一人になれるところを探して、シオリは人気のない廊下を歩いていた。
魔法薬の授業以来、ハーマイオニーと言葉を交わすことはあっても一緒にいることはなかったのでいつも一人ではあるのだが、無言呪文の練習を始めるために人目につかない場所が必要だった。
「一年生で無言呪文を使えたら目立ちすぎる。隠れて練習しないと。」
ホグワーツ入学前にすでに無言呪文は試していた。
この世界を救うシオリの使命がどんなものかはわからない。
それでも何か備えるなら・・・
役立つ実践的な魔法とは何か悩むうちに、無言呪文は必須だろうと考えたのだ。
浮遊呪文など単純な呪文から練習を始めたが、ものがわずかに浮き上がる程度で何度やっても成功することはなかった。
呪文を唱えないと魔法をイメージしにくくなるので、はっきりと杖に指示を出せないのかもしれない。
それでもものがわずかに浮き上がるだけで、一年生としてはかなり優秀だと言える。
ハーマイオニーも驚いてくれるに違いない。
「ハーマイオニー・・・短い間だったけど楽しかったな・・・」
ハーマイオニーが離れていったのは、魔法薬の授業でのシオリの行動が理解できなかったからだった。
それに、ハリーやロンではなく友人だと思っていたシオリがあんな行動をとったということがハーマイオニーにとっては大事なことだった。
彼女には考える時間が必要なようで、シオリに声をかけたそうに立っていることもあったがやはり離れていくということを繰り返していた。
「寂しいけど・・・このまま離れよう。もともと一人でいるつもりだったし。私はこの世界にいないはずの人間で、ハーマイオニーにはハリーとロンがいるし・・・」
自分にもつい最近までは話せる相手がいたことを思い出したが、慌てて頭を振った。
せっかく忘れていたのに胸がまた疼いてしまう。
(スネイプのハリーへの態度は変わっちゃいけないから、私がそれにどんなに腹を立てても眺めてることしかできない。それであんな態度を取ってしまうくらいなら…こうやって離れた方がいい。ただの本の中の人だと思えば腹も立たないんだから。)
シオリはスネイプとハリーのことで物語に介入しそうになったのを激しく後悔し、この世界で一人で生きていくことを決めたのだった。
自分はあくまで傍観者でいるべきなのに、いきなりそれを破ってしまった。
相談相手ならダンブルドアがいればそれで十分だ。
話の筋を変えないためにも多くを求めてはいけない。
そんなことを考えながら歩いているとふいに背中が寒くなった。
覚えのある嫌な感覚に勢いよく顔をあげると、薄暗い廊下の先にクィレルが立っていた。
「こんにちは、ミス・アオツキ。こんなところで何をしているのですか?」
穏やかな口調だが、取って付けたような笑顔に悪意のこもった眼差しが光っている。
シオリは一歩後ずさった。
他に誰かいないか振り返ったが、使われていない教室が並ぶ廊下には二人しかいない。
コツンと革靴の音がしてシオリは慌てて視線を戻した。
「一人で・・・こんなところで・・・」
コツン、コツンとゆっくりこちらへやってくるクィレルと向かい合う。
シオリは走って逃げ出したいのをどうにか堪えてじっと相手を見た。
クィレルが目の前で立ち止まった。
こうして見ると意外と背が高い。
シオリは首をのばしてその暗い笑顔を見上げた。
「何かあったら・・・どうするんです?」
冷たい瞳に見下ろされて冷や汗が流れる。
いつものおどおどとした様子ではなく本性を隠す気のないクィレルにシオリは必死に頭を働かせた。
(なんで私に正体を見せるようなことを・・・私がウォルデモートに気付いていることはバレていないはず。どういうつもり・・・?早く人のいるところに逃げたいけど・・・)
クィレルが自分のことをどうしようとしているか分からない以上、今は何も知らないふりをするのが得策だろう。
シオリは声が震えないように出きる限りゆっくりと、注意深く答えた。
「道に迷って・・・もう戻ります。」
