月下の花を摘むのは誰   作:ledi

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ハロウィーン

 

 

パンプキンパイの焼ける美味しそうな匂いが寝室まで漂ってくる朝、誰もがその匂いにいつもより少し早く起きて身支度を始めた。

シオリもうきうきと着替えを済ませて、夕食のご馳走を想像して口から溢れそうになる唾液を飲み込みながら大広間へ続く廊下を歩いていた。

日本でもハロウィーンを楽しむ文化が浸透してきたとはいえ、ご馳走を用意する家は少ないだろう。

一体どんなメニューなのだろうか。

胸の高鳴るままに小さくスキップしていると、両方の肩がぽんと叩かれた。

 

 

「えっ?」

 

 

シオリはどちらを向けばいいのか混乱しながら右に振り返った。

 

 

ふに。

 

 

してやったりと、それはもう悪そうな笑顔が目の前にある。

フレッドとジョージだ。

振り返った拍子にフレッドの指がシオリの柔らかい頬に埋もれるように刺さった。

元いた世界でも小学校の頃に流行っていた遊びだ。

シオリはいつもついうっかりこのいたずらに引っ掛かってしまいクラスメイトを喜ばせていたが、その誰よりも嬉しそうにフレッドとジョージが笑った。

 

 

「トリック・オア・トリート!」

 

「いたずら成功!」

 

「・・・いたずらする前にお菓子を要求してよ。」

 

 

まだ頬に指が刺さったままのシオリが顔をしかめる。

 

 

「こりゃうっかりだな。」

 

「で、お菓子は?」

 

「で、って・・・お菓子がなかったらどうなるの?」

 

「そりゃ急いでいたずらを考えなきゃな。ジョージ、次は何にする?」

 

「あー、お待ちください。ハロウィーン用のいたずらでしたらたしかこちらの羊皮紙五十枚に・・・」

 

「さっきのはノーカンなんだ。刺され損だなあ。」

 

 

シオリがなんでもない風にそう言うと二人はまた嬉しそうに笑って、三人は並んで歩きだした。

 

 

「まあ冗談はおいといてだ、調子はどうだいお姫様?」

 

「またどっかで倒れてないだろうな。」

 

「うん、もう大丈夫。倒れないように気をつけてるよ。」

 

 

この一ヶ月ほどは一人で行動することは控えて、極力寮の中で過ごすようにしていたおかげでクィレルに捕まることはなかった。

もちろん一日三回、大広間で気味の悪い視線は感じていたが、裏を返せば何もできないからそうするしかないわけで、シオリは気にせず食事を楽しむ余裕すらあった。

魔法の練習をしたい時は例の扉からもう一つの自分の部屋へ行って好きなだけ練習できた。

自分の部屋と言いながら、美味しい紅茶と最近出てくるようになった茶菓子(いつも腹が減ったとうるさいのでやむを得ず用意されたが正しい)目当てに小部屋ではなくスネイプの自室の方にいる。

スネイプは魔法の指南をしてくれるわけではなかったが、質問すればこっちを見もしない割に丁寧に答えてくれた。

 

つまりこの一ヶ月はとても穏やかで非常に充実していて、ずっとこんな日が続けばいいのにとシオリは願っていた。

しかしそうもいかない。

ハロウィーンの今日はこの世界にとってとても重要な日だ。

世界を救う三人が行動を共にするきっかけの日になるのだ。

シオリは未だにハリー、ロン、ハーマイオニーと友人未満の関係だったがそれで満足していた。

これからもこの関係のまま三人を見守って、必要とあらば手助けをしていくつもりだ。

 

 

(もし三人が私と仲良くしてくれるなら嬉しいし、ぜひ友達になりたいけど・・・フレッドとジョージが良くしてくれるし、セブルスもいるし、今も十分幸せなんだよね。)

 

 

