『事情は分かった。……まったく、人を心配させおって。その上余計な気まで回して』
「すまない、ベオ。互いにあの時のことはタブーだと思っていたから……私個人の事情も混ざっていたから家の都合もある君を巻き込む訳にはいかないと思ったんだ」
『確かに、タイムフィールド家はTOPS内の派閥間のこともあり立場は不安定だ。だがな、だからといって友を見捨てていいことにはならんのだ』
「……すまない。いや、ありがとう」
『気にするなとは言わん。貸しにしておいてやるからそのうち返しに来い』
「ああ、分かったよ」
『そして、あの悪魔は必ず叩き潰す。いいな?』
「もちろんだ。二度と花を手折らせたりはしない」
通話を終えて、受話器が置かれる。
ふうと気を抜いた様子のコールは怒られてしまったなと苦笑する。正道を行くあの男は自分にも他人にも厳しいところがある。それを久々に思い知らされた通話だった。
「お疲れ様です。コーヒーをどうぞ」
「ありがとう、エリー。風雅くんたちは?」
「DDAの資料に目を通してもらっています。あとはあの検体の資料についても」
「そうか。だとしたらソーマくんの事も知る頃合いかな」
「彼が、なにか?」
「悪党は世にはばかるという話さ」
困ったようにため息を吐いたコールはそっとコーヒーをすすった。
「そういう事だったのね」
『僕に使われた技術は、コールさんの義肢構築理論が導入されている。道理で僕を見て驚くわけだ』
「つくづく運に恵まれん人だな。誰かのためと努力したものがことごとく悪党に利用されてしまったわけだ」
机に並べられたDDAの資料を前に、探偵事務所の面々は頭を抱えていた。コールが持つDDAの資料の中に動物形の駆動関節について書かれており、それを使用した設計図もサンプルとして含まれていた。【MODEL:ARMY DOG】と書かれたそれはまさしくソーマの外見と一致していた。
また一部の外装を剥がして中身を確認してみてもこちらも一致。まず間違いなくDDAはソーマを製造した企業と繋がりを持っていることになる。思わぬところで手に入った資料に、錬が嘆息しているとエリーを伴ってコールがやってくる。
「見たかい、プラン・コメットの資料を」
「プラン……コメット?」
「大量生産した軍用犬型機械人の中隊を運用し、ホロウ内のエーテリアスを殲滅するためのプランだ。詳しい内容は知らないがね」
「ブリーダーユニットによる統率を前提とした個にして群、群にして個を体現しようとしたプランだよ。うまくいかないし実験体が脱走したから廃案になった……はずのプラン」
星那が面白くなさそうに呟いて、資料を叩く。はたから見てるととても嫌そうな表情だ。彼女が酷使された嫌な記憶を呼び起こす内容だから仕方のないことではあるのだが。
「ただお兄ちゃんの方の理論ばっかりで私の方の話は――――」
「星那」
「大丈夫なのだわ、星那の事情は本人から聞いてるから」
「……そうか、そっかぁ……」
『(あ、これ先越されて結構傷ついてるやつだ)』
しょぼくれたような嬉しそうなよく分からない表情をする錬に、ちょっとだけ申し訳なくなる。先に
「私の、ブリーダーユニットの話は出てこないのよ。同じプラン内のユニットだから少しぐらいは言及があると思ったけど一切無くてね」
「……それは妙な話だな。組み合わせての運用が前提に来るなら仕様として記載されていないとおかしいはずだが」
「書かれてなきゃおかしいのかしら?」
「そうだな。物を作るときに、どんな目的で、どんな方向性のものかを決めるのが仕様書だ。どんなものを作るか決めずに何かを作ろうとは思わないだろ?」
「それは確かに。目的なく無軌道なプランなんていうのはありえないのだわ」
頷いて手元の資料をぱらぱらとめくっていくがやはり自分に関わる話は一向に出てこない。自分とソーマをつなぐ送受信機の話も一切ない。
どういう事だろうと考え込んでいるとコールがふむと少し考えて口を開く。
後付けの可能性もあるんじゃないか、と。
「元々別ラインで進めていたプランが合流してこの資料の後に仕様が再定義されたのかもしれない。仕様変更なんてざらにある話だしね」
「つまり私は元々別の用途で生み出される予定だったってこと?」
「推測だけれど。研究の予算の都合かなにかで統合されたのかもしれない」
