俺は、手の中にある黒い円筒――『マジカル・マックスコーヒー』と、一時間ほど睨み合っていた。
開けるべきか、開けざるべきか。それが問題だ。
見た目は、俺が愛してやまない千葉のソウルドリンクそのものだ。だが、製造元はナザリックの絶対支配者、アインズ・ウール・ゴウン様(推定年齢不詳のアンデッド)。原材料は、おそらくマンドラゴラの根とか、バジリスクの涙とか、そういうファンタジーな何か。
(……これ、飲んだらどうなるんだ? 翼が生えてくるとか? あるいは、スライムになるとか? いや、最悪、原材料にされた貧民街の住民の怨嗟の声が聞こえてくるとか……)
考えれば考えるほど、恐ろしい想像しか湧いてこない。
だが、これを飲まなかった場合、どうなる?
『ほう、八幡。私が手ずから創りし霊薬が、口に合わなかったと見える』
……などと、地獄の底から響くような声で言われる未来しか見えない。それは、物理的に死ぬより、よっぽど怖い。
「……選択肢、なしかよ」
俺は、意を決してプルタブに指をかけた。プシュッ、と小気味良い音がする。
漂ってきたのは、懐かしい、脳天を突き抜けるような、甘ったるい香り。
俺は目を固く閉じ、覚悟を決めて、それを一気に呷った。
「…………ん?」
味は、完璧なマックスコーヒーだった。いや、むしろ、俺が知っているものより、遥かに洗練され、雑味がなく、それでいて暴力的なまでの甘さが口の中に広がる。
そして、身体の奥底から、魔力だか生命力だか分からない何かが、みなぎってくるのを感じた。レベルが1くらい上がったんじゃないか、これ。
(……美味い。美味すぎる。だが、それが逆に怖い!)
俺は、とんでもないものを飲んでしまったという後悔と、その魔性の味への感動という、相反する感情に引き裂かれながら、空になった缶を握りしめていた。
その日の午後。
例の『マジカル・マックスコーヒー』を飲み干した俺は、その魔性の美味さと、身体にみなぎる力(レベルが1上がった気がする)に若干の恐怖を覚えつつも、デミウルゴスが用意した転移門をくぐった。ナザリックへの帰還命令だ。
転移先は、物々しい玉座の間ではなかった。
第九階層にある、巨大な黒曜石の円卓が置かれた会議室。アインズ様が、特に重要な議題を協議する際にのみ使用すると、俺のNPC知識が告げている場所だ。
そして、その円卓には、既に数人の影があった。
玉座に座すアインズ様。その傍らに立つアルベドとデミウルゴス。そして、これまで顔を合わせたことのなかった、三人の守護者たち。
俺が音もなく現れると、アインズ様が厳かに口を開いた。
「―――よく戻った、八幡。帝国での働き、実に見事であった。今日は、まだお前と顔を合わせていない守護者たちに、お前を正式に紹介するために集まってもらった。ナザリックの同胞として、顔を上げて、互いに顔を覚えておけ」
その言葉を受け、守護者たちが一斉に俺に視線を向けた。
まず、銀髪の美しい少女――シャルティア・ブラッドフォールンが、小首をかしげて言った。
「あらん? アインズ様、この方、アンデッドでありんすか? その目の淀み具合、なんというか、わたくしと同類かと……」
「いや、シャルティア。彼は妖怪(アヤカシ)だ。種族特性として、目が腐っ……いや、特徴的なだけだ」
アインズ様が、慌ててフォローを入れる。失礼な、生まれつきだ。
シャルティアは、アインズ様の訂正に少し驚いた顔をしたが、すぐに妖艶な笑みを浮かべた。
「まあ、そうですの。でも、なんだか親近感が湧くでありんす。わたくしはシャルティア・ブラッドフォールン、わたくしの創造主ペロロンチーノ様も、八幡の創造主スーラータン様とは、大変仲が良かったと伺っておりますわ。これから、よろしくでありんす」
その声には、以前感じた粘つくような響きではなく、どこか純粋な好意が感じられた。
次に、快活な声が響く。
「ふーん、アンデッドじゃないんだ。でも、アインズ様に忠誠を誓う仲間ってことだよね! 私は第六階層守護者、アウラ・ベラ・フィオーラ! よろしくね、八幡!」
闇エルフの少女、アウラがニカッと笑いながら手を振る。その隣で、瓜二つの少年がおどおどと頭を下げた。
「あ、あの、同じく第六階層の、マーレ・ベロ・フィオーレです……。その、目……お大事に……。で、でも、よろしくお願いします……」
マーレの同情に満ちた視線が、地味に俺の心を抉る。
最後に、巨大な氷の昆虫――コキュートスが、四本の腕を組んだまま、重々しく言った。
