第一話 開拓者の誕生
1979年 7月初旬
目を覚ますと、顔に張り付いた髪が汗で湿り、シーツは背中にべっとりと張り付いていた。熱による悪寒は引き、全身が倦怠感に包まれている。
「あら、起きたのね哲也」
声のする方に目を向けると、母親が心配そうな顔で立っていた。
「母さん、今何時?」
「もう夕方の4時よ。薬置いといたから飲んで寝ときな」
母親はそう言いながらリビングへと戻った。おそらく晩御飯の準備に向かったのだろう。
枕元には解熱剤と水、そして首元にはいつの間にか交換された冷たくない冷凍枕があった。どうやら自分は平日の朝から熱にうなされていたらしい。
「今日は金曜日、学校休んだのか」
解熱剤を飲みながら、うなされていた時のことを思い出す。あの時、頭に流れ込んできたのは、2005年から2025年まで生きた、ある人物の記憶と知識だった。
窓の外からは、夕方のニュース番組の音声が微かに聞こえてくる。景気の話題だろう。解説者が「日本経済は今、世界を追い抜く勢いです」と力強く語っているのが耳に入った。
「世界を追い抜く、か」
その記憶の中には、今後さらに熱狂が増していく裏で巨大なバブルが膨らみ、いずれ弾けることでこれから日本を襲う「失われた30年」という長期的な経済低迷の予見が含まれていた。株価と不動産の異常な高騰と、それを急激に冷やした政策転換、そして銀行の不良債権問題。自分が今生きているこの時代が、その巨大な崩壊の直前だという戦慄すべき事実だった。
「この知識、どこまで本当なんだ?」
頭の片隅で冷静な自分が警鐘を鳴らす。しかし、未来知識の中にある、これから有名になるお菓子メーカーの名前は俺のよく知っているメーカーと一致する、電子機器の進化の方向性は、妙なリアリティを持って迫ってきた。
「すべて信じるのは馬鹿げてる。だが、『最悪のシナリオ』として、参考にする価値はある」
失われた30年。その原因の根本は、自分がどうこうできるレベルではない。個人が国の金融政策や国際合意を止められるはずがない。だが、この知識を利用して、その低迷を少しでも好転させるきっかけになれるかもしれない。
「俺にできることは一つだ。未来で確実に成長し、世界標準となる技術分野—PC、通信、CPU、AI—で、日本から世界有数の企業を立ち上げる」
ガラパゴス化を避け、世界に通用する標準を日本から作る。それは雇用を生み、国を活気づけ、停滞した金融システムに投資を呼び込めば起爆剤になるはずだ。
「よし、やってみよう。できうる限りで、この歴史の波に挑むんだ!」
しかし、起業するには資金も人材も設備もない。まずは通信機器やPCの製造につながる土台となる事業が必要だ。
目を閉じて、未来の知識を検索する。この時代、最も低コストで大きな利益を生む可能性を秘めているのはゲーム制作だ。すぐに任天堂やセガから次世代機が登場し、ゲームの黄金時代が来る。今のカセット時代のゲームは、個人の能力とひらめきで勝負できる。
「先ずはプログラミング言語を身につけることだ。父さんに習おう」
「哲也、ご飯よ」
母親の声に「あ!」と声が出る。気づけばもう晩御飯の時間だ。
「はーい!」
急いでリビングへ向かう。俺の父さん高橋寛介(38)は日本電気(NEC)のマイコン開発部門の主任だ。きっと理解してくれるはずだ。
テーブルに座ると、新聞を読んでいた父さんに声をかけた。
「おかえり」
「あぁ、ただいま。熱はもう良いのか?」
「うん、大分楽になったよ」
食事が運ばれ、三人で食べ始めた頃。哲也は意を決して箸を置いた。
「父さん、話があるんだ」
テーブルの空気が変わる。先に口を開いたのは母さんだった。
「あんた、急に何よ?」
哲也は母さんには目もくれず、父さんの目を真っ直ぐ見つめた。
「俺、ゲームを作れるようになりたいんだ。だから、プログラミング言語を教えて欲しい。できれば、明日からでも」
長い沈黙が流れた。父さんは新聞を脇に置き、静かに問いかける。
「何故だ。つい昨日まで、ゲームなんて少し遊ぶ程度だっただろう」
哲也は慎重に言葉を選ぶ。未来のことは言えない。熱意と、子供なりに考えた未来の展望を、必死に伝えるしかなかった。
