アルベドとの密会から、俺は自室にこもっていた。
『神殺し』
その、あまりにも大仰で、そして血生臭い響きを持つ組織の一員となったという現実が、ずしりと重い。
そして、その標的は、かつてこのナザリックを創りし、レベル100の至高の存在たちである可能性が高い。
俺は、静かに自分のステータスウィンドウを開いた。
名前: 比企谷八幡
レベル: 89
(……ん? 89?)
いつの間にか、レベルが1つ上がっていた。おそらく、エリオン伯爵の一件で得た経験値か、あるいは、アインズ様謹製の『マジカル・マックスコーヒー』の効果だろう。
だが、そんなことは、些細な問題だった。
問題は、89という数字そのものだ。
この世界の人間から見れば、それは神話の領域に達するほどの力だろう。
『フォーサイト』のような、帝国最強クラスのワーカーですら、おそらくレベル30前後。彼らを赤子扱いできるほどの力が、俺にはある。
だが、俺がこれから刃を向けるかもしれない相手は、違う。
レベル100。
ユグドラシルというゲームにおいて、そのレベルキャップに到達した者だけが見える景色。習得できるスキル。装備できる武具。
レベル89とレベル100。その差は、たった11ではない。それは、高校球児とメジャーリーガーほどの、絶望的なまでの隔たりだ。
(……これじゃ、足りない)
『フォーサイト』の最期が、脳裏をよぎる。
彼らの絆は、アインズ様の圧倒的な力の前に、何の意味もなさなかった。
俺が、今のレベルのまま、万が一にも至高の存在と対峙すれば、どうなる?
結果は、同じだ。俺の捻くれた思考も、暗殺スキルも、意味をなさない。ただ、虫けらのように、踏み潰されて終わる。
それは、ごめんだ。
俺は、死にたくない。
そして、どうせ駒として使われるなら、死なないための、より強く、より有用な駒になってやる。
それが、この理不尽な世界で、俺が生き残るための、唯一の方法だ。
「……やるしか、ないか」
俺は、覚悟を決めた。
レベルを、上げる。
この世界のどこかにいるであろう、強いモンスターを狩り、経験値を稼ぎ、レベル100という頂に、少しでも近づく。
それは、俺が、この異世界に来て初めて、自らの意思で立てた、明確な目標だった。
俺は、正式な手順を踏み、絶対支配者アインズ・ウール・ゴウン様への謁見を求めた。
数時間後、許可が下り、俺は再び、あの玉座の間へと足を踏み入れていた。
玉座に座すアインズ様は、俺の姿を認めると、満足げに頷いた。
「うむ。よく来たな、八幡。帝国での働き、実に見事であった。お前の報告のおかげで、帝国に対する我々の優位は、揺るぎないものとなった。褒めて遣わす」
「ははっ。もったいなきお言葉。全ては、アインズ様の深遠なるご計画の賜物でございます」
完璧な臣下の礼を取りながら、俺は内心で、社交辞令の面倒くささに辟易していた。
一通りの賛辞が終わった後、俺は、本題を切り出した。
「アインズ様。本日は、一つ、嘆願があって参上いたしました」
「ほう。申してみよ」
「はい。僭越ながら、しばしの『休暇』を、いただきたく存じます」
その言葉に、玉座の間の空気が、わずかに緊張した。傍らに控えるアルベドが、鋭い視線を俺に向けている。
俺は、構わず続けた。
「これまでの任務を通し、私は、この世界の人間というものを、ある程度理解いたしました。ですが、それはあくまで、都市という限られた環境でのことにございます。この世界の、より深きを知るためには……名もなき一人の放浪者として、各地を巡り、この世界の自然、風土、そして、そこに息づく魔物たちと、直接触れ合う経験が必要不可欠であると、愚考する次第です。その経験こそが、今後の、より困難な任務において、必ずやアインズ様のお役に立つものと、確信しております」
完璧な建前。
要約すれば、「ちょっと、その辺の強いモンスター、しばいてきてもいいっすか?」ということだが、それを、いかにも忠誠心溢れる、自己研鑽のための申し出であるかのように、言い換えた。
これは、賭けだった。
アインズ様は、しばらく黙って、俺の言葉を聞いていた。
やがて、彼は、コツン、と指で玉座を鳴らすと、威厳に満ちた声で言った。
「……素晴らしい。実に、素晴らしい心がけだ、八幡」
その声には、疑いの色など、微塵もなかった。
むしろ、感心している、とでも言うべき響きがあった。
「自らの任務に満足せず、常に高みを目指し、自己の能力を高めようとするその姿勢。それこそが、我がギルド、アインズ・ウール・ゴウンの精神そのものだ! さすがは、スーラータンが創りし者よ!」
(いや、俺はただ、死ぬのが嫌なだけなんですが……)
俺の内心のツッコミなど、アインズ様が知る由もない。
「よかろう! その休暇、許可する! 存分に、この世界を見て回り、己が糧とするが良い! これを、餞別として持っていくがいい」
アインズ様が、指を鳴らすと、俺の目の前に、一つの指輪が転移してきた。
それは、無数の宝石が埋め込まれた、見るからに強力な魔法のアイテムだった。
『リング・オブ・サステナンス』。
装着者の、睡眠、食料、水分補給の必要をなくす、探索にはうってつけのアイテム。
「……ははっ! 御身の慈悲、この八幡、身に染みて感じ入ります……!」
俺は、最大限の感謝を込めて、再び、深く頭を垂れた。
玉座の間を退出した俺は、廊下を歩きながら、手に入れた指輪を指にはめた。
ひんやりとした金属の感触が、俺の決意を、さらに固くする。
(休暇、ねぇ……)
俺は、自嘲気味に呟いた。
奉仕部で、無理難題を押し付けられていた頃と、何も変わらない。
ただ、依頼の規模と、失敗した時のリスクが、天と地ほど違うだけだ。
「さて、と」
俺は、第九階層の自室に戻ると、すぐに旅の準備を始めた。
といっても、俺の持ち物は、黒衣と短剣くらいのものだが。
「まずは、どこへ行くか……」
俺は、デミウルゴスから貰った、帝国の広域地図を広げた。
強力な魔獣がいる場所……人間たちが危険地帯として記した場所を、指でなぞっていく。だが、どれも、俺の心を惹かなかった。
地図に載っている程度の危険など、たかが知れている。本当に価値のある経験値(もの)は、いつだって、常識の外側にこそ存在する。
俺の脳裏に、先日、斡旋所の酒場で聞いた、ある噂が蘇った。
潰れる寸前の酒場で、一人、幻覚でも見るかのように震えていた、老いたワーカー。
彼が、うわ言のように繰り返していた言葉。
『谷だ……霧の、谷……地図には、ない……入った者は、二度と……声が、嘆き声が、聞こえる……』
周りの者たちは、彼をただの酔っぱらいか、狂人として扱っていた。
だが、俺の《腐った目》は、彼の瞳の奥に宿る、本物の恐怖の色を、見抜いていた。
俺は、広げた地図を、指で叩いた。
「……決まりだな」
目指すは、地図に載っていない場所。
噂だけが先行する、禁忌の領域。仮称、『嘆きの谷』。
他の誰もが避けて通る、その道を選ぶ。
それが、比企谷八幡という男の、昔からのやり方だった。
俺の、孤独なレベル上げという名の『休暇』が、今、始まろうとしていた。
それは、誰のためでもない。
ただ、俺自身が、この地獄で生き残るための、静かで、そして必死な、牙研ぎの始まりだった。
挿絵のリクエストです。
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おまかせ
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八幡+シャルティア
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八幡+アルベド
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