚れた男が、婚約者として認めてもらう為に戦いに挑む。まさかこんな所で愛情劇を見るとは思わなかったぜ」
「ち、違うわよ! これは……!」
私は顔を真っ赤にしてガガーランを睨みつけたが、すぐに視線はハチへと戻っていた。
今まさに、戦いが始まろうとしていた。
「行くぞ!」
叔父様の声と共に、真紅の鎧が背部から青白い炎を噴き出し、凄まじい速度でハチに向かって突進した。手に持った異様な鉄の棍棒のような武器が、ハチを粉砕せんと横薙ぎに振るわれる。
「ああっ!」
私が悲鳴を上げかけた瞬間、ハチはその凶撃を、まるで舞いのように最小限の動きで華麗に躱してみせた。
「信じられない……!」
隣でティアが目を見開く。
「あの速度の突進を、あんな紙一重で……! 足捌きが完璧すぎる、まさに達人の領域!」
「流石にあたんねぇか! なら、コイツをどう捌く!」
叔父様は上空へと飛び上がり、その鉄の武器から、目にも留まらぬ速さで無数の礫(つぶて)を放ち始めた。
ハチは瓦礫などの遮蔽物を上手く使い、魔法のような暴撃をいなしていく。そして、手にしたクナイのようなものを投げつけた。
ボォォンッ!
上空でそれが炸裂し、叔父様の周囲に濃密な煙幕が展開された。叔父様が煙の中の影に向かって礫の雨を降らせるが、そこに落ちてきたのはただの丸太だった。
「《変わり身》!? いつ印を結んだの!?」
ティナが驚愕の声を上げる。
「凄まじい手早さ……! 私たちの目ですら、全く追えなかった……!」
その直後、完全に背後に回り込んでいたハチが、からくり鎧を壊さないよう、装甲の隙間を的確に狙って重い蹴りを入れた。叔父様が空中でバランスを崩し、吹き飛ばされる。
「クッソ! いってぇなぁ」
叔父様の肩から風の魔法が放たれ、煙幕が一掃された。ハチが何かを問いかけるが、叔父様は「秘密だ!」と叫び、今度は先ほどよりもさらに速い、絶望的な速度で突っ込んでいった。
逃げ場はない。ハチの体が重装甲の体当たりをモロに食らい、廃墟へと吹き飛ばされ、轟音と共に建物が崩れ落ちた。
「ハチーーッ!!」
私は喉が裂けるほどの悲鳴を上げた。
「おいおい嘘だろ……」
ガガーランが冷や汗を流して呻いた。
「今の突撃、ただの打撃じゃねぇぞ。あの未知の鎧の異常な推進力をモロに乗せた一撃だ。並の戦士なら、鎧の上からでも全身の骨が砕け散って即死してるぜ……!」
絶望で膝から崩れ落ちそうになったその時。
ガラガラと瓦礫を吹き飛ばし、土煙の中からハチが立ち上がってきた。
「へぇー、終わったと思ったんだがな。案外丈夫なのか?」
叔父様の軽口に対し、ハチは口の中の血を「ペッ!」と吐き出し、「いんや、充分にいってぇ攻撃だった。もうフラフラだよ」と、不敵にニヤケてみせた。
生きてる。無事だった!
私は胸を撫で下ろしたが、叔父様の容赦ない追撃が始まった。
「なるほど、お前にだったらもう少し本気を出しても大丈夫そうだな」
叔父様の肩の一部が変形し、そこから恐ろしい雷撃の魔法が放たれた。
「――《竜雷(ドラゴン・ライトニング)》!」
イビルアイが驚愕に叫んだ。
「馬鹿な! 詠唱もなしに第五位階相当の魔法だと!? あの鎧、高位魔法を封じ込めておく超常の機能でもあるというのか!」
ハチは上空へジャンプして雷撃を躱すが、空中に逃げた彼に向かって、叔父様が再び無数の礫を放つ。
ハチは腰の忍刀を両手に引き抜き、空中で姿勢を制御しながら、迫り来る弾幕を全て剣で斬り捌き始めた。
キンッ、カンッ! と火花が散る。
「剣で……礫を弾き落としてるってのか!?」
ガガーランが信じられないものを見るように目を剥いた。
「どうなってんだアイツの動体視力と反射神経は! 人間の域を完全に超えてやがる……!」
ハチはそのまま空中の見えない足場を蹴り、真正面から叔父様へと突っ込んでいく。叔父様が放った閃光弾で視界が白く染まり、光が収まった後……そこにハチの姿はなかった。
「……何! どこに行った?」
叔父様が周囲を見渡す。
「上だ!」
ティアが指差した空には、人間より少し大きいドラゴン?が宙に浮かび、その頭上にハチが立っていた。
「今度は高位の使役獣(サモン・モンスター)!?」
イビルアイが震える声で実況する。
「いったいどれだけの手札を隠し持っているのだ、奴は……!」
龍の口から放たれた目に見えない空気の塊が、叔父様を直撃した。真紅の鎧が空中で制御を失い、轟音と共に地上へと激突する。
土煙が晴れた時、倒れ伏す叔父様の首筋には、ハチの冷たい忍刀が突きつけられていた。
「俺の勝ちで良いよな?」
勝敗が決した。彼が、勝ってくれたのだ。
「あぁ、お前の勝ちで良い。ラキュースはお前のもんだ。結婚でもなんでも好きにしろ」
叔父様のその言葉を聞いた瞬間、私の頭から「淑女としての振る舞い」など完全に吹き飛んでいた。
「ハチーーッ!!」
私は歓喜の叫びを上げながら、全速力で駆け出し、彼の胸にドンッ! と勢いよく飛びついた。
「おいっ! なんだ! やめろ!」
彼が慌てて私を引き剥がそうとするけれど、絶対に離してなるものか。私は彼の服をギュッと握りしめ、顔を埋めた。
「ハチ、あなた無茶して……っ、でも無事で良かった……っ!」
安堵と喜びで涙が溢れてくる。私を婚約者として認めてもらうために、あの恐ろしい兵器を相手に、血を流してまで勝ってくれた。彼がどれだけ照れ隠しで「別にいい」なんて言っても、その事実が私をこの上なく幸せにしてくれていた。
少しボロボロになった叔父様を見て、身内として二割くらいは心配の気持ちがあったけれど、今は私を守ってくれた彼への想いが八割を占めていた。
叔父様がヘルムを外し、少し照れくさそうに笑う。
「おい、あんま見せつけんなよ」
(叔父様……)
不器用だけれど、私を心配してくれていたことだけは伝わってきた。
その時、叔父様がふと真面目な顔になり、ヘルムを被り直した。
「……そろそろ行かなきゃいけなくなってしまった」
空へ飛び立とうとする叔父様を、ハチが慌てて呼び止める。
叔父様は上空から、最後にこう言い残した。
「ラキュースを頼んだ! この国から逃してやってくれ!」
その言葉に、私は胸を冷たい刃で抉られたような絶望を覚えた。
あの絶対的な強さを誇る叔父様でさえ、王国の未来を完全に諦めている。やはり、私たちに生き残る道は逃げることしかないというの……?
けれど、同時に私の胸の奥で、小さな希望が温かく灯っていた。
私の腕の中には、この理不尽な世界で誰よりも強く、私を守るために戦ってくれた人がいる。もし、本当にこの国が滅びるとしても、彼が一緒に逃げてくれるなら。
「じゃあな!」
叔父様が飛び去った空を、私はハチの温かい体温を感じながら、静かに見上げ続けていた。
挿絵のリクエストです。
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