青い青春のひとかけら   作:逆襲

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ヒナが先生に耳かきをします。


静かな夜に、あなたのそばで (ヒナ)

「……これで終わり。」

 

銃口を静かに下げながら、ヒナはゆっくりと息を吐いた。

 

瓦礫と湯気が混じる温泉施設跡地。ほんの数分前まで騒ぎまくっていた温泉開発部の面々は、今は床に転がってぐったりしている。

 

「ひ、ひぇぇぇぇ……!」

 

最後まで粘っていたカスミが半泣きでヒナから距離を取ろうとした、その額に――パン、と乾いた音が響く。

 

カスミは目を白黒させたあと、情けない悲鳴を残してその場に倒れた。

 

「……まったく、いつまで繰り返す気なのかしら。」

 

白い髪をひとつ払って、ヒナは空を仰ぐ。

戦いの熱が抜けて、夜風が肌に少し冷たく感じる。

 

端末に目を落とすと、時刻はすでに20時を回っていた。

 

(はぁ……疲れた……)

 

何度捕まっても懲りずに脱獄し、温泉開発を再開する温泉開発部。

もはや恒例行事といっていい。

 

そのたびに現場へ駆り出されるのは、風紀委員会――そして委員長であるヒナだった。

 

「委員長、お疲れ様です!」

 

通信を切って駆け寄ってきたのは、サポートに入っていたアコだった。

軽やかな足取りに対し、ヒナはどこかぐったりとした顔を返す。

 

「アコもお疲れ様。……温泉開発部の護送、お願いできる?」

 

「はい!お任せください!」

 

いつもの調子で嬉しそうに返事をするアコ。

その姿を横目に、ヒナは少しだけ肩の力を抜いた。

 

「……じゃあ、私は先に戻るわ。」

 

そう言い残して、ヒナはくるりと踵を返す。

 

だが、その足が向かったのはゲヘナの校舎ではなかった。

舗装された夜の通り、ビルの電気が淡く灯る先――

 

(……ちょっとくらい、寄ってもいいでしょ。)

 

誰に言うでもなく、小さくぼやいて歩き出したその先には――シャーレがあった。

 

 

 

 

夜の帳がすっかり街を覆い尽くした頃。

静寂を破るように、シャーレのビルの一室だけが、まるで灯台のように暖かな光を放っていた。

 

「……まだ仕事中かしら……」

 

ヒナは小さく呟く。

 

先ほどモモトークで先生に連絡を送ったが、返事は無い。

 

いつもなら数秒と経たずに返信が返ってくるのに、この沈黙は妙に胸の奥をざわつかせた。

 

エレベーターが静かに上昇していく。

 

ミラー仕上げの壁面に映る自分の姿を、ヒナはついじっと見つめてしまう。

 

制服の襟は曲がっていないか。髪に乱れはないか。

任務の帰りだというのに、まるでデートの前のように――

 

(……問題なさそうね)

 

やがて、エレベーターが目的の階に到着する。

 

軽い音と共に扉が左右に開き、夜の静けさに包まれた廊下が姿を現した。

天井の灯りは必要最低限だけが点いており、ヒナの靴音が廊下に乾いた反響を落とす。

 

胸の鼓動が、歩を進めるたびに一拍ずつ速くなっていくのが自分でもわかった。

 

(……ただ先生の様子を見に来ただけ。そう……それだけ)

 

そう言い聞かせながら、目的の部屋の前に立つ。

ドアの隙間から漏れる光が、ヒナの足元を柔らかく照らしていた。

 

深呼吸をひとつ。

緊張で少し冷たくなった指先でノックを三度、控えめに叩き、扉の取っ手に手をかける。

 

カチャリと音を立てて扉が開き、暖かな光がヒナの頬を照らした。

 

「……先生? いるかしら? 丁度近くで任務があって――」

 

ヒナの言葉は途中で途切れた。

 

扉の先にあったのは、いつも見慣れた執務室――その中央のデスクにもたれかかるようにして、ぐったりとした姿勢で座る先生だった。

 

遠目は虚ろで、まるで魂だけがどこかへ抜け落ちてしまったよう。

 

机の上には丁寧に仕分けられた書類の山と、カフェインの残り香を漂わせる空のマグカップが並んでいる。

 

「……はぁ」

 

思わず小さく漏れた溜め息は、夜の静寂にすぐ飲まれていった。

 

先生はヒナの存在にすら気づかず、ただ、ぼんやりと前を見つめているだけだった。

 

いつも自分に「無理しないで」と言ってくれる人が、こんなになるまで仕事をしているなんて――。

 

