大学に入ってから、毎日が目まぐるしい。
知らない人ばかり、慣れない講義、そして――ボクシング部。
あの日の“銀の狼”、剣崎主将との出会いは、
今でも頭の中でスローモーションみたいに焼き付いている。
でも、家に帰るとその熱が少しずつ落ち着いていく。
不思議と、母さんの声を聞くと、現実に戻れるんだ。
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「ねぇ、〇〇くん。大学どう? ちゃんとお友だちできた?」
夕飯のあと、母さんがいつものように聞いてくる。
白いカーディガンを羽織って、
テーブルにスケッチブックを開きながら。
細いペン先をくるくる回して、何かを考えている。
僕は照れくさくて、うまく言葉にできなかったけど、
なんとなく今日あったことを話してみた。
「ボクシング部に入ったんだ。」
「えっ、あのパンチするやつ?」
「うん。でも、思ってたよりすごくて……。
主将が剣崎って人で、“銀の狼”って呼ばれてるんだ。」
母さんがペンを止めて、顔を上げる。
「銀の狼? かっこいい名前ね。」
「うん。強いし、静かだし。なんか、人じゃないみたいだった。
彩花が、“銀牙騎士”って言ってた。」
母さんがくすっと笑った。
「ふふっ。いいわね、青春って感じ。
じゃあ、その“銀の狼”さんも描いてみようかな。」
母さんの手が動きはじめた。
シャッ、シャッ、と紙の上で鉛筆が走る。
その音だけが部屋に響く。
ストーブの音、外の風の音が遠くなる。
まるで、その瞬間だけ世界が母さんのペースで回ってるみたいだ。
「……お母さんの描く“銀の狼”って、どんなの?」
僕が聞くと、母さんは少し考えてから答えた。
「そうね、きっと、みんなを守る人。
でも、自分のことはあまり話さない。
そういう人の背中って、寂しそうだけど、綺麗なのよ。」
そう言って、ふわっと微笑んだ。
僕は黙って見ていた。
母さんの指先が、
僕たち3人――健太、彩花、そして僕――を紙の上に生み出していく。
リングの上で、拳を構える僕。
その後ろで笑顔の彩花、必死に頑張る健太。
そして、リングの外に立つ“銀の狼”。
彼の目は冷たくも、どこか優しい光を宿していた。
「すごい……」
思わず、声が漏れた。
母さんはペンを止めて、少し首をかしげた。
「どうかしら? “強い人”って、きっとこういう目をしてると思うの。
守るものを見失わない人の目。」
僕は、その言葉が胸に刺さった。
「〇〇くん。」
母さんがゆっくり僕を見る。
「拳を出す人はね、相手を傷つけるためじゃなくて、
“守る”ために使える人にならなきゃダメよ。」
優しい声だった。
だけど、その奥に芯の強さがあった。
僕は、ただ頷いた。
剣崎主将の拳も、きっと同じなんだ。
あの静けさの中に、守る強さがあった。
「……母さん。」
「なに?」
「俺、少しずつでも、強くなりたい。
誰かを守れるくらいに。」
母さんは目を細めて笑った。
「ふふっ、〇〇くんなら大丈夫。
だって、“銀の狼”の弟子でしょ?」
⸻
その夜。
母さんの描いたスケッチが、
テーブルの上でやわらかく照明に照らされていた。
そこに描かれた僕は、
少しだけ、本物より強そうに見えた。
僕の後ろで見守る“銀の狼”――
その目が、どこかで見覚えのある優しさを宿しているように思えて、
胸の奥があたたかくなった。