青い青春のひとかけら 作:逆襲
「ふぅ……暑いな……」
夏の日差しが大きな窓から容赦なく差し込み、部屋全体を白く照らし出していた。
冷房はつけているはずなのに、じわりとした熱気が肌にまとわりつく。
パソコンのファンが小さく唸り、外からは蝉の声が絶え間なく響いてくる。
ここ数年でも珍しい猛暑日。こんな日に外へ出たら、体力などあっという間に削られてしまうだろう。
幸い、今日は各学園への出向もなく、執務室で一人仕事を進めるだけでいい。
とはいえ、この暑さの中での一人仕事は、妙に静かで、少しだけ心細い。
「……?」
ふと、視線を感じる。
生徒たちによる盗聴や望遠鏡での“観察”には慣れっこだが、それらの対策は昨日済ませたばかり。
それに、この猛暑で外から覗くなんて自殺行為だ。
(じゃあ、この視線は一体……?)
執務室をぐるりと見渡す。
いつもの本棚、デスク、観葉植物、涼しげに回る空調……一見、変わったところはない。
――ただひとつ。
(……なんだあれ)
壁の一部が、ふくらんで見える。よく目を凝らすと、壁紙が微妙に浮いていた。
こんなことをする生徒は一人しか覚えが無い。
「イズナ? そこにいる?」
声をかけると、壁紙の一部がピクッと震えた。
しかし返事はない。
「気のせいかぁ……ちょっと休憩しようと思ってたけど、一人は寂しいなぁ」
わざとらしく独り言を口にする。
ちらっと視線を向けると、壁紙からぴょこっと耳と尻尾が揺れ、さらに指先が少しはみ出しているのが見えた。
「……あ〜残念だなぁ。アイスもあるんだけどなぁ」
冷蔵庫からアイスを取り出し、その壁紙の前へと進む。
アイスを袋から取り出し、はみ出した指先にピタッと押し当てた。
「わあっ!」
小さな悲鳴とともに壁紙がベリッと剥がれ、イズナの姿が露わになる。
「やっぱり。イズナだったね」
「ばれてしまいました……えへへ……」
彼女の額にはうっすらと汗。日の当たらない場所とはいえ、今日の温度で立ちっぱなしだったら汗もかくだろう。
彼女の頬もほんのり赤く、息が少し上がっているのが見えた。
「どう? イズナも一緒に?」
問いかけると、イズナは目をキラキラと輝かせて力強く頷いた。
「はいっ! お供させてください!」
ソファへ移動し、イズナと並んで座る。
イズナにアイスを差し出すと、両手で大事そうに受け取り、すごい勢いで食べはじめた。
「そんなに急ぐと、頭がキーンってなるよ」
そう言いながら横を見ると、すでに目を細めて頭を押さえていた。
その姿に思わず笑いがこぼれ、先生も自分のアイスを口に運ぶ。
冷たい甘さが、熱に晒された体に染み渡る。
エアコンの風が頬をかすめ、少しだけ夏の重さが和らぐ気がした。
「そういえばイズナって、いつからあそこにいたの?」
「はい! 今日の朝からいました!」
「朝から!?」
思わず声が大きくなる。昼過ぎまで気づけなかったことも驚きだが、朝からあの状態だったと思うと心配にもなる。
「具合、大丈夫? 体調とか……」
「全然平気です! こうやって主殿からアイスも貰えましたし!」
再び勢いよくアイスにかぶりつき――またもや「キーン」。
見事なまでの二連撃である。
「修行するのはいいことだけど、自分の体も大事にしてね。倒れたら、心配するから」
「はい! 肝に銘じておきます!」
真剣な顔でこちらを向くイズナ。
……が、彼女の尻尾はブンブンと嬉しそうに揺れている。
そのギャップに、先生は思わず小さく笑った。
「主殿? 何かおかしい所でもありましたでしょうか?」
「いや、なんでもないよ。それより、ミチルとツクヨの調子はどう?」
それからイズナとアイスを食べながら楽しいひと時を過ごした。
(さてと、そろそろ仕事に戻るか……)
雑談とアイスのひとときで30分ほどが過ぎていた。
もう充分にリフレッシュできたので、先生は立ち上がろうとし――ふと隣に目を向ける。
そこには、ソファに座ったまま、うとうとと船を漕ぐイズナの姿があった。
「イズナ?」
「……あっ、はい、どうしましたか主殿……」
少し遅れて反応する彼女。目はとろんとし、まぶたは今にも閉じそうだった。
「……アイス食べたらちょっと眠くなっちゃってさ。一緒にどう?」
「はい……お供させて……いただきます……」
イズナはそのまま、迷いもなく先生の肩に頭を預けた。
ふわりと髪からシャンプーの匂いが漂い、体温が静かに触れる。
外の蝉の声と冷房の風音が、やけに心地よく感じられた。
すぐに寝息が聞こえてきた。朝からあそこにいたと言っていたので相当お疲れだったのだろう。
「いつも修行、お疲れ様。無理しないで、頑張ってね」
小さく囁き、彼女の頭をそっと撫でる。
そのままそっとソファに寝かせ、ブランケットをかけた。
寝息は穏やかで、尻尾が少しだけ名残惜しそうに揺れている。
「……さて、頑張りますか」
先生は再びデスクへと戻り、パソコンを開いた。
夏の午後、かすかに聞こえる寝息、蝉の声と規則的なキーボードの音が、静かに重なっていった。