月下の花を摘むのは誰   作:ledi

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毒にも薬にも

 

 

 

 

深夜三時。

スネイプは眉間をもみこみながら採点の済んだレポートをどけ、まだ何か手をつけるべきものはないか引き出しを底から返し漁っていた。

その目には濃いクマがあり、元から愛想のない目尻が一層鋭くなっている。

彼はもう何日もまともに眠れていなかった。

 

 

十年前のあの日から彼の身体は喜ぶことも悲しむことも許されなくなり、同時に眠ることすらも受け付けなくなった。

幸い、彼は魔法薬の教授という職にあってそれに見合った腕を持っていたので、自身で調合した薬に頼ってなんとかまとまった睡眠をとっていた。

ところが、最近は自然に眠れることが増え、十年という月日が無意識にでも罪悪感を薄れさせているのかと自分に呆れてすらいた。

しかし、どんな薬も効かなくなったいま、その本当の理由に気付いた。

 

初めて出会った時から変わらぬ図々しい態度。

敬語もろくに使えず、何度拒絶しても平然として人の内側に踏み入ってくる強引さ。

 

シオリのことを思い浮かべると好ましいところなど一つもないように思えるのに、この身体はいまや彼女なしでは生きることもままならないらしい。

連日の睡眠不足で頭は常にがんがんと痛み鳴り、今まさに目眩まで始まった。

書類を探す手を止めてティーカップを取り、冷めきった中身を飲み干す。

少しすると目眩はおさまったが、何気なく空のカップを見つめているうちに今度は幻聴がしだした。

 

 

「こんばんは。」

 

 

その声を待っていた日もあった。

その声を疎ましく思った日もあった。

どんな日だろうと彼女とただ共に過ごすだけで心が息を吹き返し、身体は眠ることを思い出した。

まるで止まっていた時が動き出したかのようだった。

しかし、それも全ては心の繋がりが成す奇跡などではなく、一人の汚れた男が彼女という薬を使ってただ一時の安楽を得ていたに過ぎなかった。

そんな自分にはこの孤独な時間を苦しいと思う資格すらない。

そう考える彼は、自分が救われることよりもあの真っ直ぐな黒い瞳を裏切らないことを迷わず選べたのだった。

 

机の上に羊皮紙が散乱している。

時間を潰せそうなものは見つからなかった。

スネイプは引き出しに見きりをつけ、本棚へ向かった。

ずらりと並んだ背表紙を隅々まで見渡しても読み終わっているものばかりで、とにかく適当に一冊手にとって机に戻る。

集中しようと一行、一行、じっくりと目でなぞっていくが既に知っている内容となるとどうも難しい。

彼は指先でとんとんと机を鳴らし、焦りを滲ませながらも目を動かし続けた。

こんな風に眠れず、気を紛らわせるものもない夜には決まって苦い記憶が忍び寄ってくる。

薬の効かなくなったいま、それに抗う方法が仕事と読書だけというのはなんとも心許ない。

シオリがいた時はよかった。

いつまでもくつろいでいる彼女をそこそこの時間に送り返し、シャワーを浴びればいい頃合いに勝手に眠気がやってきたものだ。

 

はたと、ページをめくる手が止まる。

シオリがこの部屋に来なくなっていくらか経った。

彼女は何をして夜を過ごしているのだろう。

グリフィンドールの寮はきっと魔法の練習をするには騒がしすぎるに違いない。

自分の贈った本を読んでいるだろうか。

この部屋にいた時と同じように暖炉の火に当たり、ゆったりとソファに埋もれて・・・

寮にいるシオリを想像していると、彼女の周りにあの三人がいる様子が見えてしまった。

緑の瞳が威嚇するようにこちらを睨んでいる。

思いがけず浮かんできたハリーの顔に、スネイプは唇を歪めた。

 

クィレルがシオリを襲った時、スネイプは自分の知らぬところでハリーにも何かあったのではと強い不安に駆られた。

リリーへの誓いのためではあったが、その時彼は確かにハリーの身を案じていた。

だがそれは全くの杞憂だった。

それどころか、開心術でのぞいたハリーの頭の中は見当外れの推測とくだらない正義感でいっぱいで、スネイプは緑の瞳を通して自分がいかに醜く憎い存在であるかを知った。

それでも危険が及ばないよう、ハリーとシオリが校内をうろつく度に見張りに行かなければならないことがまた彼の怒りを膨らませた。

彼は何気なく交わされる二人の視線や言葉すべてに苛立ちを募らせていた。

 