(……まったくこの人は本当に……。)

 

先程のカスミ絡みの件――脱獄と温泉開発未遂のゴタゴタ。

あれも、最終的な処理は全部この人の肩にのしかかってくる。

 

修繕費の算出、報告書の整理、連邦生徒会への説明……。

ただでさえ多忙な先生に、また余計な負担をかけてしまった。

 

頭の奥がズキリと痛んで、自然とため息がこぼれた。

 

ヒナは端末を取り出し、手早くメッセージを送る。

――《アコ。今日は遅くなる》

 

 

送信を確認してから、ヒナは静かに先生のもとへ歩み寄る。

机に突っ伏している先生の肩に、そっと手を置いた。

 

「先生。」

 

柔らかい声が夜の空気を震わせる。

 

「うわぁっ!? ヒ、ヒナ!?」

 

突然の接触に先生が跳ねるように驚いた。

目が一気に覚めたらしく、今さらになってこちらを見上げてくる。

 

「ど、どうしたのこんな時間に?」

 

「たまたま近くで任務があったから寄っただけ」

 

ヒナは努めていつも通りの声で返す。

心配が顔に出そうになるのを必死に押さえ込んで。

 

「そうなんだ。任務お疲れ様。私もついさっき終わったところでね……」

 

先生は苦笑いを浮かべながら、背伸びをする。

 

「そうなんだ。……じゃ、この後時間ある?」

 

「まぁあるけど……どうしたの?」

 

先生が首を傾げた瞬間、ヒナはためらいなくその腕をとる。

ぐらりと体勢を崩す先生。

 

「うわっ!? ヒナ、ど、どうしたの急に!?」

 

「いつものお返し。こっちに来て。」

 

ヒナの表情はいつもと同じ、でもその声音には少しだけ優しさが混じっていた。

先生が普段、自分にしてくれるように――今度は自分が支える番だ。

 

そのままヒナは先生の体をしっかりと支え、ゆっくりとソファの方へと歩き出した。

 

先生はなすすべもなくされるがまま、ソファに座らされ、軽く背中を押されるようにして腰を下ろした。

 

先生がソファに腰を下ろすと、ふぅ……と深い息を吐いた。

 

硬い椅子に長時間座っていたせいか、全身の力が抜けていくのがヒナから見てもわかるようだった。

 

その様子を見て、ヒナは目を細める。

 

「……ねえ、先生」

 

「ん?」

 

「何か、私にしてほしいことはある?」

 

「え?」

 

唐突なヒナの言葉に先生が目を瞬かせる。

ヒナは少し恥ずかしがりながら、言葉を続ける。

 

「先生は、私たちのためにいつも頑張ってる。だから少しだけでも何か返したいの。」

 

「私はやりたくてやってるだけだよ。恩を返すとか、そういうのじゃないよ。」

 

先生はいつものように返す。いつもならヒナは納得できずにそこで終わるが今日は違った。

 

「じゃあ、私がやりたいから、先生に何かしてあげる。これならいいでしょ?」

 

いつもならそんなこと絶対に言わない彼女の言葉に、先生は少し驚きながらも、自然と口元が緩んだ。

 

「あはは……そう言われちゃ弱いな……」

 

先生は少し考えた後、口を開いた。

 

「そうだな……じゃあ、耳かきしてほしいな。」

 

「……耳かき?」

 

ヒナの眉がピクリと動く。

予想外のリクエストに思わず目を細めたが、すぐに肩をすくめる。

 

「……まぁ、いいけど。そんなことでいいの?」

 

「うん。それが一番リラックスできる気がする」

 

ヒナはため息をひとつ。

 

「……じゃあ、こっち来て。膝、貸すから。」

 

先生がポカンとしたまま固まっているのを見て、ヒナは軽く頬を赤らめながら膝をポンポンと叩いた。

 

「早くして。」

 

「あ、うん」

 

言われるがままに先生が体を横たえる。

頭がヒナの膝の上に乗る瞬間、ふわりと柔らかな感触と、彼女の体温が後頭部を包み込んだ。

 

ヒナはソファの横に置かれた机から、一本の綿棒を手に取った。

「……あんまり人にやったことはないから、痛かったらごめんなさい」

 

先生の耳にそっと手を添え、綿棒の先をゆっくりと差し入れていく。

 

(……力、入れすぎないように……)

 

慎重に奥へと綿棒を滑らせていく。

 

「ん……」

 

先生の喉から、かすかな息がこぼれる。肩がピクリと震えるたびに、ヒナの指先もわずかに緊張で震えた。

 

