月下の花を摘むのは誰   作:ledi

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その瞳に

 

 

 

 

「ねえ、セブルス。」

 

 

そう自分の名を呼ぶ声があるのはもう当たり前になった。

同時に、心に幾度となく立つ波にも慣れることができたらいいのだが、元から感情をコントロールすることが苦手な彼にそれは無理な話だった。

その波は心地よく彼の中の黒い淀みをさらってくれることもあれば、酷い嵐のように全てを掻き乱すこともあった。

クリスマスの夜の出来事はまさに後者で、スネイプは夜が明けて何日経とうともシオリをまともに見れなかった。

紅茶を淹れていると、いつもソファに深く埋もれているだけのシオリがこんな時に限って駆け寄ってくる。

 

 

「なんで私がやってもセブルスみたいに美味しくならないんだろうねえ。」

 

 

自分の胸のあたりまでしかない小さな頭が視界に入る。

スネイプは静かに身を引いた。

ぴくりと反応したこの身体を彼女から遠ざけるためだ。

そんなことを知るよしもないシオリがせっかく開けた距離をつめるように首を傾げ、長い髪がはらりと揺れた。

スネイプは眉間の皺をぐっと深くした。

今まで気付かなかったがシオリは魔法を使わずともいつも淡く甘い香りがしていた。

ただのシャンプーかなにかの香りなのだろうが、一度気付いてしまうとそれは毒のようにスネイプにまとわりついた。

こちらの意思に関わらず体内に入り込んできて、忘れようとしているあの柔らかさを思い起こさせる。

 

 

「どうしたの?顔こわいよ?」

 

 

スネイプは何も答えず、熱く満たったカップを一つ残して机に戻った。

シオリはまた首を傾げたが、やがて紅茶にミルクと蜂蜜をたっぷり入れてソファに腰かけた。

あちちと言いながら、カップから上がる甘い湯気に顔をほころばせている。

 

本をめくる微かな音。

嬉しそうに紅茶をすする小さな気配。

二人きりの心地よい静寂。

 

どんなに穏やかに日々が過ぎても、どうしても他のものに向けられた無邪気な横顔が脳裏に浮かんでくる。

そこにいてもいなくても、シオリがこの手に無い時を想ってしまう。

そうして温かなこの時間にすら・・・また心に波が立つ。

スネイプは短く息をついて山と積まれた書類に手を伸ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

休暇が明け、生徒たちが戻ってきた大広間はがやがやと混みあっていた。

友人と休暇中の出来事を話す声は自然と大きくなるのか、いつもよりも騒がしいくらいだ。

そんな明るい昼食の時間にクィレルが大広間にいないことに気付き顔を険しくしているのはスネイプだけだった。

わざとらしいくらいのどもりと同様、周りと同じ行動をとるよう徹底しているクィレルが昼食にいないのは異状だった。

スネイプはクィレルを探そうと席を立った。

生徒たちの長テーブルの間を素早く通り抜ける。

その時、グリフィンドールのテーブルでハリーが食事をしているのが見えた。

やや生気のない顔に視線が止まる。

そしてスネイプは気付いた。

いつもの三人がとっくに昼食にありついているのにそこにシオリの姿がない。

ダイアゴン横丁での光景が頭をよぎる。

不自然に一つだけ空いている席をじっと見ていると三人が視線に気付いた。

何を言われると思ったのか、ハリーが食事の手を止めて挑戦的な目でスネイプを見た。

しかしスネイプは真っ黒なローブを翻し、さらに足を早めて大広間を出ていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スネイプは立ち入り禁止の廊下へ行き、守りが破られていないことを確認した。

となるとクィレルがどこにいるのか、シオリが何をしているのかを繋げるのは闇の魔術の防衛術の授業しかない。

グリフィンドールはさっきまでスリザリンと合同で授業を受けていたはずだ。

すぐにそう思い至り、こことはまるで反対方向にある教室へと急ぐ。

いくつもの階段を上がり下り、息を切らして最後の廊下の角を曲がった。

教室から出てきたのだろうクィレルがこちらへ向かってくるのが見える。

スネイプの足が止まった。

 

