事故ったのは玲奈だった 〜社長夫人はずっと離婚を考えていた〜【原作伏線回収・再構成】   作:山本山 

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44話 過去編

「目的?」

 

腹の底から絞り出された智昭の声を聞きながら、新田は笑ってみせた。

 

ゆっくりとソファから腰を上げ、一歩づつ距離を詰めていく。

 

身動きの取れない智昭のパーソナルスペースに、土足で入り込む。

 

新田の手の中で、一振りのバタフライナイフが鋭い金属音を立てた。

 

「お前には簡単なことだ」

 

新田は智昭の鼻先に息がかかる距離まで顔を近づける。左頬に冷たい刃を這わせ、そのまま反対側の耳元で、彼にだけ聞こえるように囁いた。

 

「俺の死を、偽装しろ」

 

身体を離しざま、新田はナイフの切っ先を頬から首の頸動脈へと滑らせ、押し当てた。

その冷たさに反応するように、智昭の喉仏が、緩慢に上下する。

 

「難しいことじゃないだろ?」

 

新田は二歩ほど下がると、おもむろにジャケットからスマホを取り出し、画面を智昭に突きつける。映し出されたのは、茜の動画だ。

 

「……おまえっ……!」

 

「タダとは言わん。取引だ」

 

新田はソファに戻り、ドカッと座るとズボンのポケットから100カラットのダイヤモンドを取り出した。

 

「この石一つで一人の人生が壊れ、一人の人生が終わり、一人は野望を掴んだ。……ただの石ころに振り回されて、何が面白いんだ? お偉いさん方も暇だねぇ。この取引を断れば、このダイヤも、映ってる娘も――」

 

「……いいだろう。10ヶ月後、その豪華客船でお前を殺す」

 

智昭が遮るように放った言葉に、新田は不敵に笑う。懐から取り出したのは、精緻な彫金が施された、重厚なプラチナのブレスレットだった。

「『ブラック・アトリエ』を知ってるか? 美しい精密機械だけを作る地下工房だ。こいつを買うために、南米の麻薬王を三人消して作った金が全部飛んだよ。俺の一番のコレクションを、お前にプレゼントだ」

 

リビングに響きだす、澄んだ金属音。

 

ーー チ、チ、チ、チ、ーー

 

「……なんだコレは?」

 

「『沈黙の秒針』……。電子回路は一切ねえ。今この瞬間から、300日分のゼンマイが解け始めた。10ヶ月後、俺が専用の鍵で巻き戻さなきゃ、そいつは内側に仕込まれた信管を叩く。お前の右腕は、肩から先が消し飛ぶ仕組みだ。どうだ、気に入ったか?」

 

不敵に笑う新田を、智昭は真っ向から見据え、汗がこめかみを伝うのを感じながら言い放った。

 

「随分安い代償だな? 貴様、それで俺が折れると思っているのか。……スパイダーと繋がる本国の人間の情報もセットだ」

 

新田は片方の眉を上げ、顔を近づける。

 

「ダイヤと娘、右腕だぞ? まだ欲しがるのか?」

 

「お前、自由になりたいんだろう? 最初で最後のチャンスじゃないのか?」

 

互いに視線を外さない。秒針が、時を刻み続ける。

 

「……はー。流石、稀代の実業家でいらっしゃる」

 

新田は満足げに首を軽く左右に振り告げる。

 

「成立だ」

 

新田は床に転がっていた智昭のスマホを拾い上げた。

 

「解除番号は? 連絡手段がねぇと不便だろ。10ヶ月間、俺は俺の命。お前はお前の家族の命。これが掛け金だ。どうだ?案外公平だろ。これから俺とお前はただならぬ関係だな。仲良くやろぜ。」

 

「9450112154」

 

淀みなく告げられた番号。新田は軽やかに指を滑らせ、自分の秘匿アドレスを登録する。

 

入力された文字は、あまりにも場にそぐわない「ダーリン」。新田は肩を揺らして笑うと、そのままスマホを智昭の足元の床へ、無造作に放り出した。

 

「消せねーし、変更もできねーらしいぞ(笑)通知が来たらすぐに愛を返してくれよ、当主サマ。……連絡が途絶えた瞬間、その腕はサヨナラだ」

 

床に転がるスマホ。画面が光り、「ダーリン」というふざけた文字列が浮かんでいる。智昭はそれを凝視し、表情を失くした。脂汗でシャツが背中に張り付いている。血の気の引いた青白い顔と相容れない眼光の鋭さだけが浮かび上がっていた。

 

 

 

 

長い緊張から解放された頃、玄関の扉が激しく蹴り開けられた。

 

「智昭さん! 智昭さんっ!!」

 

泥まみれの賢志が、息を切らしてリビングに飛び込んでくる。だが、彼が目にしたのは、

拘束を解かれた智昭の姿だった。

智昭の手首に嵌められたブレスレットが、月光を反射して妙に光っている。

 

新田の姿は、既にそこには無かった

 

賢志は、その場に立ち尽くす。すべてにおいて、手遅れだった。

 

 

智昭は床に落ちたスマホを見下ろしたまま告げた。

 

「……賢志か。遅かったな」

 

智昭は、重く瞼を閉じ、天井を見上げた。手首から伝わる「秒針」の振動を、今はただ、否応なしに感じていた。

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