「世知辛いね。私にとっちゃお兄ちゃんたちと一緒だったから幸運だったわけだけど」
「あくまで推測だから鵜呑みにしないようにな」
錬から釘を刺されてうんと答える。
しかしそうなると自分はいったい何を目的として生み出されたのだろうか。ホロウ内での長期戦闘を主眼に据えたクローン人間。エーテルを利用したワイヤー生成武器、高い情報処理能力、群体ユニットへの指揮権限。この中のいくつかを取り除いたものが本来の目的へ繋がる素養ということになるのだろうが。
「ま、今は置いておこう。次は検体の資料だが……色々ろくでもないことも書いてるからかいつまんで説明するぞ」
「ろくでもない処置がされてるんでしょ、どうせ」
『非合法の人体実験なんてアクセルべた踏みでしょうしね』
「全くもってその通り……四肢を切断し、取付した義肢にエーテルのコントロールユニットを仕込んで検体の体内にエーテルを循環させる。これで体内だけをエーテリアス化一歩手前まで踏み込ませるらしい。人とエーテリアスの相の子状態で目標に突っ込ませて大暴れさせて最後にはエーテリアス化、すぐに通常のエーテリアスと同様に霧散するがそれを検知して義肢は自爆。言ってみれば人間爆弾だな」
錬のかいつまんだ説明にアリスは驚き、非難の声を上げる。
一人の学徒として誇りある振る舞いを心掛けている彼女からすればそんな技術の使い方など絶対に許すわけにはいかない代物だった。
「っ、人の事をなんだと思ってるのだわ!? そんな非人道的な行為、許されるはずがないのだわ!?」
「だから黒枝も動いてる、でいいんですよね、コールさん」
「黒枝に伝手があるわけでは無いから推定だけどね。噂が本当という保証もない以上、僕たちが動くしかない」
「それはその通りです。しかしこの検体、自爆はしなかったんですか?」
「S級の氷属性の音動機を一つ使い潰して体全体を瞬間凍結させたんだ。おかげで遺体を損なうことなく回収できた」
今は保管してあるが、いずれはきちんと埋葬して弔ってあげようと思っているよ。
そう悲しそうに語るコール。そうしてあげてくださいと同意しつつ錬はさて、と話題を区切る。
「DDAの目的は義肢技術を応用した新しい軍用義肢の製作と仮定しよう。身体の欠損で退役した軍人たちを義肢を与えることで復帰させるというプラン自体は理解できるが、それを応用した人間爆弾、人体実験など看過できない要素を抱え込んでいる」
「オールドタウンに現在いる住人のほとんどはその被害者で技術検証と称して旧都陥落直後に様々な異常が出る出来の悪い義肢を押しつけられている。今はコールさんの支援でどうにかなっているがそういった後ろ暗いあれこれの証拠隠滅のためにDDAがここを潰そうとすることは検体の一件を見れば明らかだ」
「つまり、現状を打破するためにしなければならないことはDDAの所業の明確な証拠を手にすることだ。奴らの悪行を確定させ、公的手続きをもって動きを封じる。同時に、コールさんの過去にあった事件と関連する事象を調査する。かつての因業が今にどう繋がっているかを確かめる」
「以上がコールさんからの依頼を達成するための最低限のラインとする」
「りょーかい」
『委細承知いたしました』
星那とソーマが、士気を高めて頷く。
目標が決まったところで次は方法だ。部屋の隅で控えていたエリーの方を向いてコールの備忘録に書かれていた内通者は目途が付いているか確認する。エリーは聞かれると分かっていたのかわきに抱えていたバインダーから一枚の写真を取り出すと机の上に置く。
「この人は……」
「確か街に来た時に話しかけてきたおじいさん、だよね」
「シャン・タック。DDA棄民の一人です、日銭を稼ぐことも難しく、生活に困窮していたところをコール様の立ち上げた救済事業に参加いたしました」
淡々と告げられる老人の来歴。
エリーはそこにさらに事前に調査しておいたであろう情報を追加していく。
「救済事業に参加する前から元々金が無く、生活に困窮していたところをDDAにつけこまれたようです。金を貰ったうえで潜り込み、こちらの内情を向こう側に定期的に報告しているようです」
「初めからそういう目的で来てたってこと? 図太くない?」
「そういう人物だからこそ使い捨てのスパイにさせられたんでしょう。恐らく風雅様たちのことも知られているでしょう」