ハリーの記憶を見たことで唯一収穫があったとすればシオリの様子が分かったことだった。

シオリの様々な仕草や表情が流れていくのを眺めていると、クィレルの件から顔が暗く沈み、しきりに首のあたりを気にするようになったと気付いた。

あの小さな痣が彼女にとってどれほどの重みを持つのか・・・

スネイプは胃に大きな石が沈んだような苦しさを感じながら、その姿を最後に術を解いた。

 

いつの間にか本はただ開いているだけでなんの意味もなしていなかった。

深く息を吐いて、散らばったままにしていた羊皮紙をまとめる。

ふと顔を上げると、いまやただの飾りとなったソファが目に入った。

シオリはここで笑うことこそあまりなかったが、菓子をつまみながら、だらしなくくつろぐ姿は子供らしく、自然とこの部屋も明るくなった。

そんな彼女がなぜ、あのような目にあわなければならないのか。

無意識に手に力が込もり、羊皮紙に皺が入る。

沸き上がる憤りに思考がまたあの痣へと引き戻された。

 

それを見つけた時、スネイプはシオリの記憶を見て彼女が何をされたのか確認するべきか迷った。

考えたくもないが、幼い彼女が身重になることだけは絶対に避けなければならない。

悩んだ末、シオリが再び眠りについた後にその純潔が守られていることだけを呪文で確かめた。

記憶の中とは言えシオリが汚される様をまざまざと見ずに済んだことに彼は息をついた。

それだけではない。

いまやハリーと同じかそれ以上に自分を憎んでいるだろう彼女の頭の中を見るのは、自ら胸に刃を突き立てるようなもので、出来ることならそれは避けたかった。

憎まれても仕方がないことをしたと気付くのが遅すぎた自分には、それくらいの罰は必要なのかもしれないが・・・

 

シオリと離れることを決めたあの夜スネイプの頭にあったのは、いかにして彼女への執着を捨て、全てを忘れるかだけだった。

思ってもいない言葉をかけることを苦に思いながらシオリ自身のことは心配していなかった。

何があっても飄々として、いつも多くの人間に囲まれている彼女が自分を忘れるのにそう時間はかからないだろうと。

だが、その考えは間違っていた。

二人の時を願っているのは自分だけだと疑いもしなかった彼が、シオリも自分と同じように温かな繋がりを感じていたのだと知ったのは、最後の最後、彼女を突き放し別れを告げ、涙を浮かべた黒い瞳を見た時だった。

 

 

 

 

 

 

かちり、と針の重なる音とともに時計が四時を指した。

スネイプはやっと意識が朦朧としてきて、机に手をついてゆっくりと立ち上がった。

おぼつかない足取りでベッドまでのわずかな距離をどうにか進んでいるとまた目眩に襲われた。

回る視界につかまるところを探そうと伸ばした手がソファに触れた。

その背を伝い歩き、使い古されて皺の寄った座面に倒れ込む。

一人がけのソファは、背の高い疲れきった男を包み込むにはやや小さい。

それでもスネイプは長いローブが床に垂れるのも構わず、いつもシオリがそうしていたように深く身を沈めた。

背後で暖炉がぱちぱちとわずかな音をたてている。

炎に照らされた自身の影が壁に揺れるのをぼんやりと見ていると、かつてここで幸せそうにまどろんでいたシオリの寝顔が浮かんできた。

あの穏やかな寝息がどこからか自分を呼んでいる。

小さく温かな気配を探すようにスネイプは目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シオリがベッドの上で目を閉じている。

その顔は安らかで、すうすうと小さな寝息が聞こえてくる。

制服をまとった小さな身体は、一体どうやって生きてきたのかと思うほど細く儚い。

ふと、自分には身体がないことに気が付いた。

丁度いい、身体がなければどんなに望もうと彼女に触れることはできない。

ただこうして、穏やかな寝顔を眺めて心を満たしていればいいのだ。

現実でもこうであればいいのにと思ったところで、これが夢の中なのだと分かった。

あまりにも深くシオリに囚われている自分を嫌悪しながらも、もう得ることのないだろう時間に甘んじた。

 

