人間のいない世界 作:ラシン
鬱蒼と茂る森は故郷を思い出させる。少し前まで俺たちのいた木々の中の集落は、木漏れ日と風が心地よかった。しかし今いる森は灰色の空模様、湿った空気にざわざわと唸る森の声。安らぎとはかけ離れている。見慣れないつる植物が多いのでどちらかといえばジャングルに近いのかもしれない。そんな森の中、地図を手にする俺とお腹を鳴らすニャスパーが並んで歩いていた。
集落を出てから数日、俺たちは危機に直面している。
食料難だ。
この世界では各地をボスポケモンが管理する集落で区分している。そのため下手にその辺の木の実を取ろうものなら窃盗なのだ。
管理下にある木の実の木には集落の刻印がされているため判別できるが、自生している木の実はここら辺には見当たらなかった。
「ザングース~、お腹減ったよ~。近くの集落までどのくらいなの~」
「うるせぇなぁ。世界地図の縮尺から逆算してんだ、ちょっと待ってろ」
ニャスパーが大きなリュックに振り回されながら間延びした声を上げる。足取りも若干不安定で限界が近そうだ。
地図と格闘しながら進むが、一向に集落に着かない。イライラも相まって少し怒鳴っちまった。ろくに計画も立てずに集落を飛び出した弊害がこんなことで顔を見せるとは。せめてここら辺の地図くらいは買っておけばよかったと俺は小さく歯ぎしりをした。
「もしかして迷ったのぉ~?」
「……日が暮れるまでには着けるはずだ」
もちろんそんな確証はない。なにか目印か看板でもないかと森の中を見回しながら歩き続ける。
すると木陰にゆっくり移動している誰かがいるのが視界の端に映った。俺たちと同じ迷ったポケモンかと思い木陰を見やると、ポケモンから伸びた触手が目に入ってきた。
思わず身体が強ばる。早々に追いついたのだと思った。しかし周囲を観察してもアブソルの姿はない。
……落ち着け、俺の目的はアブソルを取り戻すことだ。触手のポケモンへの報復じゃない。
それに、そのポケモンの身体は黄緑色をしている。ビリジオンの話では赤い身体をしていたとのことなので、おそらく違うはずだ。落ち着くんだ。
しかし触手のあるポケモンであるのは確かだ。警戒しておくに越したことはないだろう。
「ザングースお腹空いた~。……あれ、誰かいるね。あのポケモンに道を聞こうよ」
「……えっ、あ、おい!」
そう思って木陰には近づかないようにしていたのだが、気づいたらニャスパーがそのポケモンの下まで向かっていた。
「こんにちは~」
「あら、こんにちは。あなたはニャスパーね、初めまして」
「な、なんで僕のこと知ってるの?」
「ふふふ、私これでも学院では分類学を専門にしていたの。各地のポケモンについてなら結構詳しいのよ?」
どうやらあのポケモンに危害を加える気はなさそうだ。一先ずは警戒度を落としても良いだろう。
しかし問題はニャスパーだ。何やら談笑しているようだが、いくら何でも迂闊が過ぎる。俺はニャスパーの元まで走り、そのポケモンに背を向けるように抱え、声を潜めた。
(ニャスパー、相手は触手のあるポケモンだぞ。一匹で先に行くな!)
(でも身体は赤くなかったよね。なら大丈夫だと思って)
(馬鹿、変色するやつかもしれないだろうが!とにかくもっと用心をだな⋯⋯)
まぁ確かによく見れば、あの時アブソルに巻きついた触手はもっと細く尖っていた気もする。このポケモンの触手は太く丸まっている。おそらくポケモン違いだろう。
それはそれとしてニャスパーに対して苦言を呈していると、背後からくすくすと笑う声が聞こえてきた。振り返ると、件の触手のポケモンがにっこりと笑みを浮かべていた。おや、頭部にあると思っていた目は模様だったようだ。
「あ、ごめんなさいね。あんまり仲良さげだったから。あなたはザングースね。こんな森の中にいるなんて、あなたたちも旅してるのかしら?」
「……あぁそうだ。失礼だがあんたの名前は?」
「あ、そうね、ごめんなさいあなたたちのことばかり。私はユレイドル、よろしくね」
ユレイドルと名乗ったポケモンはにっこりと笑って、頭部から伸びた触手で手を取り握手をしてきた。
「あなたたちは二人旅かしら?」
「そうなんだが、生憎と食料が尽きてしまってな。近くの集落目指して迷っているところだ」
「ちょっとザングース!やっぱり迷ってたんじゃん!」
ニャスパーが隣で頬を膨らませている。「僕は怒っている」とポーズで示すニャスパーだが、そんな余裕があるときは大概怒っていないのでスルーすることにした。
「良いわよね、二人旅。私も旅をしている相棒がいるの。あ、そうだ!確か鞄に地図が……って、そういえばそうだったわね」
そう言うとユレイドルはがくりと項垂れた。よく見れば彼女は鞄を持っていない。
「どうした?」
「実はさっき鞄を盗まれちゃって。今ここにいない相棒が取り返しに行ってくれてるのよ。ご覧の通り、私は移動に時間がかかるから」
確かにユレイドルは歩くというよりは這うようにゆっくりと動いていた。追跡なんてできないのだろう。
ため息を吐くユレイドルを見て、ニャスパーが俺の腕を揺らした。
(ねぇザングース、鞄取り返したら恩も売れて地図くれるかもしれないよ)
(んなことしなくても待ってれば連れも帰ってくるんじゃないか?)