「それがいいでしょう。さあ、行きましょう。」
「やっ・・・!」
クィレルがシオリの手をとろうとした。
触れられたらまた何が起きるかわからない。
シオリは思わずクィレルの手を振り払ってしまった。
もう少しましなやり方はなかったのかと、心の中で自分を責めるがもう遅い。
クィレルは少し目を見開いて、まるでとても面白いものでも見たかのようにシオリをじっと見つめた。
それからまた薄っぺらい笑みを浮かべた。
「いきなり手をとるなんて失礼でしたね。すみません。」
「い、いえ・・・あの・・・私の方こそ・・・」
「さあ、戻りましょう。」
クィレルは今度はシオリに触れることはなく、先を促した。
シオリが言われるまま先を歩く。
何もされないならそれでいい。早く人目のつくところへ出て安心したい。
後ろに嫌な気配を感じながら、自然と早足で廊下を戻る。
クィレルはシオリの後ろ姿を頭から爪先までゆっくりと舐めるように見た。
長い黒髪に小さな体、か細い手足。
ごく普通の生徒に見えるその体に、計り知れないほどの魔力が秘められているのを想像する。
クィレルは今度は心からの笑みを見せた。
「あなたの髪は・・・深い黒なのに艶めいて輝いている・・・美しいですね。」
「・・・ありがとうございます。」
何を言いたいのだろう。
シオリが怪しんでいるとふいにクィレルの足音が止まった。
「・・・!」
何かするつもりなのかとシオリが振り返ると目の前にクィレルがいた。
慌てて離れようとしたがもう遅く、青白い手がシオリの頬に添えられて暗い瞳が顔をのぞきこんだ。
「瞳も黒いのですね。混じり気のない純粋な黒・・・まるで夜の闇のようだ。」
「やっ、離して・・・!」
「何をそんなに怖がっているのです?さあ、もっとよく見せて・・・」
「いや、誰か・・・!ああ、はあっ、」
シオリはたちまち息が上がり、全身の力が抜けて立っていられなくなった。
倒れないようにクィレルの胸元にしがみつく。
その様子にクィレルは愛しいものでも見るように目を細めた。
「これほどの力を持っていながらなんとか弱い・・・あなたの力は私が使ってあげましょう。大いなることのために。」
「こんな、ことをして・・・どういうつもり?ぐっ、私が、他の人に話せば・・・」
「それができないのでしょう?あなたはさっき手を払いましたね。ダイアゴン横丁で私たちが繋がったことでああなったと分かっていたからだ。それなのにあなたは誰にもそのことを話していない。」
楽しげに話すクィレルは今や愛玩動物でも可愛がるかのようにシオリの頭を撫で、その苦しそうな表情を眺めている。
「これほどの魔力・・・あなたは恐らく人間ではない・・・人の形をした別のもの。ホグワーツになぜ紛れ込んでいるのかは分かりませんが、人に言えない訳はそこにある。理由はどうでもいいのです。あなたが私に逆らうことができないのなら、こちらも好きにさせてもらうだけのこと。」
クィレルの顔が徐々に近づいてくる。
シオリはうまく働かない頭でそれを見ていることしかできない。
暗い瞳に、苦しそうに顔を歪めた自分が映っている。
(こんな弱い私がこの世界を救いたいなんて・・・おかしな話だ。魔法を使えてどうにかなるかもって思ったけど、私一人じゃ何も、何もできない、悔しい・・・!)
意識が遠退いていきそうになったその時、廊下にガシャーンという凄まじい音が響いた。
クィレルははっと顔をあげて音のする方を睨んだ後、シオリの耳元に口を寄せた。
「今日はこれくらいにしておきましょう。万が一、このことを他の者に話せばあなたの命はありません。」
囁く声がぼんやりとした頭に直接響く。
吐息を間近に感じてぞくぞくと体が勝手に震えた。
「あなたを消すのは造作もないこと・・・しかし、簡単に終わらせてはもったいない。離れがたいですが・・・いずれまた・・・」
クィレルはシオリを床にそっと寝かせて姿を消した。
シオリは唇を噛みながら何もできずにその背中を見送った。