「あ、あの・・・ちょっと待って・・・」
「我輩はなるべく早く帰りたいのだがね。」
「私・・・乗り物酔いしやすくって・・・おえっ。」
緑の炎に包まれて次に目を開ければ、そこは言わずと知れたホグワーツ生の出発点。
一体どこからこれだけの魔法使いが集まるのか、気を抜けばすぐ流されてしまいそうなほど混んでいる道でつんと高いとんがり帽子があちこち行き交う。
その間を走り抜ける子供たちの持つ菓子はまるで生きているかのように動き、喚き、時に爆発したりしていた。
ショーウィンドウには美しい毛並みのフクロウやピカピカに磨かれた箒が並んでいる。
そんな心踊る景色のなか、シオリは道の端で人目もはばからず地面に突っ伏していた。
スネイプがその隣で腕組みをしてシオリを見下ろしため息をつく。
彼の嫌な予感は的中し、ダンブルドアからシオリの入学準備をするよう命じられて煙突飛行粉でダイアゴン横丁へ来たのだった。
「シオリはハリーと同じ新入生としてこのホグワーツに入学する。そして彼の側でこの物語の成り行きを見守ってほしい。」
「でも・・・何をすれば・・・?」
「それはわしにも分からぬこと。つまり、ただ学校生活を楽しんでくれればよい。お主の言う通りであれば、我々が動かずとも事は起こる。その時、お主の使命とやらも見えてくるじゃろう。」
それじゃあまりにもお気楽だという表情で途方にくれるシオリ。
自分の行動にはこの世界の何百、何千人の命がかかっているかもしれないというのに。
「では、早速買い出しに行ってくるといいじゃろう。セブルス頼んだぞ。」
「・・・それってつまりダイアゴン横丁に行くってこと!?やったー!」
「・・・・・・・・・」
今までダンブルドアのことを責めるような目で見ていたとは思えない程、両手をあげてはっきりと喜ぶシオリ。
それを横目にスネイプはもう反抗することなく黙って校長室をあとにした。
そして今は顔を白くしてさっきの喜びようはどこへやら。
これほど表情がころころと変わる人間を見たことがない。
スネイプは闇の魔術を振るうためだけに、またその闇の力に魅せられた者達とだけ関わりを持ってきた。
それ以外の方法で人と関係を築いたのは故郷でのあの公園でのひとときだけだろう。
きっと顔を上げればいつでも様々な人が周りにいて、関わるチャンスがあった。
しかしスネイプはそれを全て拒絶して一人で生きてきた。
そんな彼にとってダンブルドアの命令とは言え、シオリという少女と関わりを持つことは大きな大きな変化だと言える。
彼がそれを自覚しているのか、ダンブルドアの狙いがそこにあるのかは誰にも分からない。
少ししてシオリがゆらゆらと立ち上がった。
まだ白い顔に虚ろな目でスネイプを見上げる。
「はあ・・・行けます。行きます。」
「・・・後で倒れるくらいならもう少し休んでいたまえ。」
「いえ、倒れません。ダイアゴン横丁・・・楽しみ尽くしてやる・・・」
「我輩は忠告したぞ。」
いつもよりはゆっくりと歩きだしたスネイプになんとか着いていく。
昨日の今日だが、シオリはスネイプが全くとりつく島もない程に性格が悪いわけではないと気付きだしていた。
人としての最低限の思いやりや気遣いはあるし、彼にとって害にならなければうまく関係を築けるんじゃないだろうか。
ハリーを守りたいという点で利害は一致している。
何より、本の中では見えなかった部分に触れることでスネイプへの興味がわいてきた。
本当はどんな人間なのだろう。
ハリーをいびり、リリーを愛し、愛に身を捧げる以外の彼の生きている姿を見てみたい。
シオリがそんなことを思いながらスネイプの横顔を見ていると、苛立った声がした。
「何かあるのなら口に出したまえ。不躾な視線を浴び続けるのは不愉快だ。」
「・・・別に。あなたのことが少し気になっただけ。」
「・・・?」
思いがけない答えにスネイプが思わずシオリを見ると、細められた瞳がこちらを見返していた。
口の端が柔らかく上がっていて、スネイプが大抵の人間から向けられる嫌悪や恐れといった感情ではない、温かな表情がそこにはあった。
スネイプは胃のあたりがむず痒くなるのを追いはらうように頭を振った。
「さて、どこから行きますか?セブルス・・・じゃなくて、先生は買いたいものはないの?私、さっき死にかけて反省したからいい子ですよ。安心してどこへなりと連れていってください!」
当たり前のことなのに誇らしそうにしながらもう駆け出しているシオリを、杖を一振りして引き留める。
「黙って着いてきたまえ。我輩の側から離れるな。」
