「……は?」
一瞬、何を言っているのか脳が理解を放棄した。
置かれた壺と
治った? 何が?
―― 真っ先に再起動したのは、状況に心当たりがあった
「―― 薬酒か! これが、これがそうなのだな!? これが薬酒なのだな!?」
答えたのは
《はい、その通りです。
接種後の
ホログラムディスプレイに
わずか30時間の間に実施されたその数、都合15回。過剰なまでの記録が並んでいる。
「最初の1回を除きすべて精密検査だな。抗原反応が無い……しかし抗体反応は確かにある。本当に治っている……本当に?
この場に偽造記録を持ってくるほど愚かではない事は解ってるが、しかしこれはあまりにも……!?」
「途中から検査範囲も広げてるの。しかしなぜこんな過剰な量を?」
《
検査するたびに「は?」「機械の故障か?」「使った血液は
「そんな報告はしなくて良い」
《薬酒の分析データを確認されたときも同じような反応をなさいました。
飲まれた際の味と分析データ内容の解離が非常に
「そんな報告はしなくて良い!」
そんな
「な……治るのか? それを飲めば……
力なく伸ばされる手が、幻を掴むように震えている。
「―― さすがに治療までは保証できない。この薬酒は、俺の死体に生えてた
「いやだってよう相棒、流石に……流石に勇気がいるんだよそれを作ってる光景見ちまったら!
だってお前、アレだぞ!? 猿人だって時点でアレなのにお前……あいつ黄水飲んでたんだぞ!?!? 毒虫だってバリボリ食ってた!! 飲むのに抵抗どころの話じゃないだろ!?!?」
「待て!! 待て待て待て待て、おかしな情報を垂れ流すな!!
さっきから一体何を言っている!?
ウイルス疾患が血清注射どころか酒を飲んだら治った? そもそも
頼むから私が理解できるように話をしてくれ!!」
半ば狂乱しながら
それは、この場にいる大半の人間に共通する叫びと言っても良かった。
「……
《かしこまりました。ただ、対象の保護的な意味合いから、一部の名称はボカさせて頂きますのでご承知置きください。
―― 事の起こりは、猿人の中に類を見ないほどの特異体質がいる事が解った事からです。
その対象……『某』と呼称しますが、某はあらゆる毒物を口にしても死ぬ事は無く、それどころかその吐瀉物は口にした毒に対する解毒剤として機能し、それでなくとも体を強くする薬酒として機能すると言う体質を持っていました》
「……吐瀉物?」
《はい、吐瀉物です。この壺の中身は、その猿人の吐瀉物です》
この時点で、すでに
「あー……まあ、わかった。色々言いたいがとりあえず今はそのまま飲み込もう。
それで、その猿人に
《その通りです》
「
「……生き返った、と言う単語は適切ではないな。
俺は天道研究センターの攻略に失敗し、変異体に殺されたんだ。その時の死体に花が生えた。
その花を今の俺が回収し、残った死体の方は何を考えたのか
一同の視線を
「ここに居る俺は、言うなればスワンプマンだ。古木樹ノードから出て来たそうだ。
自認は変わらず
語られるその内容に
「随分と……軽く、言い放ってくれるな。何が起こってるか解っているのか?」
「自認が
「さて、その薬酒だが……およそ俺の常識を飛び越える代物だった。
そもそも
成分分析して何がどう働いたのかを確認しようともしたが、そもそも成分が酒の体をなしていなかった……でも飲んだら酒なんだしっかりと。
もうな、その酒を分析するよりも、治った俺の血液使って抗体製剤作った方が余程納得できる状況だ」
「そう言うの、無責任と言うのだぞ貴様……それでいてその猿人は保護したいなどとは片腹痛い。薬の源泉を独占していると取られるとは思わぬか」
「思うが、俺はもうこれ以上、猿人に対して倫理的に反する状況を押し付ける選択肢を取りたくない。
……友達なんだ、アイツは。
それに、この薬酒については説明のできない事ばかりが起こっている。
例えアイツのクローンを作って薬酒工場を作ったとしても、それで効果が出せる気が全くもってしないんだ。
