アウラとマーレの労働環境改善を終え、俺はかつてないほどの重い足取りで、指定された座標への転移門(ゲート)をくぐった。
行き先は、ナザリック地下大墳墓の外。
アベリオン丘陵と呼ばれる荒野にひっそりと建設された、巨大な生産拠点。
第七階層守護者、デミウルゴスが管理する通称『牧場』である。
「ようこそお越しくださいました、八幡殿。特別補佐官殿の視察を歓迎いたしますよ」
銀縁眼鏡で何を考えてるかわからない顔で微笑む悪魔。デミウルゴスが、完璧な礼儀作法で出迎えてくれた。
仕立ての良いスーツを着こなすその姿は、一流企業の有能なエグゼクティブにしか見えない。
「お忙しいところ申し訳ありません、デミウルゴスさん。本日は貴方の業務状況の確認と、労働環境のヒアリングに参りました」
俺も、極めて事務的に、隙を見せないよう敬語で返す。
「ええ、存じております。アインズ様の慈悲深き御心には、感服するばかりです。……さあ、まずは私の『職場』をご案内しましょう」
デミウルゴスに先導され、俺は施設の中を歩いた。
そこでは、低位魔法のスクロール(羊皮紙)の材料となる「羊」の飼育と、皮の剥ぎ取り、そして治癒魔法による回復作業が、ベルトコンベア式に行われていた。
「これが、我が牧場が誇る『両脚羊(アベリオン・シープ)』の生産ラインです。極めて効率的でしょう?」
「…………」
俺は、檻の中にいる「それ」を見た。
二本足で立つ羊。否。
皮を剥がれ、治癒魔法で無理やり生かされ、生気のない虚ろな目をしているのは、どう見ても人間や亜人たちだった。
(……なるほど。これが、ナザリックの『裏側』か)
背筋に氷を押し当てられたような悪寒が走る。妖怪としての強靭な肉体を持ってしても、元の世界で培われた精神の根底から胃液がせり上がってくるのを、俺は必死に奥歯を噛み締めて堪えた。
倫理。道徳。人権。
俺がかつて生きていた人間の世界の常識からすれば、ここは間違いなく地獄だ。許されざる悪逆非道だ。
だが、俺は叫ばない。「やめろ」と正義を振りかざしたりはしない。
俺はこの異世界に在り、アインズ・ウール・ゴウンという絶対者の庇護下に入って、ナザリックという組織の歯車として生きることを選んだのだ。彼らの利益を享受しておきながら、彼らのやり方を綺麗事で否定する権利など、俺にはない。
それに、俺がここで感情的になれば、デミウルゴスは即座に俺を「ナザリックの不利益(敵)」とみなし、排除するだろう。
俺にできるのは、ただ一つ。
(……すまない。俺には、お前たちを救うことはできない)
俺は、心の中で彼らに向かって深く手を合わせた。
悪いとは思う。だが、これが俺の現在地なのだ。
「……素晴らしい効率ですね。一切の無駄がない」
俺は、腐りきった、感情を完全に死滅させた目でデミウルゴスを見た。
「おや」
デミウルゴスの糸目が、わずかに見開かれた。
「八幡殿。貴方は元々、人間の世界に近しい感性を持つ『妖怪』であると推察しておりましたが……この光景を見て顔色一つ変えませんか」
デミウルゴスは、品定めをするように俺の目を覗き込んだ。
「……ふふ。やはり、アインズ様が見込まれただけのことはある。種族の枠を超え、貴方は本当に、我々と同じ『こちら側』の存在なのですね」
デミウルゴスの声に、明確な『歓喜』と『警戒』が混じった。
どうやら、最初の「踏み絵」はクリアしたらしい。
応接室に通された俺は、デミウルゴスが提出した膨大な業務資料に目を通した。
牧場の管理、情報収集網の構築、聖王国への謀略、ヤルダバオトとしての活動……。
「……完璧ですね。恐ろしいほどに」
俺は資料を置き、偽りない感想を漏らした。
「部下たちの能力を完全に把握し、適材適所に配置している。進行中のプロジェクトに一切の遅滞もない。……貴方自身の労働時間以外は、ですが」
デミウルゴスは、不眠不休でこれら全てを統括している。
「お褒めにあずかり光栄です。ですが、私に休息など不要ですよ。至高の御方のために知略を巡らせることこそ、私の存在意義であり、最高の娯楽ですから」
「ええ、分かっています。貴方から仕事を奪うことは、貴方の誇りを奪うことと同義でしょう」
俺は頷き、そして、鋭く目を細めた。
「ですが、デミウルゴスさん。貴方の構築したこの完璧なシステムには、一つだけ『致命的な弱点』があります」
「……ほう?」
デミウルゴスの笑みが消え、部屋の温度が数度下がった気がした。悪魔の知性を否定するような発言。一歩間違えれば首が飛ぶ。
「教えていただきましょうか。私のシステムの、どこが致命的だと?」
「『中間管理職』が存在しないことです」
俺は、一切の怯えを見せずに言い切った。
「貴方は優秀すぎる。貴方がトップダウンで完璧な指示を出すため、各グループのリーダーが育っていません。貴方の部下たちは、貴方の手足としては最高峰ですが……自分の頭で考えることを放棄した『指示待ちのロボット』になっています」
デミウルゴスは、顎に手を当てて思考を巡らせた。
「……手足は、頭脳(私)の指示通りに動けば事足りるはずですが?」
「平時はそうでしょう。ですが、もし『貴方のマニュアルにない予想外の事態』が起きたら? 例えば、未知の強者が突然転移してきて、貴方との通信が完全に遮断されたら?」
俺は、かつてのシャルティア洗脳事件を暗に匂わせた。
