ナザリックから下された『静観せよ』という指令は、ある意味、敵地に乗り込んで大暴れするよりも遥かに厄介なものだった。
俺の戦闘能力は、この世界の基準では明らかにオーバーパワーだ。だが、その力を封じられ、ただの『目』と『耳』に徹しろという。それは、ボクサーに「殴り合わずに、相手のクセだけを盗んでこい」と言うようなものだ。
俺は再び、あの廃墟がある『泥濘』地区に潜んでいた。
だが、闇雲に再突入するのは愚策だ。一度侵入した場所は、警戒が強まっている可能性がある。それに、デミウルゴスの言う通り、敵の戦力や拠点の全貌を把握するには、内部からの視点だけでは足りない。
必要なのは、外からのアプローチ。
このカルト教団…『新生の螺旋』とでも仮称しておくか…その組織の末端にいるであろう、最も弱い環(リンク)を探し出すことだ。
俺は数日間、昼夜を問わず『泥濘』に張り付いた。
例の廃墟を遠巻きに監視し、出入りする人間を観察する。フードを被った信者たちは、二人一組で行動し、周囲への警戒を怠らない。彼らを直接尾行するのは得策ではない。
俺は戦略を変え、あの酒場に再び通い始めた。
カウンターの隅で、安いエールをちびちびと飲みながら、ただひたすらに、客たちの会話と挙動に意識を集中させる。
スキル《腐った目》は、こういう時にこそ真価を発揮する。
人々の視線の動き、声のトーンの変化、指先の微かな震え。それら全てが、俺の目には嘘と、恐怖と、隠された本音として映る。
そして、三日目の夜。俺は『それ』を見つけた。
一人の、痩せた男だった。
彼は酒場の隅で、誰と話すでもなく、ただ震える手でエールを呷っている。その目は常に何かに怯えるように周囲を泳ぎ、特に、時折店に入ってくる屈強なワーカーたちを見るたびに、びくりと肩を揺らしていた。
(……怪しいな)
彼は、この『泥濘』の住人特有の、擦れた暴力性とは無縁に見えた。むしろ、場違いなほどに臆病だ。
俺が観察を続けていると、フードを被った男が一人、酒場に入ってきた。廃墟に出入りしていた信者の一人だ。
信者は、その痩せた男の席に一直線に向かうと、彼の耳元で何かを囁いた。痩せた男は、顔を青ざめさせ、何度も小さく頷いている。信者は用件だけを伝えると、すぐに店を出て行った。
残された痩せた男は、エールを飲み干すこともできず、金だけをテーブルに置いて、逃げるように店を後にした。
間違いない。あの男は、教団の末端、おそらくは拉致するターゲットの選定や、見張り役といった汚れ仕事を請け負っている協力者だ。そして、その役目に、良心の呵責と恐怖で押し潰されそうになっている。
最も弱く、最も脆い、蜘蛛の糸。
俺は、男の数分後に、静かに席を立った。
《無音歩行》と《隠密化》を使い、気配を完全に消して、男の背後を追う。
男は、何度も後ろを振り返りながら、人気のない細い路地へと入っていった。そこは彼のねぐらへ続く道なのだろう。
俺は、路地の闇に先回りして潜み、男が通りかかるのを待った。
男が俺の潜む場所の真横を通り過ぎようとした、その瞬間。
俺は隠密化を解き、音もなく彼の前に立ちはだかった。
「ひっ……!?」
男は、心臓が止まるかのような短い悲鳴を上げ、その場にへたり込んだ。
俺はフードを目深に被ったまま、ゆっくりとしゃがみこみ、彼の目を見据える。
「……少し、話を聞かせてもらうぞ」
俺の声は、夜の闇に溶けるように、低く、静かだった。
「だ、誰だお前は! 俺は何も知らねえ!」
「『新生の螺旋』。そう呼ばれていたか、お前たちの組織は」
俺が、教団の名前を口にした瞬間、男の顔から完全に血の気が引いた。
「な……なぜ、その名前を……」
「お前がどこで誰を見張っているか、誰に何を報告しているか、俺は全て知っている。お前が、何に怯えているかもな」
俺は、先日盗み見た実験記録の内容を、あたかも全てを把握しているかのように語り始めた。薬品の名前、実験の内容、そして失踪した者たちの名前を、意図的にいくつか挙げてみせる。
男は、全身をガタガタと震わせ、もはや言葉も発せないようだった。
俺は、最後の쐐を刺す。
「お前の仲間は、お前のことなど信用していない。用が済めば、次はお前が、あの台の上に乗ることになる。違うか?」
その言葉は、男が心の奥底で抱いていた、最も根源的な恐怖を的確に抉り出したらしい。
彼のダムは、決壊した。
「……た、助けてくれ……! 俺は、ただ、金が必要だっただけで……あんな、あんな非道なことに関わるつもりじゃなかったんだ!」
堰を切ったように、男は全てを話し始めた。
やはり、教団の正式名称は『新生の螺旋』。
彼らの目的は、単なるアンデッド化ではなく、『魂を持つ』新たなアンデッドを創造し、それを『揺り籠』と呼ぶ器に宿らせることで、教主の意のままに動く不死の軍団を作り上げること。
そして、最も重要な情報。
この『泥濘』の廃墟は、あくまで実験体を集めるための前線基地に過ぎず、本格的な研究と儀式は、あの貴族――エリオン伯爵の屋敷の地下にある、巨大な研究施設で行われている、ということ。
「……次の『供給』は、いつだ」
「……み、三日後の、夜……。数人の『素材』を、荷馬車に偽装して、伯爵様の屋敷に運ぶ手筈になっている……」
必要な情報は、全て手に入った。
俺は静かに立ち上がると、へたり込んだままの男を見下ろした。
「……消えろ。二度と、俺の前に姿を現すな。そして、今日ここで会ったことを誰かに話せば、お前の仲間よりも先に、俺がお前を消しに行く」
俺の言葉に、男は何度も頷き、そして文字通り這うようにして、闇の中へと消えていった。
恐怖に縛られた人間は、最も信頼できる情報源であり、そして最も口の堅い協力者にもなる。
俺は、一人路地に残り、手に入れた情報を反芻する。
エリオン伯爵の屋敷。三日後の夜。
点と点が繋がり、具体的な『標的』と『時間』が線となった。
これは、ただの報告では終わらない。次の指令は、十中八九、その現場への潜入になるだろう。
俺は夜空を見上げた。月は、雲に隠れて見えない。
帝都の闇は、俺が思っていたよりも、さらに深く、そして組織的だった。
そして、俺はその闇の中心へと、さらに一歩、足を踏み入れることになる。
面倒だ、と呟く声は、誰の耳にも届くことなく、闇に吸い込まれていった。
挿絵のリクエストです。
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おまかせ
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