月下の花を摘むのは誰   作:ledi

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寄る辺ない夜

 

 

シオリは薄暗い部屋で目を覚ました。

それと同時に顔を歪めた。

頭がひどく痛む。

ほんのさっきまで誰かが無理やりこじ開けようとしていたかのようだ。

頭痛のせいか霞んでよく見えない目で周りを見回し、ここがあの小部屋であると気付いた。

スネイプの私室の扉は閉まっていた。

 

頭が痛くて仕方がないのに、シオリはなぜ扉が閉じられているのかの方が気になった。

目を覚ませば眉間に皺を寄せたあの顔が側にあると思ったのに、なぜこの部屋はこんなに暗く閉ざされているのだろう。

その扉が閉じているのは初めて彼に紅茶を淹れたあの日以来だ。

枯れた喉で何度か名前を呼んでみると壁の向こうで気配がした。

少しして扉が開き、部屋から射し込む明かりに真っ黒な影が立った。

その影は音を立てず小部屋に入り、シオリを見下ろした。

手にはゴブレットを持っている。

目がなかなか慣れず顔は見えない。

 

 

「なんでか、目が・・・見えにくくて・・・明かりをつけてくれる?」

 

 

返事はなかったが、机の上のランタンがひとりでに明かりを灯した。

まぶしさが和らぐとともに視界がはっきりとしてきて、今度こそスネイプの顔を見ることができた。

 

土気色の肌に長く垂れた髪、暗く黒い瞳。

 

やっと見えたその顔が自分の知っているものとは違う気がして、シオリは重い頭を起こしてもっとよく見ようとした。

いつもは暗くも多くを語る彼の瞳になんの色もない。

目をこすってみても、じっと互いを見合っても、それは変わらなかった。

彼ではなく自分の目がどうかしてしまったに違いない。

頭が痛くても目が見えにくくても、あんなことがあったのだから仕方がないと納得する。

そう考えた時、シオリはなぜ自分がここにいるのか不思議に思った。

クィレルの腕が必死なまでにこの体を抱き締めていた感覚が残っている。

そこからの記憶はない。

ただ、スネイプが助けてくれたのだということだけは分かる。

恐ろしい闇の中で彼が手を差し伸べてくれた。

はっきりとした理由は言えないが、シオリにはあのまま闇に呑まれていたらこんなものでは済まなかっただろうと分かっていた。

あの場所での出来事は夢ではない、いまこの時と同じ実在する時間なのだ。

 

シオリが礼を言おうとスネイプに笑いかけた時、それまでずっときつく結ばれていた口が開いた。

 

 

「視力が弱っているのは一度に複数の薬を投与したからだ。他にも副作用が出てくるだろうが命があるだけでもありがたいと思いたまえ。」

 

 

事務的で冷たい声だが彼がそういう性格だということは知っている。

シオリは苦笑しながら、うまく声の出ない口でゆっくりと答えようとした。

 

 

「本当に、その通りだね・・・セブルス、ありが・・・」

 

 

しかし、スネイプがまたシオリの言葉を遮るようにゴブレットを差し出した。

シオリは体を起こしてそれを受け取ろうとした。

か細い指がスネイプの大きく骨張った手に重なる。

変わらず冷たいその手が一瞬ぴくりと動いた気がしたが、ゴブレットは何事もなく二人の手を渡った。

以前飲まされた禍々しい煙をあげていたものとは違い、中には白濁した液体がほんの少し入っているだけだ。

シオリはこれならと、抵抗せずにゴブレットをあおった。

体を起こしたからか薬のせいか、息が上がる。

今までに倒れた時とは比にならないほど身体が弱っている。

だがこの薬がきっとまた立ち上がれるようにしてくれるのだろう。

以前も同じようにスネイプに救われたことを思い出す。

光の中から自分を呼ぶ声がよみがえり、シオリはふっと微笑んだ。

 

 

「この世界に来てから助けられてばっかりだね。私、セブルスがいなきゃ今頃死んでたかも。本当にありがとう。」

 

 

スネイプはシオリの言葉に眉ひとつ動かさなかった。

ただ空になったゴブレットを奪い取るようにしてベッドから離れた。

シオリはその様子をおかしく思った。

高いところから自分を見下ろすその目は閉ざされた扉のように堅く動かず、そのことがどんな深い暗闇に置かれるよりも彼女を不安にさせた。

シオリは胸を締め付けられるような苦しさが薬のせいなのかまだ痛む頭で考えていた。

少しして、スネイプが口を開いた。

シオリは何か安心できる言葉が欲しいと待った。

だが、その声は彼女だけの知る心地よさも温かさも持っていなかった。

 

 

「何度言えば分かる。一人でやつに接触するなどあまりにも軽率で愚かだ、そう思わなかったのかね?それとも我輩の言葉は偉大なる使命とやらを背負った君には聞くに足らぬと?」

 

「違う!」

 

 

思ってもみなかった言葉にシオリは掠れた声で叫んだ。

 

 

