月下の花を摘むのは誰   作:ledi

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美しい悪夢

 

 

 

 

 

 

 

「ここは・・・・・・」

 

 

目の前に広がる夜空。

星は少なく、暗闇に穴があいたような大きな丸い月の淡い色だけがある。

 

頭を動かすと柔らかく茂った草がすれて首筋をくすぐった。

そこでやっと、自分が地面に仰向けでいるのだと分かった。

黒い寝間着が土に汚れている。

シオリは何も思い出せないまま身体をゆっくりと起こした。

 

重なりあうように並んだ木々が視界を遮っている。

唯一、足元から細く細く伸びている草の小道の先には空が覗いていて、そこに月が見えている。

 

 

「ここは・・・あの森・・・?」

 

 

シオリの頭には小さな白い蕾が浮かんでいた。

 

 

「だけど、すごく、静か・・・」

 

 

風はなく、葉の一枚こすれる音もない。

黒い森が視界だけでなく、耳も、他の感覚も塞ごうと迫ってくる。

何かが起きているのではないか、そんな異様な静寂に身体が強ばっていく。

 

シオリが動けずにいると頭の中で声がなった。

 

それは強い怒りを表しているようでもあり、深い妬みを秘めているようでもあった。

そしてシオリには、それが泣き声のように聞こえた。

 

 

「誰・・・?」

 

 

不安はもう消えていた。

シオリは立ち上がり、服についた土をはらった。

そしてこの夜と同じ黒い瞳を空に向けた。

 

 

「誰かが、呼んでる・・・」

 

 

シオリはおぼつかない足取りで、誘われるように月に向かって歩きだした。

裸足で触れる地面はしっとりと冷たく、固い。

シオリは一本道をたどって森の中を縫うように進んだ。

たまに空を見上げたり、木の向こうに何か見えないか辺りを見回すが、変わらず暗い景色が広がっている。

 

いくらか歩いてシオリはふと気付いた。

 

 

「身体が軽い・・・」

 

 

その違和感に記憶がゆっくりと戻ってくる。

 

 

「今までずっと眠れてなくて・・・そうだ、試験が終わったところで、ダンブルドアと話して・・・・・・」

 

 

答えのない問いに苦しんでいたはずの身体が、まるでそんなことなどなかったかのように思う通りに動く。

 

 

「現実で起きたことはこの場所には関係ないんだ。だけど、ここで起きたことはわたしの身体に影響する・・・」

 

 

前にこの森を訪れた時のことを思い出す。

この名を繰り返し呼んでいた恐ろしい声は、音にならずともいまだにシオリの頭に焼き付いていた。

あの引っ張られるような感覚と、今、呼ばれるまま足を進める自分が重なる。

 

この森は一体何なのか。

 

解けることのない謎に気を取られていると、いつの間にか先の方に開けた草むらが見えていた。

なぜかそこが目指していた場所なのだと分かり、急かされるように足が早くなる。

どんどん近づいていくと、青白い輝きをまとった蕾が見えた。

そこにいたのかと、シオリは肩を下ろしゆっくりと立ち止まった。

変わらず閉じたままの花弁は何も知らず何にも染まらず、そのあまりの白さに目を奪われる。

 

 

しかし次の瞬間、シオリの息が止まった。

 

 

それは視線の先、蕾の向こう、奥の木立からゆっくりと現れた。

真っ黒なマントにフードを深くかぶっているその姿は、月明かりを吸い込むような黒い淀みをまとっている。

シオリはそれをまるで闇そのもののようだと思った。

引きずるほど長いマントから白い足先が見えている。

それは一歩踏み出す度、地面の感触を確かめるように柔らかく足の平を着けた。

 

 

「っ、・・・」

 

 

叫びたいのに声が出ないことがシオリを助けた。

それが一歩、一歩と、滑るようにこちらへ近づいてくる度にシオリは逃げなければと力を込めたが、身体が動かなかった。

止まってしまった呼吸のかわりに大きく早く打ち出した鼓動が頭に直接響いている。

 

白い足が音もなく草を踏み、黒い裾が揺れる。

その繰り返しをただ見つめ続ける。

やがてそれは蕾の前で立ち止まった。

まるで何かを待つように。

 

