幾度目かは分からない、しかしそれでも慣れることの無い違和感を突き抜けて一行は零号ホロウに入る。
「うわ、なにこれ。エーテルが濃い……!」
『純度が高いって言ってたけどこういう事か』
「エーテル酔いが少し心配になりますね」
「しばらくすれば慣れる。が、純度が高いエーテル環境は対侵食耐性を貫通してくるから長時間の滞在は推奨されない。迅速に任務を達成して帰還する、いいな?」
錬の言葉にうなずいた一行は零号ホロウを進み始める。
灰色の雲に覆われてどんよりとした空気が漂う零号ホロウ内の空には膨大なエーテルの影響を受けて重力などの既存の法則が狂ってしまったのか巨大な瓦礫が浮かんでいる。地面にあるビルが崩壊していないことから恐らく完全に重力が喪失したわけでは無く上空の空間が歪んでしまったのだろうな、と空を観察していた星那は結論付けた。瓦礫も一定以上の高さのビルが崩れたものが浮遊しているのだろう。
そうして考えていると言葉がポロリとこぼれる。
「ホロウの規模が拡大するとこうなるんだ」
「各々の特徴はありますがおおむね常識では考えられないような環境の変化が多く見られるのは共通ですね。そもそもホロウの特徴に空間の連続性が極端に狂うというものがあるのは既知とは思いますが、それが先鋭化して枝分かれの適応、あるいは進化をしたと言えるかもしれません」
『なら現状存在する共生ホロウの始祖と言える零号ホロウの環境が重力場が狂うにとどまっているのはどうしてなんでしょう』
「旧都陥落以降、侵食が進んでいないから、でしょうか。零号ホロウの侵食は旧都陥落の際、地溝帯を作ることで侵食を停滞させました。裏を返せばそこから先は旧都の遺物以外は大規模に飲み込んだことは無いという事。つまり現状に適応しきっているから変質する必要性が無いと考えられます」
「侵食、つまりホロウが食べる物によってホロウの体質が変わるってこと? ホロウが一つの生き物みたいな考え方だね」
「ホロウ生物説、か。ホロウの研究自体は長く続けられてるし、一般世間の間でも語られることは多いがその説も根強く残っているな」
「だとしたら十年前の食べ放題以降は強制的な食事制限中か。私だったらやだなー」
のんきな星那の言葉に苦笑しつつ足を進めていくつかの空間の裂け目を通り抜けながら目的地へと向かっていく。時折エーテリアスの群れと遭遇して倒したり、放棄された調査隊の物資を見つけてその中から使えるものを回収したりしながら、全体の行程としては安全に進めていけている。
一行にやや安全に進めれているという気持ちが生まれていた。
それが引き締められる事態が起きたのはいくつめかの空間の裂け目を抜けた時の話だ。
「っ、隠れろ!」
錬があげた緊張感をにじませた声に星那、ソーマ、エリーはすぐに反応して近くの物陰に身を隠す。
少しだけ間を置いて聞こえてきたのはブーンという高い羽音のような音。このホロウの中で虫の羽音? そんな疑問が星那の頭の中を過ぎった次の瞬間人と同じサイズはあろうかという蜂のような見た目のエーテリアスが一行が隠れている場所の前を通り過ぎていく。
徐々に羽音が離れていくのを確認して、息をひそめていた一行はゆっくりと押し殺していた息を吐き出した。
「今のが、"蜂"?」
「ああ。零号ホロウの中で観測史上最大と言われている極大型エーテリアス・ニネヴェの眷属。今回ははぐれだったから一匹だけだったのかもしれないが、本来は数十体規模の集団で一斉に襲い掛かってくる」
「あのサイズのエーテリアスが一斉にって……ヤバいね」
「ああ。飛行能力も持ってる分そこいらのエーテリアスよりよほど厄介だ。まあいい、躱せたのなら関わり合う必要もないから先へ進もう」
錬が出発を告げ、一行は再び進み始める。ニネヴェの眷属に出会ったせいか、一行の緊張度は高まり周囲に対する警戒度合は跳ね上がっていた。
移動、接敵、撃破、移動。
そのサイクルを繰り返しながら一行はやがて少し広めの空き地のような場所にたどり着いた。空き地の隅にはいつ置かれたかは不明な何かの材料と思しき物品が置かれている。どれも埃をかぶっていないがその場から動かされた形跡などは無かった。
そんな空き地の一角に穴が一定間隔であいていた。
「穴の径と深さから見てテントの固定金具の杭だな。効いてた通りここが行動拠点で、ここから周辺調査に赴いていた、ってところか」
「だとしたら遭難している人はここからそう離れていない場所に隠れてるってことかな」