……いや、と言うか、たぶんそれでは出来ない筈なんだ。アイツはまず『毒を摂取しないと死ぬ』とか言う訳のわからない病に後天的に罹ってから今に至ってる筈だから。クローンだけじゃ足りない筈だ」
「……どういう病じゃそれは、聞いた事も無いぞ。猿人特有のものか?」
「俺もわからない。そもそも毒食って治るとか言うのがもうわからない。
いや、特定の毒が薬になると言うのならまだわかるが、毒と名前が付けばアルカロイドだろうと重金属だろうと細菌だろうと無差別に適用可能と言うのが本当にもうわからない。ていうかあいつに関わる事象がもう全部わからない」
語る
そもそも、取引だったからと思考停止して毒と名の付くものを片っ端から持って行ったこと自体がそもそもアウトである。
全ての毒に適用可能な『万能薬』などという物が存在し得ないのと同じく、一口に毒と言っても体に作用する経緯は様々で、アレは大丈夫だったからこれも大丈夫、なんて事には絶対にならない。
しかし、それをやってしまうのが
口にはしないが、もうアレは映画とかで出てくるミュータント扱いで良いと
「薬酒を成分分析して、起こってる事象に無理やり理屈をつけようと試みた事もあった。
あいつの肝臓や腎臓と言った物は見ないフリをし、例えばあいつの特殊な抗体が薬酒と言う形になっているならあるいはとか考えた事もあった。
―― 全部無駄だった!! いっそこの世には魔法と言うやつが存在してて、その魔法のポーションこそがこれなのだと言ってくれた方がまだ許せるレベルだった!!
そもそも、俺は一体何を飲んで酔っ払っていたんだ? その薬酒から検出したエタノールは0.5%以下だったんだ!!」
「
「泣いてない!!」
そう叫ぶ
「……俺がこれについて出せるのは、結果だけだ。現物と分析結果と俺の血液検査結果だけだ。
俺が摂取したのは1/3合ほど……4~5人くらいならいけるだろう。
治る事を保証は出来ないが、治験をやる気があるなら提供する」
体の無くなった蚨蝶と、既に変異体となっている
十分全員試せる計算である。
壺を見つめながら、しかし怖気付いたように
「……その……吐瀉物、なんじゃよな? 猿人の」
「そうだ」
「……なんと言うかその……ちと下世話なアレになるんじゃが……
せめてほら。せめて……せめてその、ほら。
その猿人は、なかなか奇麗な
「あきらめろ。何故か常時マトモな服を着ずに、胸毛の生えた太った体を曝け出している、頭頂部の禿げた汚いオッサンだ。とくに乳首の色とかすげえ汚い。
あと、黄水飲んで「ピリピリした刺激的な味」とかぬかしながらゲップしてた」
その言い方に非常に悪意が香るが、マジでその通りなので
そしてここに疑心暗鬼と言う性格までシュートされる。
ここだけ取ったら「なんでジブン、アイツの友達やってるんだろう」と一瞬思ってしまう程度にはヒドい。
「ええい、どいつもこいつも腑抜けた男共じゃ。……貸せ。わらわが試してやる」
あまりに勇者なそのセリフを聞いて、
「
「この薬酒の中身すべて鼻から流し込んで、空いた壺でドタマ叩き割るぞ貴様」
それは今まで聞いた事のないほど低くてドスの効いたセリフであった。
やると言ったら何が何でもやると言う『漆黒のスゴ味』を感じる。
壺についていた猪口に薬酒を注ぎ、幽霊の正体を暴いてやるとでも言いたげな顔でその中身を煽ってみせる。
猿人の吐瀉物と聞いても嫌悪感を感じさせない様相で、口の中に空気を入れてその液体を味わった。
―― 怪訝な顔をしながら、
「ど……どうじゃ?」
「……どういう事じゃ」
二口目の為に若干残していた薬酒を見つめながら呆然と呟く。
「含有エタノール0.5%以下じゃと!? 確かに酒精を感じるぞ!? 15~16度はあるハズじゃ!!」
《間違いなく0.5%以下です。含有エタノール1%以下なので、酒造法で言う所の『酒』にすら該当致しません》
「薬草の様なセルロースの香りと、どこか果実の様な後味すら感じる!! クセこそあるが普通にうまい酒じゃぞコレは!?
しかし成分表に特殊なアミノ酸らしきものはあるが、わらわが感じるような香りの元が見られん!!