「貴方の指示を失った部下たちは、自ら判断して動くことができず、硬直します。……手足が機能停止すれば、いくら頭脳が優秀でも組織は崩壊する。アインズ様は、そのような『脆さ』を望んでおられるでしょうか?」
「…………!」
デミウルゴスの表情が驚愕に染まった。
「なるほど……。指揮系統の断絶時の、自律行動能力の欠如。……確かに、私は彼らを『私の駒』として最適化しすぎていたかもしれない」
「そこで、提案です」
俺は、本題を切り出した。
「部下たちの自律性を高めるための『抜き打ちのシミュレーション演習』を実施します。一切の指示を与えず、彼ら自身に盤面を解決させる」
「良い案ですね。直ちにシナリオを作成し……」
「そして、その演習を成功させるための絶対条件が一つあります」
俺は、デミウルゴスの言葉を遮った。
「演習の実施日、貴方はナザリックのあらゆる通信網から離脱し、一切の指揮権を放棄して『完全な休暇』を取ってください」
「……私が、現場を離れると?」
「ええ。貴方がいれば、部下たちは無意識に貴方の顔色を伺い、貴方の思考をトレースしようとします。それでは意味がない。……トップが完全に不在の状況を作らなければ、本当のストレステストにはなりません」
デミウルゴスは、少し不満そうに眉をひそめた。
仕事狂いの彼にとって、現場から完全に切り離されることは苦痛なのだろう。
だから俺は、最後の一押しを用意していた。
アインズ様への忠誠と、彼の知的好奇心をくすぐる魔法の言葉だ。
「それに、デミウルゴスさん。アインズ様は『未来』を見据えておられる」
「……ええ。全くもって、あの方の深淵なる思考には恐れ入るばかりです」
「貴方は、目の前の盤面を完璧にコントロールしている。ですが、盤面に近づきすぎれば、盤外から迫る敵の影を見落とすかもしれません」
俺は、わざとらしく、もったいぶって言った。
「アインズ様は、貴方に『一度盤面から目を離し、全く関係のない無駄な時間を過ごすことで、より広い視野を獲得してほしい』と望んでおられるのではないでしょうか。……休息という名の、新たな視点の獲得を」
「……!!」
デミウルゴスが、雷に打たれたように立ち上がった。
「おお……おお……! なんということだ! アインズ様は、私の視野の狭窄を見抜き、八幡殿を通じて、私にさらに高みへと至る『試練』を与えてくださったというのか!」
(……よし、勝手に深読みしてくれた)
俺は心の中でガッツポーズをした。
「分かりました、八幡殿。貴方の提案、いや、アインズ様の御意志を謹んでお受けいたします。……シミュレーションのシナリオ作成は貴方にお任せしても?」
「ええ。俺が、貴方の部下たちが絶対に予想できない『理不尽なトラブル』を用意しておきます。……貴方は、その日は人間界の街でも散策して、ゆっくりと『盤面の外』を観察してきてください」
「ふふ……。承知しました。八幡殿、貴方のその慧眼、見事という他ありません。アインズ様は、本当に恐ろしい御方を手に入れられた」
デミウルゴスは、俺に向かって深々と、そして初めて「対等な存在」へ向けるような敬意を持って、一礼した。
面談を終え、転移門をくぐって自室へと戻った俺は。
鍵をかけ、ベッドに倒れ込むなり、激しい動悸と冷や汗に襲われた。
「……はぁっ……はぁっ……」
胃袋がひっくり返りそうだ。
あの地獄のような光景と、ナザリック最高峰の頭脳との、一歩間違えれば命を失う綱渡りの交渉。
「……やり遂げた。……俺は、やり遂げたぞ」
俺は、暗い天井を見上げながら、ポツリと呟いた。
牧場で見た名もなき犠牲者たちの虚ろな目。
それを黙殺した自分自身の、薄汚れ、歪みきった心。
これこそが、俺が選んだ「本物」の生存戦略だ。
(……残るは、最後の一人)
俺は、震える手で目元を覆った。
最大の難関、ナザリックの守護者統括にして、狂気的な愛に支配された女。
アルベドとの決戦が、すぐそこまで迫っていた。
次は来週かもしれません。
挿絵のリクエストです。
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おまかせ
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八幡+シャルティア
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八幡+アルベド
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八幡+デミウルゴス
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八幡+コキュートス
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八幡+アウラ
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八幡+マーレ
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八幡+アインズ様
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八幡+メイド達