「ではな、ハチマン殿! 貴殿の健康と、そして何より『胃の無事』を心から祈っているぞ!」
「……ええ。皇帝陛下も、どうかご自愛ください。お互い、過労死だけは避けましょう」
帝城の正門前。
ズラリと並んだ近衛兵たちと、なぜか見送りのための華やかな音楽まで鳴り響く中、俺は皇帝ジルクニフと固く握手を交わしていた。 なんというか、あまりにも仕事が上手く行き過ぎたのだ。
「中間管理職の胃痛」という強烈な共通項で結ばれた俺たちは、一切の腹の探り合いを放棄し、互いの妥協点を最速ですり合わせることに成功した。結果として、数ヶ月はかかると思われていた法整備の協議が、たったの一週間で完了してしまったのである。
俺は、涙ぐむジルクニフ(同志)に死んだ魚の目で手を振り返し、帝都から転移門(ゲート)へと足を踏み入れた。
――そして、ナザリック地下大墳墓、第九階層。
(……足が、重い)
一歩歩くごとに、俺のテンションは地下深くへと沈み込んでいった。
帝都での仕事が早く終わったのはいいが、それはつまり「アルベドに直接報告しに行かなければならない」ということだ。 俺は胃薬の代わりになりそうなポーションを一本呷り、覚悟を決めて執務室の重い扉をノックした。
「失礼いたします、アルベド様。ハチマン、只今帝国より帰還いたしました」
俺は部屋に入るなり、完璧な社畜の角度で一礼し、ビジネス敬語を駆使して声を張った。
「ご苦労様。早かったわね」
執務机の奥から、アルベドが顔を上げた。
驚いたことに、彼女の机に山のように積まれていた書類の束は、見事に処理されて随分と低くなっていた。流石はナザリック最高の頭脳の一人、仕事の処理速度が尋常ではない。
「こちらが、帝国との協議でまとめた法律の改正案および、暫定特区に関する報告書になります。ご査収ください」
俺は書類の束を机の上に置き、一歩下がって直立不動の姿勢をとった。
「……見させてもらうわ」
アルベドが書類を手に取り、無言で視線を走らせる。
サワッ、サワッ、と紙をめくる音だけが、静まり返った執務室に響く。
(……気まずい。死ぬほど気まずい)
怒られる時の待合室のような、独特の緊張感。彼女の表情からは感情が読み取れず、俺の背中にはジワリと冷や汗が滲み出してきた。
やがて、アルベドは最後のページに目を通し終え、トンッと書類を揃えて机に置いた。
「……まぁ、及第点といったところかしら」
「っ……! ありがとうございます」
俺は心の中で特大のガッツポーズをした。完璧主義のアルベドから「及第点」という言葉を引き出せたなら、これは実質的な大成功だ。やり直しという最悪の事態は免れた。
「それにしても、貴方、最近よく働くわね」
アルベドは、ふっと美しい笑みを浮かべて俺を見た。
「王国での冒険者への工作、そして今回の法整備。……貴方のような有能な駒がナザリックに加わってくれたこと、大変嬉しく思うわ」
(……ビクッ!)
俺の『ぼっちの危険察知センサー』が、けたたましく警鐘を鳴らした。
ブラック企業の上司が、わざわざ部下を呼び止めて褒める時。
それは大抵、さらにヤバい案件を押し付けようとしている前兆だ。裏がある。絶対に何か裏がある。
「も、勿体なきお言葉です……! 全ては、魔導国とアインズ様の御威光あってこその成果に過ぎません!」
俺は必死に話題を逸らすため、絶対的な上司の名を出した。
「そ、そういえば、アインズ様の聖王国での計画は、順調に進んでおられますでしょうか?」
「ええ、もちろんよ」
アインズ様の名を聞いた瞬間、アルベドの頬が薔薇色に染まった。
「アインズ様の深き御考えのもと、計画は完璧に推移しているわ。……ああ、本当に素晴らしいお方。あの方の頭脳に比べれば、デミウルゴスや私の知恵など児戯に等しいわ」
(よし、いいぞ。このままアインズ様万歳トークで場を和ませて、さっさと退室命令を……)
俺が内心で祈っていた、その時だった。
「……ところで、八幡」
アルベドの声から、不意に温度が消え失せた。
「『捜索隊』の件だけれど」
「…………ッ」
俺の心臓が、冷たい手で鷲掴みにされたように跳ねた。
『捜索隊』。表向きは、アインズ様以外の至高の四十一人を探し出すための特務部隊。しかし、その実態は……他の至高の存在を『狩る』ためにアルベドが秘密裏に結成した、最悪の暗殺部隊だ。
「王国の件が片付いた後、本格的に動かすつもりよ。……貴方にも働いてもらうから、そのつもりでいなさい」
アルベドの金色の瞳が、俺の眼底を射抜く。
『余計な真似をすれば、どうなるか分かっているわね』という、無言の圧。
「……っ。か、かしこまりました。御心のままに」
俺は、背中を滝のような冷や汗が流れるのを感じながら、深く首を垂れた。
(……胃が……俺の胃がァァ……!)
ジルクニフと笑い合っていた平和な時間が遠い昔のようだ。
「よし。報告は以上よ。……下がって……いや、待ちなさい」
退室の許可が出かかったところで、アルベドが突然何かを思い出したように、ハッと顔を上げた。
「八幡。貴方に、もう一つだけ……これは極めて『秘密裏』に動いてほしい依頼があるのだけれど」
(ひっ……!? な、なんだ!? 誰の暗殺だ!? どこかの王族か!?)
俺が絶望の底で身構えていると、アルベドは、なぜかモジモジと体をよじり、顔を真っ赤にして口を開いた。
「アインズ様と……その、私との間に……『子供』を作る方法を、調べておいて頂戴ッ!!」
「……………………はい?」
俺の脳細胞が、完全な思考停止(フリーズ)を引き起こした。
(いや、待て待て待て。子供? 誰と誰の? アインズ様とアルベド?)
(無理だろ。生物学的に考えて。だってあの人、骨だぜ? 骨格標本だぜ!? 生殖機能はおろか、皮膚も内臓もないんだぞ!?)
(ていうか、なんでそれを俺に聞くんだよ!? 俺がそんなアンデッドと悪魔の神秘の孕み方なんか知るわけねぇだろ!!)
俺が強烈な目眩に襲われ、声も出せずに白目を剥いていると。
「絶対よ! 期待しているわ!……よろしく頼んだわよ! 下がっていいわ!」
アルベドは、己の欲望(愛)の暴走でハァハァと荒い息を吐きながら、俺の返事も待たずに一方的に退室を命じてきた。
「…………失礼、いたします」
俺は、もう何が何だか分からない極度の疲労と混乱を抱えたまま、幽鬼のような足取りで執務室を後にするしかなかった。 休暇明けの俺に突きつけられたミッションは、帝国の法整備でも、暗殺任務でもなく……まさかの「骸骨の妊活調査」という、人類の理解を超えた地獄の業務であった。
挿絵のリクエストです。
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おまかせ
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