両隣を歩くフレッドとジョージの顔を見上げる。

ウィーズリーの証しとも言える燃えるような赤毛が日に透けてオレンジ色に光っている。

二人はいつも絶やさない明るい笑顔とジョークのセンスで、グリフィンドールのみならず多くの生徒から愛されている。

学年も違う自分を気にかける必要はないのに、クィレルに襲われたあの日以来、こうして時々声をかけてくれる。

彼らにとってはなんでもないことなのかもしれないが、シオリにとっては使命のことを忘れさせてくれる大事な時間だ。

 

 

「ねえ、二人ともちょっと止まって。」

 

「「どうしたんだ?」」

 

 

完璧に同じタイミングで答える二人に苦笑する。

この双子の息の合いようには何度でも感心してしまう。

きょとんとしてこちらを見ている二人をおいてシオリが目を閉じた。

杖を顔の前に構えて、その先にそっと口付ける。

ぱちりと目を開けると、フレッドとジョージに向かって軽く杖を振った。

二人は今までに嗅いだこともない甘く優しい香りがして、まさに魔法にかけられたようにシオリのいたずらな笑顔に釘付けになった。

 

 

「お菓子は持ってないから、それあげる。」

 

「「それ?」」

 

 

二人が顔を見合わせると、互いの頭に淡いクリーム色の花が一輪咲いている。

耳の上辺りに髪飾りのように生えていて、まるで幼い子供が今しがた花畑で摘んできた花を嬉しがって髪にさしたようだ。

ころんとして丸い花びらはその色も相まってお菓子の花のようにも見える。

 

 

「なんだそれ!」

 

「お前こそ!」

 

「二人とも・・・ふふっ、似合ってるよ。」

 

 

どう見ても浮いている花飾りが、フレッドとジョージが笑う度に揺れてまた笑いを誘う。

 

 

「僕たち、こんなのさして最高にハッピーなやつに見えるんじゃないか。」

 

「ああ、実際ハッピーさ。なんてったってお姫様からの贈り物だからな。」

 

「私も二人と話すと元気もらえてハッピーだよ。いつもありがとう。」

 

 

二人が同時に目を見開いた。

それから何も言わずにそれぞれが肩に寄りかかるようにして左右からシオリを挟んだ。

シオリは二人の重みに倒れそうになるのを小さい体でぐっとこらえた。

 

 

「ちょっと、重いよ!急になんなの?」

 

「さあね。」

 

「なんでだろうなあ。」

 

 

二人はとぼけたが、シオリからまだほのかにする甘い香りに顔がにやつくのを抑えられていない。

シオリのくれた花にそっと触る。

この魔法のように小さくて愛らしい友人は強がりなのに素直で、ふいにかけられる彼女の真っ直ぐな言葉が二人の心を揺らす。

今はまだ心地よいその揺れが、もしもこのままずっと続いたならそんなに幸せなことはないだろう。

フレッドとジョージはシオリの困った顔を楽しみながらいつもよりゆっくりと大広間へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シオリはフレッドとジョージが朝食の間中通りすがる人全てに、この花はシオリに生やしてもらったのだとよく分からない自慢をするのを知らないふりをして、もっと面白い魔法はないかと図書室から借りてきた本を読んでいた。

向かいの席ではめずらしくハリーも教科書を読んでいた。

その日は妖精の魔法の授業で浮遊呪文を実践することになっていて、ハリーを含め生徒たちは早くその呪文を試したいとうずうずしていたのだ。

しかし、いざ授業が始まるとロンとハーマイオニーだけはお互いがペアになったことにカンカンで、その険悪な雰囲気が離れているシオリにまで伝わってくるほどだった。

ロンの間違いを指摘したハーマイオニーがその口で見事魔法を成功させたことで、ロンの怒りはピークに達していた。

 

 

「だからあいつには誰だって我慢できないっていうんだ。全く悪夢みたいなやつさ。」

 

 