「おおむね間違いないかと。問題はどこに隠れているかですが」
「資料に隊の行動記録が記録されている。救助対象がマニュアル通りにやってるなら要救助ビーコンを起動させてるだろうからその信号を捜索しつつ行動範囲内を探索する」
下手に動き回って想定している範囲の外に出ていなければいいが、とは口にしない。楽観も悲観も調査においては邪魔な要素でしかないから。
預かっている資料を開いて調査地点と記されているポイントとそこまでのルートを確認してみるといくつかここを中心として周囲を地道に調べて回っていたようだ。元来た道の方向を含めて思考を回してみる。
(まず調査隊の撤退することになった経緯。エーテリアスの襲撃に遭遇、同行していた戦闘員が対処しつつ撤退を選択。しかし想定以上のエーテリアスの群れだった為に戦闘員が囮になって撤退支援を行った)
となれば逃げる方向に誘導するわけが無いからこちらは候補としては無し。
(相手が多数である以上、正面切っての戦いでは無かったはずだ)
どちらかといえば一当てして離脱するなどの戦法を取って攪乱したはずだ。なら見通しのいい場所などは候補から外れる。
(緊急で物資を持ち出せたかは怪しい。元々撤収準備をしていたとはいえ戦闘要員なら荷物を他の隊員に預けている)
であるなら、多少なりとも物資の補充の必要性が出てくる。
元々あった候補のエリアは住宅街エリア、高速道路エリア、繁華街エリア、商店街エリアの四つ。方向的に住宅街エリアは最初の条件に引っかかるために一番に除外。高速道路エリアは物資と見晴らしのよさの条件に引っかかるため除外。
「繁華街か商店街のどちらか……」
「私なら商店街かな。経年で食料は劣化してて入手できないだろうし、商店街なら応急キットが『品質に目を瞑った上で』って前提で手に入るかもだから」
『救助の目があるなら繁華街の方じゃないかな。使えるかどうかは分からないけどホロウ拡大時の救助まで持たせるための緊急避難シェルターもある可能性が高い』
「……住宅街は除外しないほうが良いのではないでしょうか。当初ならそう考えてもおかしくはないと思いますが、脱出してある程度時間経過しているなら囮になった方も自分が脱出するために移動していると考えられます」
どの言い分にも一理ある。
何か一つ、ここに来てから拾えた情報は無いか。
「――――」
ふと。
ふと気が付く。
この空き地、物が無さ過ぎやしないか?
撤収準備をしていたところを襲われたのなら、多少なりとも物資の一つ二つは残っていなければおかしい。にもかかわらず拠点の痕跡のみが残っているだけだ。
そしてさっきの"蜂"。なぜ一匹だけのはぐれがここに居たのか。本来ニネヴェによって統制のとられているあの蜂がはぐれる可能性はそう高くない。にもかかわらずここに居たのは自分たちとは別のここに居た何かが潜んでいる可能性があるからではないか?
「住宅街に向かう」
戦闘員だった彼は商店街か繁華街に囮となって移動し、その後追跡を振り切った上で拠点に戻り物資を回収した。しかしそこで見つかってしまい今度は自分単体だからと住宅街に逃げた。そういうシナリオが頭の中に浮かんだ。
推測だ。しかし筋が通っていないわけでは無い。検証する価値は十二分にあると錬は踏んだ。時間はかけられないがゆえに少しでも可能性が高い方へと進むと決めた。
「分かった。じゃあここに通信帯域とメッセージのメモだけ置いていくね」
「頼む」
適当なサイズのパイプを地面に突き立ててそこに自分たちが使っている通信機の帯域と名前、要件をざっと書いてワイヤーで固定しておく。
「ソーマ、先行して探知を頼む。もしニネヴェか眷属に出くわすか目撃したら即戻ってくるように」
『了解。要救助者の発見と同時の場合は?』
「戻ってくるんだ。単独で守りながら戦える相手じゃない」
『了解、では先に行きます』
住宅街へ向けて走り出すソーマ。それに続いて一行も動き始める。
ホロウ内をソーマの先導を受けながら進んでいきながら時折エーテリアスに出くわしそうになるのをソーマが気付いて少しだけ進行ルートを変えつつも出来る限り最短で移動を続けていく。その中で徐々に一行はホロウの空気が少しずつ変わっていくのを肌で感じ取っていた。
「なんか空気がピリピリしてる気がするんだけど」
「ああ。多分だがこの先は少しばかり荒れそうだ」
「蜂の数も徐々に多くなってきていますしこれは……」
