逃げるように訓練場を後にした俺は、大通りから少し外れた静かな広場のベンチに腰を下ろし、フォアからもらった風呂敷包みを開いていた。
中には、色とりどりのおかずが綺麗に詰められた手作りのお弁当が入っていた。
一口食べてみる。……うん、若干味が濃いめだな。ホムンクルスである彼女の味覚のせいなのか、それとも俺の疲労を見越してあえて濃い味付けにしてくれたのかは分からないが、女性冒険者たちにすり減らされた今の俺の身体には、この塩気が酷く心地よく、胃袋に染み渡った。
「さて、と……」
空になった弁当箱をしまいながら、俺は次の仕事へと思考を切り替えた。
近々予定されている『エルフの国』への遠征。アウラとマーレの護衛兼斥候という大役を任された以上、事前の下調べは絶対に必要だ。
俺は重い腰を上げ、エ・ランテルの街で一番大きい図書館へと足を運んだ。さらに、冒険者組合の資料室や顔見知りの職員にも探りを入れてみた。
だが、結果は芳しくなかった。出てくるのは「南の広大な森林地帯にある」「スレイン法国と長年戦争をしている」といった、表層的な一般常識レベルの情報ばかり。閉鎖的な国家ゆえか、内部の正確な情勢を記した書物は見当たらなかった。
「どうしたものか……」
考え事をしながら街を歩き回っているうちに、日は傾きかけ、いつの間にか人通りの少ない路地裏へと迷い込んでいた。
ふと、歩き回ったせいか、また少し小腹が減っていることに気づく。
そんな俺の視界の端に、古びた木製の看板を掲げた、ひっそりと佇む小さな酒場が映った。
いかにも一見さんお断りといった風情の寂れた外観だが、今の俺には逆に好都合だ。静かに頭を整理したかった俺は、迷わずその重い木の扉を押し開けた。
カラン、と乾いた鐘の音が鳴る。
「い、いらっしゃいませ……」
出迎えてくれたのは、長い耳を持ったエルフの男女だった。
店内を見渡すと、夕飯時だというのに俺以外の客は一人もいない。店主らしき男エルフと、若い女エルフは、俺の姿を見るなり明らかにビクッと肩を震わせ、ひどく驚いたような、ぎこちない態度で接客をしてきた。
(……魔導国の役人か何かと勘違いされたか? まあ、隠密を解いてるとはいえ、俺の纏う気配が普通じゃないのは確かだしな)
俺は奥のテーブル席にどっかりと座ると、なるべく威圧感を与えないよう、死んだ魚の目をさらに気怠げに細めて言った。
「適当におすすめを見繕って出してくれ。あと、飲み物も」
「か、かしこまりました。少々お待ちを……」
女エルフが厨房へ引っ込み、男エルフが水を持ってきてくれた。
俺はグラスを受け取りながら、世間話のトーンで探りを入れた。
「……あんまり客、来ないのか? さっき俺の顔見て随分驚いてたみたいだけど」
男エルフは一瞬言葉に詰まったが、俺に害意がないと悟ったのか、ぽつりぽつりと話し始めた。
「……ええ。魔導王陛下の御統治になってから、我々のような他種族が迫害されるようなことはなくなりました。ですが……やはり、エルフがやっている店というだけで、人間の皆様にはどうにも受け入れてもらえないようでして。お客様がいらしたのは、本当に久しぶりなのです」
「なるほどな」
無理もない。エ・ランテルは多種族国家への過渡期にあるが、長年根付いた人間至上主義の感覚はそう簡単に抜けるものではない。
「国には帰らないのか?」
俺が何気なく核心を突く質問を投げると、男エルフの顔に、明確な『恐怖』と『嫌悪』の色が浮かんだ。
「……帰りたくありません。あそこは、地獄です」
男エルフの震える声に、俺は眉をひそめた。
「地獄?」
「はい……。我が国の王は、狂っています。王は『強き己の子供たちの軍団』を作るためだけに、国中の女エルフを孕ませ、片っ端から子作りを強要しているのです」
(……は? なんだそのエロ同人みたいな狂った設定の王様は)
俺は内心ドン引きしながら先を促した。
「ですが、王の力はあまりにも絶大。誰一人として、王の強さの半分にすら到達できた子供は生まれていません。……さらに王は、スレイン法国との戦争すら『潜在的な力を解放させるためのチャンス』と捉え、身ごもった女エルフたちを平然と最前線へと送り込んでいるのです。当然、良い結果など出るはずもなく、無駄な死体の山が築かれるだけ……」
「狂ってんな、マジで」
「ええ。王はただ、強い個体が生まれることだけを渇望し、いつの日かその軍団で世界を席巻することだけを夢見ている……そんな狂王の治める国に、どうして帰れましょうか」
男エルフはギリッと拳を握りしめた。
