事故ったのは玲奈だった 〜社長夫人はずっと離婚を考えていた〜【原作伏線回収・再構成】   作:山本山 

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38話 過去編

華美な装飾品は少ないが、ダイニングルームには選び抜かれた調度品があり、あるべき場所に収まり美しく飾られている。まるで美術館のようだ。

 

智昭と茜はいつもの席に着席する。

 

優里は一切の迷いもなく女主人の席に腰を下ろした。一連の動作を見ていた智昭は、知らずのうちに手を握りしめている。

 

表情は変わらず、とても穏やかなままだ。

むしろ少し笑みをたたえている。

 

「そうだ! パパ! 今日ね、優里おばちゃんがお菓子作って持ってきてくれたんだよ〜。甘くてねぇ、とっても美味しかったの〜。パパの分もあるから後で食べてね! ねっ、優里おばちゃん」

 

「えぇ、どうぞ後で召し上がって」

 

「そうか、ありがとう。後でいただくよ」

 

どこまでも優しい声色の智昭。

優里の頬がほんのりピンクに染まる。

 

茜はいつものように、今日の出来事を思い出しながら智昭に話しかけている。楽しくなってきて、茜の足は振り子のようにプラプラと揺れてしまう。

 

「茜、足を揺らさないで」

 

智昭に咎められて、茜はムッとした。

 

「もうっ! わかってるって……」

 

腕を組みながらプイと優里の方を向き、助け船を待っている。

 

「あらっ、茜ちゃん怒っちゃったのね。怒った顔も可愛いいわ」

 

言いながら指で鼻をツンツンとしてみせた。その仕草は、数多の時間を共にしてきた親子のようだ。

 

使用人たちはその様子をぎこちなく受け止め始めている。田代の危惧は予想よりもずっと早く訪れてしまいそうで……複雑な思いで見守っていた。

 

「茜ちゃんが楽しかったのなら、優里おばさんはとっても嬉しいわ。また一緒に遊びましょうね」

 

そう言い終えると、優里は視線を智昭に向けた。

 

智昭は優雅にワインを楽しみながら、対面に座る優里へ、非の打ち所がない完璧な微笑みを向ける。

 

「優里、茜が世話になった。また遊んでやってくれ」

 

「えぇ、こちらこそ……智昭さんの役に立てるなら、私はそれだけで幸せだわ」

 

智昭の「優しい声」は、給仕をする田代たちにとって初めて聞く声色だった。彼らの戸惑いがその場の雰囲気を作ってしまうほどの動揺だったが、智昭にとってはこの雰囲気も想定内のこと。

家で優里を「理想のパートナー」として扱うことが、玲奈を周囲の悪意から遠ざけるために、もっとも効率的であることを彼は確信していた。

 

不意に、テーブルの上に置かれた茜のタブレットに着信音が鳴る。

 

画面に浮かび上がったのは「ママ」の二文字。

そこには、今朝から何度もかけ直したであろう、不安げにしている玲奈が映し出されていた。

 

「あ! ママだ! パパ、ママだよ!」

 

茜が弾かれたように手を伸ばす。指がタブレットに触れて通話状態になったのと同時に、優里の声が玲奈に届く。

 

「……茜ちゃん、今はパパとお食事中よ?」

 

智昭は慌てて通話を切る。

 

この動作が、使用人たちの認識を『優里は茜の恩人以上の存在である』というものに塗り替えた瞬間だった。

 

優里は確信に満ちていた。そんな優越感など微塵も見せず、戸惑いを浮かべた無垢な顔で智昭を見つめた。

 

「玲奈さんからの電話だったのに……よかったの? わざわざ電話かけてくれたのに、私、余計なことしてしまったんじゃないかしら」

 

優里の、淀むことも罪悪感もにじまないその口調は、もはや女主人のようだった。

 

智昭は変わらず優しげな穏やかな微笑みで優里を見つめ返している。テーブルの下に隠れた手は、爪が食い込むほど握りしめられている。

 

優里はこれが本来正しいあるべき姿だと信じて疑わなかった。(コレが正しい姿なのよ)

 

A国の藤田邸宅に、静かに、しかし確実に、玲奈の居場所が優里のものに塗り替えられていくようだった。

 

智昭は何事もなかったかのように食事を再開する。

 

「……田代。その端末を下げろ。食事中だ」

 

智昭の声は、以前よりも一層、氷のように冷徹だった。

 

「パパ……? でも、ママ、あかねとお話したいって……」

 

「後でかけ直しなさい。今は、食事が先だ。……いいな?」

 

「……うん」

 

拒絶された茜が、力なく肩を落とす。田代が無言でタブレットを拾い上げ、部屋の隅へと下がっていく。

切断される直前、画面の中の玲奈が見せた絶望に染まった表情を、智昭は一生忘れないだろう。

 

「ほら、茜ちゃん。おばさんと一緒に、次のお休みの計画を立てましょう? パパも一緒に行けるように、おばさんがお願いしてあげるから」

 

優里は、ただ慈しむように茜を抱き寄せた。

智昭が命懸けで築いてきた平穏が、優里という女と共に足元からヒビが入り込んでくる。

 

だが、智昭は、玲奈の献身的な愛は未来永劫変わることなどありはしないと信じていた。自分自身の愛も同様に、決して変わることがないからだ。

 

ただ、身体までは誤魔化せなかった。彼はワインの味など、もう分からなくなっていた。

 

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