月下の花を摘むのは誰   作:ledi

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最期の時

 

 

「空ってこんなに青かったんだなあ・・・それにこの芝生も魔女の大鍋ケーキみたいにふかふかで・・・」

 

 

四人は湖のほとりにある大きな木の根元で、雲一つない青空を見上げていた。

燦々と日が降り注ぐ初夏の校庭は、いつもより大きな声をあげてはしゃぐ生徒たちで溢れていた。

日の光を負けじと跳ね返す濃い緑が四人の身体にきらきらと揺れる木漏れ日を落としている。

 

 

「ロンってばどうしちゃったの?詩を詠め、なんていう試験あったっけ?」

 

 

シオリの言葉に、ハリーが目を閉じたままくくっと笑った。

ロンはまだうっとりと空を眺めている。

 

 

「やっと、やっと全部の試験が終わったんだ・・・最高の気分だよ、そうだろ?そりゃちょっと鼻につく台詞だったのは認めるけど・・・とにかく、何もかもが素晴らしいってことさ。」

 

 

ロンが大きなあくびをしながら長い腕をぐーっと伸ばすと、一人だけ寝転がらずに木の根に腰かけているハーマイオニーがそれを見もせずに避けた。

彼女の手はノートを次々とめくり、その目はまだ忙しなく動いていた。

 

 

「ふふっ、そうだね・・・ずっとこんな日が続けばいいのに。」

 

 

どこか悲しげな声に、ハリーは隣に寝転んでいるシオリの顔を見た。

試験が近づくにつれて食欲を失くしていった彼女の頬は少し痩せてしまって、目元にはくまがある。

あとは結果が返されるのを待つだけになったはずなのに、黒い瞳はこの青空ではないもっと遠くに向いているように見えた。

 

 

「ねえ、やっぱり私部屋に戻って答え合わせをしてくるわ。さっきの魔法史の試験、自動かき混ぜ大鍋の前身になった自動計り匙の部分を書き足りてない気がして・・・」

 

「ハーマイオニーいい加減にしてくれよ。もうなにもかも終わったんだから鍋も匙もどうでもいいだろう?ほら、君もその教科書詰め込みすぎた重たい頭を横にしてみろよ。」

 

「ちょっと!」

 

 

鞄を肩にかけてもう歩きだそうとしていたハーマイオニーがロンに手を引かれ、バランスを崩しよろめいた。

ごろりとロンの隣に横たわったハーマイオニーは意外にも起き上がることなくじっとしていたかと思うと、ゆっくりと鞄を肩から外し、胸の前で指を組んだ。

 

 

「・・・たしかに、すごくいい陽気ね。」

 

 

シオリの位置からはロンの向こうにいるハーマイオニーの顔は見えなかったが、シオリはなんとなく頬が緩んでまた空に目を戻した。

シオリにはロンの言うように全てが全て輝いて見えるわけではなかったが、来る日を前に最後の穏やかな時間を四人で過ごせる幸せに浸っていた。

悪夢はまだ続いていたし、ハリーの傷の痛みは日増しにひどくなっているようだったが、大切な友人たちとホグワーツで過ごす時間はやはりかけがえのないものだった。

 

すぐ側の湖では大イカが浅瀬で身体を暖めていて、フレッドとジョージ、そして友人のリーがその足をくすぐって笑っている。

つかの間の平和な時間にシオリがうとうととしていると、真っ青な景色に小さな影が舞い込んだ。

それは翼を広げて四人の真上で旋回し、すっと翼を閉じるとシオリの頭元めがけて勢いよく宙を滑り降りてきた。

 

 

「わっ!なに!?」

 

 

シオリが避けようと慌てて起き上がったのと同時に、濃い灰色のフクロウが草の上に降り立った。

フクロウは足首を差し出して、丸めて深紅の紐でくくられた羊皮紙をとるようシオリに言った。

 

 

「こんな時間に手紙が来るなんてめずらしいね。」

 

 

ハリーも起き上がって、二人は受け取った羊皮紙をするすると開いた。

 

 

"今から私の研究室へ来てください。

マクゴナガル教授"

 

 

ただそれだけの手紙にシオリは首をかしげた。

マクゴナガルに呼び出されるようなことをした覚えはない。

変身術の試験だって、自分のネズミは蔦の巻いた銀製の美しい嗅ぎたばこ入れになっていたから問題はないはずだ。

シオリは賢者の石のこと・・・そしてスネイプとのことがあって、三日間もの試験をどう乗り越えたのか全てをはっきりとは覚えていなかったが、落第はしないだろうと確信していた。

