絶望には、色も音も、匂いもない。 ただ、冷たい鉄の感触と、心臓を直接握りつぶされるような無力感だけが、私たちの世界の全てだった。 お父様とお母様が亡くなり、大好きだった姉様――アルシェ姉様が帰ってこなくなってから、私たちの世界はあっという間に色を失った。貴族の屋敷は取り上げられ、私たちは路地裏をさまよい、そして、気付けばこの男たちの手に落ちていた。
森の中は暗く、男たちの笑い声は獣の唸り声よりも恐ろしかった。 鎖の冷たさが、手首の皮を擦り剥く。
「こいつらは上玉だぜ」
「魔力持ちの双子なんざ、滅多に出回らねえ」
彼らの言葉は、私たちを『物』としてしか見ていなかった。そして、新しく現れた、顔に傷のある男の目は、もっといやらしい光を宿していた。 もう、おしまいだ。 そう思った。クーデリカと手を強く握り合い、ただ震えることしかできなかった。姉様、助けて。心の中で何度叫んでも、返事はなかった。
その時だった。 森の闇から、もう一つの影が、音もなく現れた。 フードを目深に被り、全身を黒っぽい旅装束で覆った、背の高い男。 その声は、低く、何の感情も乗っていなかった。
「―――悪いが、その商品、俺が買い取らせてもらう」
一瞬、希望がよぎった。もっとマシな人に買ってもらえるのかもしれない、と。 でも、その希望はすぐに恐怖に変わった。 男たちの間に、険悪な空気が流れる。怒声が飛び交う。私たちは、ただ怯えて、そのやり取りを見ていることしかできなかった。
そして、信じられないことが起きた。 黒い服の男は、突然、私たちに背を向け、森の中へ歩き去ろうとしたのだ。
「な、なんで……!」
声にならない叫びが、喉の奥で詰まる。見捨てられた。そう思った。
男たちが、その背中に悪態をついた、次の瞬間。 影の男の姿が、ふっと、かき消えた。
「な、なんだ!?」
男たちが動揺する声が聞こえる。 何が起きたのか、わからなかった。ただ、森の闇が、一瞬だけ濃くなったような気がした。
次の瞬間、悲鳴すら上がらなかった。 男たちが、一人、また一人と、まるで糸の切れた人形のように、音もなく崩れ落ちていく。 斬られた音も、殴られた音もしない。 ただ、影が揺らめいたように見えた次の瞬間には、屈強な男が地面に倒れている。 それは、戦いですらなかった。 まるで、嵐の後の森で、木の葉が静かに落ちていくような、あまりにも静かで、一方的な『終わり』だった。
私とウレイリカは、腰を抜かし、その場にへたり込んだ。 目の前には、黒い影の男が一人、立っている。 その手には、濡れた光を放つ、短い剣が握られていた。 怖い。 ただ、怖かった。 この人は、あの男たちよりも、もっとずっと恐ろしい存在なのではないか。
男は、私たちの前にしゃがみ込むと、鎖を外してくれた。 その手つきは、驚くほど静かで、優しかった。 そして、私たちがずっと欲しかった言葉をくれた。
「……とりあえず、お前たちは自由だ」
自由。 その言葉の意味が、すぐには理解できなかった。 男の人は私たちに金貨を渡そうとし、ここから離れろと言うがどこに行ったら良いかなんてわからない。なんで、助けたのかを聞いても男の人の声が小さすぎて私たちには聞こえなかった。
「……これから、どうするつもりだ? 行く当てもないのなら、どこか、安全な街まで送ってやる」
私たちは互いの顔を見合わせ、小さく頷いた。
それをみた男の人は私たちに約束をするように言った
「二度と、誰にも、このことを話すな。そして、俺たちのことは、忘れろ」
男の人は、それ以上何も言わず、私たちを連れて森を歩き始めた。 一度も振り返らず、一度も話しかけず、ただ黙々と、私たちをどこかへ導いていく。 その大きな背中は、恐ろしいはずなのに、なぜか、少しだけ、安心できた。
そして、私たちは、一つの町に着いた。 石畳の道、パンの焼ける匂い、人々の笑い声。 私たちが、もう二度と見ることができないと思っていた、普通の、温かい光景。
男の人は、一軒の家の前で立ち止まった。
「ここがお前たちの新しい家だ」
そう言って、鍵と、見たこともないほどの金貨が入った袋を、私たちの前に置いた。 家。お金。 意味が分からなかった。どうして、見ず知らずの、こんな汚い私たちに、こんなものを?
「あ、あの……あなた様は……」
クーデリカが、勇気を振り絞って尋ねた。
「なぜ、私たちに、ここまで……」
フードの奥から、男の人の声が、小さく、そして少しだけ、寂しそうに聞こえた。
「……ただの、通りすがりの、偽善者だ」
偽善者。 その言葉の意味は、よく分からなかった。 でも、その声は、今まで聞いた誰の声よりも、優しく聞こえた。
「このことは、誰にも話すな。俺たちのことも、忘れろ。お前たちが、平穏に暮らすことが、俺への最大の『礼』だと思え」
そう言うと、男の人は、私たちに背を向け、町の雑踏の中へと消えていった。 まるで、最初からそこにいなかったかのように。 あっけなく、静かに。
私とウレイリカは、しばらくの間、その場に立ち尽くしていた。 そして、手の中にある、冷たくて重い鍵を、ぎゅっと握りしめた。 ゆっくりと、扉を開ける。 中は、少し埃っぽいけれど、陽の光が差し込む、温かい部屋だった。 キッチンがある。ベッドがある。屋根がある。
「……クーデリカ……」
ウレイリカが、私の名前を呼んだ。 その声は、震えていた。
「……うん」
私も、それ以上、言葉が出なかった。 二人で、ただ、抱き合った。 温かい。生きている。私たちは、自由なんだ。
あの影の男の人のことは、きっと一生忘れない。 彼が誰で、何者だったのか、私たちには分からない。 でも、彼は、私たちに『明日』をくれた。 絶望の底にいた私たちを、陽だまりの中へと、引き上げてくれた。
私たちは、この家で、生きていこう。 姉様が帰ってくるかもしれない。
そして、いつか、またあの男の人に会えたなら。 今度は、ちゃんとお礼を言いたい。
「ありがとう」と。
私たちの、名も知らぬ、偽善者の英雄に。
次回の投稿ですが、少し遅くなりそうです・・・
挿絵のリクエストです。
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おまかせ
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八幡+シャルティア
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