「そうか、奴は逃がしてしまったか」
「申し訳ありません。このタイミングで接触するとは思わず、奴の巣に入り込むことになってしまい、結果として取り逃がしてしまいました」
「責めるつもりはないさ。私も奴が出てくるならもっと後だろうと考えていた」
タイムフィールド家ベオウルフ卿の執務室にて、三人の男が集まっていた。
ベオウルフ・タイムフィールド、コール・スローター、風雅錬。先日姿を現したマリシャスの報告を錬から聞き届けるために二人は集まっていた。
「そもそも君に依頼したのはコールの状況を調べて欲しいという仕事だからね。そこは間違いなく済ませてくれたのだから失敗とは口が裂けても言えまい」
「せん……マリシャスについては言ってしまえばついでだからね。もっとも旧都陥落の被災者たちの弱みに付け込んだ悪辣な実験は止めねばならなかった案件であることも確かだった。そこもきちんと止めてくれたことにも評価をするべきだろう」
クランプスの黒枝からもダイアリンが出張ってきたことで諸々の後始末は錬の手元から離れ、TOPSと市政法務局に移管されることとなる。風雅探偵事務所一行は事情聴取を受けた後解放されてひとまずの休息を取ることとなった。
エリーは一段落したところで別れ、コールの元に戻ったはずだが今日はどうやら居ない様子。激しい仕事の後だ、おそらく休暇を取っているのだろうと錬は推測していた。
「そういう訳で、依頼分の謝礼は口座の方に振り込んでおいた。明細はメールと印刷したものがここにある。受け取ってくれたまえ」
「……確かに。ところでアリスさんはどうされてますか?」
「調査から外された時はむくれていたが、今は落ち着いた。コールもこちらに来たので継続して技術を学んでいるよ」
「元から素養が高い子だとは思っていたが、どんどん学んで技術体系を身につけていっている。これでベオの孫で無ければ私の後継に据えたいところだったね」
「勘弁してくれ、コール。私の方も家の後継ぎとしてアリスを手放すわけにはいかんのだ。無論、あの子があの子らしくいてくれることが最善なのだがな」
「分かっているとも。私の方は技術書を世に残すつもりでいる。ついぞ後継には恵まれなかったが、知恵と意志を覚えてくれている子が出来た。これ以上の幸運は望めまいよ」
「とりあえず、元気ではあるのですね。それなら良かった」
オールドタウンの一件で、違法施設への潜入の際はさすがにこれ以上はダメとベオウルフ卿からのストップが入ったアリスはタイムフィールド家に戻った。星那と時折連絡を取り合って話している様子は見かけていたがどうしているかまでの詳しいことは聞いていなかった。
「事務手続きはこんなものですかね。じゃ、あとは今後のことですが……」
「うむ、引き続きマリシャス・ディルビルの追跡調査を依頼したい。奴を野放しにすれば、今回のような惨劇の巣窟がいくつも現れるであろうと予測できる」
「彼が若返っていたこと、連れていた磔にされた人物、異常なエーテリアス、いまだ調べるべき事項は多い。錬君、申し訳ないが老人たちの妄執を払う行為にもう少しだけ付き合ってほしい」
「ええ、前も言いましたがこちらとしても師のやり残しではありますから」
錬の回答を得て、ベオウルフとコールは安心したようにほっと一息吐いた。
「タイムフィールド家からは捜査に関することなら全面的にバックアップを引き受けよう。もっとも個人的にすでに
「それはまあ、今回とは別件で諸事情がありますので」
「セヴァランス一刀流としても色々あるみたいだね。さて、それじゃあ今度はこちらのことも話そうか。僕はこれから先はタイムフィールド家に食客として迎え入れられることになる、アリスさんの家庭教師としてだったり一技術者としてだったりね」
「オールドタウンの方は、市政預かりになったんでしたか」
「色々表沙汰になってしまったからね。今は背乗りした戸籍を返還して各々が新しい道に進んでいっている。TOPS側もDDAを締め上げて弁済金を吐き出させているようだ」
DDAはクランプスの黒枝に情報が流れたことでマリシャスを支援していた担当者が
