俺はいつものように、エ・ランテルの冒険者組合での退屈な臨時教官業務(という名の時間潰し)を終え、夕食をとるために路地裏のエルフの店へと向かった。
日が落ち始め、街の喧騒が少しずつ落ち着いていく時間帯。
カラン、と扉を開けて店に入ると、いつもなら厨房から「いらっしゃいませ!」と元気な声が飛んでくるはずが、今日は妙に静かだった。
「……あ ハチ殿……」
出迎えてくれたのは、エルフの親父さんだけだった。
しかも、その顔は信じられないくらい青ざめており、手元の布巾をギュッと握りしめて小刻みに震えている。
「どうした。随分と顔色が悪いぞ。変な奴らに絡まれたのか?」
俺が眉をひそめて尋ねると、親父さんは首を横に振った。
「いえ、そうではないのですが……。その、娘が……ミーシャが、まだ帰ってこないのです。ゼクス君やアリアちゃんと一緒に、朝早くから簡単な依頼に出かけたはずなのですが……」
「簡単な依頼?」
「はい。街道沿いの森での、薬草採取とゴブリンの残党の定期討伐だと聞いています。昼過ぎには戻れると言っていたのに……日が暮れても、何の連絡もなくて……。私の、ただの考えすぎであれば良いのですが……あの森にはかつて、私たちを狙った法国の密猟者たちが潜んでいたこともあって……」
親父さんの声が震えている。
確かに、あのゼクスという真っ直ぐすぎる脳筋と、それを窘めるアリア、そして警戒心の強いミーシャのパーティーなら、ただのゴブリン数匹相手に後れを取るとは思えない。
となれば、何らかの「イレギュラー」に巻き込まれた可能性が高い。
「……ちょっと、ギルドで話を聞いてみるか」
俺は出された水を一口だけ飲み、すぐさま店を後にした。
冒険者組合(ギルド)に戻ると、ロビーの奥で組合長のアインザックが書類をめくりながら眉間を揉んでいた。
「おう、アインザック。まだ残ってたのか」
「おお、ハチ殿。どうされましたかな? 本日の業務は終了したはずですが……」
「ちょっと聞きたいことがあってな。今日、ゼクスって少年とミーシャたちの新人パーティーが受けた依頼って、どの辺りだ?」
俺の問いに、アインザックは手元の羊皮紙を一枚抜き出し、顔を曇らせた。
「……奇遇ですな。私も今、その報告書を見ていたところです。彼らが向かったのは南東の街道沿いの森。初心者向けの安全な採取ポイントなのですが……確かに、帰還予定時刻を大幅に過ぎています」
「……他のパーティーの状況は?」
「同じ方面へ向かっていた別のパーティーからの報告によれば、森の奥で『人間の足跡』が多数見つかったと。盗賊団か、あるいは……」
アインザックが言葉を濁した。
エルフの親父さんが言っていた「密猟者」という言葉が脳裏をよぎる。エ・ランテルが魔導国の支配下になってから治安は劇的に改善されたが、魔導国の目が届きにくい森の奥には、まだエルフを狩る非合法な部隊が潜んでいる可能性がある。
「本来であれば、明日の朝一番で捜索隊を出すのがギルドの規定なのですが……」
「明日の朝じゃ、遅すぎるかもしれないな」
俺はため息を吐きながら、踵を返した。
「……ハチ殿?」
「ちょっと夜風に当たってくる」
路地裏の店に戻ると、親父さんは外の通りに出て、祈るように手を組んで待っていた。
俺の顔を見るなり、すがりつくように駆け寄ってくる。
「ハチ殿……! 組合は、何と……!?」
「あいつらが向かった森の奥に、不審な人間の集団が入り込んでいる可能性があるらしい。ギルドの捜索隊が出るのは明日の朝だ」
俺が事実を伝えると、親父さんは膝から崩れ落ちそうになった。
「あ、明日の朝……! そんな、それでは遅い……! あの子が、またあの恐ろしい人間たちに捕まってしまったら……っ!」
親父さんは俺の足元に縋り付き、ポロポロと涙を流して懇願してきた。
「ハチ殿! どうか、どうかお願いします! 私の命ならどうなってもいい、今まで稼いだお金も、この店も、全て差し出します! ですから、どうか……あの子を、ミーシャたちを助けてください……っ!」
「…………」
地面に額を擦り付けるエルフの親父さんを見下ろし、俺は深すぎるため息を――今日一番の特大のやつを吐き出した。
命を差し出すだの、店を渡すだの。そういう重いのは本当に勘弁してほしい。
俺はそういう自己犠牲的な発言を聞くと、どうにも腹の底がムズムズして、放っておけなくなるタチなのだ。
「金も命もいらねぇよ。そんなもん貰ったって、俺には使い道がないからな」
俺は親父さんの肩を掴み、無理やり立ち上がらせた。
そして、死んだ魚の目を夜の闇に細め、頭の後ろをガシガシと掻きながらボヤいた。
「大体、あいつらを実技試験で合格させて、冒険者にしたのは俺だからな。俺がハンコを押した新人が、初日で死んだら俺の評価に関わるだろ」
「ハチ殿……」
「俺はただの臨時教官なんだがな……。はぁ、定時後の残業(サービスろうどう)は勘弁してほしいぜ、まったく」
俺は路地裏の暗がりへと足を踏み入れた。
その瞬間、俺の姿は文字通り「影」のように薄れ、輪郭が夜の闇へと溶け込んでいく。
「親父さん。あいつらの晩飯、冷めないように温めといてやれよ。……すぐ連れて帰る」
虚空から残されたその言葉を最後に、俺は完全に気配を絶ち、《黒羽瞬身》で王都の空へと飛び立った。
向かうは南東の森。
あいつら(部下)に手を出した連中に、俺の最高に嫌らしい「暗殺術(クレーム対応)」を叩き込んでやるために。
8月もできうる限り頑張りますので、応援お願いします。
挿絵のリクエストです。
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