 

 

「なんのことか分からないけど・・・マクゴナガル先生に呼ばれたからとりあえず行ってくるよ。みんなまた後で。」

 

「マクゴナガルが!?君、もしかして・・・」

 

 

勢いよく起き上がったロンを、目を閉じてすっかりリラックスしたハーマイオニーがさえぎった。

 

 

「シオリのネズミは完璧な嗅ぎたばこ入れになっていたわ。あなたのは尻尾が生えたままだったけど。だから落第の話でないのだけは確かね。」

 

 

ロンがむっすりと唇を尖らせた。

シオリはくすくすと笑い、一人、城へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一体なんの用なんだろう、想像もつかないな。」

 

 

ほとんどの生徒が外へ出ているらしく、城の中はしんとしていた。

誰もいない廊下を歩いていると自分の足音がやけに響いて、ハグリッドのために夜中に城の中を奔走したことを思い出す。

マクゴナガルの研究室に行くのは、ホグワーツの歴史上でも希に見るあの百五十点という大減点をくらって以来だ。

なんとなく重い気分とは裏腹にあっという間に研究室に着き、いい思い出のない扉をノックした。

 

 

「失礼します。アオツキです。」

 

 

中で椅子を引く音がした。

そのまま待っていると、扉が開いていつもと変わらず唇をきゅっと結んだマクゴナガルが出てきた。

 

 

「早かったですね。行きましょう。校長先生がお待ちです。」

 

「ダンブルドア先生が?」

 

 

途端に胸がざわつく。

 

 

「ええ。私に案内を頼まれました。さあ、着いておいでなさい。」

 

「は、はい・・・」

 

 

きびきびと歩きだしたマクゴナガルの後を慌てて追いかける。

シオリは何も言わなかった。

何の話なのかはなんとなく見当がついていた。

背の高いマクゴナガルの歩幅はシオリには大きく、小走りで横に並んで廊下を進む。

人気のない階段をひたすら登り続けて、高い塔の頂上にたどり着いた。

塔の中心には厳めしいガーゴイルの像が立っていて、他には何もない石の壁があるだけだ。

二人はその像の前に立った。

 

 

(ついに呼び出されちゃったか・・・セブルスに何も言わなかったからこうなるとは思ってたけど。私、ダンブルドア相手に本当に黙ってられるのかな・・・)

 

 

森であったこと、その上で今自分が考えていることを話してしまえば、恐らく彼はクィレルを見捨てるように言うだろう。

実際、それが一番正しい方法だろうことを自分も分かっている。

だが、正しさと彼の苦しみとを同じ秤にかけることができなくなったシオリは、やはりなんとかしてダンブルドアの追及からも逃げるしかないのだった。

 

 

「ミス・アオツキ。」

 

「はっ、はい!」

 

 

突然名前を呼ばれてシオリは大きな声を出してしまった。

見ると、マクゴナガルのいつもはきっと上がっている目尻が柔らかく下がっている。

 

 

「そう緊張せずともよいでしょう。悪い話ではないはずです。あなたがこの一年、力を尽くしてきたことは形になって伝わっています。今年の試験、ネズミをあそこまで精巧な嗅ぎたばこ入れにしてみせたのは、グレンジャーとあなただけでした。不慣れなことばかりだったでしょうに・・・よく頑張りましたね。」

 

 

シオリはとっさにマクゴナガルから顔をそらしうつむいた。

目頭がじんと熱い。

思いがけない温かい眼差しに、張り詰めていた気持ちが緩んでしまい石畳の床が涙でゆらゆらと揺れて見える。

 

 

「・・・ありがとうございます。」

 

 

シオリは服の袖でごしごしと目をこすって顔を上げ、マクゴナガルににこりと笑い返した。

ただの試験だとしても、努力を認めてもらえたことは答えのない問いに苦しんでいるシオリの心を慰めた。

何もできないと嘆いてばかりの日々だったが、ここで過ごした時間にも少しは意味があったのだと思えた。

 

 

「故郷のことなど、思うことはあるでしょうが、ここで学ぶことは決して無駄にはならないはずです。どんなことでも、途方もなく困難に思えても、考え抜き力を尽くしたことは必ず道を照らします・・・話が過ぎましたね。さあ、お行きなさい。」

