『泥濘』を抜け出し、人通りのある地区まで戻った俺は、すぐに安宿の一室に身を潜めた。
懐から取り出した実験記録の羊皮紙を、ランタンの灯りで改めて確認する。そこに記されたおぞましい内容と、大貴族の名前に、俺は何度目かのため息をついた。
これは、俺一人の判断でどうこうできる問題ではない。
俺は覚悟を決めると、黒曜石のブレスレットに意識を集中させ、ナザリックへと《メッセージ》を送った。
応答したのは、やはりデミウルゴスだった。
『……八幡殿。早急な連絡、ということは、何か進展がありましたかな?』
「ああ。あんたが思っている以上にな」
俺は、廃墟の地下で見たもの、そして手に入れた情報を、感情を交えずに、事実だけを淡々と報告した。
貧民街の失踪事件の真相が、アンデッド化の実験を繰り返すカルト教団によるものであること。
その教団が、帝国の有力な貴族と繋がっている可能性が高いこと。
そして、その教団の紋様、『螺旋と三つの点』について。
俺の報告の間、デミウルゴスは一切の相槌を打たず、静かに耳を傾けていた。
全てを語り終えた後、彼は数秒の沈黙を挟み、いつもよりわずかに低い、それでいて歓喜の色を隠しきれない声で言った。
『……素晴らしい。実に素晴らしい成果です、八幡殿。貴殿は、我々の想像を遥かに超える、とてつもない『餌』を釣り上げてくださった』
「餌、ね。こいつは、毒でも入ってそうだが」
『毒であればこそ、使い道があるというもの。……その件、直ちにアインズ様にご報告し、裁可を仰ぎます。追って指示があるまで、貴殿は決して動かぬように。いいですね?』
「了解した」
通信が切れると、部屋に再び静寂が戻った。
俺は、デミウルゴスの声に混じっていた、あの仄暗い喜びの感情を反芻していた。
彼にとって、このおぞましい事件は、憂うべき悲劇などではない。ナザリックの計画を進める上で利用できる、ただの『駒』か『カード』の一枚に過ぎないのだ。
そして、その駒を拾ってきた俺もまた、彼らの巨大なチェス盤の上で踊る、一体の駒でしかない。
【ナザリック地下大墳墓 玉座の間】
デミウルゴスは、アインズ・ウール・ゴウンの御前にて深くこうべを垂れ、八幡からもたらされた情報を一言一句違えず報告していた。
玉座に座すアインズは、黙ってその報告を聞いていたが、その魂の内側――鈴木悟の心は、激しい嫌悪と怒りに揺れていた。
(なんだそれは……。人の命を、魂をなんだと思っているんだ……!)
貧しいというだけで捕らえられ、おぞましい実験の末に殺されていく人々。その背後で糸を引く、腐敗した貴族。
ユグドラシルにも、そういった悪役ロールプレイを楽しむプレイヤーはいた。だが、これはゲームではない。生身の人間の苦痛が伴う、紛れもない現実だ。
鈴木悟の倫理観が、その非道な行いを許せなかった。今すぐにでも、そのカルト教団とやらを根絶やしにしてやりたい衝動に駆られる。
だが、アインズ・ウール・ゴウンは、冷静だった。
アンデッドとしての精神が、彼の激しい感情を強制的に抑制する。そして、ナザリックの支配者としての思考が、この状況を冷徹に分析し始める。
「……面白いことになったな」
アインズが発した言葉は、鈴木悟の内心とは裏腹に、愉悦の色すら帯びていた。
その声に、デミウルゴスは恍惚とした表情で顔を上げる。
「はい、アインズ様。まさに、千載一遇の好機かと。この件を利用すれば、帝国の内情を我らの望むがままに操作することも可能でしょう」
「うむ。ただ、この教団を潰すだけでは芸がない。それでは、我らが介入した痕跡を残しかねん」
「仰る通りです。ここは、毒を以て毒を制す……。八幡殿という静かなる毒を、さらに深く帝国の闇へと浸透させるべきかと愚考いたします」
デミウルゴスが提示した計画は、こうだ。
八幡に、引き続きこのカルト教団の調査を続行させる。ただし、決して殲滅はさせない。
目的は、教団と繋がる貴族、そしてその背後にいるかもしれない更なる黒幕、組織の全貌を、完全に洗い出すこと。
全ての情報を掌握した上で、ナザリックはそのカードを、最も効果的なタイミングで、最も効果的な相手に突きつける。
例えば、『鮮血帝』ジルクニフ本人に。
「帝国貴族の腐敗の証拠を、皇帝自身に握らせるか。面白い。ジルクニフならば、その情報を最大限に活用し、自らの権力基盤を固めるために、邪魔な貴族を一掃するだろう。我々は、手を汚すことなく、帝国を内側からコントロールできるというわけか」
「御意。全てはアインズ様の深遠なるご計画の通りに」
(いや、全部お前が考えたんだけどな!?)