被害者たちも今更抹殺したところで意味が無いからとオールドタウンの隠遁生活より解放。防衛軍によりオールドタウンから立ち退いて本来の立場に戻っていっているらしい。その中の一部か本来の互助会としての機能を復帰させてDDAとのやりとりも再開。現在は市政・TOPS双方の監視機構のもと交渉が行われているらしい。
「僕も時折証人として立ち会っているが、今のところ問題は無いといった感じだね。それで……こういう立場になるとエリーの事が問題になってくる」
「そのまま秘書として雇用すればいいのでは?」
「正直なところを言うと、僕のところで腐らせるには彼女はもったいない才覚を持っていると思う」
「確かに、彼女の助けがあったからこそあの研究所でシリアルキラーに勝てたところがありますからね」
彼女の打撃の当て感や咄嗟の判断に助けられたシーンもある。
そんな彼女の才覚は錬自身も知るところであったしコールの意見を否定する材料を持っていなかった。
「彼女は僕に恩義を感じて色々助けてくれるが、そのために彼女を僕のところに縛るのはよくない」
「そこについては意見は差し控えますよ。個々人の生き方に口出しする気は無いですし」
「うん。私と彼女で話し合うべき案件だし、ちゃんと彼女とも話したよ。錬君、一人君の事務所に所員として推薦したいのだが」
「……話の流れで誰かは分かり切ってますが、一応聞きますね。どなたを?」
「もちろん、エリーをさ。あの子の能力は君も知るところで、マリシャスを追う上で使える人員は多い方がいいだろうとも思う。その点、彼女なら君もある程度気心と能力を知っているのだから好ましいと思わないかい? なんならホロウの中で勧誘したそうじゃないか」
「よくご存じで」
背もたれに体を預けて、腕を組む。確かに彼女の戦闘能力は魅力的だ。礼節も弁えているので多少目立つ容姿を差し引いても雇用するメリットはある。コールの話通りなら彼女自身の意思確認も取れている。正直に言えばこのまま話を素直に受けたい旨い話だ。
だが当事者が居ない状態で話を進める訳にもいかないし、意思確認も確認が取れていない。よってこのまま受ける訳にはいかないという判断を心の中で下す。さてそれを口に出そう、というところでベオウルフの私室の扉が外から叩かれる。開こうとしていた口を閉じて視線を向けると、入ってきたのはちょうど話題に出ていたエリーだった。
「遅れてすいません。エリー・マキア、参りました」
「やあエリー、待っていたよ。錬君には話を通したが君自身の言葉も必要だろうと思って呼んだんだ」
「承知しております。錬様、この度はこちらの無理なお願いをしてしまい申し訳ありません。しかし、それは私自身の意志である、ということは宣言させていただきたいと思います」
「OK、そこは飲み込もう。コールさんの事は、いいのかい?」
「いい、とは言えません。いまだ恩を返しきれたとは言い難いとも思っていますから。でも、先生の技術を悪用したあの不逞の輩を放置するわけにもいかないと考えています。もちろん技術というのがいいようにも悪いようにも使われることは知っています。だけど、だからといって一線を超えてしまっているのを見過ごすわけにはまいりません」
固い意志を瞳に灯して、エリーが断言する。
ブレず、曲がらず、強い意志がそこにある。なるほど、コールが自分のところで腐らせたくないという考えに至るのも分かる実直さだ。そこにあるものに錬は目を伏せて笑う。ずいぶん昔、どこかで見たようなそれに懐かしさを覚えたから。
「分かった。エリー・マキア、君を風雅探偵事務所の一員として歓迎しよう。場末の小さな探偵事務所だが、よろしく頼む」
「こちらこそ指導鞭撻のほど、よろしくお願いいたします」
差し出された手を取って握手を交わす。
冷たい金属の筈の手が、頼もしい熱の入ったものに思える。数秒の握手の後、その手を離して着席するとさて、と一つ話題を区切る声を出す。
「雇用周りの条件を伝えないと、だな」
雇用主とは往々にして面倒な手続きに囚われる者である。
星那は探偵事務所のあるビルの屋上でぼんやりと空を見上げていた。
