ネオ・クロノスの下水道は、まるで都市の血管のように入り組んでいた。湿った闇の中を、レイスとエコーは肩を並べて進む。議定府の強襲部隊がすぐ背後に迫っている。レイスの通信端末にはプロジェクト・オラクルのデータが収められているが、暗号化が施されており、まだ全貌はつかめない。それでも、レイスの心には確かな変化が生まれていた。議定府への疑念が、彼の冷徹な信念を揺さぶっている。
「大義、理想。そんなものは善悪の天秤には何の影響もない」
と、レイスは呟く。だが、その声には迷いがあった。エコーの言葉──彼が実験体であり、裏切りが議定府の仕業だったという主張──が、凍りついた心を溶かし始めていた。
「まだそのセリフを繰り返してるのか? お前、変わり始めてるぞ」
「黙れ」
レイスは拳銃を握りしめ、彼女を睨む。
「お前と手を組んだのは、生き延びるためだ。それ以上でも以下でもない」
エコーは笑い、プラズマブレードを肩に担ぐ。
「強がっても無駄だ。議定府がお前を裏切った瞬間、お前の天秤はもう傾いてる」
その時、後方から爆発音が響いた。強襲部隊が追いついてきたのだ。レイスは段階加速を発動し、感覚を研ぎ澄ます。エコーもブレードを構え、戦闘態勢に入る。
「共闘の時間だ、執行官」
とエコーが言う。
「嫌いでも、背中は預けるぞ」
レイスは舌打ちしたが、頷いた。
「⋯⋯終わったら話は別だ」
下水道の通路は狭く、強襲部隊の重装備が動きを制限していた。レイスはそれを逆手に取り、流れるように兵士たちの間を縫いながら青白い光を放ち、一撃で装甲を貫く。段階加速により、敵の銃弾は彼の周囲で遅く漂うように見えた。
エコーもまた、プラズマブレードを振るい、兵士たちを次々と切り倒す。彼女の動きは野生の獣のようで、レイスの精密な戦術とは対照的だった。だが、二人の連携は驚くほど息が合っていた。レイスが敵の注意を引き、エコーが背後から仕留める。まるで、かつて仲間だった頃を思い起こさせるような戦いぶりだ。
「右だ! 」
エコーが叫び、レイスは即座に身を翻して右側の兵士を撃つ。だが、強襲部隊の数は予想以上だった。通路の奥から、新たな装甲車両が現れる。車両の砲塔が回転し、プラズマキャノンが唸りを上げる。
「下がれ! 」
レイスはエコーを突き飛ばし、加速を最大限に引き上げる。キャノンの光が通路を焼き尽くすが、レイスはぎりぎりで回避。だが、衝撃波で彼の身体は壁に叩きつけられ、肩から血が滲む。
エコーが駆け寄り、彼を支える。
「無茶すんなよ、執行官! 」
「黙れ! まだ戦える⋯⋯! 」
レイスは歯を食いしばり、立ち上がる。だが、身体は限界に近づいていた。段階加速の連続使用は、彼の筋肉と神経を蝕んでいる。
その時、車両のハッチが開き、黒い装甲服の男が現れた。強襲部隊の隊長、クロウ。議定府の精鋭で、レイスのかつての同僚だ。
「レイス、貴様が反逆者に与したとはな」
とクロウが冷たく言う。
「議定府の名の下に、貴様を処断する」
レイスは拳銃を構え、吐き捨てる。
「議定府が俺を切り捨てたんだ。クロウ、貴様もただの駒だろ? 」
クロウは笑わずプラズマライフルを構え、放つ。
「駒で十分だ。秩序を守るためなら、それでいい」
クロウのライフルから放たれるプラズマ弾は、レイスのエネルギー拳銃を上回る威力だった。レイスは加速を駆使して回避するが、クロウの動きも異常な速さだ。彼もまた、議定府の実験体の可能性があった。
エコーが横から飛び込み、ブレードでクロウを攻撃。だが、クロウは装甲でブレードを弾き、彼女を蹴り飛ばす。エコーは壁に叩きつけられ、呻き声を上げる。
「エコー! 」
レイスは叫び、クロウに突進。格闘戦でライフルを弾き、ナイフでクロウの装甲を切り裂く。だが、クロウは動じず、逆にレイスの腕を掴み、床に叩きつけた。
「貴様の加速も、オラクルの産物だ」
とクロウが言う。
「議定府が与えた力で、議定府に逆らうとは。まったく、愚かだな」
「オラクル⋯⋯」
レイスは血を吐きながら立ち上がる。
「それが俺をこんな目に合わせたのか? 」
クロウは無表情で答える。
「プロジェクト・オラクルは、人類の進化だ。貴様のような失敗作は、排除されるだけだ」
その言葉に、レイスの胸に怒りが燃え上がった。失敗作。裏切り。実験体。全てが議定府の仕業だとしたら、彼が信じてきたものは何だったのか?
