「ただいま」
「お帰り、所長。猫ちゃん見つかった?」
「なんとかね。時間が思った以上にかかっちゃった」
『引っかかれてたら雑菌が入ってしまってるかもなので、きちんと消毒して手当してくださいね』
「そうするよ」
迷い猫探しの依頼を終えて帰ってきた錬。所長席に疲れたように座り込むと応急キットを取り出して猫に引っかかれた傷を洗ってから手当てを施していく。
「新エリー都は野良猫も多いし、探すのが大変だったよ。仲のいい猫も居たのか、連れてくなーって襲い掛かられたし」
『いい友達が出来てたんですねぇ。案外そのまま野良になってもうまいこと生きて行けたんじゃないですか?』
「無理でしょ。今ままで飼い主に甘えた生活をしてきた家猫が野良で自分で餌を確保して生きていくなんて無理無理。喧嘩して重傷を負ったら病気にもなるだろうし」
「飼い主さんもそういうところ心配してたから急いで探し出してくれって言われてたからな。思ったより遠くに行ってなくて助かったよ」
事務机で学校の宿題を片付ける星那とビデオをじっと見ているソーマ。なんだかんだ馴染んできたなと思いながら晩御飯でも作るかと席を立つ。
その時、カタンと入口の方で郵便物がポストに投げ込まれた音が聞こえてきた。ちょうど席を立ったし取ってくるかとそちらに足を向ける。ポストの中を覗き込んでみると一通の封筒が底面に置かれている。取り出してみると白地の封筒の淵に金の装飾が施された封筒が蝋で封をされている。
「……厄介事の気配だなぁ」
「どしたの、所長?」
「んー? まあ厄介そうな依頼が来たなって」
『いつもの事ですね』
「いつもか? いつもかー?」
「普通の仕事かと思ったら放火犯と出会っちゃうぐらいにはいつもだよ」
飼い猫探しとかしてるんだけどなぁ、と首をひねりつつ机に戻ると手紙を置いてキッチンに向かう。そうだ、晩御飯の献立を決めていなかった、そう思い出して二人の方を振り返って聞いてみる。
「二人とも、晩御飯の希望はあるか?」
『じゃあ焼きそばを」
「お好み焼きー」
「じゃあ広島焼き*1で」
「『なんで?』」
意味わからんと呟く二人を置いてキッチンに向かうと冷蔵庫から必要な材料を取り出すとてきぱきと準備を整えていく。
その間に考えるのは先ほど受け取った手紙についてだ。封蝋は通常溶かした蝋に印璽で刻印を押すことで差出人の家紋などを刻印することが出来る。今回の手紙にも当然それはあった。しかしその家と錬は繋がりを持ったことなど一度も無い。
(
今は先代が変わりに家を取り仕切っているがそろそろ老いの影響が体に出ているとかなんとか、そんな噂を耳か目にしたことがある。あの依頼は家紋の封蝋がされていることから本家筋の誰かが持ち込んだことになるはずだ。となればTOPS関連の依頼になってくる。
(タイミング的にタイムフィールド家が星那達の研究所の運営の可能性もあるが……そう露骨に
自分が知っている飛と、今の飛。そこには間違いなく差があり、しかしそのままの部分もある。あの男は獣に近い。狡猾な策謀を仕掛けて必要な場まで誘導してくる。あの時は出会い頭だったことと奴にやる気が無かったことが功を奏したとしか言いようが無かった。
「……あの時殺しておくべきだったか?」
「えっ」
「あ、いや。スマン、星那の事じゃなくて……あの兄弟子のことだ。ごめんな、星那の前でこんなことを言うなんて」
「それはいいけど、そんなにあの人の事嫌いなの?」
「嫌い、ではないな。純然に相容れない、存在そのものを許せない相手ってだけだ」
それでも殺すという選択肢が後回しになるのは――――――。
感傷的になりすぎた、と我に返り首を横に振る。
「それで言ったら星那こそ、あの陽那って子には何か思うところはないのか?」
「んんー、知らない間に出来た妹ってくらいかな。会ったのはあの日が初めてだから肉親の情っていうのも無いけど」
「……そうか」
当たり前と言えば当たり前の感想だった。
何のつながりもない相手だから、どうと聞かれても言うほど感傷的になれないのだろう。古い因縁を抱えた自分とは真逆と言える状態で星那のソーマ以外の繋がりは真新しいものばかりなのだから。
星那はキッチンの邪魔にならないところに背中を預けて座ると、でもね、と言葉を継いでくる。