「今日の食事一つ困るような人も居るだろうからな、金をちらつかせれば何でもやるような奴はどこにでもいる」
新エリー都に居る住人の多くは旧エリー都陥落後に難民化した人だ。
生活を立て直し、新たな生活環境を整えた者も居れば、それを為せず犯罪者に転がり落ちた者も居る。思い返せば陥落直後の避難が完了しこれからという時節の時は多くの避難民たちが不安そうに公的機関のそばでうずくまっている姿をよく見たものだ。
「さて、シャンじいさんをどう使うかね」
「こういう時は、現場を押さえる一択でしょ」
その日の深夜。
オールドタウンの住宅街でシャン・タックはクローゼットの中から一つのスーツケースを取り出すとダイヤル式の錠前を合わせて鍵を開く。
「周波数合わせよし、時間よし。んじゃあ通話開始、と」
『こちらコールセンター、ご用件を伺います』
「明日の天気はミミズです」
『……確認した。
「今のところ動きは確認できない。リーダーらしき奴が街中をうろついて
シャン・タックは元軍人だ。それも潜入などの秘匿性の高い仕事をしていた。しかし旧都陥落時に重傷を負い、一握りの慰労金だけを持たされて防衛軍を追い出された。そこからはずるずると社会の底辺を這いずり回り、何とか胡口をしのぐ生活が続いた。腹が減れば、軍人だったころの誇りなぞ捨ててしまった。悪行にも手を出してすっかりろくでなしとなり果てた。
DDAに拾われたのはそんな時だ。オールドタウンへの潜入に雇われた。重傷を負った時にあてがわれた義肢のメンテナンスも含めて世話をするという甘言に、その裏にある悪意を感じても、それでもと乗った。
『来客のリーダーは主人と敵対しているか?』
「いや、そうでもなさそうだ。雇い主と主人が知り合いらしい、隠居から引っ張り出してほしいと依頼されたと言っていた」
『そうか。ホロウの仕込みは解除できそうか?』
「配置と仕組みは何とか分かった。ただメイドがどっかから監視してるみたいだ。来客に速攻で反応して屋敷から飛び出してたから気取られないようにしたいところだ」
『必要であれば人員を出す。市政ももうすぐ一時そちらへの支援が途切れる。その時にプランを実行する』
「了解、そいじゃあそこを目途に仕込みを済ませる」
通信終了、と通信のスイッチを切り、ふうとため息を吐く。
数年越しの潜入もいよいよ終わりが見えてきた。これが終わればそこそこの金を貰って老後の生活も安泰になってくる。取りこぼした未来をようやくこの手に取り戻す時が来たんだ。
「くだらない。他者を食いつぶすような寄生虫じみた生き方が未来だと? 見え透いた行き詰まりしかない心底くだらない未来だ」
女の声が背後で聞こえた。
咄嗟に傍に置いていた拳銃に手を伸ばす。しかしそれに手が届く前に剛力が全身を握りつぶさんと襲い掛かる。ミシミシと嫌な音を立てながら振り回され勢いよく床に叩きつけられる。肺から息が強制的に吐き出されて、しかし締め付けられる全身は浅い呼吸しか許されない。
「エ、リー嬢ちゃ、ん!?」
「ええ、ええ、エリーですとも。裏切り者のシャン・タック!」
ブンと音を立てて勢いよく投げられたシャンは家の壁に向けて投げられ、強かに体を打ち付けられて床に転がる。ひい、ひい、と何とか息を吸い込みながら体を起こそうとする。
しかし、腕が床からはがれない。
なんだ、と手に視線を向けると薄く光沢を放つワイヤーが体を地面に縛り付けている。直後、びたんと床に体が叩きつけられて全身がワイヤーに縛り上げられていく。
「こんばんは、シャン・タックさん。こんな夜更けまで仕事とは励んでいらっしゃいますね」
「お前は、先生のところに来ていた……!」
「どうも。しがない探偵です」
落ちてくる影。
うつ伏せに縛られているため上を見上げることが出来ないがその声には聞き覚えがあった。ホロウによって閉ざされた道を越えてやってきたあの一行のリーダー格の男だ。動けなくなった自分の傍にしゃがみこんで自分に話しかけてきている。
「きゅ、急になんなんだ!? こんなことされる――――」
「今更そこからすっとぼけますか? 話がとこどおるのでやめていただきたいですね」
「がっ!?」
