未実装馬は名前を変えております。
「一番外からブエナビスタ! ここから炸裂するか!あと400Mを切りました! 外から先頭アサール!
一番外から来たぞ!ブエナビスタだ~!
リードがあっという間に2馬身3馬身4馬身に広がっていった!
強い!ブエナビスタ圧勝!大物あらわる! 早くも来年の春が見えました! これは強い!
母に続いて新女王の誕生!驚きました!
大外から差し切りました13番のブエナビスタ!鳥肌が立つ強さでした!」
テレビから流れる実況の興奮が、トレーニングセンターの食堂に響き渡った。
レッドディザイアは、空になったカップを手に、画面を凝視していた。同世代のウマ娘たちが、阪神競馬場の芝1600メートルで火花を散らす光景。
「すごい...」
そして、思わず呟いてしまうほどブエナビスタの走りは衝撃的なものだった。
レースが終わり、他のウマ娘たちが賑やかに感想を語り合う中、レッドディザイアは静かに席を立った。まだ午後のトレーニングまでには時間がある。いや、トレーニング時間まで待つ必要はない。できることは、今すぐにでもやるべきだ。
足はおのずと、トレーニングセンターのトラックへと向かっていた。
十二月の冷たい風が頬を撫でる。呼吸が白く染まる季節になっても、レッドディザイアの心は常に熱を帯びていた。デビューできないまま迎えた冬。同世代のウマ娘が次々とデビューしていく中、自分はまだスタートラインにすら立てていない。
「もう一本、行こう」
誰に言うでもなく、トラックに向かって走り出す。朝の調教で既に決められたメニューはこなした。だが、それだけでは足りない。もっと速く、もっと強く。デビューした時、すぐにでも同世代のトップに追いつけるように。
坂路を駆け上がる。一歩一歩に力を込める。ブエナビスタの末脚が脳裏に焼き付いている。あの圧倒的な加速。あの勝負強さ。自分にも、あれができるはずだ。やらなければならない。
「はぁ...はぁ...もう一本」
息が上がる。でも、止まるわけにはいかない。デビューの許可が出るまで、一日たりとも無駄にはできない。
「レッドディザイア!」
トレーナーの声が背中に届いた。振り返ると、困惑と心配が入り混じった表情でこちらを見つめている。
「今日のトレーニングメニューは、もう終わってるだろう? 何やってるんだ」
「まだできます。もう少しだけ」
「少しじゃないだろう。昨日も一昨日も、メニュー以上に走ってる。このままじゃ、体を壊すぞ」
トレーナーの言葉は正論だった。それは頭では理解している。でも、体が、心が、もっと動きたいと叫んでいる。
「大丈夫です。まだ余裕があります」
「余裕があるかどうかの問題じゃない。計画的にトレーニングを積まないと、肝心な時に走れなくなる。今日はもう休め」
言葉に有無を言わせぬ強さがあった。レッドディザイアは唇を噛んだ。休むことが、無駄な時間に思えてならない。でも、トレーナーの指示に背くわけにもいかない。
「...わかりました」
渋々と頷き、トラックを後にする。寮への道すがら、胸の中でくすぶる焦燥感は消えなかった。
部屋に戻っても、落ち着かない。窓の外では、午後のトレーニングに向かうウマ娘たちの姿が見える。自分も、あそこにいたい。走りたい。証明したい。
ベッドに腰を下ろし、スマートフォンを手に取る。阪神JFの結果がニュースサイトに並んでいた。ブエナビスタの圧勝を伝える見出し。次代の女王候補と騒がれている。
画面をスクロールする指が止まらない。出走したウマ娘たちの名前を一つ一つ確認していく。誰もがデビューを果たし、実績を積み上げている。それに比べて自分は...。
コンコン。
ノックの音に顔を上げると、ドアが静かに開いた。
「その...レッドディザイアさん。今、お時間よろしいでしょうか」
現れたのは、マンハッタンカフェだった。漆黒の髪を纏い、いつも通りの穏やかな表情を浮かべている。だが、その瞳には僅かな心配の色が滲んでいた。
「マンハッタンカフェさん。どうぞ」
「ありがとうございます。その...トレーナーさんから、少しお話をと頼まれまして」
ああ、とレッドディザイアは察した。トレーニングのやりすぎを心配されて、先輩に説得を頼んだのだろう。少し複雑な気持ちになったが、それでもマンハッタンカフェが来てくれたことは嬉しかった。
「隣、座ってもいいですか?」
「はい」
マンハッタンカフェはベッドの端に腰掛けた。しばらく沈黙が流れる。レッドディザイアは、何を言われるのか身構えていた。
「その...阪神JF、見てましたよね」
「はい」
「ブエナビスタさん、すごかったですね。私も、あの走りには驚きました」
マンハッタンカフェの言葉は、批判めいたところが全くない。ただ純粋に、同じウマ娘として感心している様子だった。
「本当に...すごかったです」
「レッドディザイアさんも、早く同じ舞台に立ちたいと思っているんですよね」
