【完結】吾輩は犬である ~転生わんこの自由奔放異世界日記~   作:冬月之雪猫

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第十八話『吾輩、初心を忘れない』

 吾輩は犬である。名前はポチという。

 

「ワン!」

 

 吾輩の前に、少年と少女がいる。少年は涙を流し、少女は怒りで顔が歪んでいる。

 

『君はどうして殺すんだ? 命は大切なものなんだぞ!』

『知っている』

 

 驚いた事に、吾輩は少年と同じ音を発していた。人間の言葉である。

 

『知っているとも、メナス・ミリガン。命は大切なものだ』

『だったら、どうして殺すんだ!? 罪のない人達をどうして!?』

『ああ、君達にとってはそうだろうね。だけど、吾輩にとっては違うのだよ』

『どういう意味よ……』

 

 射殺すような眼光を向けてくる少女に対して、吾輩はやれやれと息を吐いた。

 

『君達は吾輩の同胞を殺す。まあ、理解はするがね。君達にとって、吾輩達は脅威だ。だが、あまりにも殺し過ぎだ。君達には君達の領域があるだろう? そこだけで満足していればいいものを、吾輩達の領域に踏み込み、その地を我が物にする為に殺す。それを延々と容認し続ければ、吾輩達は滅びてしまう』

『わたし達が悪いというのか!? だから、イルヴァーノやトカレスを滅ぼしたというのか!?』

『善し悪しで語れるものではないさ。君達が吾輩達の血で塗れているように、吾輩達も君達の血で塗れている。つまり……、そう。これは生存競争だ。君達人間と吾輩達の生を勝ち取る為の戦なのだよ』

『……もし、人間が君達を殺さなくなれば、君達もボク達を殺さなくなる?』

『そうはならないし、それは君達だって、出来ないだろう? 生物は物を食わなければ生きられない。空腹を満たす為には殺さなければならない。ああ、物の例えだよ。草木だけを食べれば解決するというものではない。これは欲望の話だ。君達にも、吾輩達にも捨てられぬものさ。まあだから……、吾輩達と君達は殺し合う定めにあるのだよ。その定めの終着点がここという事さ。吾輩は君達の言う、魔獣の頂点に君臨するものとして戦う。君達は人間という種の頂点に君臨するものとして戦う。勝てば、相手の種族の生殺与奪の権を握る事が出来る。単純な話だろう?』

『単純なんかじゃない! ボクは……、人間にも、魔獣にも苦しんでほしくない!!』

 

 困った事だ。吾輩と少年は敵対している。だけど、吾輩は少年が好きだ。

 願わくば、少年の理想を叶えてあげたい。

 

『すまないな、メナス・ミリガン。君は実に優しい子だ。善し悪しで語れるものではないと言ったが、君を害する事は明確な悪なのだろう。だから、君は正義を掲げるがいい』

『……どうしても、戦わないといけないの?』

『吾輩と君が戦わなければ、全面戦争になってしまうよ。どちらか一方ではなく、両方が滅んでしまう。それは君も望まないだろう?』

 

 少年は涙を溢れさせている。

 ああ、胸が苦しい。『人間にも、魔獣にも苦しんでほしくない』という言葉は偽善でもなんでもなく、彼の本心からの言葉だ。吾輩にはそれが分かる。

 この驚くほどに優しい少年を滅ぼす事は吾輩にとって、やりたくない事だ。けれど、吾輩は幾万幾億もの命を背負っている。

 

『……君達は吾輩の城を墜とした。そして、遂には吾輩と対峙した。覚悟を決めるのだ、メナス・ミリガンよ。揺らげば、隣の少女を守れぬぞ』

『ッハ! 雷帝よ! わたしが守られなきゃいけないようなか弱い女だとでも思っているの!? アンタを滅ぼすのはわたしだ!』

 

 少女はメナスを庇うように前へ出た。その勇敢さに敬意を抱く。敵として対峙している事を惜しみそうになる。

 だから、これを最後と決めて、勇者(・・)と呼ばれる少年に問いかける。

 

『彼女に委ねて良いのかね?』

『……ネルゼルファー。君はさがっていてくれ』

『でも、メナス!』

『ボクが戦う!』

 

 誰よりも臆病な少年。

 いつも泣いている少年。

 人にも魔獣にも慈しみの心を向ける少年。

 だけど、彼はいつも戦っている。他の誰かに委ねる事を善しとせず、己の心と体を傷つけながら絶望に立ち向かう。

 その類まれなる勇気に魅入られるものは人類だけではない。

 

『我が、愛しき対敵者よ。その魂の輝きをもって、吾輩に挑むがよい!!』

 

 泣きながら戦う少年に対して、非常に申し訳なく思うが、吾輩は堪らなく楽しかった。

 とても、伸び伸びとしていた。とても、爽快だった。

 美しき銀光を弾き返し、雷霆を招来させる。究極に至った奥義を撃ち合い、肉と肉を削り合う。

 血潮が舞い散る。

 

『……ああ、だけど』

 

 楽しい時間は瞬く間に過ぎ去り、吾輩は地に伏せた。

 もはや、死を免れぬ深手を負った。

 

『見事である』

 

 吾輩の称賛を受けて、彼は少しも喜んでくれなかった。

 

『ごめん……、ごめんなさい……』

 

 泣きじゃくっている。涙と鼻水を垂れ流し、吾輩の死を心の底から悲しんでいる。

 それが凄くイヤだった。

 

『謝る必要などない。これで良かったのだ』

『良くなんかない!! どうして、最後に攻撃の手を緩めたんだよ!? 君は魔獣達の命を背負ってるんだろ!? 君が死んだら魔獣達はどうなるんだよ!!』

『問題はないさ。だって、君は魔獣を滅ぼしたりしないだろう』

 

 吾輩の言葉に少年は言葉を失った。口をパクパクさせて、何か言おうとはしているけれど言葉にならない様子だ。その姿はどこか滑稽でおかしかった。

 

『……ずいぶん、穏やかに笑うのね。何万もの人間を殺した化け物の癖に……』

『仕方があるまい。愉快に思ってしまったのだからね』

 

 最期が近付いて来ているのだろう。視界が段々とぼやけて来た。

 

『き、君だって! 本当は人間を滅ぼす気なんてなかったんじゃないのか!?』

『……あったさ。君とは違う。吾輩はそれほど優しくないんだ。同胞を葬られる度に君達を憎悪したものさ』

『だったら、どうして!?』

『君のおかげさ』

 

 とても安らかな気分である。死がこれほどまでに優しいものとは知らなかった。

 

『……メナス・ミリガン。君のおかげで吾輩は人間を少しだけ好きになれたよ』

『ボクは……』

 

 瞼を閉じた。呼吸も出来なくなった。少年の声も遠ざかっていく。

 終わりの時を迎え、吾輩は少しだけ欲を口にした。

 

『……もし、許される世界でまた出会えたなら、君と友達になりたいな』

 

 そして、夢は終わりを迎えた。

 

 ◆

 

「ワンちゃん、起きた!」

「ワォン」

 

 おはよう、メナス。

 

「寝惚け声も可愛いねー!」

 

 間違えた。このハイテンションな声は剣聖である。

 人違いにも程があったのである。

 

「ワンワン!」

 

 夢は夢である。嘗ての吾輩が何物であれ、今の吾輩は犬である。

 センチメンタルな気分を払いのける。

 

「ワオーン!!」

 

 今の吾輩の使命はカイトくんを家に帰す事である!

 吾輩、初心を忘れない。

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