ただただ彼女が眠っているのを見守る。

白いシーツに横たわっているその姿だけで、柔らかな手触りや香り、自分の名を呼ぶ声、シオリのすべてがよみがえり胸が締め付けられる。

その苦しさすらも忘れないようなおもシオリを見つめ続けていると、赤い唇が薄く開いた。

 

 

・・・っ、

 

 

シオリの呼吸がわずかに乱れた。

静寂そのもののようだった空間に揺らぎが生じ、黒い霧がかかり始めた。

徐々に集まり濃くなった霧がひとつの影になるとともに、穏やかだったシオリの表情が険しく歪んでいく。

いつの間にか赤いネクタイが外れている。

開いたシャツの襟がするりと落とされて薄い肩の曲線が露になった。

その艶めく肌に目を奪われる。

見るべきではないと思いながら、苦しげな表情で白い肌を晒しているシオリは、一夜だけ咲き誇るというあの花のように悲しくも目映い輝きを放っていた。

 

黒い影が花に吸い寄せられるようにゆっくりとシオリに近づいていく。

それはシオリを見下ろすように少し止まった後、大きく伸びて覆い被さって、彼女の細い腕と腰しか見えなくなった。

形を持たないその影は煙が流れるようにゆるゆると動いていて、そのうちにシオリの身体がぴくりと反応を見せ始めた。

ぴく、ぴく、と細い指の先が動く。

それは徐々に力をこめてベッドのシーツをつかむようになり、強く寄った皺の波がこちらの心まで波立たせる。

やがて白い腕がつかまるところを探して宙をさ迷い、影にしがみついた。

その頃にはわずかに見えている腰が時折ぴんとのけ反っていてシオリは何かに耐えているようだった。

まるできつく抱き締め合っているようなその光景から逃れたいが、身体のないいま目を反らすことも閉じることもできず、ただ顔の見えないシオリの身体が反応してみせる全てをつぶさに感じ続けることしかできなかった。

 

シオリの吐息が漏れ出るのが聞こえる。

短くはっと切れたり、声にもならない詰まるような息に、ない身体のどこかが熱くなっていく。

募る熱を否定しながら、荒い息づかいを耳も塞げずに聞かされ続け、意識と感覚がばらばらに離れていく。

こんな夢ならば早く覚めてくれと耐えていると、突然、シオリの手がだらんと垂れ、浮いていた腰がベッドに落ちた。

力尽きて脱力しきった小さな身体から立ち上る熱く甘い香りがこちらまで漂ってくるようだった。

影がゆっくりと離れて、少しずつ少しずつ白い身体が見え始める。

一切の曇りのない滑らかな白い肌にさっきまではなかったものがある。

 

それは小さな赤い印だった。

 

それに気付くと同時にずっと仰向けだったシオリの顔がぐらりと傾き、蕩けて潤んだ瞳が見えた。

彼女の屈辱と悲しみが輝く一筋の跡になって頬を伝っている。

きっと叫びだしたいほど苦しいに違いないのに、一つも歪んでいない顔がまるで人形のようだ。

黒い瞳が自分を見ている。

彼女へのこの醜い疼きを見透かされてしまう。

どうか知られないようにと祈る思いで見つめ返すと、薄く開いた唇が微かに動いた。

 

 

 

どうして助けてくれなかったのか、

 

 

 

そう聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目を覚ますと、ソファが支えきれなかった身体のあちこちが痛んでいた。

とっくに火が消えた暖炉のせいで部屋のなかはキンと冷たく、身体がぞくりと震えた。

暗くしんとした地下室にはあの安らかな寝息も、切ない吐息もない。

ただ、自身の熱い息切れの音だけが響いている。

 

彼女を二度汚した。

助けられなかったばかりか、これでは自分の手で汚してしまったも同然だ。

深い失望に熱が冷め、呼吸が平静を取り戻していく。

頭がはっきりすればするほど自己嫌悪が吹き沸いて止まらず、吐き気すら覚えた。

それでも彼は項垂れた頭を抱え、胸の中にまだ残る疼きを辿り、久しぶりに見たシオリの顔を思い描いた。

 

憎まれても、軽蔑されても。

夢の中だけでも構わない。

 

ここに眠るのがなぜ彼女でないのか。

 

スネイプは痛む身体を抱えながら彼女がそこにいた証を確かめるように、小さなソファの上で夜が明けるのを一人待った。

 

 

 

 

 

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