図星を突かれて、レッドディザイアは頷いた。
「はい。でも、まだデビューの許可が出なくて。焦っても仕方ないのは分かってるんですけど...」
「その気持ち、よく分かります」
マンハッタンカフェの声が優しく響く。
「実は私も、デビューまでにすごく時間がかかったんです。周りのウマ娘がどんどんレースに出ていく中、自分だけが取り残されていくような気持ちになって」
「マンハッタンカフェさんが?」
意外だった。今では菊花賞、有馬記念、天皇賞春と、数々のG1を制した大先輩。そんな輝かしい実績を持つウマ娘にも、そんな時期があったのか。
「ええ。その...当時は本当に辛くて。体も弱いのに早くデビューしたい一心で、トレーニングを詰め込みすぎて、かえって調子を崩してしまったこともありました。せっかく出れた新バ戦も3着でしたし…」
マンハッタンカフェは穏やかに微笑んだ。それは、かつての自分を思い出すような、懐かしさを含んだ笑みだった。
「だから、レッドディザイアさんの気持ちは痛いほど分かります。早く走りたい。力を証明したい。その想いは、きっとレッドディザイアさんの強さの源になっています」
「でも、私...」
「その...焦りすぎて自分を追い込みすぎると、本当に大切な時に走れなくなってしまうんです」
マンハッタンカフェの言葉には、経験に裏打ちされた説得力があった。
「デビュー戦は、レッドディザイアさんにとって最高の舞台になるはずです。そこで全力を出し切るために、今は体も心も、最高の状態に整える時期なんだと思います」
「でも、このままじゃブエナビスタさんたちに置いていかれてしまいます」
「大丈夫ですよ」
マンハッタンカフェは優しく首を横に振った。
「その...レッドディザイアさんの走りは、私も何度か見せていただきました。とても力強くて、まっすぐで。あの走りができる貴方なら、絶対に素晴らしいレースができると思います」
「本当に...そう思いますか?」
「はい。だから、今は焦らないでください。デビューの時は必ず来ます。そして、その時が来たら、レッドディザイアさんの本当の力を見せてあげてください」
マンハッタンカフェの言葉が、胸に染み込んでいく。焦燥感で縛られていた心が、少しずつ解きほぐされていくような感覚だった。
「その...もし辛い時は、いつでも話を聞きますから。一人で抱え込まないでくださいね」
「ありがとうございます、マンハッタンカフェさん」
「私も、レッドディザイアさんのデビュー戦、楽しみにしていますから」
そう言って、マンハッタンカフェは立ち上がった。部屋を出る前に、もう一度振り返って微笑む。その笑顔には、後輩への温かい励ましが込められていた。
一人になった部屋で、レッドディザイアは深く息を吐いた。マンハッタンカフェの言葉を反芻する。焦らなくていい。自分の時は必ず来る。
窓の外を見ると、夕暮れが空を橙色に染め始めていた。
それから、レッドディザイアはトレーニングへの向き合い方を変えた。無理に量を増やすのではなく、トレーナーが組んだメニューを、一つ一つ丁寧にこなしていく。休養日は素直に体を休め、心のコンディションも整えるよう心がけた。
不思議なことに、焦燥感に駆られていた時よりも、体の動きが良くなっていった。トレーナーも、その変化を認めて満足そうに頷いた。
そして、年が明けて間もなく。
「レッドディザイア、来い」
トレーナーに呼ばれて向かうと、そこには書類が用意されていた。
「新バ戦への出走を許可する。一月、京都競馬場だ」
ついに。その言葉を聞いた瞬間、レッドディザイアの胸が高鳴った。待ちに待ったデビュー戦。ようやく、スタートラインに立てる。
「ありがとうございます!」
「調子も上がってきている。自信を持ってレースに臨め。ただし、無理はするな。まずは、自分の力を出し切ることに集中しろ」
「はい!」
力強く頷く。もう、焦りはなかった。今の自分なら、やれる。
デビューまでの日々は、あっという間に過ぎていった。レースシミュレーション、ゲートの練習、調整。全てが新鮮で、全てが楽しかった。
前日、マンハッタンカフェが激励に来てくれた。
「その...明日ですね、デビュー戦」
「はい。緊張してますけど、楽しみです」
「レッドディザイアさんなら、きっと素晴らしいレースをしてくれると信じています。その...無理せず、自分らしく走ってきてくださいね」
「ありがとうございます。マンハッタンカフェさんの言葉、胸に刻んで走ってきます」
そして、一月の新バ戦当日。
京都競馬場は、新年の活気に満ちていた。冬晴れの空の下、芝のコースが鮮やかな緑を見せている。
パドックで他のウマ娘たちを見る。みんな、初めてのレースを前に緊張と期待で目を輝かせていた。自分も、同じ表情をしているのだろうか。
ゲートに入る。周囲の音が遠のき、自分の呼吸と鼓動だけが耳に届く。
来るべき瞬間は、すぐそこまで迫っていた。
ガシャン!