 

「いや・・・いやだ・・・」

 

 

いつの間にか声が出るようになっていた。

それに気付かれてしまうという考えもなく、シオリは何度も嫌だと言い、首を振った。

蕾の方へと勝手に動き出した足に、どちらにしろ無事に帰れるわけがないと分かっていたし、一歩近づくほどに血が引いていく恐怖は内に止めておけるようなものではなかった。

 

心とは裏腹にシオリの身体は月明かりの下を進み、二人は清廉な白を挟んで向かい合った。

フードの暗がりの奥、シオリは二つの赤い輝きを見た。

それはたしかに強い光を放っていたが、宝石の持つような美しい輝きではなかった。

人の手に負えず、何もかもを焼き尽くそうとする業火のような色に、シオリは見てはいけないと強く目をつむった。

 

禍々しい気配が近付いてくるのを感じる。

目を開けるのを拒み続けていると、耳元に暖かい吐息がかかった。

 

 

そして男の声が囁いた。

 

 

「なんと芳しい・・・」

 

 

その声はまるで愛を語る時のように穏やかなのに、背筋が凍りつくような冷酷さを秘めていた。

シオリの額を冷や汗が流れた。

 

 

「毛の一本一本、この小さな爪の先まで魔力に満ち満ちているではないか・・・」

 

 

長い指がシオリの髪をそっと梳かした。

男はもう一方の手をシオリの指に絡めて目の前まで持ち上げ、美術品でも鑑賞するように目を細めてゆっくりと眺めた。

シオリは身体の震えが伝わらないように必死に力をこめたが、そんなことは無駄だった。

男はむしろ、己へ向けられた恐怖をもっと感じようとするかのように、両腕を広げてシオリを抱き締めた。

愛のない冷たい抱擁に鳥肌が立ち、全身が恐怖を叫ぶ。

シオリは恐れるあまり思わず目を開けてしまった。

 

 

そこには陶器のような白い肌をした黒髪の男がいた。

高く筋の通った鼻と、柔らかく赤みのさした薄い唇。

以前は美しく知性だけを放っていたのだろうと思わせる鋭い目元は、歳とともに何度も罪を重ねた彼の残忍さを滲ませている。

赤い瞳はぎらりと妖しい光を灯しており、彼の満ち足りていないことを表すように人よりもやや小さい。

月明かりで影のついた皺が年齢を分かりやすくはしていたが、シオリには一瞬その顔が男なのか女なのか分からなかったほど美しかった。

 

 

「そう怯えずともよい。俺様はこの魔力に満ちた空間では形を保てるが外の世界では無力な存在だ。」

 

 

無力な存在と言いながら微笑みかけるその顔は少しも己の力を疑っていないように見える。

 

 

「お前には礼を言わねばなるまい。あの男、何度もしくじり俺様の手を煩わせたが・・・お前の身がかかるとなると幾分ましな働きをした。」

 

 

シオリの目が大きく開いたのを見て、男は更に続けた。

 

 

「弱き者のなんと哀れなことよ。お前に手を出さぬというたった一言に疑いもせずすがりつき、ユニコーンの血まで飲んでみせるのだからな。」

 

 

シオリは、何か甘美なものを味わうようなゆったりとした唇の動きを、そこから紡がれる言葉ひとつひとつを反芻していた。

 

 

「俺様が肉体を取り戻すその時、あの男の身体は砂のごとく散り、朽ちるだろう。」

 

 

爛々とした赤い眼差しがシオリをじっと見つめている。

 

 

「取るに足らぬ愚か者にふさわしい最期だ。お前が導いたその瞬間を、お前に見せてやれぬのは実に残念だ。」

 

 

男が首を傾げると分けられた長い前髪がさらりと流れ、美しい唇が弧を描いた。

 

シオリは拳を震わせた。

恐怖ではなく、押さえられない強い怒りに震えていた。

弱り苦しみながらもたった一つの想いを守り、自ら死に向かう儚い背中が頭を過る。

恐怖に震えていた黒い瞳が揺れることなく、男を貫くように見据えた。

 

