アゼルリシア山脈での長い任務を終え、俺はようやくナザリックへと帰還した。
泥と返り血に塗れた装備を外し、熱いシャワーを浴びて、自室のベッドにダイブする。
久方ぶりの、死ぬ心配のない空間。 俺は枕元に置いてある、ナザリック謹製の甘いコーヒー牛乳(マックスコーヒーの代用品)を一口すすった。
「……終わった」
報告書は、帰還直後にアルベドへ提出済みだ。
そして、その分厚い書類の束の最下段には、渾身の力を込めて書き上げた『有給休暇申請書』を忍ばせておいた。 どさくさに紛れて提出するという高等テクニックだ。
もしバレても「あ、混ざってました?」としらばっくれる予定だが、アインズ様の性格なら、功績に免じてハンコを押してくれる可能性が高い。
俺は天井を見上げ、ニヤリと笑った。
これで明日からは、誰にも邪魔されない至福の引きこもりライフが待っている。
目覚まし時計をかけずに眠り、本を読み、二度寝する。 これぞ、労働者の権利。これぞ、文明人の営み。
「……さて、寝るか」
俺が布団を頭まで被り、幸福な眠りにつこうとした、その時だった。
コンコン。
無慈悲なノックの音が、俺のささやかな平和を粉砕した。
「……誰ですか」
俺は布団の中から、極力気配を殺して問いかけた。居留守を使いたい。切実に。
「一般メイドのフォアでございます。八幡様、起きていらっしゃいますか?」
「……寝てます」
「アインズ様より、至急、執務室へ出頭するようにとのご命令です」
「……」
俺の思考が数秒停止した。
至急。出頭。
この二つの単語が意味するものは、ロクなことではない。
まさか、申請書がバレて怒っているのか?
それとも、シャルティアが帰還後に何かやらかして、連帯責任を取らされるのか?
「……分かりました。すぐに行きます」
俺は重い体を起こし、幸福の抜け殻(布団)から這い出た。
胃が痛い。 せっかくのリラックスムードは霧散し、代わりに社畜特有の憂鬱さが全身を支配する。
第九階層、アインズ様の執務室。 重厚な扉の前に立つと、俺の足取りは鉛のように重くなっていた。
「失礼します。八幡、参りました」
部屋に入ると、アインズ様は執務机の奥で、書類を手に座っていた。
その横には、俺が提出した報告書の束が積まれている。
そして、その一番上には……あの『有給休暇申請書』が置かれていた。
(……ああ、終わった。やっぱりバレてた) 俺は心の中で合掌した。
「うむ、来たか八幡。……休んでいるところを呼び立ててすまないな」
アインズ様の声は、意外にも穏やかだった。
「いえ……アインズ様のお呼びとあれば、いつでも」
「まずは座れ」
促されてソファに座る。俺は、まな板の上の鯉の心境だ。
「単刀直入に言おう。……今回の働き、見事であった」
アインズ様が口火を切った。
「ドワーフとの国交樹立、ルーン工匠の確保、そしてクアゴアの従属。全ての目的を完璧に達した。特に、シャルティアの制御に関しては、私の期待以上の成果だ。彼女の報告書を見ても、精神的に大きく成長したことが読み取れる」
「……はっ。恐縮です」
お褒めの言葉。ここまでは予想通りだ。
問題はここからだ。
アインズ様は、手元の『有給休暇申請書』を手に取った。 俺の心臓が早鐘を打つ。
「そして、これだが……」
アインズ様は、申請書をジッと見つめる。
「も、申し訳ありません! どさくさに紛れて提出するなど、不敬極まりないとは存じておりますが、決して仕事を放棄するつもりなど……!」
俺が必死に弁解の言葉を紡ごうとした、その時。
ポン。
乾いた音が響いた。 アインズ様が、手にしたスタンプを、申請書に力強く押したのだ。
そこには、真紅のインクで『承認』の文字が輝いている。
「……え?」
俺は呆気にとられた。
「許可する」
アインズ様は、ハンコの押された申請書を俺の方へ滑らせた。
「今回の任務は過酷だったろう。十分な休養が必要だ。申請通りの休暇を与える。……ゆっくり休むがいい」
「あ……ありがとうございます!!」
俺は深々と頭を下げた。 勝った。俺は勝ったんだ。
ナザリックというブラック企業で、正当な権利をもぎ取ったんだ!