「所長がやられたら怒るけどね! 居場所をくれた大切な人の内の一人なんだから!」
「嬉しいことを言ってくれるな」
「ちょっと前までは私たちが野良犬生活してたからね。寝床とご飯くれるだけで好印象なわけで」
「それ、他所で言うのはやめときなさいよ」
「はーい。それで晩御飯出来た?」
「一枚目はな。皿出して」
「はーい」
並べられた皿に一枚目を移して次の種をフライパンに流し込んで焼き始める。
「で、あの手紙って何だったの?」
「多分依頼。まだ中身は読んでないからこの後読むよ」
「金の装飾とかしてあったしお偉いさんからの依頼?」
「さて、どうだろうな」
三枚ともを焼き上げた後に食卓に並べて風雅探偵事務所一同は食前の挨拶をしてから食べ始める。
ソーマも機械の体ゆえ食べることは出来ないが、本人曰く香りだけでも楽しめるという事で彼にも食事を出している。広島焼きをつつきながら星那は先ほどの話をもう一度掘り起こして聞いてきた。
「私たちも出る?」
「内容次第だな。飛たちに関わるようなことだったら出さない」
『陽那が出てくるんなら僕たちにも関わりがあることなんですけど』
「だとしても、だ。アレが居るならろくでもないことを仕掛けてくるのは目に見えてる。奴のやり口を知ってる俺だけの方がいいだろ」
「それは無い。無いよ、所長。私たちの命にもかかわる問題なんだ、所長任せにしてほっぽりだすなんてヤダ」
「……。ま、そこらへんは実際その時になってからでいいだろ。本題はこの手紙の内容だ」
食事を終えた皿を片付けて、三人は机の上に置かれた手紙を囲む。
「じゃ、開けるか」
ペーパーナイフを取り出して封筒を裂いていく。中身が取り出せるようになったところで封筒の中を覗き込み、中から便箋を取り出して中身に目を通し始める。
「誰からだった?」
「タイムフィールド家の当主代行、先代当主様からだな。やはり依頼の手紙で……古い友人の安否確認をしたいらしい」
「……? タイムフィールド家って抗侵食薬の特許を持ってるTOPSだよね? なんでウチにわざわざ依頼を?」
『表沙汰にしたくない何かがある、ならタイムフィールド家の人員を動員すればいいだけでしょうし』
「さてな。詳しいことは直接会って話すから自宅まで来てほしいそうだ……
「『あー……』」
星那達の事もしっかり把握しているようだ。これは少しばかりは警戒していかなければならないようだ。いくらタイムフィールド家の評判は上々とはいえTOPS内の闘争を生き抜いてきた猛者だ。亡くなった当代当主ライオネル・タイムフィールドも社交界では若獅子と謳われる貴公子で――――――。
「いかん、思考がズレて行ってるな。二人とも、こう言われてる以上二人ともをタイムフィールド家に連れていくことになるが、十分に気を付けるようにな」
「分かってるって。陽那たちの黒幕かもってことでしょ?」
『今度はぶちのめしてやります』
「その意気は買うよ。だけどソーマは先走り過ぎだぞー」
『……スイマセン』
そうして時間は過ぎ去っていき、約束の日が訪れた。
朝早くに約束の時間に間に合うように事務所を出ようとしたところで三人は事務所前に止められているリムジンに気が付いた。車の扉の前には背筋を伸ばした執事服姿の男性が立っている。
「風雅探偵事務所の皆さまですな。私、タイムフィールド家にて執事を拝命しております、アーノルドという者でございます。本日は主より命じられ、皆様方のお迎えに上がりました」
「これはご丁寧に。風雅探偵事務所所長、風雅錬です。本日はよろしくお願いいたします」
「星那です、事務所所員その1です!」
『ソーマです。所員その2になります』
「ほっほ、元気のいい若者たちですな。しからば主の用命通り、皆様をタイムフィールド家本邸へとお連れ致します。どうぞ車へ」
促された通りに車に入ると星那は物珍しそうにあちこちに視線を向けている。さっさと座りな、と促しつつ自分も適当な席に座ると全員の着席を確認した運転手が走り始める。
「で、到着までに大筋の概要ぐらいは聞かせてもらえるんですか?」