授業の終わり、廊下の人混みを押し分けながらロンがハリーに言った。

すると、誰かがハリーにぶつかりそのまま勢いよく走り去っていった。

見るとハーマイオニーで、ぐっと堪えているのだろうか、しかめたその目に涙が今にもこぼれそうに溜まっている。

 

 

「今の聞こえたみたい・・・。」

 

「それがどうした。誰も友達がいないってことはとっくに気がついてるだろうさ。」

 

 

ロンもしまったという顔をしているがもう行ってしまったハーマイオニーにはなんにもならない。

 

 

(これは辛いよなあ・・・でもあなたたちはこれから一生の友達になれる。大丈夫だよハーマイオニー。)

 

 

そう思いながら、その後の授業にも出てこずずっと泣いているのだろうハーマイオニーを思って胸が痛くなる。

夜になり、皆がご馳走を食べに向かう列の中でシオリはふと思った。

 

もし、もしも今夜、飛行訓練の時のように少しでも話のずれが生じたら、それはハーマイオニーにとって命取りになるのではないだろうか?

もしくは三人がこれから先、ずっと助け合っていくきっかけにならなかったら?

そうなったとしたら、それは全て自分がこの世界に来たせいだ。

一体何が話を変えてしまうのか分からない以上、今夜の重要な場面は直接この目で見守るべきかもしれない。

何より、シオリは大好きなハーマイオニーの命がかかっていることが心配で、ロンとハリーを見張るよりハーマイオニーの方で二人を待ち伏せすることにした。

 

 

(私が行くことで話が変わる可能性もあるけど・・・何もなければバレないように立ち去ればいい、少し様子を見るくらいいいよね。)

 

 

シオリは大広間ですでに楽しそうな声を上げている生徒たちに背を向けて、トイレへと続く廊下を急いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まだトロールは来てない時間のはず。ハーマイオニーはもうトイレにいるのかな?それだけでも確認しようかな。」

 

 

女子トイレへ向かうとハーマイオニーが丁度中から出てくるところだった。

 

 

(うそ!早すぎる、このままじゃトロールに襲われず終わっちゃう・・・そうしたら三人は・・・)

 

 

何をどうするか思い付かないまま、シオリは隠れていた柱の影から飛び出していた。

気付いたハーマイオニーが慌てて目元をぬぐった。

 

 

「シオリ・・・あなた、どうしてここに・・・?」

 

「えっと、あの、ハーマイオニーが泣いてるって聞いて心配で・・・」

 

「・・・泣いてないわ。何でもないの。」

 

 

そう言いながらまだ赤い目と、震える唇がまた今にも泣き出しそうでシオリはうろたえた。

 

 

「何も気にしなくていいんだよ、ハーマイオニーは大丈夫だよ。」

 

「何が大丈夫なの?私は一人でも大丈夫なの?」

 

「えっ、いや、そうじゃなくて・・・」

 

「私だって!私だって皆みたいに・・・どうでもいい話とか、馬鹿げたこととか、ううん、何でもいいから誰かといたい・・・一人で平気な人なんていやしないわ!」

 

「うん、そうだよね。分かるよ、だから・・・」

 

「あなたには分からないわ!あなたは一人じゃないじゃないっ、あなたはっ、素敵な人で皆に愛されてる!私はこんなで・・・だから、一人なのよ・・・。」

 

 

消えるような声でなんとか言い切って、ハーマイオニーは崩れ落ちるようにしゃがみこんでしまった。

両手で顔を覆って、嗚咽をあげている。

シオリは自分まで目が熱くなってしまって、思わずハーマイオニーを抱き締めた。

豊かな栗色の髪の毛を遠慮がちに撫でながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

 

 

「ハーマイオニーは・・・優しいし、大事なことが分かってる素敵な人だよ。あなたが思うよりいっぱい持ってるものがあるから・・・そんな風に言わないで。」

 

「・・・私っ、・・・あなたに当たってしまって・・・」

 

「ううん、大丈夫、大丈夫だよ。」

 

 