「だ、大丈夫……?」

 

「大丈夫……すごく、気持ちいいよ」

 

その声に、ヒナの頬がじんわりと熱を帯びる。

耳の奥をそっとなぞるたび、耳殻が小さく動き、綿棒に伝わる感触が指先をくすぐった。

 

静まり返った部屋に、擦れるような小さな音と先生の穏やかな呼吸だけが響く。

 

ヒナは息を合わせるように、より丁寧に手を動かした。

 

 

 

 

「……よし、このくらいで」

 

綿棒をそっと引き抜き、最後に軽く息を耳へと吹きかける。

その瞬間――

 

「っっっっっっ!!」

 

先生の体がビクンと大きく跳ねた。

 

「せ、先生!?」

 

ヒナは思わず慌てて顔を覗き込む。

 

「だ、大丈夫だよ……ちょっとくすぐったかっただけ」

 

先生は平静を装うように笑うけれど、その耳は真っ赤に染まっていた。

 

「う、うん。わかった。」

 

ヒナは綿棒をゴミ箱に捨て、新しいものを取り出した。

 

「……じゃあ、反対側も……」

 

先生は膝の上で姿勢を少し直し、ヒナに身を預けるように頭を傾けた。

その動作ひとつひとつが妙に近くて、ヒナの心臓がまた早鐘を打つ。

 

そっと耳たぶに指先を添え、反対側の耳へ綿棒を差し込んでいく。

さっきよりも、少し慣れた手つきだった。

 

静かな夜に、細く柔らかな擦れる音がふたたび響く。

 

「……気持ちいい?」

 

「うん……最高……」

 

素直に褒められるたび、ヒナの声が少しずつ甘く、照れを含んでいく。

 

奥の小さな汚れをそっと掻き出しては、細かく角度を変えて、また優しくなぞる。

先生の体から伝わる温もりと静かな息づかいが、ヒナの鼓動にぴたりと重なった。

 

 

「……よし、こっちも終わり」

 

綿棒をゆっくりと引き抜き、再度耳たぶに軽く息を吹きかける。

 

「っっ……!」

 

肩が跳ねる。ヒナは思わず、少しだけ笑みをこぼした。

 

そんな先生の反応が、ちょっとだけ可愛くて――

ヒナは無意識に唇を耳へと近づける。

 

(……もう一回)

小さく、息を吸い込み――不意打ち気味にふぅ、と吹きかけた。

 

「…………!」

 

先生の体が先ほどより大きく震える。

近すぎる距離と、頬にかかる先生の髪。

鼓動の音が、耳かきの時よりもずっとはっきりと聞こえた気がした。

 

「……はい、おしまい」

 

ヒナは先生の頭をそっと撫でるように膝の上から離し、綿棒をゴミ箱へと投げ入れる。

部屋の空気には、ほんのりとした温もりと心地よい静けさが残っていた。

 

 

先生は、うっとりとした顔で小さくあくびをする。

 

「ふぁあ……ありがとう……すごく癒されたよ……」

 

膝に載せられた先生の頭を優しくなでる。

 

「……二人きりの時なら、またやってあげる。」

 

ヒナの声にも、ほんの少し柔らかさが混ざっていた。

 

 

――その瞬間だった。

 

ガチャリ、と執務室の扉が開いた。

 

「先生、夜分遅くに失礼します。先程この付近で起きた温泉開発部のことについてなのですが……」

 

その声が夜の静けさを切り裂いた。

声の主――アコがピタリと止まる。

 

目に飛び込んできたのは、膝枕されながらうっとりした顔で座っている先生と、頬を少し赤らめたヒナ。

 

「……え?」

 

数秒の沈黙。

 

そして――

 

「なにしてるんですか先生!!そんな羨ましいことを!!」

 

「えっ、アッ、アコ!?」

 

「私だってヒナ委員長に膝枕されたいのにっっ!!」

 

部屋中にアコの声が響き渡る。

ヒナは呆れた顔をし、先生は慌てて姿勢を起こす。

 

「ち、違っ……これは、その……!」

 

(……はぁ、ほんと……こういうところは玉に瑕ね……)

 

呆れたようにため息をつきながらも、ヒナの頬にはまだ熱が残っていた。

 

一方のアコは、今にも床を転げ回りそうな勢いで悔しそうに拳を握りしめる。

 

夜の空に、アコの悔しそうな声がこだましていた。




最後まで読んでくれてありがとうございました!
今回の作品で一旦このシリーズはおしまいです。

また気が向いたら、続きを書くかもしれません。
そのときはまたご覧になってください。
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