俺の心の中で、ファンファーレが鳴り響く。
俺が申請書を大事に懐にしまい、退出の許可を待っていると、アインズ様がふと、声を潜めた。
「……さて、八幡。業務連絡は以上だ」
アインズ様は、どこか言いづらそうに、指を組んだ。
「ここからは……少し、個人的な相談に乗ってもらいたいのだが」
「……相談、ですか?」
休暇をもらえた高揚感で気が大きくなっていた俺は、安請け合いしそうになったが、アインズ様の真剣な眼差しに気圧された。
「ああ。……人事に関する、本気の相談だ」
アインズ様は、深くため息をついた(ように見えた)。
「八幡。お前は、このナザリックで唯一、私に対して堂々と『休みが欲しい』と申請してきた男だ」
「……は、はい(それは褒め言葉なんでしょうか?)」
「正直に言おう。私は……悩んでいる」
絶対支配者であるはずの魔導王が、弱々しく肩を落とした。
「他の守護者たちは、休みを与えても休まない。不眠不休で働くことが忠義だと思っている。……だが、私の元いた世界の基準で言えば、それは異常だ。いわゆる『ブラック企業』だ」
『ブラック企業』。
その単語が出た瞬間、俺とアインズ様の間にあった「支配者と下僕」という壁が、ガラガラと崩れ落ちた気がした。
「私は、彼らに休んでほしいのだ。ホワイトな環境を作りたいのだ。だが、私が『休め』と命じても、彼らは『アインズ様に見捨てられた』『役立たずだと思われた』と勘違いして、逆に精神を病んでしまう。……どうすればいいと思う?」
アインズ様は、すがるような目で俺を見た。
「お前なら分かるか? 労働者としての視点から、どうすれば彼らが、心安らかに休んでくれるようになると思う?」
(……この人、マジだ。本気で部下の働きすぎを心配してる)
俺は、懐に入れたばかりの休暇申請書の重みを感じながら、居住まいを正した。
休暇をくれた恩義もある。
何より、この「休み下手な同僚たち」のせいで、俺の休みが取りづらくなっている現状は打破せねばならない。
これは、俺自身の将来の安寧のためにも、重要なミッションだ。
「……恐れながら、アインズ様。率直に申し上げます」
「うむ。頼む」
「彼らが休まないのは、休むことが『悪』であり『怠慢』だと思っているからです。ナザリックにおいては『アインズ様のために働くこと』が至上の喜びであり、休むことはその喜びを放棄することと同義ですから」
「うむ……その通りだ」
「ですから、定義を変える必要があります」
俺は、腐った目で力説した。
「『休むこともまた、アインズ様への貢献(仕事)である』と」
「……ほう?」
「疲労した状態で働き続ければ、効率は落ち、ミスも増えます。それは結果としてアインズ様の利益を損なう。……逆に、適度に休み、万全の状態で働くことが、最も高いパフォーマンスを発揮し、アインズ様への最大の忠義となる。……そう思い込ませるのです」
アインズ様が、感心したように唸った。
「なるほど……。『休むこと=忠義』か。逆転の発想だな」
「はい。そして、そのためには『モデルケース』が必要です」
俺は続けた。
「誰かが率先して休みを取り、そしてリフレッシュした後に、以前よりも素晴らしい成果を上げてみせる。……『ああ、休むとこんなに良い仕事ができるんだ』という実例を、守護者たちに見せつけるのです」
アインズ様は、深く頷いた。
そして、その眼窩の奥の光を、ギラリと俺に向けた。
「素晴らしい意見だ、八幡。……つまり、お前だな?」
「……へ?」
「お前が、その『モデルケース』になってくれるというわけか。今回の任務で成果を上げ、そして休暇を取り、復帰後にさらなる成果を上げる。……お前こそが、ナザリックの新しい働き方を体現する存在だ!」
「あ、いや、私はただ、自分がだらだらしたいだけで……」
「よし、決めた!」
アインズ様は立ち上がり、高らかに宣言した。
「八幡! お前を『ナザリック労働環境改革推進・特別補佐官』に任命する! 今後は特定の部署に属さず、各守護者の副官をローテーションで務めながら、彼らに『正しい休みの取り方』と『効率的な働き方』を教育してやってくれ!」
俺は口を開けたまま固まった。
……副官のローテーション? 教育係? 特別補佐官?
「今回の休暇も承認するが、それはただの休みではない。『モデルケースとしての実証実験』だ。しっかりと休み、英気を養い、その効果をその身をもって証明してくれ。……期待しているぞ、八幡!」
俺は、手の中の承認済み申請書を見つめた。
休みは取れた。 だが、それは「休むこと自体が仕事」という、哲学的かつ逃げ場のない責務へと変貌していた。
「……善処、致します」
俺は深々と頭を下げた。 執務室を出た俺は、廊下の天井を仰いで、深いため息をついた。
(……結局、リラックスなんて夢のまた夢かよ)
俺の『ナザリック・ホワイト化計画』。
それは、俺自身の安眠を守るための戦いであり、同時に、この巨大組織の社畜体質を根底から覆すための、長きにわたる闘争の始まりだった。
挿絵のリクエストです。
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おまかせ
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八幡+シャルティア
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八幡+アルベド
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八幡+デミウルゴス
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八幡+コキュートス
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八幡+アウラ
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八幡+マーレ
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八幡+アインズ様
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八幡+メイド達