「我ガ名ハ、コキュートス。第五階層守護者デアル。貴殿ノ武名ハ聞イテイル。ソノ小サナ体デ、バジリスクヲ屠ッタトイウ。ナザリックノ戦士トシテ敬意ヲ表ス。イツカ、是非手合ワセヲ願イタイ」
その言葉には、純粋な武人としての興味と敬意が込められていた。面倒事はごめんだが、彼のまっすぐな姿勢には好感が持てた。
一通りの自己紹介が終わった後、アインズ様が、俺に問いかけた。
「八幡。お前にとっても、ここは故郷のようなものだろう。お前の創造主、スーラータンのことを、何か覚えているか?」
スーラータン。
その名を口にされた瞬間、俺の頭の中に、断片的な情報がノイズのように流れ込んできた。
『ナザリックに学園を』『最高の青春を』『捻くれた主人公』……。
だが、その記憶は、総武高校での十六年間の記憶に比べれば、あまりにも希薄で、どこか他人事のようだった。
「……スーラータン、様……」
俺は、言葉を選びながら、慎重に口を開いた。
「はい。確か……ナザリックに、学園を創ろうとしておられた、と……。ペロロンチーノ様たちと、楽しそうに語らっておられた、ような……。ですが、その……申し訳ありません。記憶が、朧げで……」
俺の口調には、他の守護者たちが彼らの創造主について語る時のような、絶対的な崇拝や、熱に浮かされたような忠誠の色は、なかった。
ただ、遠い昔の出来事を、思い出すかのように。
事実を、淡々と述べるだけ。
その、刹那。
少し離れた場所から、俺に向けられる、鋭い視線を感じた。
視線の主は、アルベドだった。彼女は、完璧な微笑みを浮かべたまま、その美しい瞳の奥で、俺の反応を冷静に、そして冷徹に分析していた。
『(……創造主への執着が、薄い……? これほどの功績を立てながら、至高の御方への渇望が見られない。彼は、一体……?)』
そんな声が、聞こえた気がした。
顔合わせは、滞りなく終わり、アインズ様は満足げに解散を命じた。
俺は、絶対支配者と守護者たちに最敬礼し、緊張で汗ばんだ背中を感じながら、会議室を後にした。
廊下を歩き、自室に戻ろうとした、その時だった。
「八幡、お待ちなさい」
背後から、鈴を転がすような、しかし有無を言わせぬ響きを持った声がかけられた。
アルベドだった。彼女は、完璧な淑女の笑みを浮かべて、俺の前に回り込んだ。
「先程のアインズ様とのお話、興味深く拝聴いたしました。……つきましては、後ほど、改めて二人きりで、少しお話合いの時間をいただけない」
「……二人きりで?」
「ええ」と、アルベドは微笑む。だが、その目は全く笑っていない。
「貴方のような、忠実で、そして……極めて有能な方にこそ、お聞きしたい、ナザリックの未来のための、大切なお話があるのです」
その言葉に、俺は直感的に危険を察知した。
彼女の誘いは、単なるお茶会などではない。これは、ナザリックの、アインズ様すら知らない、もう一つの深淵へと繋がる入り口だ。
だが、俺に、断るという選択肢はなかった。
「……分かりました」
俺が短く答えると、アルベドは満足げに微笑み、優雅に去っていった。
一人残された俺は、これから始まるであろう、血生臭い戦闘よりも、よっぽど面倒で、そして危険な『交渉』の気配に、深く、長いため息をつくしかなかった。
挿絵のリクエストです。
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おまかせ
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八幡+シャルティア
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八幡+アルベド
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八幡+デミウルゴス
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八幡+コキュートス
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八幡+アウラ
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八幡+マーレ
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八幡+アインズ様
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八幡+メイド達