「はーい。ちなみに、ダンブルドア校長みたいにセブルスって呼ぶのはダメですか?」
「聞くまでもなかろう。」
「ですよね。よし、行きましょう!」
少しずつ相手のことがわかってきた二人は、昨日の険悪な出会い方が嘘のように並んでダイアゴン横丁を進んでいった。
「まあ珍しいこと。スネイプ教授が可愛らしい女の子を連れてるなんて。それに・・・不思議とお似合いだわ。」
真っ黒なローブをまとったスネイプと、黒いショートパンツに白いブラウス、黒のボウタイをしたシオリが連れだって歩く姿はたしかに周りの目を引いていた。
艶やかな黒髪をなびかせながら、背筋を伸ばして細い足でしゃんと歩くシオリは、遠目に見る分にはどこぞの令嬢だと言われても疑われないだろう。
「明日は鍋でも降るのかしら?なんだかいいものを見たわね。」
豊かなブロンドヘアーと曲線美が評判の三本の箒オーナー、マダムロスメルタは面白いものを見たと、きれいに赤く塗った唇をにっこりとさせた。
「ここが・・・オリバンダーの店。」
二人は最初に杖を選ぶことにした。
いつからあるのか、黒ずんでずいぶんと古びた店の中に山積みの箱が見える。
これだけの杖が誰かに選ばれるのをここでじっと待っているという神秘に感動すると同時に、この世界にいるべきではない自分を待っている杖がいるのか、という疑問がわく。
「もし・・・杖が見付からなかったらどうなるのかな。」
「貴様が考えることではない。ただ杖を選べばいい。」
「・・・ありがとうございます。」
こちらをちらりとも見ず店に入っていくスネイプの背中に小さく礼を言う。
分かりにくいが彼なりになぐさめてくれたのだろう。
一歩店に入ると、木の香りがふわりとシオリを迎えた。
外の喧騒が急に遠くなり、ここだけ杖達とともにゆっくりと時間が流れているような感覚になる。
心地よい空間に自然と目をとじるとどこからか囁く声が聞こえてきた。
「ん?」
耳を澄ましてみるが何を言っているのか、どこから聞こえてくるのかも分からない。
それでもどこか不安げな、落ち着かない囁き声がたしかに聞こえる。
シオリは気になって店の中を見渡して音の正体を探した。
「おやおやこれはこれは・・・なんとも難しいお客様だ。」
「えっ。」
突然、カウンターに小さな老人の顔がひょこっと現れた。
「いらっしゃいませ。こんにちはスネイプ教授。こんにちはお嬢さん。杖を探しているのはあなたですね?」
「は、はい。」
「どういった理由で?ホグワーツの新入生?」
「いかにも。」
「本当に?いや、失礼。お嬢さんがこの店に来る少し前から杖達が怯えていましてね。今までこんなことはなかったもので・・・何か理由があるのかと。」
にこにこと笑顔のまま話すオリバンダーにスネイプが眉をひそめる。
シオリは囁く者の正体を理解した。
「・・・なんとなく分かります。杖達に嫌がられてるの・・・」
「どういうことだ?」
「お店に入った時から囁く声が聞こえてる・・・不安そうな声でずっと何か言ってる。」
シオリをまじまじと見るスネイプ。彼には何も聞こえないらしい。
「ほほう!それは素晴らしい。しかし困ったことに変わりはない。さてどうしたものか。振っていただこうにも杖達が縮こまっていては・・・」
「どうして嫌がってるんだろう。杖達が何を言っているのかはわからなくて・・・」
「ふむ。私の仕事なのに申し訳ないがご自分で杖を探していただけるかな?私には彼らの声が大きすぎてあなたを呼ぶ杖の声が聞こえないのです。」
「私を呼んでいる杖があるんですか?」
「わかりません。しかし変わり者はどこにでもいるもの。一本くらいいる・・・かもしれん。あなたを呼んでいるのなら、あなたにだけはその声が聞こえるはずです。」
「ええ・・・」
杖がないかもしれないし、あるかもしれない。
杖の全てを知り尽くしているオリバンダーにも見つけられないものを見つける自信なんてない。
恐らく自分を待っている杖はないのだ。
項垂れるシオリにオリバンダーが歩み寄る。
「さあ耳を澄まして。」
シオリはオリバンダーを見て、それからスネイプを見た。
スネイプはただ目をそらさずに大きな黒い瞳を見つめ返した。
シオリは小さく息を吐いて目を閉じた。
(私と一緒に来てくれるなら、そこにいるなら私を呼んで。私、この世界でやらなきゃいけないことがあるの。私だって本当は嫌だし、あなたも怖いと思うけど・・・)
まぶたをぎゅっと閉じて胸の前で手を重ねた。
(どうか力をかして・・・・・・私と来て!)