きゅるる、とワイヤーを引き絞る音と共に体にかかる圧力が増した。体が押しつぶされるかもしれないという想像さえしてしまうようなそれに心臓がばくばくと早鐘を打つ。
それを知ってか知らずか、そばにしゃがみ込んだ男はシャンの首筋に手を当てる。
「あなたの裏切りはすでにここの住人に知れ渡っています。私たちが知らせたら協力してくれましたよ」
そう言われて動揺したシャンの体が震えあがる。
ここの住人がコールを慕っていることはよく知っているし、DDAへの恨みつらみを内心募らせていることは知っていた。そして何より住人達の中には退役軍人が多くいる。自分のような者への詰め方などこれ以上なく知っている。捕えられれば、容赦のない尋問を喰らうことになるだろう。
「こっちは通信機解析しとくよ」
『通信プロトコルの解析もしてますんで、じきに発信元も分かりますよ』
「優秀だなぁ、うちの所員は」
星那とソーマに通信機の解析を任せてシャンの反応を確かめながら尋問を開始する。
「まずは大前提、もう分かり切っていることですが……あなたの雇用主はDDAで間違いありませんね」
「っ、ああ。ヤヌス区のスラムでくすぶってたところを質のいい義肢と永続的なサポートを対価に引き受けた」
「ではここへの潜入もDDAの意向という事だな」
「ああ、元々義肢に仕込んである発信機で試験運用義肢の施術を受けた奴らがどこに居るかは分かっていた。契約書で口外できないように縛っちゃいたが出来の悪いDDA印の義肢がそこらにあっちゃ都合が悪い。だからダミーの被害者団体を作って集まった奴らを嵌めて始末しようとした」
「だが都合の悪い事態が発生した?」
「ああ。コールさんがそれに気づいてオブザーバーとして参加して被害者救済に動き始めた。ダミーとして作ったもんが本当にそういう団体として動き始めちまったんだ」
ダミーとして頭の悪い被害者を扇動して作った団体だったから、一度信頼を得ちまえばすぐにころっと転がされちまったよ。
シャンはそう言いながらため息を吐いた。やけくそじみた言い草にエリーの気炎が上がりかけたが、錬はそれを制してシャンに続きを話すように促す。
「そっから先は救済団体はきっちりし始めてな。焦ったDDAは私兵を動かして団体メンバーを排除しようと動き始めた。そっからは知っての通り、身を守るためにオールドタウンの元々の住民と交渉、背乗りしてここに避難してきたって訳だ。コールさんは事前に準備したエーテル流動制御でホロウを防壁として時間稼ぎ、DDAはそれを突破して密室殺人、いや密室虐殺をしようと画策したってことさ」
「ちなみに、物資をぼって売りさばこうとしていたホロウレイダーもあんたらの仕業か?」
「ああ、金が無くなれば動かざるをえなくなると考えてな。だがエリー嬢ちゃんがぼこすわ市政と交渉して物資を持ってこさせるわですぐに頓挫しちまったがな」
「当然、孤立地帯への兵糧攻めは一番警戒していることですから」
「だから自爆義体が投入された。時間が無い可能性が出てきたからな」
「……クランプスの黒枝か?」
「あら~、よっぽど隠したかったみたいですねぇ。そんなことに手を出すなんて」
突然聞こえてきた声に、その場の全員がぎょっと目を見張る。
全員がその声の方を振り向くと黒と白のツートンカラーの少女。鈴の髪飾りをりんりんと鳴らして部屋の中へと入ってくる。錬がちらりとエリーの方を確認するが彼女は首を横に振る。ここに来るまでに彼女のホロウの越境を検知できなかったらしい。
「どうも皆様、部署横断型カスタマーサポートセンターのダイアリンと申します! 今日は当部署にいただいたクレーム対応に参らせていただきました」
「クレーム対応、ね。にしては随分と対応が遅かったように思えるが?」
「これは失礼いたしました。幣サポートセンターは横断型のために対応にお時間をいただく場合がございまして。この度も必要な手続きを踏んで対応が遅れてしまいました。申し訳ございません」
にこやかに話す彼女に、一同は警戒を解くことはない。
それを察したのか、彼女はしょうがないかと嘆息するとお客様相手用の丁寧な言葉遣いを取り下げる。
「そこまで警戒していただかなくて結構ですよ。今日ここに来たのはちょっとした取引のためですから」
「へえ、取引。察するに、DDAの違法操業についてかな?」