ハーマイオニーは涙を絶えず流して痛くなってしまった目を閉じて、自分を包み込む温かさに身を預けた。

この温もりを通してシオリの言葉がただの慰めではないと伝わってくる。

いつも遠くから見ていた優しい顔がまぶたの裏にある。

ハーマイオニーの呼吸が落ち着いてきた頃、廊下の奥からガラガラと何かを引きずるような音が聞こえてきた。

 

 

「・・・なんの音かしら?」

 

 

ハーマイオニーが怪訝な顔をして音のする方を見た。

シオリは奥の曲がり角からぬっと現れた、想像していたよりもずっと大きく醜悪なその姿に息を飲んだ。

 

 

「あれ、あれって・・・!」

 

「ハーマイオニー、立って!」

 

「あ、あ、ええ・・・」

 

 

そう言いながら腰が抜けたのか、ハーマイオニーがなかなか立ち上がれないうちにトロールが大きな足で一歩、また一歩とこちらへ迫ってきて、大広間へ続く階段まで差し掛かってしまった。

ほんの数メートルのところに大きな棍棒がある。

 

 

「こっちに!」

 

 

ハーマイオニーを引きずるようにしてトイレに逃げ込んだ。

シオリは扉を閉める時にトロールの顔をまともに見た。

4メートルはあろうかという巨体に見合わないココナッツを乗っけただけのような小さな頭に、潰されたような大きな鼻とこちらを捉えている小さな目がとってつけたようにある。

だらだらとよだれが伝う口は黄ばんだ大きな歯がまばらに生えていて、低い唸り声が絶えず漏れている。

トロールの後ろに目をやったが、ハリーとロンがくる様子はない。

 

 

(これは・・・まずいな。何もかもが違う。一体どうすれば・・・?)

 

 

本当ならトイレに向かうトロールを二人が目撃しているはずなのに、ここには自分とハーマイオニーしかいない。

 

 

「シオリ、どうしよう、トロールがこんなところにいるなんて・・・!」

 

 

震えているハーマイオニーの手を強く握って、きょろきょろと落ち着きのない目をぐっとのぞきこんだ。

 

 

「まずは隠れよう。トロールは知能が低いからうまくやれば逃げ切れるかもしれない。怖くても声を出しちゃだめだよ。今はそれしか方法がない・・・そうでしょ?」

 

 

ハーマイオニーは変わらず震えているがシオリの目を見てこくりと頷いた。

 

 

「大丈夫、私がいるからね。」

 

 

そう言いながら、シオリは初めてクィレルと出会った時と同じ大きな恐怖に襲われていた。

こんな話は知らない。全てが自分にかかっているなんて。

二人は一番奥の個室に入って鍵を閉めた。

力一杯拳を作り、震えて言うことを聞かない体を制御しようとする。

しかし冷や汗で手の中が気持ち悪く湿るだけで、心臓の鼓動が鼓膜を直接揺らしているようにうるさく何も考えられない。

そんな場合ではないのに。

このままではこの世界を救う人間が一人いなくなってしまう。

 

 

(考えろ、怯えるな、考えなくちゃ・・・)

 

 

恐怖と必死に戦っていると腕に何かが触れてシオリは飛び上がった。

それはハーマイオニーの手だった。

シオリの腕をぎゅっと握って、それでもカタカタと震えているのが伝わってくる。

しかしその目はしっかりとシオリを見ていた。

唇を噛み締めて、叫びそうになる気持ちを抑えこんで、覚悟の決まった目でシオリを見ている。

シオリは固く閉じていた手を開いて、ハーマイオニーの手を握り返した。

その時、入り口の方で何か爆発したんじゃないかというくらいの轟音がしてトイレの中が酷い匂いでいっぱいになった。

すぐそこにトロールがいる。

二人は抱き合って息を殺した。

意味をなさない荒い鼻息のような唸り声が大きくなったかと思うと、衝撃とともに何かが砕け散る大きな音がした。

頭上からぱらぱらと木片が降ってくる。

 