レイスは最後の力を振り絞り、段階加速を発動。クロウのライフルを奪い取り、その銃口を彼の胸に突きつける。
「なら、貴様も失敗作だろ、クロウ」
だが、引き金を引く前に、エコーが叫んだ。
「レイス、殺すな! コイツも被害者だ! 」
レイスは一瞬迷い、クロウを睨む。クロウの目には、感情の欠片もない。まるで、かつてのレイス自身を見ているようだった。
その隙に、クロウは煙幕弾を投げ、下水道に白い霧が広がる。レイスは加速で追おうとしたが、身体が限界を超えていた。彼は膝をつき、息を切らす。エコーが彼を支え、隠し通路へ引きずるように逃げ込んだ。
通路の奥、狭い隠れ家にたどり着いた。そこはリベリオンの秘密基地の一つだった。古い医療キットと食料が置かれ、壁には反体制のスローガンが刻まれている。エコーはレイスの傷を手当てしながら、静かに言う。
「⋯⋯止めた私が言うのもなんだが、なぜクロウを殺さなかった? 」
レイスは目を閉じ、答えた。
「⋯⋯分からない。だが、奴の目を見たら、昔の俺を見ている気がした」
エコーは小さく笑う。
「やっぱり、お前は変わってる。昔のお前が、どこかに残ってるんだ」
レイスは通信端末を取り出し、データを再び確認する。暗号化の一部が解除され、新たな情報が現れていた。
『プロジェクト・オラクル:意識制御プログラム。対象は執行官およびネオ・クロノス全市民。目的:完全な秩序の確立』
「全市民⋯⋯? 議定府は、市民全員を洗脳する気か?」
エコーが頷く。
「その通りだ。オラクルは、自由意志を奪い、議定府の奴隷を作る計画だ。お前はその最初の試作品だった。でも、レイス、お前にはまだ抵抗する力がある」
レイスは彼女を睨む。しかしそこにある敵意は薄れており、むしろ疑問が強くなっていた。
「なぜ、俺を信じる? 俺は裏切った。お前の仲間を、殺したんだ」
エコーは目を逸らし、静かに言う。
「⋯⋯あの日のことは、私も忘れられない。けど、お前が操られてたなら、それはお前の罪じゃない。私たちは、議定府を倒して、真実を暴く必要がある。ネオ・クロノスの人々を、未来を救うために」
レイスは沈黙した。未来。人類の未来。そんな言葉は、彼にとって遠いものだった。だが、エコーの声には、かつて彼が抱いていた熱があった。自由を信じ、仲間と共に戦ったあの日の熱。
「俺は⋯⋯まだ信じられない」
とレイスは言う。
「だが、議定府が俺を騙したなら、そいつらを叩き潰す。それが俺の天秤だ」
エコーは笑い、ブレードを手に取る。
「それで十分だ。レイス、一緒に戦おう。ネオ・クロノスを、議定府の手から取り戻すんだ」
レイスは立ち上がり、拳銃を握り直す。肩の傷が疼くが、彼の目は再び鋭さを帯びていた。
「いいだろう。だが、エコー、俺がリベリオンに与するとは思うな。俺は俺の戦いをする」
エコーは肩をすくめる。
「頑固な奴だな。まぁ、それがお前らしい」
二人は隠れ家を出て、下水道の奥へ進む。背後では、強襲部隊の足音が再び響き始めた。レイスの心には、新たな決意が生まれていた。議定府を倒し、真実を暴く。そして、失われた未来を取り戻す。
「大義、理想⋯⋯」
彼は呟く。そして、過去を振り払うように頭を振りながら続ける。
「いや、真実と未来。それが、俺の戦う理由だ」