「それに、法国は捕らえたエルフを『奴隷』として販売しています。非常に高額で取引され、中には魔法やスキルを使える者も、自我を奪われて生きた道具として売買されているのです」
(……なるほど。エルフの国は王が狂った地獄で、隣の法国はエルフを奴隷にする地獄か。そりゃ帰れないわな)
俺は得られた特大のインテリジェンス(情報)を脳裏に刻み込んだ。アウラとマーレをあの国へ連れて行くということは、最悪、その狂王が二人の圧倒的な力に目をつけ、『種』や『苗床』として狙ってくる可能性があるということだ。絶対に阻止しなければならない。
「……それに比べたら、この街での暮らしは儲けこそありませんが、法を犯さない限りはアンデッドの衛兵様が守ってくださいます。とても安全なのです」
男エルフが少しだけ安堵の表情を見せた。
俺は店内を見回し、疑問を口にする。
「でも、料理屋だけじゃ生きていけないだろ? 他に何かやってるのか?」
「はい。一応、森の知識を活かしてポーション類を作成し、冒険者組合に卸しております。そこそこ評判が良いようで、冒険者の方々が買ってくださるお陰で、なんとか食いつなげています」
「へえ、そりゃすごいな」
俺は感心して頷いた。
「夫婦で異国に逃げてきて、大変だろうに、慎ましくもしっかり生活してるって感じか。立派なもんだ」
俺が何気なく感想を漏らすと、男エルフは「あぁ」と少し寂しそうに微笑み、首を横に振った。
「……あれは、私の娘です。妻は、逃げる道中で亡くなりまして……。どうかこの子だけでも生き延びてほしいと、必死に国から逃げてきたんです」
「…………っ」
俺は思わず息を呑んだ。
最悪の地雷を踏み抜いてしまった。勝手な思い込みで夫婦だと決めつけ、軽口を叩いてしまった自分を恥じた。
「……悪い、嫌なことを聞いちまったな。本当に申し訳ない」
俺がバツが悪そうに素直に頭を下げると、男エルフは「いえいえ、気になさらないでください」と穏やかに手を振った。
男エルフは改めて俺の姿を一瞥し、どこか納得したように目を細めた。
「……お客様は、もしかしてかなり腕の立つ冒険者の方ではありませんか?」
「ん? まぁ、一応今は冒険者の教官みたいなことをしてるが」
「やはり。気配の消し方や、その立ち振る舞い。並の御方ではないと思っておりました」
そんなこんなで話しているうちに、厨房から先ほどの女エルフ――店主の娘が、湯気を立てる料理をお盆に乗せて運んできた。
木の実や香草をふんだんに使った、エルフ独自の料理らしい。
一口食べてみる。
「……美味い」
ここら辺の人間国家では味わえない、独特の風味。だが決してクセが強いわけではなく、素材の味を活かした、しっかりとした優しい旨みが口いっぱいに広がる。
昼に食べたフォアの濃い味付けの弁当も良かったが、今の俺には、この森の息吹を感じるような繊細な味が、とてつもなく身に染みて感動的だった。
「これ、めちゃくちゃ美味いな。ちゃんとした料理人が作った味がする」
俺が素直に称賛すると、奥で聞いていた娘さんが嬉しそうに顔を赤らめ、店主も誇らしげに相好を崩した。
あっという間に平らげた俺は、席を立ち、懐から銀貨と金貨を数枚取り出してテーブルに置いた。
明らかに料理の値段の数十倍の金額だ。
「お、お客様!? これはいくらなんでも多すぎます!」
慌てる店主に、俺は片手を上げて制した。
「また明日も来るよ。飯も美味かったしな。……その時、またエルフの国について色々と教えてくれ。この金は、その情報料もひっくるめてるから、遠慮なく受け取ってくれ」
「あ、ありがとうございます……! 本当に、ありがとうございます……!」
男エルフは大金に驚きながらも、深く深く頭を下げて感謝を述べてくれた。厨房の奥からも、娘さんが何度も頭を下げているのが見えた。
「じゃあな」
店を出て、すっかり夜の闇に包まれた路地裏を歩き出す。
俺の頭の中は、エルフの国に関する『狂王』と『奴隷』のキーワードで埋め尽くされていた。
(アウラとマーレを、あんなクソみたいな環境に無防備に突っ込ませるわけにはいかないな……斥候として、事前の警戒網を限界まで張り巡らせておく必要がある)
俺は思考を加速させながらも、ふと、先ほどの優しい料理の味を思い出した。
(ま、仕事の準備は面倒だが……明日もあの店で飯が食えると思えば、悪くないか)
俺は少しだけ足取りを軽くして、ナザリックへと繋がる夜の街を駆け抜けていった。
挿絵のリクエストです。
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