色々あって一旦休暇中の探偵事務所。学校も終えた星那はやることもなく暇だった。クラスメイトとどこかに遊びに行っても良かったがなんとなく気が乗らなかったのでビルの屋上でぼんやりと過ごすことにしていた。
「おにいちゃーん、暇ー」
『そう言われてもここでぼんやりとするって決めたのは星那でしょ』
「なんか面白いことしてよ」
『フリが雑』
ひらりと目の前を通り過ぎる可動ケーブルにちょっとむかっ腹が立ってデコピンでお仕置きをかける。その攻撃を予期していたのかもう一度ケーブルがひらりと動き躱して見せる。この兄、こちらのことなどお見通しと言わんばかりだ。
「まったく可愛げのない兄だこと」
『理不尽だなぁ』
「へーん、だ。……お兄ちゃんさ」
『なんだい?』
「所長に何を依頼してるの?」
『……ああ、気付いていたのかい』
「いや寝てる間に勝手に記憶データ掘り起こした」
『プライバシー!? ……とりあえずロックは無理矢理外さなかったならまあよしとするか』
この兄、結構自分に対して甘い。
と言ってもそれに甘えてばっかりはアレなのでロックは外さず表層の記録だけを流し見しただけだが。出会って間もない頃、クロスパッチの事件前後のころに依頼の念押しをしていたのを確認したのだ。
「で、結局何の依頼をしたのさ」
『……ま、いいか。アレはね、星那がこれから何のしがらみもなく生きていけるように、そのために邪魔になる奴らを調べて欲しいってだけ』
「コールさんとかの師匠さんみたいな奴らの事?」
『うん。いやマリシャスのことは知らなかったから範疇外だったんだけどさ』
「別にそんなことしなくていいのに。厄介事がきたら自分で何とかするよ」
『星那一人の力でどうにかならない時だってあるでしょ?』
「私は一人じゃないから問題ないの。そういう時は一緒に戦ってくれるでしょ、お兄ちゃんは」
疑問形でもなく、ただ事実そうであるという確信を持った言葉にソーマは言葉が詰まる。自分が守らないといけない筈の妹はそうは考えておらず、一緒に戦うということが前提になっている。
「それに今は所長も居るし、頼っていいか分かんないけどアリスって友達も出来た。もう二人でホロウや郊外のスラムを這いずり回ってた頃じゃないんだよ、お兄ちゃん」
『……そっか。そうだね。なんだかそういう考え方が前提として根付いちゃってたよ』
辛い生き方をずっとしてきた。
エリーさんの生きてきた底辺とはまた違う、悪意の煮凝りが堆積したような世界からようやく抜け出せたことをまだ自覚できていなかったのかもしれない。
『妹に負けるようじゃ僕もまだまだだな。もっと頑張らないとだ』
「へっへーん、お兄ちゃんが追い付いてこないなら置いてくよ?」
『やれやれ、妹を放っておくわけにもいかないから頑張るしかないね』
「そうこなくっちゃ。……で、えーと、何しよう?」
『結局暇なのは変わらないからねー。でもまあ、最近は大立ち回りが多かったから今日ぐらいはゆっくり休もう』「ん、そうする。じゃー、暇つぶしにあやとりでもしようかな」
『ついでに動画でも流しておこうか。貯めてたレンタルビデオもあるしね』
「いいね、んじゃ事務所に戻ろっか」
立ち上がってパンパンとズボンについた埃を払って兄と共に屋上を去る。
まだまだ先行き不透明な身ではあるが、星那とソーマはこの穏やかな時間を楽しむと決めたのだった。
その日の深夜。
事務所にエリーを伴って戻った錬は星那達にエリーの事を知らせ、晩御飯を取った後は各々の自由時間として自分もまた所長用の事務机の前に座って自分の手帳をめくっていた。
「星那達の初案件、オールドタウンの調査、違法施設の調査……」
手帳に記してあることを指でなぞりながら読み上げていく。
記憶の輪郭をなぞるように、一つ一つ確かめるように。
やがてすべての内容をなぞったところでふう、と一つ息をつくと手帳を閉じて祈るように握った拳を額に押し当てる。大丈夫、まだ自分は真実を見失っていない。
「仕事を終わらせるまでは、本当を見失ってたまるか」
暗闇の中で静かに呟いた錬の言葉は、誰の耳に届くでもなく静寂に溶けていった。