 

シオリがクィレルの腕の中で力なく目を閉じている。

 

 

その光景に自分でも不思議なほどに血が沸き立ち、胃のあたりはかえってどこまでも冷えきっていくのを感じた。

スネイプは大股でクィレルに歩み寄った。

 

 

「・・・アオツキをこちらに渡したまえ。」

 

「セブルス、彼女がと、突然倒れたのです。今から医務室へ、い、行こうと・・・」

 

 

スネイプはクィレルから引ったくるようにしてシオリを奪った。

この身体はこんなに軽かっただろうか。

抱き寄せた拍子に顔がぐらりと傾き、長い髪がばらばらに流れ落ちた。

髪の隙間から見える唇が枯れてしまった花のようにいつもの色を失っている。

 

 

「セブルス、彼女を早く。」

 

 

クィレルの言葉にはっと顔を上げた。

いつも怯えた顔を作っている男の目がいまは鋭くこちらを見返している。

いや、その目は自分ではなくこの小さな体をじっと見つめているようだ。

スネイプはハロウィンの夜、クィレルが異様な執着のこもった眼差しをシオリに向けていたことを思い出した。

二人は少しの間シオリをはさみ向かい合った。

この男を問い詰めたいが何も話さないだろうことは分かりきっている。

シオリを今すぐ治療しなければならない。

スネイプは踵を返し、地下の自室へと向かった。

 

 

 

 

明らかに今までに倒れた時とは違うシオリの様子に、足を走らせながら持てる知識すべてを使って反対呪文を考える。

クィレルと接触したこと、それが全ての原因だったのだ。

となれば病ではなく呪いによる衰弱の可能性が高く、医務室の処置では足りない。

階段を降りているこの間にも小さな身体が冷たくなっていくのを感じる。

痛いほど強く打っている自分の鼓動が鬱陶しい。

スネイプはいま思考を妨げるすべてのものが憎かった。

なぜこんな時に自分の手の中で微笑むシオリの顔が浮かぶのか、それにすら怒りが沸いた。

 

 

地下室にたどり着き小部屋のベッドにシオリを置いた。

ここに来るまでの間、彼女は瞬き一つ、指一本ですら動かなかった。

まるで眠っているかのようなその顔に杖を向けながら嫌な汗が背筋を伝うのを感じた。

迫りくる恐怖に耐えて絶え間なく呪文を紡いでも静かに横たわったままの身体が忌まわしい記憶を呼び起こす。

どこか遠くで赤ん坊が泣いている。

そう気付いた時には遅かった。

抑え込んでいた鮮明な記憶が眼前にありありと広がり出した。

 

荒らされた暗い部屋。

床には豊かな赤毛が無惨に広がり、白い手が無造作に投げ出されている。

 

目の前のか細い手が記憶に重なる。

この手がいまここにあるのか、過去にあるのか、自分のいる場所すら分からなくなる。

それでも意識を保ち、思い付く限りの方法を試したがシオリは動かない。

呪いではないのならと、薬棚へ走った。

思い当たる解毒剤と強壮剤を集めてまた彼女の元へ戻る。

口を開けさせようと頬に手を添えた時、スネイプは息が止まった。

温もりを持っていたのははるか昔のことだとでも言うように、シオリの顔はなんの熱も持たず、ただそこにあるだけの無機物のようだった。

目眩がしてまた景色が歪んだ。

 

抱き上げた身体が人形のようにぐにゃりと曲がる。

流れた赤毛の間に現れた顔は変わらず美しく、しかし別の人間のようにも見える。

あんなにも願ってやまなかったものがこの手にあるのにそれを認めたくない。

違う、知らない、こんなはずでは・・・

 

