プレアデスの改革を終えた俺は、重い足取りで第九階層の廊下を歩いていた。
次なるターゲットにして、最後の難関。
執事長、セバス・チャン。
正直に言えば、俺は彼と顔を合わせたくなかった。
先日、『嘆きの谷』から帰還した際に交わした、彼とツアレとの会話。
『守るべきものがあるからこそ、強くなれる』
『愛は、絶望さえも打ち破る力を与えてくれる』
彼らが体現していた、嘘偽りのない、純粋で強固な絆。
俺がずっと探し求め、そして手に入れることを恐れてきた『本物』の光。
その眩しすぎる正義と愛情を前にすると、俺の捻じ曲がった理屈や、小賢しい計算など、全てが薄汚れたまやかしのように思えてしまうからだ。
(……だが、仕事は仕事だ。アインズ様の命令である以上、逃げるわけにはいかない)
俺は小さく息を吐き、セバスの執務室の扉を叩いた。
「お入りなさい」
落ち着いた、深い声。
中に入ると、セバスは書類仕事の手を止め、完璧な姿勢で立ち上がった。
そして、部屋の隅には、彼の身の回りの世話をしているツアレの姿があった。
彼女は俺を見ると、少しだけ緊張したように会釈をした。
「八幡様。わざわざこちらへお越しいただき、恐縮の極みです」
セバスは深く頭を下げた。
「……いえ。セバスさん、今日はアインズ様からの特命でお伺いしました」
俺は、あの時の気まずさを隠すように、あくまで事務的なトーンで切り出した。
「単刀直入に言います。アインズ様は、貴方の労働環境を懸念しておられます。メイドたちやプレアデスにも週に一度の『完全な休日』を設けました。……セバスさん、貴方も休暇を取ってください」
セバスは、その言葉を聞いても一切表情を崩さなかった。
そして、静かに、しかし絶対的な意志を持って首を振った。
「お気遣い、痛み入ります。そしてアインズ様の慈悲深さには、涙が出る思いです。……ですが、私はお断りいたします」
「……理由は?」
「私は、至高の御方々に仕えるために生み出された存在。身を粉にして働くことこそが至上の喜びであり、疲労など感じません。加えて……」
セバスは、傍らに立つツアレを優しい目で見やった。
「アインズ様は、私の身勝手な願いを聞き入れ、彼女(ツアレ)をナザリックに迎え入れるという、途方もない恩情をかけてくださいました。この御恩に報いるためにも、私に立ち止まる時間など一秒たりともありません」
(……出たよ。完璧超人すぎる)
俺は内心で頭を抱えた。
シャルティアやコキュートスのように「アインズ様のため」と方向転換させることも、プレアデスのように「個人の欲望」を刺激することもできない。
彼の中にあるのは、純度100%の「忠義」と「正義」と「感謝」だけだ。
俺の屁理屈が入り込む隙間が、一ミリも存在しない。
「……セバスさん。貴方のその高潔な精神は否定しません」
俺は、苦し紛れに言葉を紡ぐ。
「ですが、上に立つ者が休まなければ、下は休めません。貴方が24時間働き続けていれば、メイドたちは『自分たちだけ休んでいいのだろうか』と罪悪感を抱いてしまいますよ」
俺の「上司の背中理論」は、彼のような責任感の強い男には効くはずだ。
だが、セバスは穏やかに微笑んだ。
「その点についてはご心配なく。私は既にメイドたちに『八幡様が作ってくださった貴重な時間を、存分に楽しむように。それが現在のアインズ様への奉仕の形である』と通達しております。彼女たちが私に気兼ねすることはありません」
(……論破された。防壁が厚すぎる)
理詰めでも、情に訴えてもダメだ。
この男は、自分が犠牲になることに何の疑問も持っていない。
八方塞がりだ。
俺が諦めて引き下がろうとした、その時。
「……あの」
ずっと黙って控えていたツアレが、おずおずと口を開いた。
「セバス様……。八幡様のおっしゃる通りです。少しは、お休みになってください」
セバスが、少しだけ驚いたようにツアレを見た。
「ツアレ。私は疲れてなど……」
「知っています。セバス様がとてもお強いこと。でも……」
ツアレは、ギュッとエプロンを握りしめ、俺を見た。
その瞳には、かつて見た真っ直ぐな光が宿っていた。
「でも、私は……セバス様がずっと働き詰めで、私ばかりが安全な場所で休ませていただいているのが、とても……苦しいんです。時々、不安になります。私がいるせいで、セバス様が無理をして、いつか倒れてしまうのではないかと……」
彼女の声は震えていた。
それは、セバスの絶対的な力を疑っているからではない。
ただ純粋に、愛する人が休むことなく動き続けていることへの、人間らしい「心配」だった。
セバスの完璧な仮面に、僅かな動揺が走った。
「ツアレ……。私は、貴女にそんな思いをさせるために助けたわけでは……」
(……ここだ!)