ゲートが開いた瞬間、レッドディザイアは弾かれたように飛び出した。
最初の直線、芝を蹴る感触が心地よい。風を切る音。周囲のウマ娘たちの気配。全てが研ぎ澄まされて感じられる。
最初のコーナーに差し掛かる。ポジションは中団。まだ慌てる必要はない。トレーナーの指示通り、前半は落ち着いて脚を溜める。
向こう正面に入る。先頭集団がペースを引き上げていく。それでも、レッドディザイアは自分のリズムを守った。マンハッタンカフェの言葉が胸に響く。焦らない。自分を信じる。
三コーナー、四コーナー。コースが大きく湾曲する。外を回るウマ娘、内を突こうとするウマ娘。それぞれの思惑が交錯する中、レッドディザイアは冷静に隙を探った。
最後の直線に向かう手前、前が開けた。
「今だ!」
スイッチを入れる。溜めていた脚を一気に解き放つ。
体が加速する。視界が流れる。前を行くウマ娘たちの背中が、一頭ずつ近づいてくる。
残り200メートル。先頭が見えた。栗毛のウマ娘が懸命に逃げを打っている。
レッドディザイアは、外から襲いかかった。
「届け!」
残り100メートル。二人が横一線。ゴール板が迫ってくる。
最後の最後まで、脚を動かし続ける。諦めない。絶対に、届かせる。
ゴール!
電光掲示板を見上げる。
『1着 13番 レッドディザイア』
ハナ差。僅かな差での勝利だった。
「やった...」
実感が込み上げてくる。勝った。デビュー戦で、勝てた。
観客席から拍手が送られる。トレーナーが満面の笑みで手を振っている。そして、モニター越しに、マンハッタンカフェが優しく微笑んでいるのが見えた気がした。
ウイニングランをしながら、レッドディザイアは思った。
これが、スタート。ここから、自分の物語が始まる。
ブエナビスタが駆け抜けた阪神JFの映像が、まだ鮮明に記憶に残っている。あの圧倒的な強さ。でも、もう羨望だけではない。いつか、同じ舞台で、あのウマ娘と走りたい。競い合いたい。
「待っていてください、ブエナビスタさん」
小さく呟く。
ライブを終え、控え室に戻る途中、スマートフォンにメッセージが届いた。
『おめでとうございます、レッドディザイアさん。その...素晴らしいレースでした。これからも、応援しています。マンハッタンカフェ』
胸が温かくなる。支えてくれた人がいた。励ましてくれた言葉があった。だからこそ、ここまで来られた。
「ありがとうございます、マンハッタンカフェさん」
返信を打ちながら、レッドディザイアは微笑んだ。
その夜、一人になった部屋で、レッドディザイアは窓の外を眺めた。
冬の星空が、静かに瞬いている。
新バ戦での勝利は、確かに嬉しかった。でも、これはまだ始まりに過ぎない。クラシックへの道は、これから。桜花賞、オークス、秋華賞。目指すべき舞台は、まだ遠い。
ここまで読んでくださりありがとうございます。不定期更新にはなりますが次も読んでいただけると幸いです。
ではまた。