 

(個室をまるごとを壊した?たしか個室は4つ、ここにたどり着くまでに諦めてくれなきゃ・・・隠れる場所もなくなる。)

 

 

また大きな衝撃がきて、今度は隠れている個室の壁までびりびりと揺れた。

トイレだっただろう残骸がさっきよりもたくさん降ってくる。

やはりトロールは近づいてきている。

 

シオリはハーマイオニーを抱き締めながら、自分はこの子を守ってトロールの棍棒でぺしゃんこになるためにこの世界に来たのだと理解した。

しかしがっかりすることはなかった。

この世界を救う三人が出会う時間を作り出せるなら安いものだ。

それに、どんな使命を負わされたのかと思っていたのに、そんな簡単なことでいいのかと肩の荷がおりて晴れ晴れとした気持ちですらあった。

体が思う通りに動く。

頭の中は今まで感じたことのないほどに清んでいて、胸にあるハーマイオニーの温もりが心地いい。

シオリは自然とハーマイオニーに微笑んだ。

 

 

「絶対に誰かが助けにきてくれる。怖いだろうけどそれまで隠れて耐えるんだよ。」

 

「何言ってるの・・・?どういうこと・・・?」

 

「あなたはきっとすごい魔女になるから誰になんて言われたって気にしないで、勉強頑張って。ハーマイオニー・・・あなたのこと大好きだよ。」

 

「いやよ・・・なんで!」

 

 

シオリは声を大きくするハーマイオニーの口をそっと押さえた。

まるでネビルと三人でいた時のような、黙って頷くばかりのいつもと同じ笑顔で、シオリは"だいじょうぶ"とゆっくり口を動かした。

そして少しだけトイレのドアを開けてするりとそこから抜け出した。

 

今まさに棍棒を振り下ろして次の個室を壊そうとしていたトロールは突然現れた少女に首をかしげた。

 

 

(三人をここで引き合わすにはトロールをトイレから出さずにハーマイオニーを守らなきゃいけない・・・それにトロールを倒してもいけない。まあそんな呪文まだ知らないけど。)

 

 

シオリはトロールの頭が働くより先に動いて、背後に回り込んだ。

その姿を小さな目が追って、次に巨体がゆっくりと振り向く。

思った通り、知能の低いトロール相手なら逃げ回ることができそうだ。

シオリは杖を持たずに全力で走ることに集中した。

 

 

(こうなると今まで運動頑張らなかったのがすごい残念だ。もし生き残れたら走り込みくらいやろうかな。)

 

 

そんなことを思いながら、トロールが振り上げたままの棍棒を忘れてすばしっこいシオリを追う様子を観察する。

動きは早くないし、同時に二つのことができないのか目が動いてから体がついてくるようだ。

早くロンとハリーが来ることを祈りながらトイレの隅から隅へと走る。

うまくいっているかに思えた作戦はトロールがシオリをまどろっこしいと思ったのか、それまでにない雄叫びをあげて棍棒を振り回したことであっけなく崩れた。

棍棒がハーマイオニーのいる個室を粉々にしたのだ。

 

 

「だめ!」

 

 

シオリがトロールに蹴りを入れて気を引こうとする。

ハーマイオニーの悲鳴が木霊している。生きているようだ。

シオリは安堵したのもつかの間、大きな手が自分の足をむんずとつかんで視界がひっくり返った。

 

 

「いっっ・・・!」

 

 

片方の太ももをつかまれて体を持ち上げられてしまった。

つかまれているところがミシミシと音をたてて痛むのはもちろん、そんな風にできていないだろう足の付け根が上半身の重さに引っ張られて悲鳴をあげている。

高くなった視界に壊れた個室でしゃがみこんでこちらを見上げているハーマイオニーが見えた。

 

 

「シオリ!」

 

「もうここはだめだ、ハーマイオニー逃げて!」

 