そう強く念じると、ふいに花の香りが鼻をかすめた。
「・・・花?とてもいい香り。」
「なんと!なんとなんと!素晴らしいお嬢さんだ。杖と心を交わすことができた。この花の香りは・・・そうか、そうだったか。」
オリバンダーは飛び上がって喜んだかと思うと、ぴゅんと店の奥に消えていった。
残された二人はまだ甘い香りが漂うのを感じながら、ただ立ち尽くしていた。
(この香りは・・・)
スネイプはその香りがシオリがダンブルドアの杖を振った時と同じものだと気付いた。
異なる杖を振ったのに、なぜ彼女の魔法にはこんなにもはっきりと同じ気配があるのか。
この世界に来てから現れたというその魔力が、スネイプには自分たち魔法使いとは異質なものに感じられた。
それにもう一つ気がかりなことがある。
杖が魔法使いを選ぶ、それは誰もが知ることだ。
しかし、いま見た光景はどうだろう。
祈るように自ら杖を呼んだ少女と、それに応えてみせた杖。
スネイプは彼の知る主人と杖の繋がりとはまるで違うものを感じ、これはただの子供の付き添いではない、人の知の届かないところでなにかが動き出す瞬間に自分は立ち会っているのではとすら思った。
スネイプが眉をひそめ、シオリを見つめていると黒い瞳が不安そうにこちらを見つめ返した。
その時ガタガタと大きな音がして、歓声にも似た声がした。
「あった!あった・・・これじゃ・・・」
「これが私の杖・・・?」
「同じ杖がこの世に一つとしてないのはもちろん、これはその中でもさらに特異な杖だと言えるでしょう。さあ手にとって。」
シオリが杖を受け取ろうと指先が触れた瞬間、杖が勝手に手の中におさまった。
まるで今までずっと使っていたかのように手に馴染む。
「この杖の素材はとても珍しい。ただこの一本しか存在しません。イチイの木・・・芯に月下美人の花弁。二十七センチ、とてもしなやか。」
「月下美人?」
「魔力を持たない植物は杖を作る工程に耐えられず消えてしまう。月下美人もそうじゃ。しかしこの花は・・・杖の素材として仕入れたドラゴンの心臓に宿っておった。粗悪な品とも言えるが、仕入れの者が面白がって持ってきてね。種がいつ、どこで宿ったのかはわからん。」
オリバンダーの目は懐かしむというより、その時の興奮を映してキラキラと輝いている。
「ただの植物がドラゴンの心臓に根をはり魔力を吸っておった・・・本来ならドラゴンの力に負けてしまうはずなのに・・・ありえないことだ。そしてある満月の夜、十分に育ったそれは真っ白な花を一輪咲かせた。ちょうどこんな甘い香りを漂わせて・・・」
シオリは話が進むにつれて花の香りが強くなるような気がした。
さっきまで名前も知らなかった花が妖しく、美しく咲く様子が目に浮かぶ。
「それはまるで私を呼んでいるようだった。私は初めて花を芯に杖を作ろうと思ったのです。」
オリバンダーは慈しむような眼差しを杖に向け、スネイプは得体の知れない危険なものでも見るように目を細めた。
「月下美人は一度咲いてしまうとたった一晩のうちに枯れてしまうとても儚い花です。しかし、その小さな身にドラゴンの力を宿したこの花は恐ろしく強くもあった。この風変わりな杖がどんな魔法を繰り出すか・・・」
オリバンダーは待ちきれないという風に大きく息を吸って胸を膨らませた。
(ダンブルドアのと同じ、この杖もすごい力を持っていそう。根をはる話をしていたけど、今も杖が私の中まで魔力をのばしているみたいに強くつながっている感覚がある。怖いような心地いいような・・・)