 

 

まるで自分の心の内を知っているかのような言葉にシオリは目を丸くしたが、マクゴナガルはそれ以上は何も言わずシオリの背をそっと押し、"レモンキャンディ"と唱えた。

ガーゴイルがぐっと身を屈め横に飛び退いて、継ぎ目のない石の壁がゆっくりと開き、塔の更に上へと続く螺旋階段が現れる。

マクゴナガルはもう一度シオリを見つめてから、元来た階段を降りていった。

 

 

(考え抜いて力を尽くす、か・・・そうだよね。そうするしかない。もう逃げないって決めたんだから、ダンブルドア相手でも私がやるべきことは同じだ。)

 

 

マクゴナガルの言葉に押されるように、シオリは一歩、階段を登りだした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夏休みぶりに入った校長室は何も変わらず、魔法に慣れた今でも心惹かれる様々な魔法道具に溢れていた。

この豪華な絨毯に身体を打ち付けて転げ回っていた日のことを思い出す。

 

シオリが初めてこの世界に来た頃のことをなぞりながら部屋を見渡していると、フォークスの側に立つダンブルドアが見えた。

フォークスは背を撫でられて気持ち良さそうに目を閉じ、彼の手にしなるようにもたれかかっている。

壁にかかった厳しい顔つきの絵画たちの目も全て閉じられ、わざとらしい寝息が静かな部屋に響いている。

ダンブルドアがゆっくりと顔を上げ、シオリに微笑みかけた。

 

 

「よく来た。そこに掛けなさい。」

 

 

彼は部屋の真ん中にあるなんの飾り気もない木の椅子を指した。

その椅子に座ると、背筋が自然と伸びて胸の中がひやりとした。

シオリはまるで今から裁かれる者のような心持ちだった。

自分をぐるりと囲んで時おり物珍しそうに薄目を開ける絵画たちは、さながら傍聴席の野次馬といったところか。

 

ダンブルドアが背の高い革張りの椅子に腰を下ろし、二人は向かい合った。

半月眼鏡の奥からのぞく澄んだ瞳にすべてを見透かされるような気持ちになって身体が固くなる。

ダンブルドアはそんなシオリの様子をじっと見て目を細め、朗らかに話し出した。

 

 

「あの日、この椅子で微睡んでおった子が、いまや立派な魔女となり素晴らしい成績を修めたと聞いてのう。あれから随分と時間が経ったことに気付いたのじゃ。歳を取り時間が足りなくなると、不思議とすべてがのんびりと感じられてどうもいかん。」

 

「あの、先生・・・」

 

 

シオリがおずおずと口を開いた。

ダンブルドアは微笑んだままだ。

シオリには、自分の何倍も歳を重ねた遥かに上手の彼と言葉の応酬をする気はなかった。

それに、シオリはこの世界での居場所を与えてくれたダンブルドアに対しても真っ直ぐでありたかった。

 

 

「先生、私、禁じられた森で見たものについては何も話せません。こんなに良くしてもらってるのに薄情だと自分でも思うけど、どうしても言えないんです。でも、絶対に、先生のこともハリーのことも裏切ってません。本当です。」

 

「ふむ、よく分かった。」

 

「先生が怒るのは当たり前です、だって私・・・え?」

 

「何があったのか話す必要はない。それにわしの記憶によると、お主にそのことを問うたことはないはずじゃ。最近は昼に食べたものも思い出せぬような朦朧した頭じゃが・・・どうかね?」

 

「で、でも、セブルスが・・・」

 

 

それまでずっと微笑んでいたダンブルドアが目をわずかに見開き、長い指を組んでシオリをじっと見た。

 

 

「・・・セブルスが・・・そうか・・・」

 

 

シオリは余計なことを言ってしまったのだと直感したが、彼は今聞いたとても興味深い出来事を忘れてはくれなさそうだ。

スネイプの行動がダンブルドアの命令によるものではないということが何を意味するのか。

すでにそれをシオリの中に見つけたアイスブルーの瞳はきらきらと輝いていて、シオリは宝石のようだと思った。

 

 

「では、お主は問われたことには答えなかったのじゃな?」

 

「・・・はい。」

 

「それでよい。ありのまま、自らの思う通りであればよい。」

 

 

スネイプとはまるで正反対の言葉に、ずっとぴんと張ったままだった肩の力が抜けていく。

 

 