「父さんて、コンピュータ作ってるんでしょ? コンピュータって、どんどん色んなことが便利になるすごいものだと思う。だから、これからもっとみんなが使うようになる」
哲也は、握りしめた拳に力を込めた。
「そしたら、きっとゲームももっと面白くなるし、遊ぶ人が増える。でも、俺は遊ぶだけじゃ嫌なんだ。お父さんみたいに、未来を変える『すごいもの』を作る人になりたい!」
寛介は、哲也の顔をまっすぐと見て言葉を一言も聞き漏らさないように聞いていた。その真剣な眼差しに、父の顔にも真剣な色が移る。
「なるほど…。哲也の考えは、確かに筋が通っている。これからコンピュータは社会を変えるだろう。そして、お前のような熱意ある人間が必要になる」
父は小さく息を吐いた。
「よし。いいだろう。明日は半日勤務だから、午後に少し教えてやる。ただし、その熱意が本物かどうか、しっかり見せてもらうぞ」
「やった!」
父さんの承諾を得て、哲也の心は歓喜で満ちた。
次の日の午後、父の書斎に入ると、そこにはテレビに繋がれたTK-80と、拡張ボードTK-80BSがあった。
「これが、お前が使うマイコンだ。ゲームに使うのはアセンブリ言語だが、お前に教えるのはBASICだ」
「どうして?」
「覚えやすいし、ゲーム一本を作る時間が圧倒的に短いからだ。子供がアセンブリでやるよりも飽きにくい」
父の言葉に納得する。合理的だ。自社の製品を教材として試したい気持ちもあるのかもしれない。
「ただし、BASICはロードも遅いし、容量を食う。リアルタイムで操作を行うゲームには向かない。最終的にはアセンブリ言語も覚える必要がある」
父も自分の目指す先の厳しさを分かっている。
「わかった! 頑張る」
哲也は、それから驚異的な集中力でBASICの学習にのめり込んだ。未来の知識を持つ人間の記憶力や集中力などを引き継いだのだろうか。元々ここまで精神も成熟してなかったはずだ。
まず、父に言われた通り、先月の『月刊アスキー』に載っていた迷路ゲームから取り掛かった。#を壁、Aを自キャラとする単純なものだ。それはすぐに完成した。
次にテトリスの再現を試みたが、やはり処理速度の壁は高かった。キー入力の遅延、ブロックの不自然な落下、ライン消去時の長いフリーズ。まともなゲームとは呼べないものにしかならない。縦スクロール型ゲームも同様で、カクカクとした描画速度に阻まれた。
「クソ、キーを叩いてから、画面のAが動くまで1秒もラグがある」
父さんから無理だと言われていたが、未来の知識を手に入れて調子に乗っていなかったと言えば嘘になる。改めて俺もただの人間でハードの制約を無視できないことを理解した。
「リアルタイム性のあるアクションゲームは、今の俺の技術とTK-80BSの性能じゃ、無理だ」
現実の技術的な限界を叩きつけられ、哲也は方針を転換した。
「BASICの強みは、計算と論理だ」
そして取り掛かったのが、ターン制の経営シミュレーションゲームだった。プレイヤーが毎ターン、生産量、販売価格、広告費、研究費を数値で入力し、それに市場変動の乱数を加えて、企業を成長させていく。描画処理や演算に時間をかけても、次のターンに進むまでプレイヤーは待ってくれる。
BASICを学び始めてから5ヶ月が経ち12月に入って、ついにゲームが完成した。
「父さん、俺の作ったゲーム見て欲しいんだ」
哲也は自信と不安が入り混じった顔で、父の書斎のドアを開けた。視線を新聞からこちらに向けて、喋り出した。
「もう出来たのか。意外と早かったな」
「うん」という俺の返答に対して父さんは思いもよらない発言をした。
「哲也。ただ見せるだけじゃ面白くない。俺にプレゼンしてみろ」
父さんはソファに深く座り、腕を組んだ。
「プレゼン?」
「そうだ。将来お前が面白いゲームを作ったとしても作ったものがどれだけ素晴らしいか、熱意を持って人に伝えられなきゃならない。『私が作ったのはこれです』と機械を指さすだけじゃ誰も動かない。そのゲームの魅力と、お前が工夫した点を、俺に説明してみろ」
