数日間にわたる、何もしないという名の任務(ニートとも言う)を全うし、俺の精神力はすっかり全回復していた。人間関係のストレスもなく、ただ食って寝て本を読んで人間観察をする日々。最高だ。できれば、このまま定年までこの生活を続けたい。
だが、そんな俺のささやかな願いは、ある晩、唐突に終わりを告げた。
宿屋の部屋で、いつものようにぼーっとしていると、腕につけた黒曜石のブレスレットが、ひやりと冷たくなった。デミウルゴスからの着信だ。
『……休息は、もう十分でしょうかな? 八幡殿』
脳内に響く声は、いつも通り慇懃でありながら、どこか楽しんでいるような響きを帯びている。
「まあな。おかげで、すっかり怠け癖がついた」
『それは何より。では、そろそろ仕事の時間です。貴殿には、帝都の『裏側』で起きている、ある厄介事を調査していただきたい』
デミウルゴスが語り始めた内容は、俺の休息気分を吹き飛ばすには十分すぎるものだった。
帝都の貧民街、通称『泥濘(ぬかるみ)』と呼ばれる地区で、ここ一月ほどの間に、住民の不審な失踪事件が相次いでいるという。
失踪者はすでに十数名。いずれも、身寄りのない者や、表の世界から流れてきた者ばかり。衛兵や騎士団は、貧民街のトラブルなど意にも介さず、まともな捜査は行われていないらしい。
『失踪、ですか』
『ええ。単なる夜逃げや、よくある縄張り争いの類にしては、数が多すぎる。そして、何より奇妙なのは、失踪現場には一切の争った形跡が残されていない、という点です』
まるで、神隠しのように、人が忽然と消える。
デミウルゴスは、この一連の失踪事件の背後に、何らかの組織的な犯罪……あるいは、人ならざる者の存在を疑っていた。
『貴殿の次の任務は、この『泥濘』に潜入し、失踪事件の真相を探ること。可能であれば、背後にある組織、あるいは個体を特定してください』
「……分かった」
『くれぐれも、貴殿の正体、そして我々ナザリックの存在が露見することのないように。貴殿は、あくまで一介のワーカー『ハチ』として、この事件を調査するのです』
「言われなくても」
面倒事はごめんだ、と俺が付け加えると、デミウルゴスは満足げに通信を切った。
翌日、俺はこれまでとは全く違う準備を始めていた。
ナザリック製の高性能な革鎧は、目立ちすぎる。俺はそれを宿の荷物に隠し、市場で手に入れた、くたびれたフード付きのローブを羽織った。武器も、腰の短剣一本だけ。顔がなるべく見えないようにフードを目深に被れば、貧民街に紛れても違和感のない、陰気な男の出来上がりだ。
『泥濘』は、帝都の城壁のすぐ内側、華やかな大通りからは完全に取り残された一角にあった。
一歩足を踏み入れた瞬間、空気が変わるのが分かった。鼻を突くのは、汚水とゴミの腐臭。道は舗装されておらず、そこかしこに汚水が溜まっている。崩れかけた建物が、まるで墓標のように寄り添い合って建ち並び、その隙間を、光のない目をした人々が、亡霊のように行き交っていた。
ここは、法の光が届かない場所だ。
昨日まで俺がいた帝都の、きらびやかな『表』の顔を維持するために、切り捨てられた『裏』。
俺は、そんな場所に何の感傷も抱かなかった。ただ、事実として認識するだけだ。
まずは、情報収集。
俺は、地区で唯一の、まともな酒場らしき建物を見つけ、その扉を開けた。
昼間だというのに、中は薄暗く、客の入りもまばらだ。俺はカウンターの隅に座り、一番安いエールを注文する。
「……マスター。この辺りで、最近人が消えるって話は本当か?」
俺が低い声で尋ねると、火傷の痕跡が顔に残る、いかつい店主は、面倒くさそうにグラスを拭きながら答えた。
「……あんたも、その話を聞きに来たのか。ワーカーか、それともただの物好きか。どっちにしろ、首を突っ込まねえ方が身のためだぜ」
「忠告、どうも。で、何か知ってることは?」
「知るかよ。ここは、昨日いた奴が今日いなくなるなんて、日常茶飯事の場所だ。誰もいちいち気にしちゃいねえ」
店主はそう言って口を閉ざしてしまったが、俺のスキル《腐った目》は、彼の言葉が完全な真実ではないことを見抜いていた。彼は、何かを知っている。だが、恐怖から、それを口にすることを拒んでいるのだ。
酒場を出て、俺は『泥濘』の中をあてもなく歩き始めた。
すれ違う人々は、誰もが俺を警戒し、目を合わせようとしない。ここでは、他人はすべて敵なのだ。
そんな中、俺はあることに気づいた。
この地区の住民たちが、特定の路地や建物を、明らかに避けて通っている。まるで、そこに何か恐ろしいものがいることを知っているかのように。
俺はその路地の一つに、注意深く足を踏み入れた。
ゴミが山と積まれ、異臭がひときわ強い。その奥に、一際大きく、今は廃墟となっている石造りの建物があった。かつては、何かの倉庫か工場だったのだろう。
建物の入り口には、奇妙な印が描かれていた。
螺旋と、三つの点を組み合わせたような、見慣れない紋様。
そして、俺の鋭敏になった嗅覚が、その廃墟の中から、微かな匂いを嗅ぎ取っていた。
それは、腐臭や汚水の匂いとは違う、甘ったるく、それでいて人を不安にさせるような……薬品の匂い。そして、その奥に潜む、濃厚な血の匂いだった。
「……ビンゴ、か」
俺は、誰に聞かせるともなく呟いた。
面倒事の巣窟は、どうやらここらしい。
俺は周囲に人の気配がないことを確認すると、音もなく、影に溶け込むようにして、その廃墟の中へと侵入した。
休息期間中にすっかり弛緩していた身体が、任務の開始を告げる緊張感で、ゆっくりと熱を帯びていくのを感じていた。
ワーカー『ハチ』の、帝都の闇に触れる最初の仕事が、今、静かに始まろうとしていた。
挿絵のリクエストです。
-
おまかせ
-
八幡+シャルティア
-
八幡+アルベド
-
八幡+デミウルゴス
-
八幡+コキュートス
-
八幡+アウラ
-
八幡+マーレ
-
八幡+アインズ様
-
八幡+メイド達