胸の奥が強く握りつぶされているようで、あらゆる感情がいっしょくたに一気に流れ出ていこうとする。

同時に苦いものが喉にせり上がってきた。

スネイプはそれをどうにか飲み込んで崩れ落ちそうな身体を叱咤した。

まだ息がある、そのことだけがスネイプの身体を動かした。

手の震えを抑え、薬をシオリの舌の上に垂らしていく。

一滴落とす度になにか変化はないかと視線を忙しなく動かす。

慎重に、しかし素早く、この消えてしまいそうな命を繋ぎ止めなければ。

しかし、最後の一滴をもってしてもシオリは目を開かなかった。

 

失いたくない。

それだけが頭の中を回っている。

もうなにも考えられない、そうでなくともこれ以上できることはなかった。

 

スネイプは白い顔をただ見ながら、乾ききった唇が勝手に動いて声になるのを聞いた。

 

 

「シオリ、」

 

 

こんなのは意味のないことだ。

頭では分かっていたが一度口に出してしまうと止められなかった。

できることをやり尽くし、さ迷うだけだった手が救いを求めるようにシオリの頬に触れた。

 

 

「シオリ・・・・・・」

 

 

ふいに、すう、と息を深く吸う音が聞こえた。

ほんの少し、少しずつだが手のひらごしに体温が戻ってくるのを感じる。

スネイプは覆い被さるようにシオリの顔を間近にのぞきこんだ。

もう一度、その瞳に自分を映してほしい。

それ以上は望まない。

ひどく重そうに青白い瞼がゆっくりと上がる。

一瞬さ迷ってからこちらを見た目が細められる。

その色に違和感を覚えた時、スネイプは自分がなにを求めていたのか気付いてしまった。

 

 

自分を見つめる瞳は緑ではなかった。

 

 

「セブルス・・・ありがとう・・・」

 

 

いまにも切れてしまいそうな糸のように細い声がこの名を呼んだ。

そして黒い瞳がまたゆっくりと瞼を閉じた。

 

 

シオリとの温かく穏やかな日々に積み重ねていたはずのものが、スネイプのなかで大きく音をたてて崩れた。

彼女が助かることだけを考えていたはずなのに、スネイプは安堵するより前にその顔に添えた自身の手を睨んだ。

色を失って昏くなっていく目の奥には失望があった。

彼はシオリの名を呼びながら、あの日もう二度と開かないままになった緑の瞳を欲していたのだ。

ひとつの命が失われようとしていた時、それでも彼は記憶の中にいたのだった。

 

スネイプは眠っているシオリの顔を見つめた。

その濡れたように艶やかな睫毛を、心地よい言葉を紡ぐ口を、絹のような柔らかな黒髪を、これが最期とでも言うようにじっと見つめた。

今は閉じられている目蓋の下に、いつどこにあっても光を宿す黒い瞳がある。

そこに映るべきでないのは・・・他の誰でもない、自分だ。

愛する者をこの手で死なせてしまった生きている資格のない人間。

犯した過ちを忘れ、彼女からいつの間にか多くを与えられ、それを当たり前のように受け取り、求めすらしていた自分を恥じた。

 

愚かな、なんと愚かな。

 

スネイプはシオリの微笑む顔が凄惨な記憶とともに暗い意識の底へしまいこまれ、ばたんと強く蓋が閉じる音を聞いた。

シオリの状態が安定したことを確認して立ち上がる。

しっかりとした足取りで小部屋を出た。

ダンブルドアに報告するために羽ペンを握り、淡々といま起きたことを綴る。

手の震えは止まっていた。

 

簡単なことだった。

今まで通りでいいのだ。

何も求めず、感じず、自らの罪にのみしがみついて生きる。

地を這い、血を流しながら、けれども跡を残さず行く。

深く消えない傷があることを誰にも悟られないよう、終わりまで真っ直ぐに一人きりで歩いていく。

 

スネイプは振り返って開いたままの小部屋の扉を見た。

ノブに手をかける。

ほんのひとときでも、あれほど温かく無垢なものに触れていたことが恐ろしく思えるほど、自分の手が汚れて見えた。

スネイプはためらわず扉を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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