「心配かけたのは悪いと思ってる。でも私はちゃんとクィレルを避けてた。だけど向こうが・・・」

 

「訳はいい。そんなものは闇の力を前にしてはなんの意味も持たん。それよりも、ポッターを守るなどとのたまう前にお前自身があまりにも無責任かつ幼稚であるということを認めるべきだろう。」

 

「なに、それ・・・」

 

 

ずきずきと音がする。

頭が痛い、胸が痛い。

彼の言葉が目覚めたばかりの頭を揺さぶって目眩がする。

 

スネイプはまるでずっと以前からそうだったとでもいうように、なんのためらいもなくシオリを傷つける言葉を正確に選んだ。

淡々と話すその声は氷のようで、シオリは自分の手までも冷たくなっていくのを感じた。

 

 

「年相応と言うべきだったか?お前が向こうの手に落ちればどうなるか、その未熟な頭で少しは考えてみたまえ。」

 

「なんで、そんな・・・」

 

「本来であればお前はこの部屋に幽閉されてしかるべき存在。校長の気まぐれに感謝こそすれ、英雄気取りの振る舞いでこのような失態を続けるなど・・・」

 

「そんな言い方納得できない!なんでそんなこと言うのかちゃんと説明して・・・!」

 

 

シオリはスネイプの目を真っ直ぐに見た。

本当は何も見たくなかった。

頭の痛みに任せて眠って、起きればすべて悪い夢であったならいいと思った。

だが、今や頭よりもずっと痛み、震えている胸に、これは夢じゃないと思い知らされる。

それでもスネイプと積み重ねてきたものを信じたいという気持ちが彼の目と向き合えと言う。

シオリはシーツをぎゅっとつかんで嗚咽をこらえた。

 

濡れた睫毛に微細な光が散りばめられている。

色を取り戻した淡く赤い唇がきつく閉じ、震えている。

スネイプは今にも溢れそうなほど涙をためた黒い瞳を見つめた。

 

そしてただ低くつぶやいた。

 

 

「二度とやつに近付くな。」

 

 

シオリの目が失望に大きく開かれた。

 

 

「・・・答えて、くれないんだ。」

 

 

沈黙が流れ、スネイプの私室から薪のはぜる音が響いた。

この重い体で這いずっていけば、座り心地がいいとは言えないよく沈むソファと書類でごった返した彼の机と、いま紅茶を淹れたばかりのカップが二つ並んでいるんじゃないだろうか。

寒くも温かいあの時間は自分の思い違いだったのだろうか。

 

訳も分からず突然連れてこられ、たった一人この世界を漂う日々。

いつの間にか、人を避けるように真っ黒な衣に身を包む目の前の男が寄る辺となっていたことに気付く。

冷たくて不安定な、それでもたしかな寄る辺。

 

なぜ失ってしまったのか。

考えても分からない。

彼の口も瞳も、何も語らない。

穴が空いたように寒い胸に触れると、呼吸に合わせてゆっくりと動いているのを感じた。

命が助かるかわりに自分は一体何を引き換えにしたというのか。

全くの別人のようになってしまった彼をただ呆然と見ることしかできない。

 

 

「お前は医務室にいることになっている。夜が明けたら薬を飲み、人目につかぬよう寮に戻れ。明日は授業を欠席してもかまわん。」

 

 

シオリは答えなかった。

彼はなぜこんな風に自分の世話をやくのだろう。

ダンブルドアに命令されているから?

自分を思う気持ちは本当に微塵もないのだろうか?

いや、考えるだけ無駄だ。

もう終わってしまったことに、なぜもどうしてもない。

彼の中ではもう全て済んだことで覆ることはないのだ。

その証拠に、これほど見つめ合っても彼の瞳は揺らがず、ただ厄介な"物"を見ているだけのようだった。

あの目に映りたくない。

こんな時にかぎってなぜ夜は長く、世界から切り離したように二人を一つのところに置くのだろう。

 

 

シオリが何も言えずにいると、ふいにスネイプが眉をひそめた。

力なく座っているシオリの首筋に赤い痣が見える。

スネイプはベッドの側に膝をついた。

いつかのトロールにつかまれた時とは違う、小さく、しかしはっきりと意図してつけられたかのような痕。

シオリがスネイプの視線に気付き、不思議そうにそのあとを追って首に手を伸ばした。

細い指先が痣に触れるか触れないかまで近付いた時、何かを思い起こそうとするようにぴたりと動きが止まった。

そして、はっとしてスネイプを見た。

その顔は酷く歪んでいて、はっきりと分かるほど青ざめているのに羞恥心のような熱さも持っていた。

たった十四歳の娘が知るべきではない恐怖がそこには見えた。

スネイプが迷って手を伸ばせないでいるうちに、取り乱した表情は一瞬で消えた。

シオリが体を起こし、さらりと流れた髪が痣を隠した。

髪を撫でつける手が震えている。

うつむいた顔はなにも語らないが、その姿はいつもより一層小さく頼りなく見えた。

スネイプはクィレルの腕の中にあった無防備で白い身体を思い出した。

 