「ええ、もちろんにございます。すでにご存知とは思われますが当家は現在逝去されたライオネルさまに代わり先代のベオウルフ様が家中の采配を振るっておられます。後継たるアリスさまは居られますがいまはまだ若く成長途中。それゆえ隠居していた先代がアリスさまが成人になるまでは、と立ち上がられたのです」
「御高名はかねがね伺っております。抗侵食薬の精製技術は新エリー都の誰もが足を向けては寝られない大偉業でしょう」
「ええ、ええ、まさしくその通りですな。かくいう私も……おっと、話が逸れてしまいますな。此度の依頼は、そのベオウルフ様よりのものとなります。ベオウルフ様は若き頃、共に研鑽しあった友と呼べる方が三人居られたそうです。いずれも各々の分野において頭角を現し、一角の人物となられたそうです」
偉大な頭脳を持つ男が若き天才だったころの話を聞いて、依頼を抜きにしても感心してしまう。それほどの頭脳が一所に集まり、競い合い高めあっていた場があったというのは聞いててロマンがある。
「しかし、ある日を境に仲違いをしてしまい彼らが居た研究室は解散してしまったそうです。ただベオウルフ様は仲違いはすれども同じ釜の飯を食べた者同士である彼らを気にかけ、何とか交流を維持していたそうです」
「話を聞く限り、私が手を出す領分は今のところ無さそうですが……?」
「いえ、実を言うとそのうちの一名の行方が分からなくなったのです。方々に捜索を行いましたが結果は惨憺たるもので。しかし諦めず念入りに調査を行ったところようやくあるホロウの向こう側に存在する孤立した集落に隠れ住んでいることが分かりました。しかしかの御仁はタイムフィールド家と接触を断とうとしている様子」
「つまりはその人物の現状と背景事情の調査を依頼したいということですね?」
「御明察にございます。概要はご理解いただけたようですので、これより当主代行の元へとお連れ致します」
話し込んでいるうちに、気が付けばタイムフィールド家の本邸に到着していた。正面入口前で降ろされた三人はアーノルドの後ろについて邸内を進んでいく。時折あちこちに目をやりすぎて置いていかれそうになる星那に声をかけつつ進んでいると、遠くからアーノルドを呼ぶ声が聞こえてくる。
「あの声は?」
「お嬢様ですな。アリス・タイムフィールド……ライオネル様が遺されたこの家の跡取りにございます」
『声的に僕たちよりすこし年上かな』
「ええ、今年で18歳になられますな」
「ああ、ここに居たのねアーノルド。……そちらは?」
制服に身を包んだ少女が曲がり角の向こうから姿を現した。
ブロンドの髪に金と赤のオッドアイ。両手には指ぬきグローブが嵌められている。目につくのは頭頂から伸びている兎耳だろうか。恐らくではあるが兎のシリオンなのだろう。
「はじめまして、風雅探偵事務所所長、風雅錬と申します」
「星那です」
『ソーマです』
三人が挨拶をするとアリスもにこりと笑うと堂に入った一礼の後に名乗る。
「アリス・タイムフィールドなのだわ。今日は……おじい様に御用かしら? 私の方は探偵さんを雇う用事もないし」
「ええ、本日はその打ち合わせに。後ろの二人はうちの所員になります」
「……ども」
『星那』
「分かってるんだけどさぁ……」
「星那、さん?」
「はい?」
星那の方を見たアリスが、何か恐ろしいものを見たようにわなないている。そんなに恐れられる理由に心当たりのない星那は困惑しながら応じるが、彼女はふるふると震える手で星那の
「な、なんでヘアピンを片方にしかつけてないのかしら!? そんな姿じゃアシンメトリーなのだわ!?」
「なんでいきなりヘアピンにケチつけられるの!?」
『ちゃんとしたお嬢様かと思ったら結構トンチキだなぁ』
星那の肩を掴んでぶんぶんと揺すり始めたアリスに、星那は「あぁあぁあぁ!?」とビブラートの利いた悲鳴を上げることしか出来ない。何が起きているか分からない錬がアーノルドの方を見てみると申し訳ございませんと額に手を当てた彼の姿。
どういう事か、と視線で問うと。
「お嬢様はシンメトリーであることにとてもこだわりを持たれていましてな。アシンメトリーであることがどうしても許せず、周囲にアシンメトリーの者が居たらそれを直さないかと進言してしまうのです」
「えぇ……?」