分析データはこれだけか!? 顕微鏡撮影は!?」
《免疫蛍光染色法による撮影を試みましたが免疫構造体の反応がありませんでした。
通常の顕微鏡観察を行ったところ、いくつかの細胞壁のような物を認められましたが詳細は不明です。微量のDNAも検出こそ出来ましたがその内容は某のものであり、この薬酒の薬効を担っているとは判断できません》
「ちなみに、その薬酒は普通に酔うぞ。
……
二口目をあおり、より一層味覚に集中する
最早
「……薬効が出始めるのは如何ほど後じゃ?」
「だいたい1時間強だ。体の変調が霧散していくのを実感として感じられた。
俺以外にも薬効が出るのであれば、おまえにも同じ現象が起こるだろう」
「……
「俺は泣いていない」
確かに、こんな訳の分からない吐瀉物で、太陽人の英知たちが集まってどうにもならなかった物が治ってしまうとなったらもう泣くしかないのかもしれない。
本人は泣いていないと主張していたとしても。
「正直これは、
事実上のお手上げ宣言だった。
それを聞いた
「話を聞いているだけで、私にもどうにかなるような物とは思えない。
それに……そもそも今の私では飲んでも意味が無いだろう。
私は、随分前から味覚が消えているのだ、もう」
―― 空気が。呼吸が。一瞬止まる。
「それは……変異体に、なる前から……?」
「……そうだ」
力なく頷いた
―― ストレス性味覚障害。
そう言う事なのだろう。
自分がバラ撒いてしまった
そして決定的になった
その心労は、彼女の体に壮絶な負担を強い続けていたのだ。
しかし彼女は、今に至るまでその事実を隠し通していた。
確かに、彼女の罪だ。彼女の研究の果てに
愛する人が、大切な人が、体中を黴と花に覆われて果てた人達はきっと、揃って自業自得と吐き捨てるかもしれない。
彼女は500年間……いや、それよりもずっと前から、それを甘んじて受け続けて来たのだろう。
何一つ、誰かに苦しみを打ち明ける事なく。
確かに彼女は、自らの過ちを認めずにここまで生きて来た人間なのかもしれない。
しかしそれでもなお、確かに彼女は英雄であったのだ。
どんな言葉を掛ければ良いのかわからない一同の視線を受けて、居心地が悪そうに彼女は軽く口の端を持ち上げ、それで話を終わらせた。
―― 相応にも届かない報いだろう。
無言の中で、そう吐き捨てて。
重苦しい空気の中で、
「ええと……
「「「「「……」」」」」
むしろ、治ってしまいそうなあたりが怖かった。
@ @ @
葛藤の末、その後薬酒を口にしたのは
彼は流石に味わいたくはなかったようで、目をつむりながら猪口の中身を一気にあおった。
おそらく息も止めていたと思われる。
ある意味、薬酒の生産者の相貌を知らないからこそ出来た事だったのかもしれない。
それで
そんな物を飲むくらいだったら変異体になると声を大にして叫んだ。
むしろ太陽人全員分の薬酒を用意するなんて出来る筈が無いのだから、治った
確かに正論ではあったのだが、その実態は明らかに汚いおっさんの吐瀉物を飲みたくない一心であった。
それ系の話が匂うたびに
自分はその吐瀉物を延々と飲み続けていたと言うのに。
味は悪くないし、今更気づいてももう手遅れと言う
同席を誘っても「いいえ、私は遠慮しておきます」で通していた辺りにほのかな不信感が香る。
この二人の友はきっと、その辺りを問うてもただ視線を逸らすだけだろう。
彼に至っては、薬酒への嫌悪感から来る物では無い。
―― この
それをどこまでも証明する気のようだった。
故にこそ、薬酒に対する見解は何も口にしなかった。
面白そうに笑うだけで、彼にとって好奇心を満たす以上の何かにはなり得なかったのだ。
心のありようで変異体を制御できるように。
心身をただひたすら強く保てば、
あるいはオカルトに近いその仮説を、彼はその身を以て証明し続けてみせるかもしれない。
―― 一連の流れを見て
いくら何でも
内容については全然フォロー出来なかったとしても。
体質やツノみたいな瘤はまあ仕方ないとして、半裸で歩き回ってるのは流石に擁護が出来ない。