「い、いやよ!私、私・・・!」

 

 

動け動けと念じてもハーマイオニーの手足は震えて立ち上がることもままならない。

どうしてこの体は大事な時に言うことを聞いてくれないのか。

悔し涙で視界がぼやけていく中でハーマイオニーは思い出していた。

 

同じことを思った時があった。

シオリの優しい顔が明けていく空に照らされていた。

あの美しい時間に彼女に言いたいことがあった。

言うことを聞いてくれない自分の口が憎かった。

 

シオリが痛みに顔を歪ませている。

今を逃したらきっともう自分はだめだ。

この子を失ったらきっと自分を一生許せない、自分らしく、けれど今までの自分を超えてこの子の隣にいたい。

ハーマイオニーは思いきり歯を食いしばって、鼻から大きく大きく息を吸って止めた。

胸が苦しいくらいに膨らんで、この胸いっぱいに今までの想いが詰まっているのを感じる。

涙をぬぐってシオリをしっかりと見て、ハーマイオニーは思い切り叫んだ。

 

 

「私、あなたと、友達になりたいの!」

 

 

ハーマイオニーが杖を構え、トロールを捉えた。

 

 

「アレストモメンタム!」

 

 

トロールがぴたりと動きを止めた。

逆さまになっているシオリにハーマイオニーが駆け寄る。

 

 

「はやく手をほどいて!きっとすぐに動き出すわ!」

 

「ハーマイオニー・・・天才!」

 

 

シオリは自分をつかんでいる大きな指を急いで1本ずつはがした。

どさりと落ちたシオリをハーマイオニーが抱き止めて、二人は床に倒れこんだ。

それと同時にトロールが間抜けな声をあげて空になった自分の手を見た。

混乱したのか長い腕で棍棒を振り上げて洗面台を次々となぎ倒していく。

 

 

その時、破壊されたトイレの入り口にハリーとロンが現れた。

 

 

(やった、来てくれた・・・!)

 

 

ハリーとロンを見つけた瞬間、シオリの目は安堵の涙でいっぱいになった。

二人はトロールを見て恐怖に目を見開いたがすぐに動いた。

 

 

「こっちに引き付けろ!」

 

 

ハリーは無我夢中でロンにそう言って、壊れた蛇口を拾って力いっぱい壁に投げつけた。

トロールはシオリとハーマイオニーのほんの1メートル手前で止まった。

ドシンドシンと向きを変え、目をぱちくりさせながらハリーの方を振り返った。

一瞬迷ったようだが、今度はハリーの方へ棍棒を振り上げて近づいてきた。

 

 

「やーい、ウスノロ!」

 

 

反対側からロンが叫んで金属パイプを投げつけた。

醜い鼻面が今度はロンに向く。

ハリーがその隙にまだ呆けて倒れていたシオリとハーマイオニーのところへ走った。

 

 

「早く、二人とも走って、走るんだ!」

 

「あっ、待ってなんか引っ掛かってる!」

 

 

ハリーの手につかまって立ち上がろうとしたシオリの髪がハーマイオニーのローブのボタンに絡まって、互いに引っ張り合う形になりまた倒れこんでしまった。

 

 

「今はずすわ、この、もうっ!」

 

 

その間にトロールはもはや逃げ場のなくなったロンの方へ走り出した。

ハリーは慌てて勇敢とも間抜けともとれる行動にでた。

トロールに飛び付いて、腕をトロールの首根っこに巻き付けたのだ。

トロールは鼻の中を鋭く突き刺されてうなり声をあげた・・・ハリーは飛び付いた時に杖を手に持っていたままだった。

棍棒をめちゃめちゃに振り回して痛がるトロールにハリーは渾身の力でぴったりとしがみついていたが、トロールは今にも棍棒でハリーを滅多打ちにしそうだった。

 

 

「もういい、ハーマイオニー手をどけて!」

 

 