「ちなみにモンテフィーノ家の御令嬢であるルシアーナ様とお会いした折にもサイドテールからツインテールにするよう提案されたこともありますな」
「モンテフィーノ家って……怖いもの知らずな」
新エリー都でも有数の名家の名前が飛び出してきて目を白黒させる。アーノルドは子供同士の話ゆえ、大事には至りませんでしたが当時は胃を痛めたものです、と当時を振り返って胃のあたりを押さえながら笑っている。
「ああもう、取ればいいんでしょ取れば! お兄ちゃん、預かっといて!」
『はいはい、帰る時に渡すね』
「あ、ごめんなさい。急にこちらの話を押しつけちゃって申し訳ないのだわ」
「ホントだよ全く……。所長、早く当主のおじいさんのとこ行こう。このお嬢様と居るの怖い」
「こわ!? 怖くないのだわ!? 私はただアシンメトリーなのが看過できずに」
「それが怖いんだって! 兎じゃなくて猪のシリオンじゃないのお嬢様!?」
錬の後ろに隠れてアリスを威嚇する星那と何とか言いつくろおうとするアリス。二人に挟まれた錬は面倒くさそうにため息を吐いてアーノルドの方を向いて。
「とりあえず、依頼の話を進めましょうか」
と言った。
場所は変わりベオウルフ・タイムフィールドの私室前に一行は移動していた。アーノルドが扉をたたくと入りなさい、と巌のごとき声音が帰ってくる。アーノルド氏が失礼しますと声をかけながら入っていく。続いて部屋の扉をくぐると部屋の最奥の机の前に座った一人の老人が居た。ただその腕からは点滴のチューブが伸びており机のわきに置かれたスタンドに引っ掛けられた点滴の袋に繋がっている。
「ベオウルフ様、風雅探偵事務所の皆様が到着なされました」
「うむ、手間をかけたな、アーノルド。そしてよくぞいらっしゃった、風雅所長。私がタイムフィールド家当主代理を務めているベオウルフだ」
「初めまして、タイムフィールド卿。風雅錬と申します。銀髪の女の子が星那、鉄の狼がソーマです」
「よろしくお願いします」
『以後、お見知りおきを』
返礼を受けたベオウルフはうんと頷くと来客用のソファを示して座るように勧める。探偵事務所一行は勧められた座席に、アリスはその対面に、アーノルドはベオウルフ卿の傍に移動する。
「さて、まずはよくいらしてくれたと謝辞を述べさせていただこう。不躾に呼び立ててしまってすまなかったね」
「いえ。職業柄、外部に漏らしたくない案件というものがあるというのは理解していますので。あとは失礼ながら御身にも不調があるようですのでどちらにせよこちらから出向くことにはなっていたでしょうね」
「フ、違いないな。さて、仕事の話と行きたいが……アリス、席を外しなさい。ここからは私と彼らの話になる」
「ですがおじい様の体調もあるでしょう? なら私も同席して仕事の話は把握していた方が良いのではないかしら」
そう孫娘に言い返されて、ベオウルフはむ、と困ったように唸る。どうやら百戦不撓のベオウルフ卿でも孫娘には弱いらしいと内心面白がりながらも錬は口を開いた。
「失礼ながら、私としてもそちらの方がありがたいかと。実務であればアーノルド氏が居れば何とかなるとは思いますが、契約面で言えば法的扱いは肉親の方に引き継がれますのでアリス嬢にも把握していただきたいと思います」
「む、む……まあ致し方ないか。では改めて、すでにアーノルドから話は聞いているだろうが私にはかつて3人の朋友が居た。今はいずれもひとかどの人物になっている者も居れば鬼籍に入っている者も居る」
机の傍に置かれた写真立てを手に取って懐かしむように語るベオウルフ卿。祖父の過去を語る姿は初めて見るのか、アリスは前のめりに熱心に聞いていた。
「コール・スローター、ジェディス・カティアス、ロウ・セヴァランス。いずれも将来を語り合った友人であった。さて、ここで出た名前で君を呼んだ理由は察してもらえたと思う」
「――――――」
「はっはっは、驚いて声も出ないかね、セヴァランス一刀流宗主、風雅錬?」
「……一刀流?」
星那の声に我に返り、雑念を振り払う。
「それは脇に置いといて……理由は承知しました。つまりはコール氏かジェディス氏のどちらかを捜索してほしいという事ですね?」