「さあ、試してごらんなさい。そうっと振ってみて。そうっとですよ。」
シオリはそうっとと言われる意味がよく分かった。
この杖を力強く振る気にはなれない。どんなことが起こるか考えるだけで恐ろしい。
シオリが慎重に下から上へゆっくりと杖を振った。
すると辺りが真っ暗になった。
何が起きたのか。突然のことに体が固まる。
恐る恐る周りを見渡すと、頭の上高く、はるか遠くに大きな満月が見えた。
それに気付くと同時にひゅーっという鋭い風の音や草木の揺れる無数のざわめきが身を包んだ。
「ここは・・・どこ?」
人の灯りがない本当の暗闇、草木の息遣いが聞こえそうな身震いするほどの自然の中にシオリはいた。
ふと足元で何かが光った。
見ると、白い花の蕾がある。
まだまだ固くとじていて開きそうにない。
それでも月の光を浴びて淡く発光する姿は目を惹き付ける。
この蕾が開いて、この真っ暗な夜に真っ白な花弁が輝けばどんなに美しいだろう。
無意識のうちに手を伸ばす。
指先が蕾に触れそうになった瞬間、シオリはオリバンダーの店にいた。
「えっ。」
宙に伸ばしたままの手を引っ込めると、スネイプとオリバンダーが身じろいだ。
「今のは・・・一体・・・?」
「あなたも見たの?あたりが急に暗くなって、目の前に白い花が・・・」
「あれがその花です。恐ろしいほどの魔力じゃ・・・我々全員を引き込むとは。それになんと意思の強い杖だ。あれはあなたの魔法というより杖の見せたかったものでしょう。故郷の景色なのか・・・はたまた・・・」
まじまじと手の中にある杖を見る。
なぜか杖が満足そうな、微笑んでいるような気がした。
シオリの杖を恐れる気持ちは消えていた。
互いにつながっている感覚を確かめるように、握っている手に力をこめる。
「私、あなたのことが好き・・・一緒に行こう。」
シオリは杖に微笑み返した。
その様子を見たオリバンダーがさっきまでの興奮は消えた暗い面持ちでシオリの杖を持つ手にそっと触れた。
「この花は別名、"夜を統べる者"という。杖達が怯えるほどだ・・・あなたの進む方に明るい日は差しておらぬかもしれんが、あの月のように必ず道を照らすものがあるでしょう。暗闇を恐れず行きなさい。私は杖を渡すことしかできんが・・・」
数多の魔法使い達に杖を渡してきたオリバンダーには、この杖が困難な運命を背負っている者のためにあると分かった。
少女はオリバンダーの言葉に不安を見せることなく優しく微笑んだ。
それはあの夜に見た甘く美しい花のような笑みだった。
「私、この杖とならどんな時も進める気がするんです。この杖と会わせてくれてありがとう。」
二人はオリバンダーの店をあとにして鍋や教科書、制服をそろえた。
その間、シオリは変わらず好奇心のままに動いて、どこにでもいる子供のようにスネイプの手をわずらわせた。
しかしスネイプは彼女を叱ることはあっても、もう二度と侮ることはなかった。
オリバンダーの店での出来事は、彼女の話すことが全て真実であり、自分と同じ険しい道を行くのだということを理解するのに十分だったのだ。
「私の準備は終わったね。建物も人も何もかも・・・すっごく楽しかった!セブルスはどこか寄らないの?」
「・・・目上の者には敬語を使いたまえ。」
「すみません・・・名前で呼ぶのはいいんですか?」
「何と言おうと勝手にするのだろう・・・・・・我輩の生徒でない時は好きにしろ。」
「・・・はーい。」
シオリはスネイプを刺激しないように、必死にこらえながらも口許は緩み、何度も見た不機嫌そうな顔が少し愛しく思えたのだった。