悪魔と化したネクロマンサーの突進は、嵐のようだった。 霧を切り裂くその巨体は、一瞬にして俺との距離を詰め、その鋭い爪を振り下ろす。 俺は、それを紙一重で回避すると、悪魔の背後に回り込み、短剣で切り裂こうとした。
ガキン! 硬質な音が響き、短剣の刃が悪魔の皮膚に弾かれる。
(……硬いな。レベルが上がっただけでなく、身体能力も大幅に強化されている。特に、防御力は見た目以上だ)
悪魔は、すかさず振り返り、背中の翼を振るって、霧を巻き上げながら、衝撃波を放ってきた。 俺は、それを《空蝉》で回避する。残像が悪魔の攻撃を受け、霧散した。 悪魔は、幻影を相手に虚しく腕を振るい、その隙を俺は見逃さなかった。 《影潜み》で地面に潜行し、悪魔の死角へと移動する。
(……まずは、能力の把握だ)
俺は、一歩引いて、悪魔の動きを観察することに集中した。 この悪魔は、レベル50クラス。個々の攻撃力は高いが、動きは比較的単調。 魔法系のネクロマンサーが変化したためか、身体の動きには、どこかぎこちなさが残っている。 また、霧の中での視界も、俺ほどは利いていない。 《危険察知》と《魔力探知》が、悪魔の攻撃の予兆を、寸分の狂いもなく俺に伝えてくる。 奴が攻撃を繰り出す瞬間、その魔力の流れが、僅かに変化するのだ。
(……なるほど。実験には、もってこいの素材、というわけか)
俺は、冷徹な分析官のように、悪魔の行動パターンを頭の中で構築していく。
『攻撃範囲』、『攻撃速度』、『魔力消費量』、『硬直時間』。 それらのデータを、この短い交戦時間で、瞬時に、そして正確に収集していく。 奉仕部で、人間関係という、最も不確定な要素を分析し、最適な解決策を導き出してきた経験が、こんな場所で、思わぬ形で活かされていた。
俺は、悪魔の攻撃を、最小限の動きで回避し続けながら、徐々に、反撃に転じていく。 短剣での斬撃は、表面的な傷しか与えられない。
(……ならば、重点的に狙うべきは、やはり弱点か)
《弱点看破》スキルが、悪魔の身体に、わずかに存在する脆い箇所を、赤い光点として俺に示していた。 首筋、関節の隙間、そして、胸の奥で不規則に蠢く、生贄の生命力の源。
俺は、悪魔の攻撃を誘発し、その隙を突き、ピンポイントで弱点を狙い続けた。 短剣が、悪魔の肘関節の隙間を的確に捉え、ブシュッ! と血飛沫が上がる。 悪魔は、悲鳴を上げ、バランスを崩した。 その隙に、俺は悪魔の背後に回り込み、背中の翼の付け根を狙って、連続で短剣を突き立てる。 ザシュッ! ザシュッ! 悪魔の翼は、見る見るうちに傷つき、動きが鈍っていく。
(……この程度か)
俺の心に、焦燥は微塵もなかった。 この悪魔は、確かに強い。普通のワーカーならば、一瞬で葬り去られるだろう。 だが、それは、この世界の『常識』というフィルターを通して見た強さだ。 俺が相対するのは、レベル100。ナザリックの守護者たち。 彼らと比べれば、この悪魔は、まだまだ『実験体』としてしか見えない。
俺は、悪魔の動きが鈍ったのを確認すると、最後の一撃へと移行する。 俺は、一度悪魔から距離を取り、大きく息を吸い込んだ。 そして、妖気を全身に集中させる。 《腐蝕の呪い》を、最大出力で、短剣に込める。 短剣の刃が、禍々しい黒いオーラを纏い、まるで生きているかのように蠢いた。
「これで、終わりだ」
俺は、悪魔に向かって、一直線に突進した。 悪魔も、残された力を振り絞り、渾身の一撃を放とうとする。 だが、既にその動きは、俺には全て見切れていた。
俺は、悪魔の攻撃を、紙一重でかわすと、その懐に飛び込み、黒いオーラを纏った短剣を、悪魔の胸の、最も深く、そして、生贄の生命力が最も濃い部分へと、真っ直ぐに、突き刺した。 グジュッ! 生々しい音が響き、短剣の刃が悪魔の身体を貫通した。 そして、その傷口から、《腐蝕の呪い》が、悪魔の身体を、内側から食い破り始めた。
「ガ、アアアァ……! わ、我が……主……!」