「何を選びとるにもまず己の手が必要じゃ。知恵を付け、力を付け、それを操るため思うままに動く手が。すでにそれを心得ておるお主はまっこと、大したものだ。小難しい話はこれくらいにして・・・ほれ、レモンキャンディでもどうかね?わしの大好物なのじゃが。」

 

 

そう言いながらダンブルドアはもうキャンディを頬張り、嬉しそうに口の中でころころと転がしている。

小さくステップを踏むようにしてやって来てキャンディを差し出したダンブルドアにシオリは思わず吹き出した。

 

 

「あ、ありがとうございます。ふふ、いただきます。」

 

「おお、ようやく笑ってくれたか。」

 

「私・・・勘違いしていたみたいですね。すみません。」

 

「よいよい。今日呼んだのはゆっくり話をしたかったからでな。お主がこの一年、何を見て、何を感じ、何を得たのか・・・聞かせてくれるかね?」

 

 

シオリが頷くとダンブルドアも頷いて、ぱちんと指を鳴らした。

すると、どこからか丸い木のテーブルとシオリが掛けているのと同じ簡単な木の椅子が一脚出てきた。

ダンブルドアは椅子に腰掛け、それからもう一度指を鳴らした。

今度はテーブルの上にスコーンと紅茶の入ったティーカップ、それにホットミルクが現れた。

ダンブルドアは自分で出したそれに、待ちきれないという風に手をすり合わせた。

 

 

「わしはこのレモンスコーンにクロテッドクリームをたっぷりつけて食べるのが好きでのう。夢中になるあまりこの長いひげまでスコーンまみれにしてしまってな、ミネルバによくお小言をもらうんじゃ。最近はもっぱら一人でこっそり食べるようにしておるのじゃが・・・」

 

 

ちらりとこちらを見るダンブルドアにシオリは笑みを返した。

 

 

「わたしもスコーンは食べ慣れなくてよくこぼします。すごくいい匂い・・・いただきます。」

 

 

シオリはキャンディを皿に置いて、ダンブルドアはキャンディをかりかりと噛み砕いて、カップを手に二人はゆっくりと話し始めた。

 

シオリはホグワーツや魔法にいまだに感動して毎日が刺激に溢れていること、大切な友人のハリー、ロン、ハーマイオニーについて、彼らのいいところや、くすりとせずにはいられない少し残念なところを話して聞かせた。

ダンブルドアの丁度いい相づちと合間にかじるスコーンの優しい甘さに、シオリの口は止まることなく動いた。

 

 

「四人でいるとよくハグリッドが声をかけてくれて、彼の小屋で皆でお茶をすることもあるんです。いつも出してくれるかちかちのロックケーキはまだ噛みきれたことがないけど、魔法生物の話が本当に面白くて。あ、あと、ファングのよだれで毎回服がダメになるのだけ困るけど・・・」

 

「ほっほっ、よく懐かれておるのじゃな。チャーリーからも聞いておる、ドラゴンの雛もえらくお主に懐いておったとか。」

 

「ああ、ノーバート!あの子の綺麗な鱗と目が忘れられないです、また会いたいなあ・・・・・・先生、全部知ってたんですね。」

 

 

シオリは話ながら途中から違和感に気付いていたが、それは自分も抱いていたものなのですぐ合点がいった。

いくらただの学校とはいえ、箒で誰でも入れるという警備の薄さはどうなのかと思っていたのだ。

恐らくあの晩だけ空の警備もとい、魔法が解かれていたと考えるのが自然だ。

さして驚いた様子を見せないシオリにダンブルドアもなんでもないことのように話を続けた。

 

 

「ここで起こることは大抵、わしの耳に入るようになっておる。チャーリーがノーバートを運び出す手はずを書いた手紙を寄越してくれての。お主らはようやってくれた。ノーバートは森の群れに混じりすこぶる元気にしておるとのことじゃ。」

 

「自分でもよく頑張ったと思います。運動はからきしなんですけど、ノーバートったら重いのなんのって・・・でも、それならよかった。」

 

 

シオリは満面の笑みで皿に一つだけ残ったレモンキャンディを頬張った。

二人のスコーンは随分と早いうちになくなって、ダンブルドアの長いひげに残りかすがくっついているだけになっていた。

シオリの視線に気付いたダンブルドアはふむ、と小さく杖を振って彼の白銀のひげはもとの威厳を取り戻した。

ぱちんと音がしそうなウィンクを受けてシオリが小さく笑う。

しかしその頭の中はお菓子の甘い香りも心地よい会話の余韻も消え去って、別のことが渦巻いていた。

胸の奥深く、ずっと抱いていたもう一つの違和感。

 