許さない、許されていいはずがない。

 

二人はしばらくの間睨みあった。

睨むというには男の顔は柔らかく微笑んでいるようだったが、その目には確かにシオリという異質な存在を探り計ろうとする鋭さがあった。

 

二つの瞳が静かにぶつかり合う中、突然、シオリの頭が激しく痛んだ。

頭を無理やりこじ開けようとする強い力に、意識が割れて飛んでしまいそうになる。

 

 

「っ、いや!・・・ぅぅっ!」

 

 

自分を抱き締めている男の腕から逃げようとするが、痛みのせいで身体が言うことを聞かない。

それどころか、男はシオリの顎をくいと持ち上げて顔を寄せ、その苦しみもがく様子をじっと見つめた。

ますます強くなる痛みに叫び出しそうになった時、何事もなかったかのように痛みがすっと止んだ。

シオリは肩で荒く息をしながら、焦点のさ迷う目をなんとか男に向けた。

 

 

「やはり・・・俺様の術を持ってしてもお前の内には何も見えぬ。お前が人でないことは間違いない。しかし、お前は安く下らぬ人の言葉を語り、あの男を懐してみせた。そのような力を持ちながら弱い人間どもにわざわざ交じり・・・何を考えている?」

 

 

人を魅了するためだけに作り込まれた完璧な顔が、初めて歪んだ。

 

男はシオリとクィレルの間に見えない繋がりが結ばれる様をすぐ側で見ていた。

そしてきっと、その言葉と心のやりとりに吐き気を催し、激しく怒り、蔑んでいたのだ。

初めて向けられた純粋な怒りに、シオリは闇が濃くなり空気が重くなった気がした。

有無を言わせぬ負の魔力が膨れ上がり、男の身体から溢れ出しているのを感じる。

シオリはそれが毒のように自分を取り囲み中に入り込もうとしているのを感じたが、構わなかった。

救われなかった彼の無念が、自分自身への怒りが、恐れる心を麻痺させていた。

 

シオリはなおも男を睨み続けた。

シオリはこの男にひれ伏すくらいならここで殺されても構わないとすら思っていたが、なぜか男の怒りはふいに消え、身を潜めた。

かわりに白い手がするりと伸びてきてシオリの頬を撫でた。

そして男は愉快そうに目を細め、口の端を上げた。

 

 

「力を手にしながら世の理を知らぬ娘よ、お前はこの蕾と同じだ。何も知らず未熟で、染まる色もなく・・・ただ純潔であることが全てだと思い込んでいる。」

 

 

二人の足元で、真っ白な蕾が淡く光っている。

触れられたことも、踏みにじられたこともなく。

花開く時を夢見ている間に、いくつの花が手折られていったのかも知らずに。

 

 

「この魂の糧となり役に立った褒美に俺様が教えてやろう。」

 

 

整えられた爪が、シオリの首筋をつつっとなぞった。

思わず体を震わせると男は満足そうにふっと笑い、五本の長い指をゆっくりとシオリの首にかけた。

添えられただけの手に、シオリはなぜか少しずつ息が苦しくなっていき、顔を歪ませ口をはくはくと動かした。

許しなど乞うものかと思っても、勝手に涙が溢れてくる目を男に向けた。

男の目には悦びだけが映っていた。

 

 

「今夜、賢者の石を手に入れ俺様は還る。世界に・・・お前に本物の闇を見せてやろう。」

 

 

見てはいけない、止めるべきだと分かっているのに、幾人もの血に濡れたその手と同じように赤く染まった瞳がそれを許さなかった。

シオリは男の抱える闇を全身に受けた。

互いの触れているところからどす黒いものが流れ込んできてシオリを染めていく。

視界が端から黒く歪んでいき、辛うじて目の前にある男の美しい顔だけが見える。

 

 

「何もできぬまま、そこで待っているといい・・・」

 

 

遠退く意識の中、ふと、あの泣き声の主はまだどこかで泣いているのだろうか、そんなことが頭を過った。

 

 

しかし、赤い唇がスローモーションで動いたのを最後に、シオリは深い深い暗闇に落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

" この手がお前を摘む、その時を・・・ "

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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