 

「迷惑かけてすみませんでした。」

 

 

いつもこちらが苦しさを覚えるくらいに真っ直ぐな黒い瞳が伏せられている。

シオリはそのまま顔を上げることなく、声を震わせた。

 

 

「・・・次からは・・・ちゃんと・・・」

 

 

その先を聞くことなく、スネイプは立ち上がった。

拳には痛いほど爪が食い込んでいる。

黒いローブを大きく翻し、小部屋を出ていった。

握られた拳のなかではかつてないほどの強い怒りが荒れ狂っていた。

彼は私室を飛び出し、闇のなかへ踏み出した。

彼女を守れなかった後悔からではない、石を守るためだ。

そう銘打って行く巡回のための足取りは、今日に限っては獲物を追う時のそれだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誰もが寝静まった深夜、ハリーは慣れた様子で透明マントをさっとかぶりベッドを抜け出した。

もう何度目だろう。

何度通っても、その度にもっと、もっとと心が渇き、両親に会いに行くための足はどんどん早くなった。

ハリーは毎晩眠ることなくみぞの鏡の前に座り込んで夜を明かしていた。

何があろうと一晩中家族とあそこにいたい。

誰も何者も止められやしない。

自分の側で父と母が微笑んでいる姿を思い浮かべながら、誰もいないだろう廊下を勢いよく曲がった。

しかし、そこには思いがけない二人がいた。

ハリーはつんのめりながらなんとか二人の手前で立ち止まった。

 

 

「な、なんでこんな時間に、セブルス、き、君に会わなくちゃいけないんだ。」

 

「このことは二人だけの問題にしようと思いましてね。」

 

 

窓から差し込む月の光が大きな蝙蝠のような黒い姿を照らしている。

やけに頭が大きく見える影はクィレルだろう。

こんな時間に何をしているのか。

自分に向けられているわけではないのに、地の底から響くようなスネイプの声に自然と息が詰まる。

 

 

「生徒諸君に石のことを知られるわけにはいかない。」

 

 

ハリーは透明マントから足が出てしまいそうなほど背を伸ばし、身を乗り出した。

 

 

「あのハグリッドの野獣をどう出し抜くのか分かったのかね?」

 

「セ、セブルス、私は・・・」

 

「我輩を敵に回したくなかったら・・・」

 

「わ、私には、なんのことなのか・・・」

 

 

どんっ、と音がしてクィレルが壁に背を打ち付けた。

スネイプはいつの間にか杖を抜いており、ぐいと一歩前に出てクィレルの胸に杖を向けた。

 

 

「よく聞け。二度は言わん。」

 

 

もごもごとなにか言おうとするクィレルをさえぎるスネイプの声は、ハリーが聞いたこともないほど低く、怒りに満ちていた。

 

 

「あやつに、指一本触れるな。」

 

 

クィレルがぴたりと静かになった。

ハリーは何があったのかとよく見ようとしたが、壁を背に話す二人の顔は月明かりから隠れてよく見えない。

しばらく沈黙が続いた。

自分の呼吸する音がやけにうるさく聞こえて不安になるほどなんの音もしなかった。

だが、音もなく目にも見えないなにかが二人の間で激しくぶつかっているような、そんな張り詰めた緊張感があった。

どれほどそうしていたか、やがてどたどたと慌てた足音が遠くから聞こえてきて、二人が勢いよくハリーの方を見た。

ハリーは透明マントをかぶっていることも忘れて悲鳴をあげそうになった。

だが二人の目はもっとずっと奥の方を見ていた。

後ろを振り返ると、フィルチがランプを片手に足をばたつかせながら走ってくるのが見えた。

 

 

「先生方、見回りですか?先ほどミセスノリスが何者かの足音を聞きまして…まだ遠くには行ってないかと。何かお見かけになりましたか?」

 

 

二人は一瞬互いを見てから何事もなかったかのようにフィルチに向き直った。

ハリーは三人の会話を聞きながらゆっくりと廊下の端に移動した。

頭の中ではいま見てしまったものがぐるぐると騒がしく巡っていた。

スネイプがあれほど乱暴に、真っ直ぐ感情を表すなんて・・・それほど切羽詰まったことが起きているということなのか。

三人の歩き出す足音がしてハリーは顔を上げた。

見つからないようマントを握りしめ息を潜める。

ローブをはためかせて足音もなく目の前を通りすぎるスネイプの表情はいつもの冷酷な彼そのものだった。

この顔に睨まれるだけでもあんなに暗い気持ちになるというのに、月の光から隠れていたあの瞬間、彼はどんな恐ろしい顔をしていたのだろう。

ハリーは想像して身震いした。

やがて三人の背中は小さくなり、廊下の角を曲がって見えなくなった。

誰もいなくなってしんとした廊下に、どこかの絵画の中から聞こえるいびきが響く。

 

そうだ、これでこの夜を邪魔するものはいない。

 

ハリーは自分に微笑みかける両親の姿を思い出し、月明かりのなか暗い道を急いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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