最期の瞬間、悪魔の獣じみた顔に、一瞬だけ、かつてのネクロマンサーの面影がよぎった。 その眼差しには、主への狂信的な忠誠と、そして、為し遂げられなかった計画への、深い絶望が入り混じっていた。 だが、その感情も、腐蝕の呪いによって、急速に消滅していく。 悪魔の巨体は、霧の中にゆっくりと崩れ落ち、やがて、完全に沈黙した。 そして、他のフォグ・クリーパーと同じように、魔力の残滓と共に、跡形もなく霧へと溶け込み、消え去った。
静寂が、再び谷を支配する。 短剣を引き抜いた俺は、血と体液で汚れた刃を、無造作に地面に突き立てて清めると、鞘に収めた。 額に滲む汗を拭い、一度、大きく息を吐き出す。 全身に張り詰めていた緊張が、ゆっくりと弛緩していく。
【経験値を、18,500ポイント獲得しました】
ポップアップした通知を見て、俺は小さく鼻を鳴らした。
(一体で、この程度か。レベル50クラスの悪魔でも、レベル89の俺には、そこまで美味くはないな)
レベル89から90に上がるまでの途方もない経験値を考えれば、まだまだ道のりは遠い。 やはり、この谷に潜む、さらなる『上位種』とやらを狩る必要がある。 そして、あのネクロマンサーが言っていた『我が主』の復活という計画。その全貌を解明し、完全に潰すこと。それが、今の俺の、最優先事項だ。
俺は、悪魔が倒れた場所に残されていた、微弱な魔力の痕跡を辿った。 そこには、ネクロマンサーが持っていた黒い短剣が、一本、落ちていた。 禍々しい輝きを放っていたはずのそれは、今では、ただの何の変哲もない鉄の塊に戻っている。魔力は、完全に失われていた。
(……やはり、一時的な強化だったか。あの祭壇、あるいは、あの紋様自体が、力の源か)
俺は、祭壇に目を向けた。 巨大な岩のレリーフに彫られた、あの不気味な紋様は、悪魔が消滅した今も、なお、微かに光を放っている。 そして、祭壇に縛り付けられたままの、生贄の冒険者。 彼もまた、生命力を吸い尽くされ、既に息絶えていた。 その胸元には、紋様が焼き印のように深く刻み込まれている。
(この紋様……やはり、ただの魔法陣じゃないな)
俺は、祭壇に近づき、その紋様を指でなぞった。 ひんやりとした岩の感触。しかし、指先には、微かに、何かの意志のようなものが感じられた。 それは、古く、深く、そして、邪悪な意思。 この谷の『主』。 ネクロマンサーが復活させようとしていた存在。
その瞬間、俺の耳元で、微かに、何かの声が聞こえた気がした。 それは、言葉にはならない、しかし、確かに『意志』を持った、囁きのようなもの。 まるで、谷そのものが、俺に語りかけているかのように。
『……近づくな……』
『……去れ……』
『……我らの……眠りを……妨げるな……』
幻聴、か? いや、違う。 これは、《危険察知》が、さらに深いレベルで捉えた、『何か』の存在を告げる、警告だ。 この谷には、あのネクロマンサーの『主』以上に、根源的な、古き『何か』が、眠っている。 そして、ネクロマンサーはその『何か』の力を借り、あるいは利用しようとしていたに過ぎない。
俺は、祭壇から一歩、退いた。 そして、その奥から、さらに深い谷底へと続く、隠された道があることに気づいた。 そこは、これまで通ってきた道よりも、さらに霧が濃く、青白い苔の光も、ほとんど届かない。 まさしく、深淵と呼ぶに相応しい、闇の入り口。
(……どうする?)
奥に進めば、間違いなく、今までの怪物とは比較にならない、本当の『主』とやらと遭遇するだろう。 それは、俺にとって、絶好の経験値稼ぎの機会であり、ナザリックにとっての脅威の根源を断つ『仕事』でもある。 だが、同時に、危険も跳ね上がる。 レベル89の俺でも、迂闊に踏み込めば、命を落としかねない、本当の死地。
「……行くか」
俺は、静かに呟いた。 どうせ、この世界が地獄なら、より深い地獄の底で、踊り狂ってやる。 そして、その果てに、俺が求める『力』を、手に入れてやる。
俺は、短剣を握りしめ、覚悟を決めた。 その足は、迷いなく、霧の奥へと続く深淵の道へと、踏み出された。 真の『嘆きの谷』が、俺を、待っている。
挿絵のリクエストです。
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