『多分エリーさんの考えてる通りだ。エーテルの濃度が上がり始めてる』
ピリピリと肌が刺激されるような感覚。ただでさえ高かった空気中のエーテルの濃度が人体を侵食している感覚をはっきりと感じられるほどに高まっている。
『――――――Aaaaaaaaa――――――』
耳に入った音は、まるで少女が歌っている方のような声。しかし飛来する
一目見て覚える印象は華。
あわい赤紫がかったピンク色の花弁と白い茎。ある種の幻想さを思わせるそれらを、巨大。ただその一言で塗りつぶしながらそれは姿を現した。海を行くクジラのごとく零号ホロウの空を行く怪物。星那が今まで見たどんなエーテリアスよりも大きなそれは多くの眷属を引きつれながら現れた。
「あれが超級エーテリアス、「ニネヴェ」……!」
「零号ホロウ最大の脅威でアレを倒すことは虚狩りですら為しえていない、いや為すことを止められてすらいるそうですね」
『規模が巨大な分、産み落とす利益もまた巨大となりますからね。戻りました』
隠れて様子を伺っていた一行の元にソーマが戻ってくる。星那がエーテルワイヤーを操作してソーマからの情報をデバイスに転送させながら星那はソーマの所感も聞こうと口を開く。
「お兄ちゃん」
『先はちょっとマズイ感じですね。ニネヴェの側付きが無数に居ます。幸い個々で活動しているわけじゃなくある程度集団で動いてるみたいですが、それでも危険なことに変わりは無いかと』
「だろうな。ニネヴェの行動範囲には確実にニネヴェの取り巻き達が常時飛び回ってる。これを回避しながら進むのは難しいだろう。ソーマの言う通り、危険な行程になるはずだ」
だが、とそこで一息間を入れる。
「ニネヴェ自体はどうも泳ぎ回っているだけでこちらに注目すること自体殆ど無い。時間もそうかけられないから捜索は最短で最大効率を行う必要があるが蜂と茎だけなら対処は可能だろうと思う。だから捜索を続行するが、異論はあるか?」
「無い。むしろ話し合う時間が惜しい」
「そうですね。ソーマさんのセンサーがあれば捜索自体はさほど困難ではないでしょうし」
『外部のセンサーにもアクセスして生体の反応に焦点を絞って捜索はすでに行っています。おそらくじきに見つけれるかと思いますよ』
「お兄ちゃんナイス! こっちもいざって時に逃げられるようトラップを仕込みまくるね」
「頼んだ。じゃあ本案件のメインに取り掛かるぞ」
始まる協会員の捜索。
ニネヴェとその取り巻きに見つからないようにしつつも隙間を縫って移動していく。
旧都陥落から十年、不思議なことにホロウ内でも使える機器が残っていることがたまにあるようでソーマはそれらにアクセスしつつ周囲の廃墟の中から生存者を探していく。
「二時の方向、斥候を確認! こちらは気付かれてません!」
「速攻で片付ける!」
指示が飛ぶと同時に星那とエリーの二人が蜂のエーテリアスにとびかかる。
エーテルワイヤーがホーネットの群れを絡み取り、続くエリーの痛打の一撃をホーネットの群れの個体全てに味合わせる。固いはずの外殻を容易く貫通してエーテルに還したのを確認することなく一行は進み続ける。ニネヴェの本体に近づかないように並走の形を取りつつソーマの捜索も続いている。
「ニネヴェ、いやホーネットに襲われて逃げたなら中心のニネヴェから離れる方向に行くはずだ、なら……ソーマ!」
『はい!』
「ホーネットの活動範囲を特定するんだ。ニネヴェを中心とした円型に分布しているはずだからその中でホーネットの数が多いところを教えてくれ。一度見つかって逃げてるならそれを追いかけてそちらに分布が偏っているはずだ」
『了解、データは揃えてますから十秒ほどお待ちを……OK、特定できました! ニネヴェの進行方向から見て四時の方向! いくつかの集団が集まってます!』
「そこだ。ニネヴェと共生しているホーネットがニネヴェを放って一か所に集まるのは外敵がそこに居る、あるいはそこに居る可能性が高いからと考えられる。現状、その可能性が高いのは捜索対象だけだ」
『ではそちらに案内する、でいいですね?』
「頼んだ」
そう言うが早いかソーマは瞬時に進行方向を変えて走り出した。
それに追従して走る事務所一行。ソーマが進行ルートに敵が少ないところをピックアップしてくれているおかげで驚くほど敵との接触は少ない。しかしそれでも。
「アーマーハティ3体!」
「星那さんと二体引き受けます」
「エリーさんは人使い粗いなぁ!! やるけどさっ!!」