アインズは、内心のツッコミを必死に押し殺した。だが、デミウルゴスの計画は、支配者として、あまりにも魅力的で合理的だった。
「……よかろう。デミウルゴス、その計画を許可する。八幡には、新たな指示を伝えよ。くれぐれも、彼の安全は最優先させろ。彼は、我らにとって代えの利かぬ『目』であり、『刃』なのだからな」
「はっ! このデミウルゴス、アインズ様の絶大なるご信頼に、必ずや応えてみせましょう!」
玉座の間を退出したデミウルゴスは、八幡への《メッセージ》を準備しながら、口元に抑えきれない笑みを浮かべていた。
あの人間不信の男は、自分の働きが、ナザリックの支配者たちによってこれほど高く評価されていることなど、露ほども知るまい。
彼は、ただ己の性分に従って面倒事を処理しているだけだと思っているだろうが、その一つ一つの行動が、完璧にナザリックの利益へと繋がっている。
(クフフフ……。実に、扱いやすく、そして有能な駒だ)
デミウルゴスは、これから始まるであろう、帝国を舞台にした新たな謀略の脚本に、比企谷八幡という主演俳優を置くことを決定した。
再び、帝都の安宿の一室。
俺は、デミウルゴスから下された新たな指令を、静かに受け止めていた。
『―――よって、八幡殿には、引き続き潜入調査を続行していただきます。目的は、敵の戦力、拠点、そして何より、関与している人間の全貌を明らかにすること。交戦は、許可しません。貴殿は、あくまで『影』に徹してください』
予想通りの、そして、最も面倒な任務だった。
敵の懐にさらに深く潜り込み、尻尾を掴むまで、息を潜め続けろ、と。
だが、俺の中に、反発はなかった。中途半端なまま終わらせるよりは、性に合っている。
「……了解した。報酬は、高くつくぞ」
俺が、らしくない軽口で返すと、デミウルゴスは楽しそうに答えた。
『ええ、もちろんです。貴殿の働きには、アインズ様も、最大限の評価と報酬をお約束くださるとのこと。……期待しておりますよ、『静寂のハチ』殿』
通信が切れる。
俺は、フードを目深に被り直し、立ち上がった。
嵐の前の静けさは終わった。ここからは、嵐のど真ん中に、自ら飛び込んでいくことになる。
俺は、もう一度『泥濘』へと向かうべく、夜の闇へと静かに溶け込んでいった。
ナザリックという絶対的な支配者たちの掌の上で、俺という駒は、一体どこまで踊ることになるのだろうか。
答えなど、まだ見えなかった。
アインズ様の性格がやあらかくなっていますね・・・
挿絵のリクエストです。
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おまかせ
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八幡+シャルティア
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八幡+アルベド
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八幡+デミウルゴス
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八幡+コキュートス
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八幡+アウラ
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八幡+マーレ
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八幡+アインズ様
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八幡+メイド達