 

「先生、」

 

「なにかね?」

 

 

いつか口をつくだろうシオリのその一言をダンブルドアは分かっていたかのようだった。

そしてただの楽しいお茶の続きであるかのように、彼は小さな椅子にゆったりと腰かけたままその先の言葉を待ってくれた。

 

 

「・・・さっき、禁じられた森でのことは話せないと言いましたが、一つだけ話せることが・・・ううん、聞いてほしいことがあります。」

 

 

シオリは大きな窓の向こう、どこまでも広がるその森を見た。

あの闇を、木々のざわめきを、不気味に揺れる影を思い出す。

 

 

「森の中で、ケンタウルスのフィレンツェに会いました。」

 

 

闇に浮かぶ美しい白金の身体とサファイアの瞳、それ以上にシオリの心を照らした彼の言葉がよみがえる。

 

 

「彼は・・・私が魔法使いではないと言いました。彼ら、森の生き物と同じ、古い魔法の匂いがすると。」

 

 

夏の日の下でも鬱蒼として人を寄せ付けない魔の森。

そこには、遥か昔から幾度となく繰り返されてきたのだろう命の営みが重なりあう、むせ返るほどの香りがたしかに今もあった。

 

 

「ノーバートやファングが私に懐いてくれるのを、嬉しいけどどこか不気味に思っていたのがすっきりしました。彼らにもきっとその匂いが分かっていて、私に、人間とは違う何かを見ているんだと思います。」

 

 

シオリは再びダンブルドアに向き合った。

 

 

「先生は、私が元の世界に戻る方法を探してみると言ってくれました。フィレンツェの言葉はそのヒントになるんじゃないかと思って。古い魔法・・・私には分からないけど、ずっと昔からある魔法にこんな風に世界を移動できるものがあるのかもって。先生は何か知ってますか?」

 

 

それまでずっと黙っていたダンブルドアは考え込む様子もなく、ただシオリに笑いかけた。

 

 

「非常に興味深い話じゃ。しかし、残念ながらフィレンツェの言葉にはお主が元の世界に帰る手がかりはないように思う。」

 

「そう、ですか・・・」

 

「彼の言葉を代わりに語るには、まずは我ら魔法使いの話をせねばなるまい。」

 

 

ダンブルドアはおもむろに杖を出して見せた。

 

 

「現代の魔法使いの多くは杖を持つ。魔法を使う際の象徴として意識をまとめやすく、魔力を集めやすいという利点からじゃ。さて、この非常に便利な道具を産み出したのは誰だか分かるかね?」

 

 

シオリは顎に手を添えうつむいた。

魔法史の授業の記憶をたどってみるが、あの授業は魔法界で起きた史実を淡々と学ぶだけだ。

杖を最初に作った人間となると、魔法界以前に魔法使いがどう生まれたのかという歴史にまで話を遡らなければならないだろう。

ハーマイオニーなら知っているのかもしれないがシオリにはお手上げだった。

 

 

「・・・分かりません。」

 

「では、聞き方を変えよう。森に住む彼らに杖は必要かね?」

 

「いえ、フィレンツェたちは・・・きっと杖を使わないと思います。彼らは未来を視ることができますが、その時は空を見るだけで・・・」

 

「その通り。生まれながらに魔法を操れるものにとって杖はただの木ぎれにすぎぬ。つまり杖とは、人間である魔法使いが魔法を"使う"ために産み出したのじゃよ。」

 

 

シオリはそんな答えでよかったのかと首を傾げた。

ダンブルドアの言いたいことが分からず、そのままううんと首をひねる。

 

 

「シオリ、魔法使いと魔法生物との違いは様々にあるが、最も決定的な違いは魔法の在り方じゃ。人は魔法を"使う"。言葉で表し、杖を介し、どうにか魔法を使う。しかし彼らは魔法そのものなのじゃ。生きているということ、その営み自体が魔法なのじゃよ。」

 

「じゃあ、私は・・・」

 

「フィレンツェはお主の中に自然界の力にも似た強い魔力を感じたのじゃろう。シオリがこの世界に存在しているということ、そのものに。」

 

 

ダンブルドアは紅茶を一口すすり、ゆっくりとカップを置いた。

そしてシオリを見つめ、美しい花を愛でるように小さな嘆息をこぼした。

 