ワイヤーを伸ばし、それを巻き取る力で大きく跳躍した星那はハティの首にワイヤーを何重にも一息で巻き付けるとそのまま車道の上を横切るように設置されている歩道橋の向こう側に飛び込む。
歩道橋を支点としてワイヤーに引っ張られた二体のハティは後ろ足で立ち上がり、結晶の装甲に包まれていない腹をさらけ出すことになる。無防備なそこを、エリーは如来掌ユニットを両腕に装着。ブースターの加速でそのどてっぱらをぶち抜いた。
「よし二体終わり!」
「三体目も終わってるよ」
三体目は、と振り返った先には装甲と装甲の継ぎ目を刺し貫かれたアーマーハティの姿。そのまま首を落とされたハティはエーテルに還っていく。
「はや」
「エーテル純度が高いとどうしてもな」
「え、それ関係あんの?」
「ちょこっとだけな」
あとはこれのおかげもあるだろうが、と腰につけたレイ教授から渡された機械を示す。
「どうにもエーテルに干渉して装着者に対してプラスの影響を発生させる効果があるらしい。俺の場合は攻撃が相手の防御を貫きやすくなるらしい」
「それで防御が薄いところを貫けば威力も強くなる?」
「そういうことらしい。まあ討伐は出来たんだ、先を急ごう」
「……?」
移動を促されて再び移動し始める。
センサーの反応を頼りに進んでいくと遠目にホーネットが飛び回っている姿が見えてくる。黒い粒のようなものが無数に飛び回っているそれは近いところで見るサイズを知っていると間違いなく異様な数がそこに集まっていることが分かる。
「うわ、多」
「仲間を助けるために注意を引きすぎたなアレは。間違いなくあそこのどこかに居るだろ」
「どこかというか、今まさに追いかけていませんか?」
エリーが目を細めて遠くを見ながら指を指す。
え、と言われてすぐに確かめてみれば群れが一斉に羽音を立てながらニネヴェとは別の方向に向けて飛んでいる。その姿と同様にあの羽音は敵に対する威嚇のようなものだというHIA協会やホワイトスター学会の報告書に書いてあるのを覚えていた錬は、だとするならとその群れの行く先に視線を彷徨わせて観察。そしてすぐに白い服を着た誰かが群れから逃げるように走っているのを見つけた。
「居た!」
「体力も気力も大して残ってるとは思えん、すぐに助けるぞ!」
廃墟の屋根から跳び下りて走り始める。
ようやく見つけられた生存者をこのまま見殺しにするわけにはいかないと全員が彼の進行方向に向けて走り始める。
「ひっ、ひっ、ひっ……!」
懸命に逃げ続ける協会員。
仲間を逃がすために戦闘能力のある自分が囮になるのがいいと考えて仲間を離脱させたがそれからずっとニネヴェの手下たち相手に命がけの隠れんぼと鬼ごっこをさせられてきた。ニネヴェの居ない方向を重点的に見張られたせいでニネヴェの影響範囲から逃れられず、どのくらい時間が経ったか分からないが心と体を目の粗いやすりにかけられてきたような気さえするぐらい疲弊していた。
それがまずかったのだろう。廃墟の一室に身を隠していたのに、羽音に恐怖して物音を立ててしまったがために暇を持て余していた兵隊蜂たちに一斉に襲い掛かられたのだ。
「いやだ、死にたくないっ、死にたくないっ、死にたくないっ!!」
ホロウに興味を持ち、現物を知りたいとHIAに入った。しかし基礎的なものばかりでこの零号ホロウに潜む秘密など何一つしらないままだ。そんな様のままで死にたくなんて無かった。
だが救援など来ない。来たとしてもそれが間に合わずに死ぬ可能性の方が高いだろうと諦めが心の大半を満たしていた。それでも、それでも死にたくないという本能はいまだ消えることはなく叫び続けている。
【――――――】
だが結局、弱いものは強い者に屈するのがただ一つの結末でしかない。
襲い来るホーネット、咄嗟に振り向いた自分に公開しながら男はその毒牙にさらされて命を終える。
「一式抜刀――――――!」
はずだった。
「さあて、人助けを始めるかね!!」
風雅探偵事務所一行、現着。
TIPS
風雅錬の来歴
幼少期は旧エリー都にてセヴァランス流の道場に通うごく普通の子供だった。
正義感の強い子供であり、それが高じてか後年は治安局員にまでなっている。しかし何らかの事情により局員を退職、独立して探偵事務所の設立してその所長の座についている。
当人曰く、普通だったのにややこしいアレコレに巻き込まれまくったせいで方々に因縁が出来てしまった、とのこと。