俺は、一瞬の隙を見逃さなかった。
セバスという男を動かす、たった一つの弱点。いや、強さの源。
「セバスさん」
俺は、ワザと少し冷たい声を出した。
「貴方は、彼女に『生きることの尊さ』を教えたんですよね」
「……はい。そのつもりです」
「ならば、今の貴方の姿は、彼女の目にどう映っていると思いますか?」
俺は、セバスの目を真っ直ぐに見据えた。
「貴方は完璧な執事かもしれない。アインズ様への忠誠も本物だ。……ですが、貴方が休まず、自分の全てを犠牲にして働き続ける姿は、彼女に『自分のせいで恩人がすり減っている』という罪悪感を植え付けている。……それは、彼女に『人間としての幸せ』を与えていると言えますか?」
セバスが、息を呑んだ。
「貴方は、彼女に『愛』を教えたと言った。なら、愛する人を安心させるのも、貴方の責任でしょう」
俺は、決定的な一言を放った。
「……執事としての仕事は完璧でも、一人の男としては、どうなんですか?」
沈黙が降りた。
俺の言葉は、酷く乱暴で、傲慢なものだったかもしれない。
だが、セバスは怒るどころか、深く、深く目を伏せた。
「…………」
数秒の静寂の後、セバスはゆっくりと目を開き、ツアレに向き直った。
「……ツアレ。貴女に、そのような悲しい思いをさせていたとは。……私の不徳の致すところです」
「い、いえ! 私はただ、セバス様にも自分の時間を……」
セバスは、優しくツアレの手を取った。
そして、俺の方に向き直り、深々と……かつてないほど深く、頭を下げた。
「八幡様。……完敗です。貴方のおっしゃる通りだ」
セバスの顔には、執事としての厳格さではなく、一人の不器用な男としての苦笑いが浮かんでいた。
「私は、忠義に目を奪われるあまり、一番身近で私を案じてくれている存在の心に、気づけていなかった」
「……分かればいいんです」
俺は、照れ隠しに視線を逸らした。
「八幡様。……休暇の申請、お受けいたします。……ですが、私には休日の過ごし方が分かりません。どうすれば良いでしょうか?」
「簡単ですよ」
俺は、ポケットに突っ込んでいた手を出した。
「貴方を創られた『タッチ・ミー様』は、真の紳士だったと聞いています。……紳士の休日の嗜みをご存知ですか?」
「……いえ。ご教示いただけますか」
「レディのエスコートですよ」
俺は、ツアレを顎でしゃくった。
「彼女は、ずっとナザリックの中に閉じこもっている。ここは安全ですが、それだけです。……休日は、彼女を連れて、エ・ランテルなどの人間の街に出かけてください」
「街へ……?」
「ええ。美味しいものを食べ、綺麗な服を買い、普通の人間が送る『平和な日常』を、彼女に味わせてあげてください。……それが、彼女を助けた貴方が果たすべき、本当の責任じゃないですか?」
セバスの目が、大きく見開かれた。
そして、隣のツアレを見ると、彼女の顔はパァッと明るく輝き、嬉しさのあまり頬を紅潮させていた。
「……なるほど。街へのエスコート、ですか」
セバスは、ツアレの喜ぶ顔を見て、ようやく心の底からの、柔らかな笑みを浮かべた。
「素晴らしいご提案です。……タッチ・ミー様も、きっとそれをお望みになるでしょう。八幡様、貴方は……本当に、恐ろしい方だ。私の心の奥底を見透かし、最も正しい答えを導き出してくださる」
「……買いかぶりすぎです。俺はただ、俺の仕事(ノルマ)をこなしただけですから」
俺は、居心地の悪さに耐えきれず、背を向けた。
「じゃあ、そういうことで。……休日のシフト調整はこちらでやっておきます。せいぜい、羽を伸ばしてきてください」
「はい。……八幡様、本当に、ありがとうございました」
背後から、二人の心からの感謝の声が響いた。
執務室を出て、扉を閉める。
廊下を歩きながら、俺は深いため息をついた。
(……あーあ。結局、俺から『リア充のデートプラン』を提案しちまったよ)
自分が一番忌み嫌っていたはずの行動。
だが、不思議と嫌な気分ではなかった。
あの眩しすぎる『本物』の二人が、少しでも幸せな時間を過ごせるなら、俺の小賢しい理屈も、少しは役に立ったと言えるだろう。
「……ま、これで俺の仕事も、ようやく一段落ってわけだ」
ナザリックの労働環境は、これで劇的に改善されるはずだ。
そして、俺自身の「平和で怠惰な休暇」も、ようやく手に入る。
そう信じて疑わなかった俺の前に、満面の笑みを浮かべたアルベドが現れるまで、あと数分の猶予が残されていた。
めっちゃ遅れました。
ごめんなさい。
次は来週あたりに上げられたら上げます!
挿絵のリクエストです。
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おまかせ
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八幡+シャルティア
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八幡+アルベド
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八幡+デミウルゴス
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八幡+コキュートス
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八幡+アウラ
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八幡+マーレ
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八幡+アインズ様
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八幡+メイド達