「ああ、コールを探してほしい。元は生物と機械の融合、すなわち義肢研究を行っていた男だ」
「居所は分かっているそうですが、接触は?」
「しておらぬ。向こうもこちらがあれこれと探っているのは承知しておるだろうな。隔意所以の直接的な接触は避けているが、そこを君に頼みたい。アレが何を考えているか、何を望んでいるか。ロウの後継として話を聞いてきてほしいのだ。コールも、さすがに先に逝ったロウの後継を無碍にはしまいだろうしな」
そう語るベオウルフ卿は少しばかり気落ちしているように見える。
思わぬ名前を聞いて動揺しつつも、立て直した錬は少し考える。師の名前が出てきてその友人と話を出来るのは思いもしれない幸運に恵まれたと思う。
「さて依頼内容はここまで、次は報酬の話をしようか。第一に報酬金15万ディニーを前金として、成功報酬で追加で15万ディニー。次に星那くん達の後援、君に万が一のことがあれば星那くんたちの保護を約束しよう」
「っ……」
TOPSの中でも上位に入るタイムフィールド家の傘下に星那たちを任せられるのはデカい。不安定な自分の立場よりはよほどいい。それにいつかは――――――。
「所長、私たちの事は気にしなくていいよ。報酬で私たちを人質扱いとか気に食わないし」
『ですね。こちらも野良犬生活はそこそここなしてきたので、いざとなれば泥水啜ってでも生き延びて追手は振り切りますから』
「それだとまた追ってくるだろうからぶちのめしたほうが良くない?」
『ぶちのめす相手の規模感が分からないから小分けに潰したほうが早いよ』
「……お前らなぁ」
前のめりになりかけていた思考をフラットに戻す。
相手の提示する報酬は破格なほどいいものだ。しかし、TOPSの猛者が何の裏も無いメリットのみを提示するとは思えない。何らかの裏があるはずだと少し考えてから口を開く。
「受注に当たり条件を一つだけ」
「言ってみたまえ」
「袂を分かった理由をお教えください」
ベオウルフ卿から、圧力のごとき覇気が噴き上がる。老齢に入っているとは思えないほどのその威圧感に冷や汗をかきつつも錬は微動だにすることも無くベオウルフ卿の視線に真っ向から向かい合う。しばしの無言の睨み合いの果てに、ベオウルフ卿は瞼を閉じることで視線を切る。
途端に威圧感は嘘のように雲散霧消する。無意識に強張った体をほぐしながら待っているとベオウルフ卿は口を開いた。
「私の一存で全てを語ることは出来ない。だが一つだけ言えることがあるとすれば……踏み入ってはならない領域はいかなる分野においても存在するということだ」
「それをあなた達四人のうちの誰かが踏み入ってしまった、と?」
「自らの師も疑うか。だが否定はしない。先も行ったが、全てを語ることは出来ない。君はまだ知らないことが多すぎる。我らの過去を追え。その先で、改めて我が恥部を語ることになるだろう」
そう語る卿の姿はひどく後悔しているように見える。
錬はその姿に忌まわしい過去と再会した自分を重ね、決断する。
「――――――。分かりました、依頼をお引き受けしましょう。ただし、必ずあなたの過去は語っていただく」
「いいだろう。アーノルド、調査資料を彼に」
「承知しました」
張り詰めた雰囲気の中アーノルドが退出していく。
そしてその中で一人だけ黙っていた人物が居た。アリスだ。彼女は張り詰めた空気に押しつぶされそうになりながらも考えて、考えて。そして立ち上がる。
「その調査、私もタイムフィールド家の後継として同行させてもらうのだわ!」
厄介事はこっちだったか、と錬は顔に手を当てて天を仰いだ。
ベオウルフ・タイムフィールド
タイムフィールド家当主代行。息子であるライオネル・タイムフィールドの逝去に伴いアリス・タイムフィールドが成長するまでの代行としてタイムフィールド家を取り仕切っている。
TOPSとやりあうために搦手にも長けてはいるが基本的に正道を志すタイムフィールド家の気質にそぐわない人物。
学者としての側面もあり抗侵食薬の精製は彼の研究の最大の功績と言われている。作中時間軸において50年以上前の学生時代、ある研究室に所属しそこで朋友ともいえる3人の仲間と互いを磨き合ったという経歴を持つ。後にその研究室は解体されることとなるが……?