ハリーとロンが来てくれた。

ハーマイオニーと自分を助けようとしてくれた。

何が起こっても絶対に三人を守らなければ。

シオリは自分の髪に向かって杖を振った。

するとボタンに絡んでいた髪の毛とさらにもっと余分に髪の毛がばさりと切れて、シオリとハーマイオニーは離れることができた。

 

 

「ロン、今のうちに逃げて!」

 

 

しかしロンは聞こえていないのかぼろぼろのハーマイオニーとシオリ、そして今まさに振り落とされそうなハリーをゆっくりと見ていた。

そして自分でも何をしようとしているのかわからずに、皆のためにとにかく最初に頭に浮かんだ呪文を唱えた。

 

 

「ウィンガーディアムレビオーサ!」

 

 

突然棍棒がトロールの手から飛び出し、空中を高く高く上がっていった。

そして、ゆっくりと一回転してからボクッと嫌な音をたてて持ち主の頭に落ちた。

トロールはふらふらとよろけてからその場に勢いよくうつぶせに倒れた。

倒れた時の衝撃がトイレ全体を揺さぶる。

ハリーは立ち上がった。

シオリとハーマイオニーも立ち上がってトロールを呆然と見下ろした。

三人ともぶるぶると震えて息も絶え絶えだ。

ロンだけはまだ杖を振り上げたままぼーっと固まっている。

 

 

「これ、死んだの?」

 

「ノックアウトされただけだと思う・・・うえ、トロールの鼻くそだ。」

 

 

ハリーは答えながらトロールの鼻から自分の杖を抜いて、べっとりとついた灰色の糊のようなものを拭き取った。

遠くからバタバタと足音が聞こえ、四人は顔をあげた。

どんなに大騒動だったか気付きもしなかったが、ものが壊れる音やトロールのうなり声を聞き付けて、マクゴナガルとスネイプ、そして最後にクィレルが飛び込んできた。

マクゴナガルが怒りのあまり唇を蒼白にして四人を見た。

 

 

「いったい全体あなた方はどういうつもりなんですか。」

 

 

冷静だが怒りに満ちた声だ。

ハリーはロンを見た。

まだ杖を振り上げたままの格好で突っ立っている。

 

 

「殺されなかったのは運がよかった。寮にいるべきあなたがたがどうしてここにいるんです?」

 

 

スネイプはトロールをのぞき込んで、ハリーと、それからシオリを見た。

二人とも無事ではあるようだ。

何があったのか想像できないではないが、それにしてもシオリは見慣れた長い黒髪が半分ほどざんばらに切れてしまって、木片や壊れた壁のつぶてを浴びて全身が白く汚れている。

スネイプはシオリが太もものあたりを押さえてわずかに顔をしかめたのを見逃さなかった。

誰も口を開かない中、ハーマイオニーがおずおずと一歩前に出た。

 

 

「マクゴナガル先生、聞いてください・・・三人とも私を探しに来たんです。」

 

「ミス・グレンジャー!」

 

 

ハリーとロンが口を開けてハーマイオニーを見ている。

 

 

「私がトロールを探しに来たんです。私、一人でやっつけられると思いました、本で読んでトロールについて知っていたので・・・」

 

 

ロンが杖を取り落としてカランと音がした。

ハーマイオニーが先生に真っ赤な嘘をついている。

 

 

「三人が来てくれなかったら、私、今ごろ死んでました。シオリは私を隠してトロールを引き付けてくれて、ハリーは杖をトロールの鼻に刺して、ロンは棍棒でトロールをノックアウトしてくれました。三人とも誰かを呼びに行く時間がなかったんです、私がもう殺される寸前で・・・」

 

 

三人はその通りだという風を装った。

シオリはスネイプのどういう訳か説明しろ、とはっきり語る鋭い視線が痛くてわざとそっちを見なかった。

 

 

「なんと愚かしいことを。たった一人で野生のトロールを捕まえようなんて。」

 

 