哲也は戸惑った。プログラムを組むことには集中できたが、それを言葉で説明することなど考えもしなかった。顔が熱くなる。
「このゲームのタイトルは『フロンティア・カンパニー』て言って『フロンティア』は、開拓者って意味なんだって父さんが言ってたろ?俺は、これから始まるコンピュータの時代を切り開くようなゲームを作りたいからそう名付けたんだ」
「ええと…その、このゲームはプレイヤーが会社を経営するゲームなんだ。生産量とか、価格とかを入力して…」
「それは見ればわかる。そうじゃなくて、何が面白いんだ?なぜ、他のゲームを差し置いて、このゲームを制作しようと考えたんだ?」
父の真剣な問いに、哲也は言葉に詰まった。彼はゲームを徹夜で作り上げ、そのロジックには絶対の自信を持っていた。だがその「面白さ」を他人に伝えるための言葉を持っていなかった。
哲也は一度深呼吸をし、画面の前に立った。頭の中で、未来の知識と、自分がプログラムに込めた意図を必死に繋ぎ合わせる。
「…このゲームは、現実の会社の経営をシミュレーションしているんだ」
哲也は再び、父の目を見て話し始めた。
「アクションゲームみたいに反射神経はいらない。必要なのは、先を読む力と、決断力で、市場は毎ターン、予測不能な動きをする。プレイヤーは、広告費や研究費をケチるのか、それとも未来への投資として大胆に使うのか、常に悩まされる」
彼は、特定のロジックを指し示した。
「工夫したのは、この価格弾力性のロジックで、価格を下げすぎると、市場が荒れて需要が増えすぎて供給が追いつかず、かえって利益率が下がるように組んである。逆に、研究開発費を一定以上投入すれば、生産効率が上がり、次のターンの経営が楽になるようにした」
「このゲームの魅力は、プレイヤーが下した『判断』の結果が、数字として明確に返ってくるところだ。ただの遊びじゃなくて、経営の厳しさと楽しさが体験できる。これを遊んだら、大人になって本当に社会に出た時に自分の会社はどんなんな意図で経営されているのかを考えれるようになって欲しい」
「そんな気持ちを込めて作った」
哲也が言い終えると、書斎には静寂が戻った。父さんは、ゆっくりと立ち上がり、哲也の頭を優しく撫でた。
「よく言えた。完璧とは言えないが、哲也がこのゲームに込めた思いは伝わった」
「ありがとう」
「技術的な評価としては、BASICを学んでたった五ヶ月で、ここまで論理的なシミュレーションを完成させたのは、十分すぎるほどの合格点だ。お前は、与えられた環境の中で最大限の結果を出した」
父さんは、一転して厳しい表情になった。
「だが、哲也。覚えておけ。これからお前が、誰かを雇うとき、銀行から融資を受けるとき、作ったソフトを企業に売り込むとき、なぜこのゲームが面白いのか、なぜこのロジックが必要なのか、今日の何倍も詳しく聞かれることになる。今日みたいに言葉に詰まっていたら、誰も君の才能を信じてはくれない」
「技術力と、それを他者に伝える力。その両輪があって初めて、世界を変えるような『すごいもの』が生まれるんだ。今日のプレゼンは、その第一歩だ」
父さんは、書斎の隅にある技術書の一冊を手に取った。それは、アセンブリ言語の分厚いマニュアルだった。
「お前は、自分の作ったゲームの面白さを言葉にする練習と並行して、これからこのアセンブリ言語を学ぶことになる」
「このマニュアルに書いてあるのは、コンピューターの心臓部がどう動くかという『理』だ。これでお前のロジックは飛躍的に速くなり、お前の夢に大きく近づく。だが、BASICとは比べ物にならないほど難解だ。それでも、やるか?」
哲也は、分厚いマニュアルをじっと見つめ、その重みを受け止めるように頷いた。
「うん、やるよ!父さんの言う通り、最高の技術と、それを伝える力を、両方手に入れる!」
彼の目には、もう戸惑いの色はない。世界有数の企業を目指すという、哲也の壮大な夢は、この父との対話と、分厚い一冊の技術書から、本格的に加速し始めたのだった。
評価、感想よろしくお願いします
これが憑依ものとして良いのかわかりません。
歴史物を書くのが初めてなのでお手柔らかにお願いします。
因みに主人公は小学4年生です。