 

「存在することそのものが魔法・・・まさにその通りじゃ。異なる世界に住み、交わるはずのなかったお主が・・・今こうしてわしの目の前で愛らしく菓子をつまみ、茶を飲んでおる。これを魔法と呼ばずしてなんと呼ぶ?」

 

 

奇跡を慈しむそっと細められた瞳は温かかったが、シオリは胸の中がぐらりと波立ち足元をさらわれるような感じがした。

つかまるところを探す手が、無意識にポケットにある杖をつかむ。

 

 

「でも私、魔法を使えます。」

 

「もちろん。彼らも不要なだけで魔法を使うことはできる。それは彼らとわしらを区別することにはならぬ。それにのう、わしも一つ、お主について考えていたことがあったのじゃが、フィレンツェの言葉はその答えとなった。」

 

 

ダンブルドアがシオリの首もとを見やった。

シオリは少し考えてから温かい小さな鼓動をそこに感じ、あっと声をあげた。

 

 

「プレゼントのお礼を言ってませんでした。この花、ありがとうございました。すごく綺麗で面白くて、とても気に入ってます。それに・・・」

 

 

この白い花が自分を守ってくれたことを話しかけて、シオリは慌てて口に手を当てた。

しかしダンブルドアは何も尋ねず、静かに微笑んだ。

 

 

「それはよかった。お主には清廉な白がよく似合う・・・実に美しく咲いたものじゃ。」

 

 

ブルーの瞳はゆるゆると延びていく葉や花をまだ見つめながらも、それ以上は何も言わなかった。

 

 

「確か、お主がこの部屋で初めて杖を振った時に咲いたのもその花じゃったのう。月下美人の花に縁はあるのかね?」

 

「え、いえ・・・この世界に来るまで存在も知りませんでした。」

 

 

今も、知っているといってもその姿と名前だけで、どこに咲くどんな花なのか実物を見たことがない。

考えてみれば、自身の杖芯でもあり、夢の中の不思議な森で必ず出会い、窮地を救ってくれたこの花のことをシオリは未だに何も知らなかった。

 

 

「お主の魔法、全てにその花の気配があることが気になってのう。単なる杖芯である花が異なる魔法においてその匂いや形を顕す・・・ましてや主人の意図を越えた魔法を使ってみせるなど、通常ではあり得ぬことじゃ。お主の中の魔力はまるでそれ自身が生きておるようではないか。」

 

 

杖を選んだ時、この杖の見せたものにオリバンダーとスネイプがひどく戸惑っていたことを思い出す。

まさかダンブルドアの理解の域すらも越えた力だったとは。

シオリはあの場所を未だに夢に見ること、そしてそこで出会ったものについて話せないことを歯がゆく思いながら次の言葉を待った。

 

 

「そこでフィレンツェの言葉じゃ。お主が人の形をしながらも彼らの側に近いというのは、恐らく、お主のそのあまりにも膨大な魔力の根源があちら側にあるということじゃろう。つまり、その花こそが・・・お主の魔力の根源であり、お主がこの世界に導かれた理由なのやもしれぬ。」

 

「月下美人の花が?私を呼んだということですか?なんのために?」

 

 

シオリはずっと悩んでいた問いの答えが、自分の成すべきことがそこにあるのかと身を乗り出した。

しかし、彼はゆっくりと首を振った。

 

 

「それは分からぬ。ここから先は知の及ぶところではなく、選んだものと選ばれたもの、その花とお主との繋がりを通して明らかになることじゃろう。力になると言っておきながらすまなんだ。」

 

「・・・いえ、いいんです。」

 

 

シオリは強がりではなく心からそう思えた。

もう逃げないという決心が本物だったことに安堵し、自然と笑みが溢れる。

 

 

「私、この世界が好きです。もちろん、本で読んでいただけの時と違って辛いことも苦しいこともあるけど、それでもハリーや皆と笑い合えるここが好きです。」

 

 

シオリはテーブルの上、握った二つの拳を見つめた。

 

 

「それに今は・・・やらなきゃいけないことがあるからまだ帰れません。だから、いいんです。」

 

「シオリ、」

 

 

長いほっそりとした指がシオリの手に重なった。

このいくつもの皺とともに刻まれてきたのだろう知恵と哀しみだろうか、静かな温もりがシオリをそっと包み込む。

 

 

