【ナザリック地下大墳墓 第九階層 アインズの執務室】
アインズ・ウール・ゴウンは、巨大な黒檀の執務机の上で、一枚の羊皮紙を手に取った。
それは、デミウルゴスが取りまとめ、提出した『ワーカー『ハチ』活動報告書』。すなわち、比企谷八幡が帝国で成したことの全てが記された書類だった。
控えている守護者総監督アルベドの気配を感じながら、アインズはその報告書に、空の眼窩を滑らせていく。
(……むぅ、これは)
アインズの内なる鈴木悟は、純粋な感嘆の声を上げた。
そこに記されていたのは、単なる戦闘記録ではなかった。帝都の物価、市民の感情の動向、騎士団の噂話、そして冒険者とワーカーの社会的地位の考察。およそ、戦闘系のNPCが書くとは思えないほど、客観的かつ多角的な視点で帝国社会が分析されている。
そして、白眉は『静寂の沼』における一件だった。
『クリムゾン・アーク』の慢心を冷静に分析し、彼らの救助ではなく、問題の根本原因であるバジリスクの排除を単独で敢行。そして、レベル30オーバーの敵を、一切の戦闘を公にすることなく、被害ゼロ、消耗ゼロの完璧な奇襲によって仕留めている。
(素晴らしい……。実に、スーラータンが考えそうな戦術だ)
アインズは、今は亡き友の顔を思い出していた。
彼は常に、最小限のリスクで最大限の戦果を挙げることを好んだ。真正面からの殴り合いを「脳筋」と笑い、いかにして敵の意表を突き、戦わずして勝つかを追求していたトリックスター。
その友が創りしNPCは、創造主の戦術思想を完璧に体現していた。アインズは、ギルドマスターとして、そして鈴木悟として、誇らしい気持ちで胸が満たされるのを感じた。
「……『静寂のハチ』、か」
報告書に記された二つ名を見て、アインズは思わずクッと喉を鳴らした。
(本人は嫌がりそうだが、的確な呼び名だ。しかし、目立つなと指示したのに、結果的に一番目立ってしまっているな……)
「アインズ様、いかがなされましたか?」
控えていたアルベドが、心配そうに声をかけてくる。
「いや、何でもない。アルベド、お前はこの報告書をどう思う?」
「はい。素晴らしいの一言に尽きます、アインズ様。彼、比企谷八幡は、我らがナザリックの計画における、鋭利で静かなる刃となりましょう。デミウルゴスの進言通り、より踏み込んだ任務を与えても、何ら問題はないかと」
アルベドの淀みない返答に、アインズはわずかに躊躇いを覚えた。
友の遺した、大切なNPC。それを、これから帝国の暗部……血生臭い陰謀の渦中に、自ら送り込んで良いものだろうか。鈴木悟の良心が、わずかに痛んだ。
だが、彼はもはやただの鈴木悟ではない。ナザリックの絶対支配者、アインズ・ウール・ゴウンなのだ。
「……分かった。デミウルゴスに伝えろ。次の計画の実行を許可する、と」
「はっ! 御意のままに!」
「ただし」と、アインズは付け加えた。「決して無理はさせるな。万が一にも、彼を失うようなことがあってはならん。彼はナザリックの、そして……我が友の、至宝なのだから」
「御心、痛み入ります」
深く頭を下げるアルベドの表情を、アインズは見ることはなかった。
【同時刻 バハルス帝国 帝都アーウィンタール】
「休息しろ、ねぇ……」
俺は宿屋のベッドの上で大の字になりながら、デミウルゴスから言い渡された命令を反芻していた。
「命令なら仕方ないか。いや、むしろこれは業務の一環だ。休息もまた、次の任務への重要な準備……うん、そういうことにしておこう」
誰に言うでもなく、俺は完璧な理屈をこね上げると、心置きなく休息(という名のぐうたら)を開始することに決めた。
ナザリックとかいう組織、部下に休暇を与えるあたり、案外ホワイトなのかもしれない。
まず、丸一日、俺は宿から一歩も出なかった。
ベッドの上でひたすらゴロゴロする。「何もしない」という、現代社会において最も贅沢な時間の使い方を、異世界で実践する。ああ、なんて素晴らしい響きだろう。
翌日からは、少しだけ活動的になった。
向かったのは、先日も利用した図書館だ。前回は情報収集という目的があったが、今回は違う。純粋な娯楽としての読書だ。
歴史書や地理書ではなく、この世界で書かれた物語や詩集を手に取る。もちろん、俺のいた世界のラノベや漫画に比べれば、展開は遅いし、ご都合主義も少ない。だが、異文化に触れるようで、これはこれで存外に楽しめた。
腹が減れば、街に出た。
これまでは豆のスープと黒パンといった質素な食事で済ませていたが、休息期間中は食にもこだわってみることにした。
市場で串に刺して焼いた、香ばしい匂いを漂わせる鳥肉にかぶりつく。少し歩いて、評判のパン屋で焼きたての白いパンを買ってみる。元の世界のジャンクフードの味を思い出し、少しだけ郷愁に駆られながらも、この世界の素朴で力強い味を、俺はゆっくりと堪能した。
そして、休息期間中、俺が最も多くの時間を費やしたのが、趣味である『人間観察』だった。
帝都の中央広場にある噴水の縁に腰掛け、ただぼんやりと行き交う人々を眺める。
手を繋いで歩く若い恋人たち。母親に菓子をねだる子供。商談に勤しむ商人。鎧の擦れる音を響かせながら巡回する騎士。
(……あそこのカップル、男の方が明らかに緊張してんな。初デートか?爆発しろ)
(……あの親子、母親の買い物袋を持ってやるなんて、良い子じゃないか。小町も昔はよくやったもんだ)
(……あの商人、胡散臭い笑い方してんな。絶対ぼったくろうとしてるだろ)
心の中で、勝手に実況し、ツッコミを入れる。
任務でも何でもない、純粋な時間の無駄遣い。それが、ひどく心地よかった。
異世界に来てしまったという現実は変わらない。俺が人間ではないという事実も、ナザリックに仕えるNPCであるという立場も、何一つ変わらない。
だが、この束の間の平穏の中で、俺は少しずつ、この世界での日常に順応し、楽しみ方を見出し始めている自分に気づいていた。
広場のベンチに座り、帝都を茜色に染める夕日を眺める。
「……こういうのも、悪くないのかもしれないな」
珍しく、素直な言葉が口からこぼれた。
もちろん、この平穏がいつまでも続くとは思っていない。
デミウルゴスの言葉を思い出せば、次にはもっと面倒な任務が待っていることは明らかだ。
これは、嵐の前の静けさに過ぎない。
だが、それでも。
今はただ、この静かな時間を噛みしめていよう。
次に始まる面倒事のために、今はただ、この休息という名の任務を、全力で全うするだけだ。
俺は大きく伸びをすると、宿屋への帰路についた。
その足取りは、帝国に来てから、一番軽いものだったかもしれない。
挿絵のリクエストです。
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