「お話が早くて助かりますー。DDAはこれまで旧都陥落に端を発する混乱につけ込んだ仕事をしてきたわけですけど……さすがにそろそろ潮時だったんですよね」
「さすがに十年も経てば、ある程度は治世は回復するわけだからな」
「まったくもってその通りで、おかげでクレームがつきまくりで評価がガンガン下がっちゃってるわけです。キリのいいところでやめればいいのに、欲の皮が張るもんだから足がついちゃったわけです。こういうのは幽霊だから許容されるものですのにね……まあ幽霊も許してるわけじゃありませんが」
受話器型のユニットを撫でながら呟くダイアリン。どことなく底冷えのする声音に圧力を感じてしまう。だがそれをすぐに切り替えてダイアリンは錬を指さして口を開く。
「コール様の委任を受けて調査を行っていらっしゃる風雅探偵事務所の風雅錬様! 今回の件につきましてはTOPS側もDDAの行動には遺憾というのが正直なところです。しかしこれをTOPS内で内々に処理するには大事になり過ぎました。ついては、あなたの名前で事態の真相を究明、告発していただきたいのです!」
「つまり、TOPSの膿を吐き出すのに利用させろ、ということか」
「表現につきましてはお好きになさってください。必要なのは、ちゃんとした"損切り"になるかどうかですから」
「……対価に何を支払うか聞こうか」
「DDA秘匿研究所の情報および今回の件について一切の非合法な行動を容認する……付け加えて金一封ですね」
どこからともなく取り出したバインダーを開いて中身を読み上げるように宣言するダイアリン。それを上下ひっくりかえしてこちらに差し出してくる。
「……言っておくが、貸しを作ったとこちらは認識しておく」
「んんー、紙面上に記載されてない貸借契約はこちらからは何ともと言いましょうか」
「それならそれでいいさ。こちらも都合がいい……都合が良すぎるとも思うが、言及はしないでおこう」
「はてさて何のことか分かりかねまーす」
バインダーを受け取り、そこにある資料に目を通していく。
研究所の所在、進入ルート、注視すべき所員の素性。どこからこんな情報を集めたのかと思うような情報がそこには羅列されていた。これから必要になりそうな情報が羅列されたそれ。ありがたいとは思いつつもTOPSの地力の強さを思い知らされる気分だった。
「そちらからの要望は?」
「出来るだけ派手に、叩き潰していただきたいですね。必要な利益は、こちらで確保いたしますのでー」
「治安局の方にも根回しはしてるんだろうが、そっちは?」
「善良なる市民からの通報をお待ちしていますとのことですよ?」
「こっち任せってことか。まあ仕方ないな……正規のガサ入れも出来んだろうし、トップがアレだとな」
「おや、ブリンガー長官に何か思うところがおありですか?」
「さーてな。要件はこのぐらいか?」
「……そうですねー。ではでは、カスタマーサポートセンターのダイアリンちゃんでした、よろしければ高評価をお願いしますネ!」
踵を返して去っていくダイアリン。
姿が見えなくなったところでようやく張っていた気を緩める。急な登場に驚いてしまったがどうにか怒らせず帰らせることは出来ただろうか。手元に残された資料をちらりと見て、TOPSの裁決官は伊達ではないと舌を巻く。TOPSの強力な調査能力と情報網で必要な情報が一発で揃ってしまった。
(しかし、クランプスの黒枝が一方的にとはいえ協力的とは、向こうも相当トラブってるのか?)
「所長、それでどうすんの?」
「ん、ああ。そうだな……とりあえずシャンさんをどうにかしようか」
逃げられたりしないように足と家具をワイヤーで繋ぎ、床に縛り付けていた方のワイヤーを解く。ここまでの間に諦めはついたようで逃げるそぶりは見せなかった。
力なくうなだれる老人はひどく憔悴した様子で黙って何も語らない。エリーはそんな老人の様子に過去の彼の姿を思い出す。調子のいい、ひょうきんな老人だったと思う。さりげなく周囲の人間を気にかけては声をかけて生活の手助けをしていた。かくいう自分も買い出しの帰り道に手助けをしてもらったこともある。
(――――――)
思う事はある。
だが今はそれに固執して考える時間は無い。いつかどこかで、また話す機会があればその時に。裏切られた怒りも、共に生きてきた情も、心の淵に封じてエリーは目を閉ざした。