「この世界がお主に背負わせてしまったものの大きさはわしには測り知れぬ。その重さに耐えられないと思う時も来るじゃろう。しかし、いつどんな時も思うがまま、自由に、己が望むものを求めなさい。多くを抱える手は決して不自由ではない。手が塞がることを恐れて何も選び取ることができない・・・それこそが本当の不自由だと、わしは思っておる。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「自由と不自由・・・」

 

 

一人、長い階段を降り、元来た道を戻る。

窓の外では日が傾きだしていて、射し込む光が廊下を淡いオレンジに染めている。

 

 

「自分の、望むもの・・・」

 

 

試験が終わった喜びに浸っていた生徒たちははしゃぎ疲れたのか、校庭も城の中も人はまばらだ。

ハリーたちも寮に戻ってるだろう。

 

 

「私は、皆に笑っていてほしい・・・」

 

 

段々と影が濃くなる廊下を一歩一歩、ゆっくりと踏みしめ呟く。

この一年で履き慣れ柔らかくなった革靴が石床を音もなく進んだ。

寮までの道の途中、何人かの生徒の顔が考え込むシオリの視界の端に映りこんだ。

O.W.Lを受けている五年生たちだろうか、分厚い本を読みながらふらふらとすれ違ったその顔はどれも険しく、まだ続く試験の厳しさが見て取れた。

つんのめるような彼らの足音が去った後、コツ、コツ、と革靴の鳴る音が聞こえてきた。

 

 

「私は彼を救いたい・・・」

 

「私は・・・未来を変えることが、怖い・・・」

 

 

思考が止まる。

また前に進めない、同じことの繰り返しだ。

ダンブルドアの言う自由を自分は持て余してしまう、臆病な人間なのだ。

もう何度も行き止まった壁にため息をつきながらも、足だけは動かして暗い廊下の景色が流れていく。

 

廊下の曲がり角の向こう、固い靴の音が段々と近づいている。

 

 

コツ、コツ、

 

コツ、コツ、コツン・・・

 

 

急に空気が冷たくなった。

寒いというより背筋がひりつくような感覚に、無意識に腕をさする。

やけに静かなことに気付いてシオリはふと顔を上げた。

 

まっすぐ伸びた廊下の突き当たり、一つの背の高い影が立っている。

 

シオリの足が止まった。

深いフードも夜の闇もない今、シオリには弱りきったその姿が悲しいほどよく見えた。

赤い西日の影に浮かび上がって見える白い顔は痩せこけ、生気がない。

わずかに見開かれた瞳がシオリをじっと見つめている。

シオリも彼から目を離せなかった。

今にも倒れてしまいそうに儚く揺れるその身体に駆け寄りそうになる。

だが、彼がそれを望んでいないことは分かりきっていて、シオリはそれ以上踏み出すことができなかった。

クィレルにとって、自らの手が及ばずシオリが無事であることこそが、彼にわずかに残された人の心を支える唯一のものだった。

 

二人が声もなく見つめ合う。

ふいに、彼の枯れた枝のような白い手が縋るものを探して黒いローブをゆっくりと這い上がり、自身の胸元を強くつかんだ。

 

そこだけにはまだ・・・生きる価値のあるものが、守るべきものが残っているとでも言うように。

 

強く握られたローブに深く皺が寄っている。

同じように彼の顔が苦しげに歪んでいる。

シオリは色のない唇が音を紡ごうとわずかに震えたのを見た。

しかし、確かに開きかけたその唇が二人を包む痛いほどの静寂を揺らすことはなかった。

何の願いも、苦しみも告げることなく、再びゆっくりと口が閉じられる様を、シオリはただ見ていることしかできなかった。

 

やがて、クィレルの方が先に目を伏せ、深くうつむいた。

シオリは思わず一歩踏み出し、その音が夕暮れの静けさに響いたが、彼は顔を上げることはなかった。

うつむいたままのその目は、二度とこちらを見ようとはしなかった。

そしてシオリに背を向け、孤独な背中は廊下の角を曲がり見えなくなった。

あまりにも多くの罪を負った、重く乾いた革靴の音がゆっくりと遠くなっていく。

 

 

暗く、先のない道を一人きりで行く悲しい影。

 

 

痛みとともに胸に刻み込まれたその後ろ姿に、何度も見た悪夢が重なった。

 

 

 

 

 

 

そしてその夜、シオリは永い夢を見た。

 

 

 

 

 

 

 

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