(何言ってんの!いつ帰ってくるかも分からないのに待ってらんないよ!それにここは街道じゃないんだ、日が暮れたら雨ざらしで寝ることになるよ!早めに近場の集落に行けた方が良いでしょ!)
た、確かにそうかもしれない。雨に濡れると全身がぐっちょりして嫌な気分になるからな。ニャスパーによる尤もな説得により、俺の考えは一瞬で翻った。
「なら俺たちも行って加勢してこよう」
「あらほんと?彼もきっと助かるわ」
「そうだと嬉しいね。盗っ人の逃げた方向は分かるか?」
「それならこいつらに聞けば分かるはずよ」
そう言ってユレイドルは触手の内の一本を前に出した。そういえばずっと一本だけ後ろに隠していたな。
差し出された触手には、数匹の小さなピンクのポケモンが捕まっていた。どいつもこいつもボコボコにされていて、首から下がロープの塊みたいにぐるぐる巻きにされている。
「こいつらはベロバーってポケモンでね、盗っ人のギモーってポケモンの仲間みたい。ボコボコにして根城を聞いたら吐いてくれたのよ」
「こりゃ酷いな」
「へ、へぇー、君の仲間も容赦ないことするんだねぇ」
「あら、やったのは私よ?」
「……え?」
ユレイドルの意向で、木の枝の先端に結んだ紐にベロバーを一匹吊るして道案内をさせた。プランと揺られるベロバーの後ろ姿には哀れみすら浮かぶ。一応ベロバーに近くの集落の所在を聞いてみたが、森から出たことはないそうだ。
「ねぇザングース、あのユレイドルさんが本当にベロバーたちをボコボコにしたのかな。僕ちょっと信じられないよ」
「まぁポケモンは見た目によらないからなぁ。学院に籍を置いていた彼女は戦闘面も優秀だということかもしれない」
ニャスパーの疑問はもっともではある。しかし結局この世界は実力主義だし、戦えなければ研究も満足にはできないのかもしれない。
それに学院といえば南の大規模集落だ。『全知』の通り名で知られるポケモンが治めていて、様々な分野の知識を学院に加盟したポケモンに教授しているらしい。そこで分類学を修めた彼女の優秀さも伺える。
そんなことを考えていると目的地に到着した。そこは小さな洞穴で、入り口には釣竿を担いだポケモンが今まさに突入しようというところだった。釣竿の先には俺たちと同じく悲惨な姿のベロバーが吊られており、おそらくあのポケモンがユレイドルの旅の仲間なのだろう。……傍目から見たらポケモン攫いにしか見えないな。
「あんたがユレイドルの仲間か?」
俺の声に件のポケモンが振り向いた。俺の身の丈ほどもある大きな四角い岩だった。足元には橙色の大きな鋏と足が生えている。突然現れた俺たちに対して若干の敵意を滲ませている。
「そういうあんた達は何者なんだい?」
「ユレイドルに頼まれて加勢に来た助っ人だよ」
そう言って手元のベロバー竿を掲げれば、鋏のポケモンは納得したのか敵意を引っ込めた。一先ずの信用は得れたらしい。
「そうか、助かる。わしはイワパレスってんだ、ユレイドルが世話になったみたいで」
にこりと笑ったイワパレスは、洞穴に向き直ると声を潜めて俺たちに話しかけてくる。
「さて、この奥にギモーとやらがいるみてぇだ。ユレイドル曰く『小狡い野郎で悪知恵ばかり働く卑怯に手足が生えたやつ』らしい」
「な、なかなか辛辣な意見だね」
「ユレイドルが言うには、種族単位でそのような連中だそうだ。ならもうそう言う他あるめぇよ。よし、着いてきてくれ」
とんでもなく貶されたまだ見ぬギモーであるが、盗人のため同情は不要だろう。
何はともあれ、三匹で慎重に侵入して行く。臨時チームの結成だ。