ハーマイオニーはうなだれた。

ハリーもロンも言葉が出なかった。

規則を破るなんて。あのハーマイオニーは絶対にそんなことをしない人間なのに、自分たちをかばうために規則を破ったふりをしている。

 

 

「ミスグレンジャー、グリフィンドールから十点減点です。あなたには失望しました。」

 

 

マクゴナガルがハリー達に向き直った。

 

 

「あなたたちは運が良かった。しかし、野生のトロールと対決できる一年生はそうざらにはいないでしょう・・・一人五点ずつあげましょう。中断したパーティの続きを寮でやっています。怪我がないなら行きますよ。ミス・アオツキは後でマダムポンフリーに毛生え薬をもらいにいきなさい。せっかくの髪が台無しですよ。」

 

 

マクゴナガルはさっさとトイレを出ていった。

ハリーたちもトロールから早く離れようとそのあとに続いていった。

シオリはクィレルがトロールの側に立ったままで、こちらをじっと見つめているのを誤って見てしまった。

いつもとは違う熱を帯びたような目にシオリは寒気がしてすぐに視線をはずし、クィレルの前を通りすぎた。

マクゴナガルの後を四人がとぼとぼと着いていく。

ロンがマクゴナガルに聞こえないよう小声で言った。

 

 

「ねえ、なんで君までトイレにいたんだい?」

 

「誰かさんのせいでハーマイオニーがいなかったから様子を見に行ったんだよ。」

 

 

シオリがロンの方を見ずに言った。

ロンは助けを求めるようにハリーを見たが、シオリの言う通りではあるのでハリーは何も言えなかった。

 

 

「私にそんなこと聞くより、ハーマイオニーに聞くことがあるんじゃない?」

 

「何を?」

 

「ハーマイオニー、なんであんな嘘ついたの?」

 

 

その言葉にハリーとロンがハーマイオニーを見た。

なんとなく分かってはいるが本人がなんと言うのか気にならない訳がない。

寮の得点を減らしてばかりの自分たちをかばうなんて・・・あのハーマイオニーがまさか、という気持ちもある。

三人に見つめられてハーマイオニーは恥ずかしそうにうつむいたが、すぐに顔を上げてシオリに笑いかけた。

 

 

「寮の得点より・・・大事なこともある。そうでしょう?」

 

「「・・・!」」

 

 

ロンとハリーはそれを聞いて目を見合わせた。

シオリがにっこりと笑って、三人も互いを見て笑い合った。

それから四人はトロールを倒したということが誇らしく、おかしく思えてきて、マクゴナガルに気付かれないように互いの肩を小突いてくすくすと笑い合いながら廊下を進んだ。

ハーマイオニーはこんなに素晴らしい友人たちを手に入れて、今まで大人たちに褒められたどんな時よりも自分を誇らしく思った。

 

寮に帰ると、いついかなる時も息をするようにジョークを言うはずのフレッドとジョージがシオリの髪に言葉を失ったが、四人の冒険の土産話でそれどころではなくなった。

四人はその夜ヒーローとして讃えられ、シオリは次々とみんなが運んできてくれるご馳走をかきこんだ。

大騒ぎはシオリが五つ目のパンプキンパイを手にしたままかくんかくん、と船をこぎ出すまで続き、シオリはハーマイオニーに連れられてベッドにたどり着くなり眠りに落ちた。

 

この日を境に寮、教室、廊下のどこでも一緒にいる四人が見られるようになった。

ハーマイオニーはこれから山ほどの規則を破って彼らと冒険することになるとは夢にも思っていなかったが、生涯の友を手に入れたということはすでにはっきりと感じていた。

シオリもまた同じように感じながらも、いつか来る別れのことを考えないではいられなかった。

それでも、シオリの形のない孤独をおいて穏やかに、賑やかに月日は過ぎて、いつのまにか湖は鋼のように冷たく張り詰め、ホグワーツを囲む山々も灰色へと季節をうつしていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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